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空白を越えるLight in The Teens End
プロフィールを拝見すると作者はギリギリ高校生との事で、残り僅かな学生生活の中で抱く虚無感というか、儚い気分が作中に反映されている気がします。 冒頭、「針が見えた」と、視認した物を修飾せず真っ直ぐ示す事で無機的な空気を作りながらも、続いて、「痛くない訳ないのに」と、心境を吐露している所に親しみが感じられます。 「ガチャン」というオノマトペのみの1行は、針に採血管が接続された様子を表しているのか、あるいは、採血器具がトレイに置かれた時に生じた音なのかという想像の幅を与えながら、検査の光景を読み手に明確に浮かべさせ、直後の「一番最初の空白」という表現は、針を刺された瞬間、体験者の中で時間が停止したような感覚を、読み手にも体感させる効果を発揮していると思います。 「襲いかかる津波」、「止まらない余震」というのはおそらく、針を刺された痛みが全身に伝播する感覚と、なかなか治まらないその余韻の事なのかと思いますが、体内で生じた現象を地球規模の事柄に喩える壮大さにより、体験者にとって非常に鮮烈な印象だったというのが伝わってきます。 「取り押さえられる犯人」は、採血後に具合が悪くなり、看護師から介抱されている様子だと解釈しましたが、身体を補助される光景を、それとは真逆の性質である拘束行為として描写する発想に引き付けられました。 「どうやら越えられなかったみたい」という締めの一文は、自らが貧血だと判明した事を残念がっているようにも、他人事のように冷めた心境で受け止めているようにも読めます。 血液検査の体験を、サスペンスドラマの終盤のワンシーンに仕立てたような面白い発想の詩で、全体を通して重い雰囲気がありながらもあっさりとしていて、諦念を持って書かれている印象です。 その中で、血という言葉を使用せず、授業で習ったのであろう血赤色溶液の化学式「Fe3+ + KSCN」を用いたり、体内で循環する血液が痛みにより熱を帯びる感覚を、「熱くなるラズベリー」と表している所に、ティーンエイジャーとしての個性が光っていると思います。 私は二十代中盤だからか、読後、学生時代を懐かしむノスタルジーよりも、数年前の自分を少し苦く想う気持ちを抱きました。 こちらの詩で垣間見られる十代終盤特有の感性を、作者がこの先、突き詰めていくにしても手放すにしても、個性的な表現行為を続けていってほしいと僭越ながら願って、推薦文として投稿いたします。
空白を越えるLight in The Teens End ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 707.3
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作成日時 2022-12-01
コメント日時 2022-12-01