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コンドルは飛んでいない
コンドルは飛んでいない ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 966.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2022-10-20
コメント日時 2022-10-28
項目 | 全期間(2024/12/04現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
鳶って何を食べて生きているんだろうと時々思います。狩りをしてる姿を見たことがないので、少ない回数で成功率が高いのだろうか、などと。猛禽類をはじめ肉食の生き物は常に過去をまとって生きているのだなあと思いました。
0海を山を鳶が飛んで居るのを飽かず眺めた事が有ります。港が無いためか、カモメがいなかった。余計に鳶の比重が高まります。鴉や鳩や燕も居たのですが、鳶は自宅にいたのでは拝めないので。さらに鷹ですね。私は鳶で満足したのですが、鷹ともなると動物園にでも行かないと拝めないのかもしれない。この詩では格言と言うのか中国の古い故事にちなんで居るのかもしれません。誰と歩いたのか、笑った記憶。当たり前であることに対する驚異でしょうか、この詩は。
0鳶はなんでも攫って行きますね。子猫とか注意です。鷹の同族だし。稀に狩の失敗なのか海に落ちて溺れてしまうのもいるようですが。過去をまとって生きる。明確に意味は読み取れないのですが、ちょっと考えてみたいと思います。
0毎度。鳶は自宅から拝めないですか。街なかに住まわれているんですね。私の町ですと職場の窓からでも夕方になると電柱にとまっているのがみえます。飛翔するものに心奪われる人は多いのでしょうかね。当たり前に笑う、逆境のときこそ笑えなんて使い古された言葉ですが笑える人は心が強いんじゃないかなぁ。いや、空元気かもしれない。でも空元気も元気の内ですね。笑える人間でありたいものです。
0私は、夕暮れ時、洗濯物を取り込んだあと、空を30分くらいぼーっと見るのが日課です。家が山の上なので、よく鷹や鳶がくるりくるりと羽ばたかずに旋回しているのを見ます。 多分『ピーヒョロロ~』と鳴くのが鳶だと教わったことがあります。 鷹かな?と思ったら、鳴き声を聴いて鳶だった、という経験が多いので、 >鳶がくるりくるり >よく観たら鷹だった そういうこともあるんだ、と思いました。大きさはあまり変わらないので、私は鷹と鳶は見た目ではよくわかりません。 鷹の方が高貴で、鳶は卑しい(主に死肉を食べるから)というイメージがありました。 >鷹も鳶を産み落とす >当たり前だけどね 生物学的にそういうことは無いにしても、そういうこともあるかもなぁと、と思います。逆もあるような気がします。 鳶もいざというときは、生き物相手に戦うそうなので。 >道はどこまで と、どこかに限りがある表現の後 >道は果てしない という表現がある。 鷹が飛んでいる空には限りがあるけど、宇宙は果てしない >そんな風に笑う >いつかのように笑う が2回繰り返されているのは心地よいと感じました。
01文1文が短く、だけど情景が巡る。 少しだけ寂しさを感じる。この気持ちは何なのかな。 そういう風に思わせられる、 くるりくるりがあどけなさを感じる純粋なものだとしたら、 よく観たら鷹だった。 『コンドルは飛んでいない』 題通り、奇跡なんてない そういわれた感じで少しの寂しさを感じたのだなと 書きながら感じました。 他の作品も読んでみたくなりました。
0鷹が鳶を産む、鳶が鷹を産むと違って慣用句としての驚きにもならないから、使われないでしょうね。まぁ、鷹と鳶は種類としては同じ属ではあるからもしかしたら、ないか。でも、あるかもなぁ、と思ってもらえた時点で成功かな
0奇跡は必ず起こる、なんて言うと嘘くさいね。ですな奇跡は起こすもの、これまた嘘くさいけど、書くこと、いやそもそも創作である意味、奇跡を起こしちゃうところがあるんじゃないかな。コンドルは飛んでないけと、鷹が鳶を産んだわけだしね。
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