ユーザー交流スペース2024/6月度 - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

良い

シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

いい

明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

afterglow

桃太郎の神殿

幻想的な具体、具体的な幻想

時刻、刻々、刻むということは生きるということである。生きる、生まれる、死を予感する全ての事象が望む新たな幻想、書かれるべき詩、読まれるべき詩がここにある。

狂詩人



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ユーザー交流スペース2024/6月度    

こんばんはみなさん天才詩人2です。唐突なんですが試験的にユーザー交流スペースなるスレッドを立ててみます。みんなが曖昧に雑談なんかに興じてくれると嬉しいなという意図でございます。好評だったら続けようと思います。問題が出たらすぐやめます 笑 とにかくみんななかよくね。あんど楽しく。

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ユーザー交流スペース2024/6月度 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 172
P V 数 : 5072.9
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 40

作成日時 2024-06-16
コメント日時 2024-06-21
#ビーレビ杯不参加
項目全期間(2024/07/02現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
エンタメ4040
技巧00
音韻00
構成00
総合ポイント4040
 平均値  中央値 
叙情性00
前衛性00
可読性00
 エンタメ4040
技巧00
音韻00
構成00
総合4040
閲覧指数:5072.9
2024/07/02 05時14分52秒現在
※ポイントを入れるにはログインが必要です
※自作品にはポイントを入れられません。

    作品に書かれた推薦文

ユーザー交流スペース2024/6月度 コメントセクション

コメント数(172)
天才詩人2
天才詩人2
作品へ
(2024-06-16)

こー俺が最近おもーのはですね 世間が暗いというか お先真っ暗みたいな気分で生きてるひとが多いんじゃないかとゆーことなんですね そーなってくるとですね ポエムだとか文学だとか哲学だとか そーゆーブンゲー一般がですね復権してこざるをえないんじゃないかと そしてやっぱりこーゆー詩作とかって特にそーだと思うんですけど もののあはれの露出みたいなものだと思うんです もうなんとも言えないなってところまで煮詰まった言葉が詩なんじゃないかなって 言葉のartはいいですよ 色んなひとにavailableですから そしてね何が言いたいかとゆーとですねビーレビはその点ですごく良いなと トルストイの例の書き出しじゃないですけどね やっぱりアンハッピーなひとたちって様々ですよ そのバラエティー豊かなひとたちがなんとなく集まっては去っていく それがこのビーレビとゆーか ネット詩って流れなのかなって だからみんなどうぞ交流していってください そしてポエム書いてってください 感想書いてってください let it flow ってかんじで

8
吸収
吸収
作品へ
(2024-06-16)

いやーダラダラ書いても良いんかな? こないだの放送聴いて黒髪さんと田中さんと天才詩人2さんには負担かけてるなと感じましたよ そして3人のかけあいみたいなものも面白かったです 天才詩人2さんが最後に文極の事はもういいでしょうみたいな事を俺に言っていたのでまぁ反論というか 文極と言うかまぁ無駄を省きたいと言うかテイク2と言うか 修正と言うか バックミラーを覗く事は過去ではなくて今、及び未来に対応する為に見ると言うか ちょっとお風呂入ろ 後でまた書くかも

2
rona
rona
作品へ
(2024-06-16)

天才詩人2さん、お疲れさま。 良いスレッドが立ったなーと思います。 現フォ、文極、また歴代のビーレビの中で私は今のビーレビが一番居心地が良いです。運営が無駄にイキらないのが良いんじゃないかなーと思ってます。 個人的に葉月二兎さんや原口昇平さんの詩が読めるなんてすごい場所だと思うし、文極みたいな敷居の高さがないから初心者でも臆せず書けるし、誰でもハイレベルな書き手の方と交流出来るベストな環境じゃないでしょうか。 まぁ私なんかはコンスタントに書く書き手じゃないから気が向いた時に気楽に来れる空間だと有り難いです。 それからあの人どうしてるのかな~なんて思い出す詩人さんが書きに来てくれるような場所になるといいな〜なりそうな気はしますよ!

2
A・O・I
作品へ
(2024-06-16)

自分は実際ここに出して、三浦さん吸収さん室町さん田中さんなどに構ってもらえたので、ここに居座ることができたのでね。文極はよくしらんし詩歴も長くないのででかい口たたけないなとおもっているんですよ。コレでも! んでも今この場みてると普段から張り付いてるみたいな暇人wは私も含めて数人しかいない。結局自分が欲しがってるものがこの場で得られなければひとはいなくなる。というか出したらソレで終わりみたいな人が多いので、対策しろとはいいませんけど、なんていうか寂しいっすよね。ようはコメントするような雰囲気でもしたいと思うものもないということでしょうし。この場だけですよね、批評読解アドバイス指南指摘が、公然と行える場所は。ふつーの投稿サイトじゃクソリプブロック通報退会案件ですから。ですから無くしたくないなと思っていて。そうやって新陳代謝を繰り返していくにしても。ふんいきづくりっていうのかな? どっかのコメントで言ったけど外からみて舐められるなと、レベルではなく質が下がるのだけは勘弁だな~

2
澤あづさ
作品へ
(2024-06-16)

おまるたろうさんへ https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-75.html https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-76.html 上記の弊ブログ記事に関して頂戴したご指摘の件です。すでに述べた通り、このブログ記事は、まさにご指摘の件に思うところがあり制作したものです。 わたし自身はケムリさんの詩にも詩論にも詩評にも賛成しませんし、その他の言動を擁護するつもりもありません。かれは罵倒上等の弊害を実証したと考えたから、忖度ぬきで批判しているわけですが、一方で、かれの詩が後進を牽引したことを知っています。文極でケムリさんの慕われた理由が、詩才であって罵倒でなかったことだけは、心ある人に知られてほしいのです。感傷的なおばちゃんの単なる自己満足ですが。 今後おまるたろうさんが文極を論評に値するとお考えになり、文極考ないしケムリ論に着手なさることがありましたら、ぜひわたしにご一報ください。是が非でも拝見したいです。周囲の目もありますので念のために、わたしが拝見したいのはあくまで文極のケムリさんの詩ないし詩評を対象とする論評であって、その他の事柄ではないことを申し添えます。

3
作品へ
(2024-06-16)

暑い

4
おまるたろう
おまるたろう
澤あづささんへ
(2024-06-16)

澤あづささん わたしは澤さんのような緻密なケムリ論考は書かないですよ、 書くなら、おのずと「借金玉」論になるでしょうね。 書くかどうかは未定ですが... 現代詩を無批判に信奉するのはたしかにマズイですけど、 同じくらい「反」現代詩を無批判に信奉するのも、 まったくもって同じ穴の狢ですね。 これってなにかということを考えるだけでも、 いろいろ奥が深いのだろう。 きっと。

3
葉月二兎
葉月二兎
作品へ
(2024-06-16)

こーゆーのいいね。今の時代にあってるっぽいし。 楽しく話せるのが場ってのが、一番いいと思うのです。 (って、他のところとか、昔のところとか今どーなってるのか知らんけど) ・・・A・O・Iさんの作品の批評、1/4くらいの書きかけだけど、 ここに出してもよい?のかな。 そういうくらい自由に書きたいなーって思うのです。

3
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-06-17)

その昔「永遠などなかった」そう言って詩サイトを立ち上げた人がいた。同じように「平和」これも単に言葉による理想にすぎなかった。ではこの世界で一体普遍的なものなどあるのだろうか。詩は言葉は何処へ向かおうとしているのか。否、何処へ向かって足跡を残せばいいのだろうか。詩は言葉とは残り得るものなのだろうか。

2
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-06-17)

あら!皆さん挙げてたのね。どうも空気読まなかったな。笑。まあ、どこまで現代詩人会に負けないような詩が集まるかだな。ミイラ取りがミイラになってしまわないように。例えば前衛的にも思想的にも倫理的にもより自由度のある。程度違いを出していってほしい気はある。

2
takoyo2
takoyo2
おまるたろうさんへ
(2024-06-17)

おい、おまるたろう、調子に乗るなよ。 詩も批評も書けないやつが、最後は偏執妄想狂の澤しか すがるところがないのか。笑 卑しいやつだ。

0
atsuchan69
作品へ
(2024-06-17)

 ――カオスの反逆――  ♪おかげでさ、するりとな、ぬけたとさ‥‥  江戸時代に幾度となく起きた「ぬけまいり」「おかげまいり」とよばれる現象。  熱狂的な、イナゴのような大群集による24時間街頭ミュージカルとでもいうべき奇行。舞台は日本全土、ロングラン‥‥リアルタイム上演。  これは、1969年8月にアメリカを襲った「ウッドストック」をあらゆる面において遥かにしのぐ‥‥どころか、ほとんど比較にもならない規模で起きている。  ふらりと長屋から出てきた女は、まだ家事の最中だというのに、  ♪「おかげでさ、するりとな、ぬけたとさ」  と口ずさみ、宙を見据えると、そのまま夫や子を家にのこして消えてしまう。  身も知らずの人々との合流‥‥彼らと寝食をともにする道中が数十日もつづく。来る日もくる日も、歌と踊り‥‥非日常的な、ある種(常識を欠いた)狂乱状態の日々。  やがて、けろりとした顔で家に帰ると、お咎めなし。  (これを行なったのは、けして人ではないからである)  私は、「おかげまいり」について考えるとき、かのギリシア神話―ディオニソスが女たちを躍り狂わせ、テーベの王ペンテウスを八つ裂きにするくだり―を連想せずにはおれない。(八つ裂きにし、その肉をくらう女たちにまじってペンテウスの母親もいた)  秩序に対するカオスの反逆は、いったん境界の堰をやぶったが最後、その勝敗は言うまでもない。  既成の秩序、既成の権力など、じつはカオスの力の前ではいとも容易く崩壊してしまうものなのだ。「おかげまいり」を行なった者への「お咎めなし」は、カオスの絶対的な力の前にひれ伏す既成の秩序そのものの哀れな姿に他ならない。  もっと端的に言ってしまうと、社会的秩序とはけして宇宙の中心ではなく、巨大なカオスによって束の間に許された「居住区」あるいは「貸し部屋」にすぎない。我々が秩序と信じているものの正体は、じつは我々をとりまく広大な宇宙にうかんだシャボン玉のごとき存在に等しい。  おそらく薄い皮膜のむこう側では、我々が信じているモラルや世界観、哲学などほとんど意味を成さないだろう。  ※おかげ横丁(画像) 2021年4月11日  https://atsuchan69.wordpress.com/wp-content/uploads/2024/06/dsc_0070-1.jpg

3
澤あづさ
おまるたろうさんへ
(2024-06-17)

(えええええっと、おまるたろうさんはスルースキル安泰と勝手に見込んでお声がけさせていただきましたが、万が一タコが無理でしたら申し訳ありません。苦情は運営か、アラガイさんにお願いします。) 信奉するものがないと人間は動けないのが現実ではありますが、特にアンチという行為は、公開処刑の見物と大差ない娯楽ですからね。その信奉が本当に自分の意志なのか、よくよく考える必要がありそうです。

3
黒髪
作品へ
(2024-06-17)

ネット詩における、歴史的な和解に向けて、話が進んでいるようで、要注目ですね。文極的なるものが、なぜ必要とされたか、全ての誤りは、注視の中で、正されようとしている。

2
黒髪
atsuchan69さんへ
(2024-06-17)

絵本で読んだのですが、中国で伝わっている話として、混沌に神様が、目と耳と鼻と口をつけたら、 混沌は死んでしまったそうです。数学的には、カオスというのは、初期値鋭敏性という現象 のことですよね。二重振り子などが、分かりやすいです。https://www.youtube.com/watch?v=jmigdSLIajg

2
atsuchan69
黒髪さんへ
(2024-06-17)

いつも淫らなことばかり考えているため、 ボクが書いた舌足らずな文章を少しだけ補足すると、 ここで言う「カオス」は、 ぶっちゃけ、 ダーティハリーが大学の時に専攻していた【社会科学】的な、 哲学者:竹内芳郎さんが言うところの、 人間の狂気性をも含めた一文化理論としての 「カオスとコスモスの弁証法」におけるカオスです。 そういえば、今なら中古だけど岩波の「文化の理論のために」が アマゾンで¥276で買えますよ、、 興味あったら、ぜひ読んでみて下さい https://www.amazon.co.jp/%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AE%E7%90%86%E8%AB%96%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E2%80%95%E6%96%87%E5%8C%96%E8%A8%98%E5%8F%B7%E5%AD%A6%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%81%93-%E7%AB%B9%E5%86%85-%E8%8A%B3%E9%83%8E/dp/4000019775/ref=cm_cr_arp_d_product_top?ie=UTF8

3
黒髪
atsuchan69さんへ
(2024-06-17)

僕もみだらなことばかり考えていたのですが、今はまあ、めんどくさいというか。 狂気ですね。僕は精神病で、世界最狂と自覚していました。もう治りましたけど。 本を薦めて下さり、ありがとうございます。早速買いました。

3
田中恭平 new
田中恭平 new
作品へ
(2024-06-17)

こんにちは。 フォーラム投稿の為に、嫌でも、ビーレビュー混乱期のスレッドが目に留まるのだけれど、さ。 ある特定の人間をどうにかしてやろう、っていうのは、私たちのごく、原始的な脳の働きであって 大河ドラマの「光る君へ」なんかでもネガティブな噂がわっと広まるシーンがありつつ もっと根源的なところで考えれば、嫉妬とか特定の感情云々でなくて ネガティブな事を言ってだれか特定の人間をどうにかしないと、いられない そういった「食物」に非常に困窮した時期をある程度長い間私たちの祖先は生きてきており それはDNAなんかに沁み込んでいるんと違うのかな、とね。  さいきんの僕は耄碌しているけれど、っていつもそうなんだけどっておい! そういった原始的な脳の仕組みっていうかDNAには立ち向かえないんだろうな。 まあ、人をどうこうしようという方っていうのはその仕組みがちょっと顕著なんでしょう。  それでもさ、ある人が胸とか腹に「増悪感」を抱えてそれを発散しないことは、いいことなのかって思うよね。  トム・ヨークが「お前たちは抗菌剤漬けの豚」ってリリックを書いたのいつだっけ? まあ、時代は変わりつづけているとしてさ、、、  まあ個人的にはみんなにそんな原始的な脳にも、増悪を抱えたままの自分にも 負けないでいてほしいんだよね。 だって、反射的にパッと、文句をぶつけてしまったとして、じっさい、文句をぶつけた人が 一番、その言葉に傷ついているかもしれないじゃん。 最低でもそのネガティブな言葉を一番近くで聞いているのは当人だ。 ごめんね。僕は切り替えてやろうと思っているんだけれど フォーラムでいろいろディグる事も自分に課しているんだけれどもさ 一番読んでて辛いのはビーレビ混乱期なんだよね。 あのときのことは、もう謝るとかじゃないんだけれど ビーレビューはオンラインギャラリーになったんだから皆さんは、負けないで、 いい作品を書いてくださいね。 田中教平

4
A・O・I
作品へ
(2024-06-17)

あのー単純に不思議なんですけど、トップ画面のフォーラム更新情報の欄あるじゃないですか。画面に出てるものをクリックするとその場に飛べるんですけど、黄色く囲ってあるフォーラムに移動するを開くとお知らせと連動しているらしく今だと4月のきゃすについてがきちんと更新されているんですわ。トップ画面の方も更新できないもんなんですか?なんかいつまでも時止まってるの、単純に不具合にしか見えないし変だよねっておもったのですが

4
作品へ
(2024-06-17)

てか、めっちゃ暑くない? 雨やし最悪( ´A` )

6
おまるたろう
おまるたろう
澤あづささんへ
(2024-06-17)

澤さん ゼロ年代ってわたしにとっては暗黒の時代だったんですけど、今は人生つらくかったらネットに避難できるけれど、あの頃はそのような気軽なエグジットはなかったんですよね。 たとえば関東連合の広末灰皿うんこ事件みたいな話、ああいうのを聞いて、いちいち震えあがってたし、山の手線で人身事故が起きると「ッシャー!」ってガッツポーズする学生とかいましたよね。 いまはそういう景色は見られない。 「路上」とか「暴力」とかがえらくリアルだったというか...「いじめ」が「古典教養」だった時代。 2010年代以降は「ネットで死ぬ覚悟があるんか?」が、みんなの合言葉に。

5
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-06-18)

世界は音も光もない存在という認識も知覚もできないわたしへの旅 無我を求め無我に困惑する。言葉とは無意に帰する意味で、そこに真実はあるのか、或いは永遠という無死を意味するのだろうか。

2
テイムラー隆一
テイムラー隆一
澤あづささんへ
(2024-06-18)

 ふと思ったことだけれど、いまいち何かを共有できていないという気がする。僕自身が2002年生まれであるのに「ゼロ年代」という言葉にもあまりピンとこないくらいだし。  おそらく「共有できていない」からこそ、文学極道が僕にとっては理解のし難いものとして映ったのだろう。彼らがいったい何を問題にしていたのかも、どうしてあそこまで攻撃的だったのかも……「ピンとこない」のだ。  そもそも僕に詩を書かせたのは尹東柱や李箱や許炯萬や申庚林やフランシス・ジャムといった詩人である。あとヘッセとかリルケとかも。僕のペンネームの元ネタたる田村隆一が背を押したのも確かだけど。  それゆえに、日本の現代詩が何を問題にしているのか、たまにわからなくなってしまう。ダーザインもケムリもいかいかも日本の詩(紙、電子問わず)にはあれこれと言っていたのに、海外の詩には一言も言及していなかったし、海外の詩から何も吸収しようとしなかった。  そういう光景を見ると「尹東柱やジャムやヘッセ、リルケからも学びましょうよ」と僕は思ってしまう。  こういった共有のなさゆえに、何度も繰り返すけれど、文極の理解は僕にとって難しいものになっているのだと思う。

5
atsuchan69
作品へ
(2024-06-18)

詩を書くみなさん、 映画「パターソン」はご覧になっていますか?  ボクは何年か前にテアトル梅田(旧シネ・リーブル梅田)で観ました この映画だけは、たぶん観ておいた方が良いと思います。 ――どうしても、これだけは言いたかったのです―― https://youtu.be/m8pGJBgiiDU?si=mNb3gtO5LQIiep89

4
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-06-18)

外国人の書いた詩は、割って半分は翻訳者の詩を読むことになるので、いくら作品に感動できてもそれが原作者の意図するものだと正確には言い切れないので、こと細やかに分析して批評することは難しい。そこで語学の知識が必要にもなる。身近な英国ならまだしも、仏語?独語?訳せないわたしは、大まかに、ああ、イイねこれ、としか言えない。それも悩みのタネですね。

3
熊倉ミハイ
熊倉ミハイ
作品へ
(2024-06-18)

↑パターソン、いつか観てみたいです。 上の、メルモさんの「外国の詩」の問題意識についてなんですけど、英語だけでなく多言語で詩を読んでいる方おられますか? 英詩で有名なものを少し見てみると、韻律が綺麗で、綺麗すぎて、他の国の詩もそうなのかなぁ、と。 日本語を壊すだけでなく、他言語も丁寧に壊していきたいですが、その方法をちゃんと先人の詩から学びたい。実践してる方いたらどのような感覚かお聞きしたいです。

3
takoyo2
takoyo2
テイムラー隆一さんへ
(2024-06-18)

こんにちわ。今、朝で、雨が降ってますが、早朝のスケボーを日課にするわたしにはただジメジメするだけでちょっとうっとうしいなという目覚めです。 それで、えーと、貴方様のコメントに興味を引かれたのですが、どうもその、 わたしには、あなたが仰っていることがまったく一ミリもといっては大げさですがその、ほとんどが理解不能なんです。 >僕に詩を書かせたのは尹東柱や李箱や許炯萬や申庚林やフランシス・ジャムといった詩人である。 >日本の現代詩が何を問題にしているのか、たまにわからなくなってしまう。ダーザインもケムリもいかいかも日本の詩(紙、電子問わず)にはあれこれと言っていたのに、海外の詩には一言も言及していなかったし、海外の詩から何も吸収しようとしなかった。 >「尹東柱やジャムやヘッセ、リルケからも学びましょうよ」と僕は思ってしまう。 こういうご主張、そういうことをわたしは、その、どういうわけかちっともそう思わないんですよ。というかこれを読むとあなたがなぜ詩を書くのかも不思議でしょうがなくなるのです、うん、これをみていると。 わたしが詩を書いた動機は(小説は子どもの頃から書いていたけど)三十代のはじめに昼サウナから自転車で帰るときにみた木々の新鮮な緑でした。それまでまったく詩作に興味も関心もなかったのに突然それを短い行分けの文で表現してみたくなった。 H氏賞候補にもなったある同年代の知人に書いたものをもっていくと、予期に反して、なんともがっかりした顔をされた。とうぶんのあいだ口もきいてくれなかった。そういう素朴な詩は彼には論外のようだった。 しかしその彼も詩を書く動機はわたしと同じで自分の宿命から来る現実であり、現実の生活だった。彼の宿命とは半島の民族の血が半分入っていることと、女性より男性を好むこと、(いわゆる「ゲイ」じゃなく自分が女性と感じているわけです。)でも、それを隠して女性と結婚し、二人の間に子どもを得た。そのことからくる何ともいえない苦しみ、そこから詩が生まれていた。 机上の詩人や作家の思想がかれの詩を書く動機でも、思想の課題でもなんでもなかった。生活が彼の詩を書かせた。日本の現代詩が何を問題にしているか? そんなことはかれにとって中心的な課題ではなかった。詩は学問じゃないのですから。尹東柱やジャムやヘッセ、リルケが何を問題にしているか? それもまったくわたしや彼にとっては詩の制作とは何の関係もなかった。大学で卒論を書くのじゃないのですから。イカイカ氏がいっていたようにそれぞの生きる人の「生活」が詩を書かせるのです。 わたしが多くの詩人と交流をもった経験からいうと全員が〈生活〉を詩制作のプラットホームにしていた。 どうもテイムラー隆一さんは大学の卒論と詩を混同しているのじゃないかな?  あるいは(失礼ながら)詩の制作というものがよく理解できていないのじゃないでしょうか。尹東柱やジャムやヘッセ、リルケが何を書こうとそれわたしたちの生活、そこから生まれる詩とは関係ないと思うんですよ。わたしたちがどれほど感動しようとわたしたちが生きている場から生まれる詩とは関係ないような気がします。(彼らから詩の手法や思想を取り入れることはあっても.......。) しかしイカイカ氏が嘲笑っていたように今の自称詩人たちには「生活」がない。だから尹東柱や李箱や許炯萬や申庚林やフランシス・ジャムなどの"机上の経験"が、詩を書く動機にならざるを得ない。 しかし こんな虚しいことってあるでしょうか? とてつもなく滑稽で虚しくて、でも、厳粛といえば厳粛な閉じられた世界が今の自称詩人の皆さんの観念世界を生成している。 まずはこの喜劇、この悲劇、この虚しくも滑稽ないまの詩壇、詩世界を見つめることが必要な気がしてならないんですがね。

7
澤あづさ
おまるたろうさんへ
(2024-06-18)

知らないことを教えてくれる人がいるので、ネットはやはり便利ですね。広末灰皿うんこ事件も「ネットで死ぬ覚悟があるんか?」も、いまはじめて知りました。東京で生活したことがないせいか、わたしは世代という南関東限定の話に、よほど関心を持たず生きてきたようです。渋谷とか混んでてくさい以外なんの印象もない。 それにしても、死ぬ覚悟はよい合言葉です。違法薬物の代用品としてストゼロや某饅頭小山某に依存するのが、危険でないわけないのですよね。

4
澤あづさ
テイムラー隆一さんへ
(2024-06-18)

ネット詩人どいつもこいつも李白や人麻呂をまじめに読んだとは思えないって、わたしも詩誌に書かせていただいたことありますよ。文極で一番デカイ賞とったから来た寄稿依頼です。つまり、詩壇のほうからみると、文極は反詩壇ではなかったのでしょう。 ダーザイン氏と問題意識を共有など、ほとんどの投稿者はしていなかったと思います。文極より活発なサイトがなかったから文極を選んだ人がほとんどでしょう。物議を醸し場を活性化するために、あの檄文が有用だった、身も蓋もなくいえば炎上商法ですね。 だからテイムラーさんの反感は正しいのです。したり顔の冷笑系よりずっと好ましいです。熱くなれる人とはこうして話ができますけど、安全圏で冷笑していたい人たちにはなにを言っても、なにも言わなくてもすべて無駄。ビーレビにも熱い若人がいてなによりです。

5
rona
rona
作品へ
(2024-06-18)

6月と言えばディスコデビューした月で、ネペンタで開催された慶應と日本女子大の貸し切りパーティだったな。当日に誘われたから大学の帰りに当時流行りの服を見繕ってこれまた流行りのウェッジソールも揃えて、東横線に乗り換えて、雨がだんだん上がって車窓からは夕陽が見えてきて、中目黒から地下に入って六本木の改札を出るともう夜のネオンが輝いていてアマンドの前は若者が溢れていて、すべてがきれいだった…思えばあれは詩的だったな。 皆さん昔話に花が咲いてるからちょっと思い出したんだけど(昔過ぎるか?w)でも私にとっては文極はもっと遠い過去の話みたいでほとんど思いだせないな~

4
黒髪
作品へ
(2024-06-18)

ポール・オースターという米国の作家がいますが(最近亡くなりました)、僕は結構この人の 小説を読んでいて、詩にも造詣が深い。その現代米国を代表する作家の、作品を書くという ことについての考えを述べた、アドバイスがあるので、一聴をお薦めします。 https://www.youtube.com/watch?v=8Xt6PJclXes

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
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(2024-06-18)

あの頃は澤さんという方がそれほどに熱いお人柄だとは感じもしなかった。むしろ膝元から締まりのある洋装に細い眼鏡の似合うお人だと想像していたのだ僕たちは。

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おまるたろう
おまるたろう
澤あづささんへ
(2024-06-18)

だから、バカの表象としての「酒」ってことでしょう。手放せない。

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葉月二兎
葉月二兎
テイムラー隆一さんへ
(2024-06-18)

初めまして。葉月二兎と申します。 ジャムとか久々に聞いたら、読み返したくなったので小一時間探してしまいましたー。 超久々に読み返しましたが、今の自分には最晩年くらいのがまろやかに感じてよかったです。 (全体的にちょっと信仰くささがあるので)。 ダーザインさんはリルケとかトラークルといったドイツの詩がお好きだった記憶が。 ケムリ君も同じく。いか君は忘れました(笑)。でも読んでるはず。 思えば、確かに文極でその辺に触れてなかったですね。理由は分かりませんけど。 てか、裏を返せば、そういった詩人の作品なんて「読んでいて当然」「基礎教養」レベルくらいに考えていたんだろーなと。 自分も韓国の詩人は(今や悪名高き)高銀さんくらいしか知らないけど、 尹東柱や李箱や許炯萬や申庚林とか、機会あったら読んでみます。 教えていただきありがとうございました。 いろんな方がいろいろ書かれてますが、 自分としては作品が生活に立脚してようが、海外の詩人に立脚してようが、別にどうだっていいです。 てか、読む側からすれば(身も蓋もない言い方すれば)作者の生活とかバックボーンとか、 好きな作家とか影響受けた作家とか、知ったこっちゃないので。 その人のやり方で、その人の考え方、方法論があって、それで良い作品できるなら、 詩を描けるなら、 それでいいんじゃない、って思います。

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rona
rona
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(2024-06-18)

https://www.amazon.co.jp/-/en/%E6%9D%BE%E6%9C%AC-%E5%9C%AD%E4%BA%8C/dp/490673846X この詩集が読みたいけど高いなー

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入間しゅか
入間しゅか
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(2024-06-19)

なにがなにやら たのしそうでなにより

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takoyo2
takoyo2
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(2024-06-19)

おはようございます。 上の奥歯が腫れて頭のズイまでガンガンする痛みに耐えかね、 丸一日何もできず沈々黙々でした。これは天罰じゃないか、 テイムラー隆一さんに付けたコメントが少し尖っていた ことの天罰じゃないかと反省をしております。 治療して今朝はもう元気です。 あのう、これだけはいっておきたいのですが、 この歳をして若い人たちの邪魔をするつもりはありません。 テイムラー隆一さんのご発言をテコに日頃、考えていた思いを ついうっかり、調子に乗って広げてしまいましたが、 テイムラー隆一さんの詩作の方法、姿勢を (言うまでもなく自由ですから)批判するつもりは まったくなかったのです。 書き方がしつこく尖端的になったことを強く反省しております。 名前を出すとアレかも知れませんが田中広輔さんのように 「詩はゲームだ」といって抽象的観念的な世界に没頭すること もありだし、韓国の詩人を読むことで何かをもらい、詩を紡ぐことも 当然あたりまえにありなことは言うまでもありません。 わたしが言いたかったことは「批評」ということなんです。 わたしらは(二十五年も前、現代詩がひっそりとだけどかなり 高揚していた時代)の話なんですが、 しきりに「詩と批評」ということを口にしていました。 詩と批評は一体であって、2つで一つ、分けられないものだと。 では「批評」とは何かというと「生活」だという風にわたしは 考えていました。 詩が二階にあるとすれば生活は一階にある、下手すれば地下室に あるかもしれませんが、二階にある詩はたえず一階や地下室から の視線によって洗われなければならない。それによってはじめて 詩は立体的なというか両手両足をそろえた完成品になるのだという そういう考えでした。 まあ、それだけのことなんですけどね。 つまり、えーと、批評を取り戻せってことですが、それはつまり 生活を取り戻せってことなんです。 生活がないってことは、ほんとうに"生活がない"ってことじゃなくて 自分がどこにもないってことじゃないかと思うんです。 どんぐりの背比べみたいに標準的な教育を受け標準的な環境に育ち、 NHK朝の連ドラみたいな倫理や価値観によって育った、周り一面 みんな同じ顔をした人たち。 だからリルケや尹東柱や李箱や許炯萬や申庚林という生活のある詩人 たちに自分を重ね、そこからインスピレーションを貰うのかもしれま せんが.....それは昔わたしたちが声に出していた「詩と批評」では ないわけです。それは他人の生活だ。 というのがわたしのコメントの趣旨でした。 こういうことを考えさせてくださった、考えるきっかけを下さったテイ ムラー隆一さんには感謝しております。 それからイイネを下さった方々に、なんというか非常にうれしいし、 歯の痛みが不思議にすっと消えてしまいました。ほんと。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
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(2024-06-19)

若い人たちって、まあ30歳前後までになるんだけど、何が面白くて詩なんか書いてるんだろうね。?え、じゃあおまえはなんで書いてるんだ?いい歳をこいて。って言われたら、まあ、なりゆきなんだけど、映画や音楽、絵画、それにテレビ好きだから原作の小説という書きものから作家や詩人に興味を覚えただけで、詩は手っ取り早く誰でも書けるからね。下手をすれば昨日の悪ガキが天才詩人になったりする。そんな刺激のある世界でもあるわけだけど、実際はほぼ不可能な世界。書けば書くほどわからなくなる。まあこれは詩に限らずだけど、わからないから続けてる。って節もあるね。長く書いてる人は皆さんそうじゃないかな。べつに苦しんで書くほどのことでもないけど、わからない。なんで詩が詩人が必要なのかもわからない。わからないけど書いてる。そんな世界だよ。其れなりに専門の文学教授を目指すのならばいいけど、よほどの馬鹿じゃない限りあんましオススメはしたくない世界ですよ。詩人?ってね。

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Molloy
Molloy
atsuchan69さんへ
(2024-06-19)

パターソン、2年前くらいに見ました。付き合ってた人がこの映画を溺愛していて、何度も何度も見返していましたが、わたしはその度に何度も何度も寝落ちしていました笑 でもジム・ジャームッシュの映画はいいですよね。ミステリートレインとナイトオンプラネットは面白かった。みなさんは映画よく観ますか?わたしが最近観て一番印象に残っている作品は、セックスと嘘とビデオテープです。

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atsuchan69
Molloyさんへ
(2024-06-19)

ジム・ジャームッシュの映画「パターソン」、 「ブルースブラザース」と同じくらい好きな映画です ネタバレしないように書きますが、 愛犬マーヴィンがやらかす【衝撃の行動】は、 「椿三十郎」のラストと同じくらい観客を驚かせます それと「大阪からやって来た詩人」がなんとも謎ですね、、 あと、ボクが最近観た映画でもっとも良かったのは。 「マッドマックス:フュリオサ」です 前作はジョン・フォードの「駅馬車」と比較されましたが、 今作はフェリーニの「サテリコン」にかなり似ていると思いました アクション映画でありながら、 ものすごくガジェットにも拘った重厚な作りになっている、、 英国の画家ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスが描いた 「ヒュラスとニンフたち」という絵画の登場するシーンや ディメンタス将軍のマントの色が変わって行く様、 フュリオサの髪、 警護隊長ジャックがフュリオサへ渡すショットガン、 鳥の頭蓋骨のボブルヘッド等、 まさにフェリーニ的な小道具の散らかし方と やっていることは間違いなく乱暴なのに、 正しくちゃんと絵になっているカメラワークが楽しいです、、

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takoyo2
takoyo2
atsuchan69さんへ
(2024-06-19)

最近といっても戦前まで中国の田舎って、農家の子でも女の子は みな纏足がふつうでその纏足の女性が成人したときの歩き方って、 ほんとうにセクシーなんだよね。そういうことは差別だし人権無視 だってことはわかっているけど、映画ではそういうシーンが出てく るのでひとまず置いて、話題にせざるを得ないのだけど、纏足って、 ああ、女性をより優雅にみせるためにやらかした男側の一方的な押し 付け、中国の一種の習俗であり文化なんだってことがよくわかる。 中国ドラマ『白鹿原』は「見るアジア」月額900円で数千本のアジア ドラマ映画見放題でみることのできる。 絶倫寿司男atsuchan69大詩人の卵.....焼き先生はどうして白ブタ映画 しかみないの?わたしは自慢じゃないが西洋映画も日本映画も この十五年、見たことないよ。今のトレンドはやっぱり中韓映画だ。 中韓の娯楽ドラマだ。中韓ドラマほど面白いものはない。 中国ドラマの『白鹿原』なんか見たら、もう腰抜かすよ。 わたしたちが知っている西側世界一辺倒の世界認識が 偏狭であったことを思い知る。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
澤あづささんへ
(2024-06-19)

 返信遅くなってすみません。昨日はちょっと忙しかったのです。  さて僕の場合、熱い人や冷笑系というよりは、ただ人に寄り添うことのできる詩を書けるような人でありたいと思っているというのが近いと思う。まあ、星菫派に精神性はかなり近いんじゃなかろうか。  僕とダーザインたちと違うところがあるとすれば、自分を特別な存在と思っているか思ってないかというところになる。僕なんかは後者の方。普通の青年だ。まあ「でもお前らよりは詩が書けるもん!」ということを思うこともあるにはあるのだけれど、ダーザイン辺りのような屈折した感じの精神性は持ってない。臆病な自尊心と尊大な羞恥心を持ち合わせたような詩人にはなりたくない。  ある意味、文極は李徴のごとき人たちが立ち上げてしまったことが最大の不幸ともいえる……と後の時代の人間である僕は見ている。  しかし、「若人」かあ。僕よりも若い涼夏さんとかの詩を見ると、ひょっとすると僕は老人になってしまったんじゃなかろうかという錯覚に陥ることはあるんだけどね。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
葉月二兎さんへ
(2024-06-19)

 こちらこそはじめまして!  まあ、確かにそのとおりですよね……論より実物、良い作品が書けるかどうかってことですよね。またPixivでもぼちぼち練習しておかなければ。  しかし、「読んでいて当然」「基礎教養」……かあ。彼ら、そこまでハイクラスだったの……? 星菫派寄りの僕からしてみると、どうみても狂暴かつ無教養なタイプの詩人(もどき)としか思えなかったんだけれども。彼らのコラム(という名の憎悪)とか批評(まがいの罵倒)とか見るかぎりにおいては。  そこら辺だけはちゃんと見直すべきか……。

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atsuchan69
takoyo2さんへ
(2024-06-19)

まあ、白豚映画と言っても ハリウッド版ゴジラ(シリーズ)や 「DUNE/デューン 砂の惑星」他、 けっこう白豚映画と思ってみているけど 実際は「中国資本」の映画って山ほどあります またジョン・ウーが撮った「レッドクリフ 」なんかは 日本人も出演している中国映画だと思っていたら、 なんとエイベックスが製作出資していた、、 韓国映画では「高地戦」にド肝を抜かれましたね、 「パラサイト 半地下の家族」は、ボクにとってはイマイチでした 香港映画では、やっぱり「男たちの挽歌」かな、、 中国映画では、監督は白いけどなんといっても「ラストエンペラー」‼ あと映画版は観ていないんですが、 TV版「北京ヴァイオリン」も良かったです いちおう、映画は「悪魔が作った」んで、  人種や肌の色、宗教、思想を問わず、 優れた詩と同じく「すべての人を惑わす」幻です (笑) そしてボクたちは、たぶん人を漁る(すなどる)漁師なのです それでもボクはほとんどいつもボウズですが、、 でわ‥‥

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
atsuchan69さんへ
(2024-06-19)

 中国の作品では三体が好き(謎の割り込み)。いや、映画ではなくSF小説だけれども。 ※解説 テイムラー隆一氏はこれでも元はSF畑の人間です。Pixivでのペンネームである「ケルビィン」もソラリスの主人公から由来してるし。

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atsuchan69
テイムラー隆一さんへ
(2024-06-19)

アンドレイ・タルコフスキーが撮った「惑星ソラリス」は 文極でいえば殿堂入り作品だし、 「アバター」や「ゼロ・グラビティ」、 「インターステラー」は確実に創造大賞ですが、 ボクのお気に入りは「ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結」、「TIME/タイム」、 「エイリアン2」、「遊星からの物体X」、「デューン/砂の惑星(1984年)」、 「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ (1986年)」等で、 是非ともそれぞれに値する賞を授けたい 特別賞としては、「移動都市/モータル・エンジン」、 「アイアン・スカイ」、「マタンゴ」、「妖星ゴラス」、「吸血鬼ゴケミドロ」を推薦します 他にも素晴らしい作品が山ほどあるのですが、 なにぶん観ていない作品が星の数ほどあって評価の仕様がないのです、、

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熊倉ミハイ
熊倉ミハイ
作品へ
(2024-06-19)

映画初心者ですが、こんなにも人との好みが異なるんだなぁと、不思議に思ったので……少し 私はatsuchanさんと真逆で、「マッドマックス:フュリオサ」は眉をしかめながら、「パラサイト:半地下の家族」は食い入るように観てしまいました。予備知識が無かったのと、観点おそらく違うためでしょうか……。私は脚本とかテーマ・メッセージを見てしまいます。 最近観た中だと、 「12人の怒れる男」(最後の引きのシーンが良かった)、 「最強のふたり」(ドリスの芸術観は大事)、 「いまを生きる」(今更ながら観ました、意外にも、予想を裏切る展開で好きです) の三本が良かったです オススメの映画、ぜひもっと教えていただきたいですね

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rona
rona
作品へ
(2024-06-19)

映画、パッと思い浮かぶのは『バイオハザード』と『ターミネーター』 アリスとサラ・コナーは永遠の憧れかも。あのくらい強くなりたい。笑 もっと古い永遠だと『風と共に去りぬ』

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
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(2024-06-19)

1980年代以降生まれの映画好きが不幸なのはDVDになっていない希少な過去作品を観れていないことだろうな。昔は民放でもNHKでも放送してたんだよ。? 僕は貸しビデオ屋からテープに録画したりしてるけど、もう店舗でも見かけない。70~80年代。まだ深夜のテレビで放送されいた映画作品。あれは存在しているんだろう?視聴率のことや状態を考えてなかなか放送されないけど試験的な作品はいっぱいあるよ。いまでは映画も派手なトンデモCG作品ばかり、国内ではライトノベルを原作にしたような少女趣味の泣かせ目的な映画も撮られているようだけど幼稚臭くて観ないね。だからアニメ作品。残念な時代だけど仕方ないのさ。詩人も同じ。もっと本音でぶつかれよ。例えばなんで天皇制って必要なの?国家って、、 、政党なんかに縛られない意見。馬鹿にしないで主張してみろ。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
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(2024-06-19)

 そういえば映画で思い出したけど、最果タヒの詩集も映画化してるんだよね。好みでこそないけれど、確かに彼女の言葉には力があるのを感じたし、文極でも優秀な成績を残していたり……(そう考えると確かに文極は反詩檀ではない)  僕とは方向性もまったく違うし、あの後から回ってくるような毒々しさとかもあって好みではない(2回目)けれども、確かにすごい人だなとは思う。  映画は見てないけれど、映像化されるのも納得の詩集ではあった。

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澤あづさ
テイムラー隆一さんへ
(2024-06-19)

すでに述べた通り、テイムラーさんの趣味はしぶいですよ。詩には若いうちしか発露しない才能があると思いますが、テイムラーさんはそういうタイプの書き手ではないってだけ。まったくもって若人です。 (以下、おまるたろうさんへの返信も兼ねます) 結論からいうと、罵倒家をみてあんなふうにはなりたくないと決意するのは、完璧に正しい選択ですね。「完璧に絶対に」です。テイムラーさんも、今後どこのだれからどんな説得を受けようとも、これだけは譲らないでください。罵倒は非物質の覚醒剤だと思って嫌悪してください。 例の記事にも書きましたが、ダーザイン氏とケムリさんの衝動的な悪罵については、かれらが発達障碍や双極性障碍を公言していた以上、それを度外視して私見を述べるのが難しい部分もあります。障碍者だからといって侮辱や名誉毀損が免責される道理はもちろんないのですけど、文極に限ればそれがルールの娯楽でしたし。わたしは発達障碍を、統合失調症と同じく才能と考えており、現代詩(ポストモダン)がその才能の活きる場であってほしいと願ってもいますから。 ただ罵倒ごっこを娯楽として嗜んで、耽溺し依存に至るとどんなことになるか、とっくに実証されていますからね。話は冒頭に戻ります。 * ところで、誤解があるようなので追記しておきますが、ダーザイン氏が指揮を執っていた初期の文極は、ぜんぜん荒れていませんでしたよ。あの檄文のせいで結果的に、葉月二兎さんのようなハイクラスの書き手しか寄りつけなかったようです。ダーザイン氏の手を離れてから、徐々にひずみが出てくるのですが、その後も(運営が機能していなかった最末期を除けば)決して不幸ではなかったと思います。

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澤あづさ
メルモsアラガイsさんへ
(2024-06-19)

若人がわざわざ詩をやる理由、わたしが文極とその周縁で見聞きした限りで、もっとも腑に落ちたのはこれでしたね。 「うんこと同じで、たまるから出さざるをえない」 あとよくわかりませんがアラガイさんに、外国語の詩について所見を述べろと言われたような気がするので、下記のひとりごとをおいていきますね。 *以下。ひとりごと* ダーザイン氏の基礎教養を文極で掘ってきた。 http://bungoku.jp/fbbs/viewtopic.php?p=4396#4396 http://bungoku.jp/fbbs/viewtopic.php?p=4399#4399 これだけは言いたいので引用しておくぞ。 「飯吉光男[原文ママ]さんあたりが何か良い総論を書いていませんか? ツェラン翻訳もツェラン論もとても良かった。中村朝子の文才の欠片もない酷い翻訳にはびっくりした。」 中村訳は訳書というより研究書で、原詩に当たる際には重宝する。ただ訳詩に原題が載っていないので、原詩に当たろうにも探すのが一苦労だ。ツェランの原詩は全作ネットで無料で読める。読んで本当によかった。特にデリダの批評と併読したものは、デリダのレトリカルすぎるフランス語と相まって二重の異次元を堪能できた。わたしはフランシス・ジャムの名を田中宏輔さんの全行引用詩ではじめて知ったほどのあほである。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-06-19)

ティムラーさん、最果てのタヒチさん(本人様にはごめん、ジョークです)は女の子のような男子ですよ。笑。僕はあんまし趣味じゃないけれど、さすがに雰囲気はある。人気のあるのもわかる。僕も誰も見たことのないような怪人の格好して表舞台に立ってやりたい、かな。いや、恥ずかしい。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-06-19)

は~い!よお、来ましたね。それでこそ澤さんだ。お勉強させていただきましょう。ありがとう。 因みに凧よ氏は中韓映画だ!とか書いてるけど、中国の、それはもう少し昔話。韓流派、テレビドラマじゃないんだから。アジアなら中央、イスラム圏、イラン映画やアフガニスタンにもいいのがあるね。中国韓国の映像なんて言葉が耳触りで観たくないです。これは差別化してます。

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takoyo2
takoyo2
メルモsアラガイsさんへ
(2024-06-19)

ずばり言わせてもらうね。差別野郎扱いされるかもしれないけど、 やっぱり映画はある程度文明が進んでいないと技術的な面では、途上国の 映画の多くは、とてもじゃないけど見ていられない。いくら意図しょう とする内容や思想がよくても、画面の構成とか組み立てが稚拙だと一分も我慢 できないな。個人的好みとしては映画の"文法"が最重要。だから、自分にとっていい映画か ダメな映画かは最初の数分でわかる。 冒頭どのようなアングルからどのような画面を映し、それがどのように次の 画面に切り替わるか。そこに役者をどのような物語の中の面として登場させるか、そして その役者の演技の程度は。 その流れを観ただけで、期待できるか出来ないかわかる。最悪なのはなにか暗闇の 森をはあはあ息をきって走る登場人物を映し、次に「一週間前」とかいうタイトルがでてくる やつ。これはその瞬間に切る。あるいはいきなりディスコの踊りの場面とか出すバカ監督。 これもアウト。総じて才能のないいい加減な監督の映画ドラマは最初の一、二分ですぐにわかる。 そういう意味で今一番映画の取り方(文法)が斬新で進んでいるのは英国。ちゃんとした英国 ドラマはほぼ間違いない。次が韓国。その次が中国。米国は今、文明自体が衰退して いるから、まずろくなのがない。日本も同じ。インドも面白いけど、やはり深いところで 後進性が出てくる。こういところは中国も韓国もバラ売りのやつはみな同じだけど。 あとドイツや北欧のも遅れている。 日本の映画ドラマはもうなんというか、殺されてもみたくない。ほんと。糞を通り越して なんだろうな、無だね。うん。無だ。 ね。

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rona
rona
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(2024-06-19)

映画じゃないけど映像で印象深いのは『被ばくの森から』 https://www.amazon.co.jp/%E8%A2%AB%E3%81%B0%E3%81%8F%E3%81%AE%E6%A3%AE%E3%81%8B%E3%82%89-%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%96%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%85%8B%E7%B3%BB-DVD-%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%83%B3/dp/B0095EPV9C 映像でおすすめがあったら教えてほしいな。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
ronaさんへ
(2024-06-19)

 僕からは「コリーニ事件」がおすすめ。人間関係複雑骨折全方位曇らせ映画ではあるけど、それでも確かに見る価値がある。  ただし小説と映画とで内容がちょっと異なるので、原作も確認しておくのがおすすめかな。

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rona
rona
テイムラー隆一さんへ
(2024-06-19)

「コリーニ事件」検索したらyoutubeの映画広告でチラッと見たの思い出しました。その時は通り過ぎてしまったから、こうしてお勧めして貰って概要まで調べたらめっちゃ観たくなりました。すごく奥深い話(事件)なんだね…あーーすごく好みです。原作も要確認ですね。ありがとう!!

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おまるたろう
おまるたろう
澤あづささんへ
(2024-06-19)

村上龍だったか、文学はつねに(文明の) 「過渡期」にピークを迎えるという趣旨の 発言があったはずで、 ゼロ年代→2010年代はその可能性は十分にあったかな、 と考えています。 現在、わたしが注目しているのは、 成田悠輔と、あともう一人は佐藤航陽ですが、 彼が提唱しているメタバースは2030年代にバズるのは確実なんだが、 そうなるとちょうど「狂四郎2030」とも帳尻があう。これが「人類補完計画」のディストピアかユートピアかはわからないが。 再び文明的「過渡期」が到来するとすれば、その時ではないかな? とすると、文学のパロール(話し言葉)化が極限まで進む、だなんて未来も全然ありうる。高校生たちのなにげない会話がそのまま詩として成立するというような。その歴史的現場に立ち会いたいな。 あとは、まあネットの罵倒、飲みいじめ文化の話は、これはもう、しょうがない。文明が「進化」するときに、同時に大量の「退化」も起きる。 罵倒家という類型は文明の犠牲者なんでしょう。南無阿弥陀仏。

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Molloy
Molloy
作品へ
(2024-06-19)

わたしは映画も音楽もインディー系に傾倒してまして。最近たびたびリバイバル上映もされてますがghost worldを観て、原作漫画も買ってしまいました。 ところで話題は変わりますが、みなさんこんな場所で詩を書いて発表してるくらいだから本はたくさん読まれる方だと思いますが、Audibleなどのオーディオブックを聞くことを堂々と「読んだ」と言っていいと思いますか?わたしは、いいんじゃないかと思っています。確かに文字情報と音声情報ではあたまに入ってくる内容に若干のずれはあるかもしれないし、聞く作業のほうが読む作業よりも比較的イージーなので、それを「読んだ」と断言するのは若干チートじみていやしないか、という意見も一理はあると思うんです。でも、本を読むのが遅いわたしからしたら、全ての人たちが文字情報だけですらすらと追えてしまう脳を持っていると想定して、だれもが読書というなら紙の本に向き合わねばならぬということを暗黙の了解とされることこそがフェアじゃないのではないかと思うのです。そもそも活字本が高価で一般人には手に届くものではなかった時代には、本は朗読によって伝えられていたという歴史もあります。これこそ、聞くことも立派な読書だという証左なんじゃないかと思います。読書はあくまでフィジカルであるべき、そういう固定観念が、ほんとうに本に出会うべき人たちを読書から遠ざけているのではないか、と最近ずっと考えてます。宣伝ではないですが、Audible、本当にいいサービスですよ!わたしは特に英語の本を読む時にリスニングとして使うのに重宝してますし、国内作家の作品を人気俳優や声優が読むのを聴くことができるのは、デジタル時代に生まれたからこそ享受できるこの上ない贅沢なんじゃないかと思ってます。  長文と話の脱線、失礼いたしました。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
作品へ
(2024-06-19)

 文学とかだと僕はもう一方の「村上」のファン……つまりはハルキストに分類されるんだよな。巡礼の旅と雑文集、それと風の歌の途中までしか読んでないけれど、それでもハルキストといえばハルキストになるんだろう。多分。  一応予防線を張るけれど、僕がハルキストであるからといって、別に彼にノーベル文学賞を取って欲しいとかそういうことじゃない。ただ彼の文章、雰囲気、息遣いが好きということなんだ。  あと、Audibleを僕自身は使ったことないけれど、なかなかに良い方法であるとは思うね。朗読も僕の趣味だし。

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熊倉ミハイ
熊倉ミハイ
Molloyさんへ
(2024-06-20)

Molloyさん、私はAudibleを使ったことはないので素人意見ですが、実際に使うところを想像してみると少し怖いです。 私はまず空耳が酷いので、ハキハキとした発音でも多分聞き間違いが多発するだろうなと。 仮にその心配が拭えても、私は本で読む時でさえ処理が追い付かなくて天井を見上げたり本を閉じたりしちゃうので、おそらく頻繁に一時停止してしまいそう。うるさい!となってしまいそう。(好きな声優さんができたら別かもしれません) かといって、普段は音楽をかけながら読書してるのですが…。外界の自然なノイズじゃなくて、自分の好きな予想通りの音が来るノイズを置いておきたい。 あとは、集中力が無くなると朗読を「音」としてしか認識しなさそうで、「なんで伴奏とかリズムをつけないんだろう」と思ってしまうかもしれません。(Audibleって、BGMをつける、といったオプションありそうですね、どうなんでしょう) でも、ストーリーが追えて、ちゃんと感想が言える人なら「読んだ」としても全然良いと思います。逆に、私と同じような人でも内容が入ってくるのなら、使ってみたいです。食わず嫌いはしたくない。

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葉月二兎
葉月二兎
熊倉ミハイさんへ
(2024-06-20)

初めまして。葉月二兎と申します。 物置漁っていたら↓を見つけたので、参考になれば。 https://awono-katei.blogspot.com/2006/06/blog-post_25.html フランスの十二音綴(アレクサンドラン)について知りたいなら、 クセジュ文庫の↓が安いしAmazonで買えるので、もしよければ。 https://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%A9%A9%E6%B3%95-%E6%96%87%E5%BA%AB%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%B8%E3%83%A5-489-%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%AD%E3%83%BC/dp/4560054894?language=ja_JP&currency=JPY

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熊倉ミハイ
熊倉ミハイ
葉月二兎さんへ
(2024-06-20)

葉月さん、初めまして。 挙げてくださったもの、どちらも面白そうで嬉しいです。ありがとうございます! フランスの詩法の方は、他言語との比較もあるんですね、贅沢で、興奮します。 読んでみます。

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万太郎
万太郎
作品へ
(2024-06-20)

初めまして。 当サイトでは、万太郎を名乗ってます。 詩歴は3年ほどです。その前に、所属している福祉施設で、施設長と利用者の協力を得て、スネークマンショーのようなコントCDを制作していて、その中で、作詞をやっていた流れから、詩も書くようになりました。 ここに書かれている方の多くは、非常に難解なインテリジェンス漂う内容の書き込みをされていて、恐縮で、あまり中に割り込む気が引けていました。 自分は、相田みつを氏のようなポップ詩人になりたいと思っています。本当は歌手を志していまして、ポップ路線なのです。 なにが足りないか? 色々試行錯誤していて、今所属している施設内で、ナンパクラブを立ち上げリーダーを務めたいと思っています。仲間意識であるとか、民主主義社会の中でポピュリズムの中で勝ち残る力が自分にはまだありません。プロに認められればいいんだと思っていました。大衆はその後だと。プロにお墨付きを得られれば、大衆がその履歴に惹かれて興味を持ち、認めてくれる。そう思っていた時期が長くありました。 ココア共和国という雑誌で、おののもとという名前で、傑作を二作、佳作を10作程度、取りました。 有名な女優の秋吉久美子さんが、イイネをしてくれました。 (この雑誌では、審査員のイイネが、採用された詩のタイトル右上に、時々着くのです) また、審査員の一人、佐々木貴子様からは、芯の強い作家性を持っているとお褒めの言葉をメールにて頂きました。 芸能界に入りたい意志が強く、詩は自分が有名になるためのステップみたいに考えていて、哲学的な詩とはなにか? のような突き詰めにはあまり至っておりません。 いい面では、自由だということです。 適当にやっていきたい、あやふや半端者でのらりくらり暮らしていたいというその願望が、突き詰めを避けさせていると思います。 ビーレビは物書きを志している人たちが互いに、投票しているシステムで、他の詩サイトより、言葉への責任をすすんで買って出る、喧嘩腰の熱い積極性に富む人たちが多いという印象です。 表現の自由というのはそれぐらいの気骨がなければ本来守れないものだと教えられている気がします。 年配層が多いですが、私は、政治に全く無関心ではないけれど、年配層とは違うスタンスで政治を眺めているような感じです。若い人の中ではどうしても孤独ですね。ビートルズ、井上陽水、中原中也、同年代には理解されず、古いの一言。映画は、チャップリンから始まって、色々見ました。 ロジャーコーマンが割と好きです。自分も映画監督になったら、低予算で、発想ありきの風変わりな映画を撮ると思います。 仲間とか、友達というものが自分は少ない。私生活で少しずつ作る努力をしたいと思います。環境が変わったのできっと出来ると信じています。 プロと大衆というのを、あんまり分けない方がいいんじゃないかと思ったんですけどね。何故自分が分けがちなのかというと、日頃、他人の言葉のここが違うと感じてしまうことが多く、プロ目線で、見下しが入ってしまっている。 挨拶がないまま、作品のみで、サイトの書き込みが始まってしまいました。正体不明の男です。よろしくお願いします。

4
熊倉ミハイ
熊倉ミハイ
万太郎さんへ
(2024-06-20)

先程から厚かましが過ぎるかもしれませんが、万太郎さん、経歴が似ていたため貴方にもコメントせざるを得ない。 私も作詞→詩という経緯でここに辿り着きました。芸能界に入りたいという意志も分かります。「詩は自分が有名になるためのステップみたいに考えて」いるところも似ています。似ている、というのは、そう思う反面「このまま詩に溺れてもいい」という覚悟もあります。「ステップ」になるかどうかは、あまり考えず天に任せています。 ポップ・大衆性について 入り口はポップで誰でも入れて、深く入ろうと思えば無限の哲学、という作品が優れていると思います。二要素を盛り込めば良いのでは、という訳にはいかないですかね? 私は、マルチに創作を跨ぐのは「分霊箱」的な行いだと思っていて、作詞で叙情性や分かりやすいメッセージを吐き出しているからこそ、詩作では邪道を進めている(気がしている)と感じています。だから、自分の中の全てを試せている気がしてストレスがないです。 少し脱線しましたが、「若い人の中ではどうしても孤独ですね」とある、万太郎さんがどれほどお若いか分かりませんが、私もまだまだ若いので、何か結託してプロジェクトでも立ち上げたいですね。万太郎さんの方が先輩なので、どうでしょう、「仲間になりたそうに見つめている」。なんて

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作品へ
(2024-06-20)

みんなー!おっはよー!

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万太郎
万太郎
作品へ
(2024-06-20)

>熊倉ミハイさんへ ありがとうございます。 自分も熊倉ミハイさんとは、近いものを感じ読んでおりました。 今現在問題に感じていることや、世の中に対し感じている違和感、言葉遊びへのこだわりであるとか。 同時にこのまま溺れてもいいかと考えているとのことで、そこも近からず遠からずです。 ポップの一つの定義が、わかりやすさだと思うんです。 わかりやすい表現をやることは、逃げの効かないところへ自分を追い込むわけだから、バカにしたものじゃないですよね? だけど、日本の未来がWOW WOW WOW WOWとモーニング娘。が歌う時、この分かりやすさとは、言葉を美しく整え、ロジックを明確にして表現するというタイプの分かりやすさとは、また違う分かりやすさだと思うのです。 私はその分かりやすさがどうしてもわからなかった。 ポップのもう一つの定義は、ミーハー、つまり女の子を味方につけ受けることだと思います。 私ごとですが、もう小学3年生の時に、親の教育方針で、ポケモンを買って貰えず、流行に乗れなくなっていました。流行り物に乗ることや、ミーハーであることが、大衆性を持ち、大衆に認められるために、とても大事なことだと感じます。 実はネット仲間と、音楽のコラボをやったことがあります。同じ作家志望の方でしたが、その時は伴奏をお願いして、僕が作詞をやり、歌いました。 作家が交流するということは、漫談師が二人組むようなもので、お互い語りたいことがある同士が一緒になる場合、語りたいことに類似性がある必要がある。熊倉さんは面白いと思いますよ。 私には現代的な大衆性とは少し違う、桑田佳祐さんがデビューした頃の日本にあった、古い世代には少し懐かしいタイプの大衆性がある。その懐かしさを共有出来る集団の中では僕は結構モテるし、いけるタイプです。現代では正直どこまでいけるか未知数ですね。

3
吸収
吸収
熊倉ミハイさんへ
(2024-06-20)

俺は元々B内に共同詩みたいのの集団みたいなものを立ち上げる為に存在しているのでもしそれ専用のディスコでも作るなら仲間に入れてもらいたいな、ちょっと条件とかあるなら提示してもらって。

3
吸収
吸収
万太郎さんへ
(2024-06-20)

あぁ万太郎さん主導なんかな まぁ出来れば俺も仲間に入れてもらいたいな

3
山本やま
山本やま
Molloyさんへ
(2024-06-20)

はじめまして。 高橋一生による『騎士団長殺し』の朗読が素晴らしいとの評判を聞き、オーディブル使い始めました。噂以上に素晴らしかったです(特に、免色さんパートが……)! 満員電車では本を開けないので、そういった時間にも本を浴びられるのは有難いと感じています。「時間が、時間がー」って、積読が増えていくタイプの人にはお勧めしたいです。 私も宣伝ぽくなってしまいましたが、良いサービスだと思います。 (利用者の声・Y本さん 会社員)

4
takoyo2
takoyo2
類さんへ
(2024-06-20)

おはようございまぁ~す。キリッツ?

4
澤あづさ
おまるたろうさんへ
(2024-06-20)

そういえばゼロ年代、某アイドルが写真集に自作と称してゴーストライターの詩を載せたら、ほとんどが盗作だった(みつをの盗作もあった)という事件があった。示唆が深い。 * わたしは昨年亡くなったクンデラやマッカーシーの奴隷でして、文学を年代で分類することには、どうもまだ合点がいきません。そんなおばちゃんの当てにならない予見ですが、高校生の会話が詩と化すような民主主義社会は、相当なディストピアなんじゃないでしょうか。そのような社会では、全政治家の全演説も進次郎構文と化すような気がひしひしとします。 それというのも、かつて詩歌は政治的な教養でした。漢詩は科挙の必須課目でしたし、近代以前の欧州にも韻文を嗜まない官僚はいませんでした。いま大河でやってる平安時代の貴族社会でも、詠進が出世を左右することがざらにありました。 仮にいまそのような、詩が政治的な権威をもつ社会が到来したとします。野心家は、天皇に詠進したってなんの利益もありませんから、国の主権者たる大衆に訴求するでしょう。それの普及した社会では、ポップスが国語の教材として児童生徒に強要されるでしょう。高校生たちはポップスを、芸術も教養でもなく「アジテーションの技術」として学ぶことになります。どう考えたって超衆愚ディストピアですわ。

4
テイムラー隆一
テイムラー隆一
作品へ
(2024-06-20)

 僕自身は「プロ/大衆」と人々を分け、後者をどことなく見下す癖というのが性に合わない。さらには、そうやって「大衆」を見下しているのに、「ミーハーであること」とか「大衆受けしよう」と言うのはもっと性に合わない。  というのも、僕はドストエフスキーやトルストイが見せたような人々と共に生き、寄り添うという姿勢に共感を示すと同時に、「お前の魂を流行りに合わせて修正するな。むしろ容赦なく、お前の最も強烈な執念に従うんだ」というカフカの示した命題にも従っているからだろう。

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おまるたろう
おまるたろう
澤あづささんへ
(2024-06-20)

わたしは生活で見聞きしてきた、あらゆる素材を使って書きますが、パクりだとは1ミリも思いません。今後、ジャニーズに訴えられるかもしれませんけど。 まあ、これは加藤周一の受け売りですが、 古事記も風土記も、大陸文学や大衆の民話などを を巧みにパクって制作されている。 この国の文学はスタートからしてパクりだった。 人麿だって、もちろん公的な歌も多いですが、 もっとも評価が高いのは私的な心情をこまごまとうたった挽歌で、 当時の社会背景や、歴史性、政治的な教養は微塵も感じられない。 自閉的とでも表現してよいような、 でも、そこに知識人と大衆の「中間」があるということですよね。わたしはそこにこそ、詩の秘密があるという気がします。 あと「文学を年代で分類する」のではなく「文明の変遷を観察」しているのです。

3
万太郎
万太郎
作品へ
(2024-06-20)

例えば、目の前でいきなり鼻くそをほじくり出す女性であるとか、体育館の中で、唾を吐く男性、それに注意出来ない管理者。こういったものを間近でうんざりするほど見てきた人間として 「大衆は愚かである」 この一言を受けいれられないのは、自分と住んできた環境が違うのだろうと言わざるを得ない。 お年寄りと精神障害者と、田舎者。 どれが身近にいて、不快かと言われたら、選べないくらい辛気臭く辛いものがあります。 私は、最初田舎暮らしから始まって、福祉の檻に不当にも入れられ、障害者の方との交流が始まりました。 中国で愚民化政策と言うものがありますが、日本全体が、戦後その傾向を増していると私は感じます。 大衆を愚かにするものに、大衆自身が乗っている。 それを見て裸の王様を、裸だと言うのは正直な表現者としての誠実だと思う。 良心の呵責があるのは分かりますが、東京行って芸能界入ればモテモテだろうなぁなんて言う夢がある人間としては、そこに囚われることに正義を見ないです。

2
takoyo2
takoyo2
万太郎さんへ
(2024-06-20)

いやあ、こんにちわ。 万太郎さんの主張を読んでみて思ったのは 「大衆は愚かである」じゃなくて、本心としては 「愚かな奴は大衆である」 といってるように読めるのです。.....というのは、 鼻くそをほじくり出す女性や 体育館で唾を吐く男性など 勿論、だれでもあまり見たくないと思うんですけど、 けれども、そういう人が即=大衆じゃないですよね。 テイムラー隆一さんみたいに「プロ/大衆」という分け方をした場合、 プロにも鼻くそをほじくり出す女性はいるし、体育館で唾を吐く男性は 同じくらい、いると思うんです。 そうすっと、万太郎さんは実は、 不快なやつはみな「大衆」だといってるのと同じことになります。 そういう風に見えるんです。 いや、そもそも「大衆」なんてそんなもの具体的にはどこにも存在して いないわけで、 人々の頭の中にしか住むところのない観念でしかないのですから、 万太郎さんの考え方が間違っているとかいってるわけじゃなく 非難する気は毛頭ないのです。 どのように「大衆」を観念しようが自由なのは当然です。 ただ、論理の進行の過程で結果と原因が逆立していることに注視したい。 お年寄りと精神障害者と、田舎者....こういう人たちが辛気臭いという 発言なんですが これも観念にすぎないものですから、何をもってお年寄りと いおうが精神障害者といおうが田舎者といおうが個人の自由裁量だと思っています。 でもこれも 前段の話と同じで、そういう人たちが辛気臭いのではなく あなたにとって辛気臭いものが 田舎者やお年寄りや精神障がい者なのでしょう。 ここ、大事だと思うんですよ。 なぜ万太郎さんの中で論理の前後が反転するのか? 結果と原因が 逆立するのか? 仰るとおり    裸の王様を、裸だと言うのは正直な表現者としての誠実だと思う。 それに異議はありません。でも、 万太郎さんのは「裸だから王様だ」という奇妙な論理に陥っている ように見えます。 こういった 倒錯した心的現象の原因みたいなものはわかるような気がしないでも ないのですが、 そこはいちいち指摘しないでも万太郎さんがご自分でもう気がついて 下さることを願うしかないといっておきます。 どうもです。

2
テイムラー隆一
テイムラー隆一
作品へ
(2024-06-20)

 まあ、確かに住んできた環境は違うのはそうかもしれないけどさ。僕もよく「よっぽどの上澄みで生きてきたんだね」と言われることもあるとはいえ。しかし、なんか気に食わないものを「大衆」と適当に蔑称を付けているようで違和感が湧くし、置かれた場所で咲きなさいという言葉を学ばなかったのかとも思える。僕だって一般的な区分だと田舎者になるというのに。  あと、そうやって「大衆」を見下している人が6月のお題詩のコメント欄で「ハイパーポップ!」と何度も壊れた機械のように繰り返したり、「ギッチョンチョンで、チョンのチョンのチョン♪」などという知性をあまり感じさせない句を使ったり、「東京行って芸能界入ればモテモテだろうなぁなんて言う夢がある人間」だの「芸能界に入りたい意志が強く、詩は自分が有名になるためのステップみたいに考えていて」などということを恥ずかしげもなく言ったりなど……。  そんな言動ゆえ、その人が見下してる「大衆」とやらとあまり変わらないように僕には見えるうえ、どことなく不快感すらも感じてしまう。  寝癖がついている人を見下したりする前に、まずは自分の寝癖をきちんと直すべきだと思うんだ。

2
黒髪
作品へ
(2024-06-20)

神々の午睡のまどろみの中で、我々は言葉にし続ける。詩を言葉にする。言葉になって、 詩は生まれる。詩は音である。詩はイマジネーションである。詩は世の全てを歌い、開発する。 「朝なんです、朝なんです、 アメノウズメさん、 鳥たちと一緒にぐるぐる回ってよ 蛇たち、茎たちと、一緒にぐるぐる捩じれてよ あなたの「朝」を求めています 踊ってください、 背中を揺らし、髪振り乱し、もっと、もっと、もっと、もっと、 強靭なバネを一条、宿してください 攪拌してよ、 渾沌してよ、 「アル・ファジュル」を、極太い足で、 踏み轟かし、乳掻き出して、 踊って、踊って、 自転して! 女陰を燃やし、女陰を開き、 濛々と、回ってください 火を吹いて、回ってください あなたの中へ集めて下さい 死んだ人たち、 招いてよ! (六根清浄、六根清浄、六根清浄、六根清浄、……) 女陰を燃やし、女陰を開き、 にょきにょきと、あなたの腰から生やしてください にょきにょきを、あなたの子宮で生かしてください 絞めてください!、生かしてください!、絞めてください!、生かしてください! 開けてください! 爆心地で、」 (新井高子『タマシイ・ダンス』「星雲」より)

3
万太郎
万太郎
作品へ
(2024-06-20)

>takoyo2様 大衆の定義というのを私は、己が胸に問うことをやめ、答えを他人に預けた人間と定義づけます。 何故答えを他人に預けるかと言えば、その理由に『楽』が、ある。 私は10数年前に世を去った西部邁という人の含蓄を結構信頼していますが、彼が言った話に「庶民」と「大衆」の違いがあります。 庶民とは一般市民として、地に足のついた考え方をし、生活を守る生活者としてのプライドを持った人のこと。 それに対し、大衆というのはスーパーマーケットで安売りされる、市場原理に身ごと丸ごと放り投げ価値観ごと預けてしまう大多数論理の中での勝ち組のことです。 何故大衆と言われる人々が自らを放り投げ、身ごと丸ごと、国や権力、マスコミが推進するマーケット市場に身を預けてしまうのか? その原因が、己が胸に問う煩わしさや、面倒臭さを放り投げる楽にあると私は考えます。 鼻くそを目の前でほじくる女性に対し、思うのは、それはトイレで出来ませんでしたか? と言うことであり、古典的な考え方で、こういうのを粗野で野暮と言うのではないか? それをやる前に、己が胸に問わなかったか? と言うことなのです。 体育館は唾を吐くところではございません。 それを己が胸に問う力が何故ないのか? と言うこと。 大衆が架空の概念だと言うのは、西部氏も言っていることで、その架空設定の中に当てはまるから私も、そう分類して考えているのですが。 >あなたにとって辛気臭いものが 田舎者やお年寄りや精神障がい者なのでしょう。 田舎は都会より陽の当たらない世界で、ドメスティック空間であるからこそ、日の目の当たる場所では出来ないことを、やる人たちが沢山います。 田舎という架空設定の中の野暮、お年寄りという架空設定の中の辛気、精神障害者と言われている人たちの、福祉界で生きてきたからこそ実感している「辛気」 どれもイメージの中で物申す差別心でなく、その中で揉まれてきた人間の実感としての『苦』が下地にある。 大衆の定義が、最初から愚かであることを前提に、出来ている。それは、確かでしょうね。 「大衆/庶民」の分類なら反発心も湧かなかったでしょうが、大衆とプロと分けたのが、反発を受けたということならば、プロとはその見分け見識がきちんと出来ている人のことかもしれません。

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熊倉ミハイ
熊倉ミハイ
作品へ
(2024-06-20)

むむむ…「同時にこのまま溺れてもいいかと考えているとのことで、そこも近からず遠からずです。」 このような返しはあまり予想していませんでした。 まあ、ここまで様子を改めて見てみると、ほんとに似ている止まりというか過ったことがあるというか、万太郎さんのあらゆるその執着(?)までは持ち合わせないですね。なかなかのとんがり。 感覚としては、(失礼かもですが)万太郎さんはテストで100点を取ってクラスの人気者という路線なのかなと。その先の深み、理解されない研究だったり、ノーベル賞を!とまではいかないということなのですかね。 ↑テイムラーさんの、「置かれた場所で咲きなさいという言葉」に頷きました。 大衆/プロ云々話は、なんだか辟易しちゃいますね。私は欲を言えば啓蒙に回りたいものです。だからこそ、このサイトで詩をどれほど言語化できるかをまず独学してるわけですが…難しいですね。

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澤あづさ
おまるたろうさんへ
(2024-06-20)

話が噛み合わず嫌がらせに聞こえてしまっていたら申し訳ない。安倍なつみの写真集の話は、万太郎さんのナンパクラブ等の釣りへのエアリプで、おまるたろうさんの作品の話ではありません。 (ついでだから安倍なつみの件を詳述しておきます。その写真集は、あいだみつをのような著名人から盗作したにもかかわらず、制作関係者がだれもみつをの詩を知らなかったから、出版に至ってしまったわけです。これが大衆詩の現実で、現代詩を笑えないと述べたかった。みつをは書が売れたから詩も注目されただけ。安倍なつみの写真集は当然、写真がなければだれも買わない。) わたしは自身が主として引用のコラージュで詩作していた人間ですし、ポス構の奴隷ですから、著作権を侵害しない範疇の引用を否定するつもりは毛頭ありません。そして申し訳ありません、上で「ネット詩人どいつもこいつも李白や人麻呂をまじめに読んだとは思えないと詩誌に書かせていただいた」と述べたかもしれませんが、人麻呂じゃなかった貫之だった。 最後に、わたしがナンパクラブに釣られたせいで、おまるたろうさんの文脈をまともに読めなかったことを、改めてお詫びします。

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おまるたろう
おまるたろう
澤あづささんへ
(2024-06-20)

いえいえ、澤さんの学識についていくので精一杯です。汗 昼のランチタイムに、パーッと考えたことをお返事してました。ちょっと読み込みが浅かった... 普段「おテクを磨くっきゃない」云々と、やりたい放題やってるので、 てっきりそのことを仰っているのかと思い... >人麻呂じゃなかった貫之だった 「古今集」の方ですね。 たしかに人麻呂とでは、話がまるきり違ってくる。笑

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
作品へ
(2024-06-20)

僕は西部をそこまで評価していないんだ。確かに一理はあるだろうけれども、だ。  僕はそれぞれのかけがえのない人生を生きている人間のことを「答えを他人に預けた」とか「己の胸に問うてない」とか「市場原理や国や権力に~」などという語り口で、簡単に非人間化してしまうような語り口を基本的に信頼していない。いや、嫌いといっても過言じゃない。    あと、どちらかといえば僕は宮本常一の支持者だ。学問的にも思想的にも人間的にも。だから人々に寄り添うことを選ぶんだ。  そして、二度繰り返すことになるけど、誰かの寝癖を指摘する前に自分自身の寝癖を直すのが先決だと思うね。

3
テイムラー隆一
テイムラー隆一
作品へ
(2024-06-20)

 そういえば話は変わりますけど、橋本治という作家が昔いましたよね。家にある本をじっくり読んだり、大学図書館に入ってきた「桃尻娘」という作品をぺらっと捲ってみたりしたのですが……前者は微妙で、後者は即座に本を新着棚に戻しました。  美文がどうとか言いながら、悪文を書いているような気がしてならないのですが。結局、彼はどうして注目されたのか、誰が持ち上げたのか、何もわからない。  世代ではない僕には微妙にわからないんですよね……。彼は詩人ではないとはいえ、ここの人たちなら知っているかなと思って書き込んだ次第です。

2
万太郎
万太郎
作品へ
(2024-06-21)

西部がいう現代が堕落の時代、という言葉に私は心底共感します。 そういう意味では、私は古い男です。 大衆と庶民の違いを一言で言えば、気高さ、この一言に尽きますね。 道端でうんこしてもいいよという決まりができた時に、自分を律してしない。それが出来るのは高貴な人間です。 その気高さは疎まれるものでもあるし、同時に尊敬を受けるものでもある。 私は、大衆より偉いとか賢いとか、あまり思わないし、言いたくもないですね。 大衆と同じようにバカですと堕落を楽しんでいる。 チャールズブコウスキーは 「便所は臭くて愉快なところだ」 と名文を残しました。 私も現代という堕落の時代に身を呈しながら、それを楽しんでいる一人間の一人です。

2
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-06-21)

夕方NHKの地元放送を見ていたら、原爆ドームの前で自らを詩人と名告る男が何やら書かれたポストカードを観光客に配っていた。男は確か地元圏内出身で大阪からやって来た高木某とテレビでは伝えていた。 この団塊世代に近い自称詩人から原爆についての詩が少しばかり紹介された。なんてことのない詩だった。臆せずに堂々と自らを詩人と名告る男を見た。わたしは吐き気を覚えてチャンネルを変えたよ。 君らはどう思う。

3
takoyo2
takoyo2
作品へ
(2024-06-21)

おはようございます。私事で申し訳ないですが、 いやーーーーぁあああ、まいった。 ツィッターX、イーロン・マスクにフォローされた! ずっとフォローしてたけど、youtubeの言論弾圧がひどいから 動画機能の強化と展開をお願いしたばかりだった。 本物であることは間違いないけど商売も入ってるのかな。

2
takoyo2
takoyo2
万太郎さんへ
(2024-06-21)

えーっと、このコーナーを投稿者のために設けて 下さった天才詩人2さまに、まずは感謝です。 投稿作品からは仲々伺えぬ投稿者さまの人となりが、へ~ぇ と、よくわかるような気がして勉強になります。 さてと、そこで万太郎さまへのご返事をさせて頂きますと わたしは、あのー「大衆」の定義ということはしたくないし、 あえて定義するとすれば、吉本隆明の共同幻想論を使って 余人にはなかなか理解できないことを語ることになり、そん なものわたしだけがわたしだけのためにわきまえておればいいことで 他人にはどーーーでもいいことでしょうから、嫌われた くないのでやりません。 ただ、あのう、定義しなおす、というか言葉を疑うということは 偉そうなことをいうようですがとてもいいことだと思います。 とくに詩人にとっては。 最近の詩人のみなさんの投稿作品を拝見していると言葉ってものを 疑っていない。既存の言葉、とくに概念語つまり観念語ですね、 〈幸福〉とか〈死〉とか〈大衆〉とか〈知性〉とかそういう言葉を まったく疑わずに使っている。 中にはほんとうに〈幸福〉というものがあると思ってそれを探して いる方もいる。あるいは反発大きいかも知れませんが〈愛〉とかも。 いや、ありますよ〈幸福〉。しかし幸福を幸福と感じることが 出来るのは〈不幸〉があるからです。幸福が最初から最後まで続いて いたら幸福なんて感じることが出来ません。空気や水と同じになる。 永続的な幸福なんてものがあるとすればそれは感じることが出来ない ものであると......そういう風に理解しています。

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Molloy
Molloy
テイムラー隆一さんへ
(2024-06-21)

ちょうど橋本治のエッセイをパラパラとめくって読んでところでした。彼が批評家として注目を集めた80年代は、昭和軽薄体といわれるカタカナ語と流行語を多用した軽い文体が蔓延してたといわれる時期です。そんな時代の中で難しそうな思想をおもしろおかしくわかりやすく若者向けに提示する伝道師的な彼の存在がありがたがられたのではないでしょうか(とはいえ私も生まれた時代がだいぶ後なので当時の空気感を完全に把握できるわけじゃないですが…)あと、亡くなるまで自ら公式にカミングアウトはしなかったそうですが、自他共に認める性的マイノリティだったようで、そのような存在が男性中心社会である文壇の中で登場した役割というのも大きかったのではないでしょうか。

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Molloy
Molloy
メルモsアラガイsさんへ
(2024-06-21)

高校生のときに修学旅行で広島に行って原爆ドームに行き、被爆者の話を聞いた時に驚くほど何も感じなかったのですよね。当時は私の倫理観が狂ってるのだろうかなんて思いましたが、彼らの被害者意識がねじれた特権意識として現れていて、語られていることがかえって凡庸に聞こえてしまったのが要因だったのかなと思っています。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
万太郎さんへ
(2024-06-21)

そこなんだよなあ……万太郎さんの詩にも作者本人の抱いてる何かがあるというか。 詩こそ気高くて、高貴なものであるべき(といっても、僕の心情ではあるけれども)なのに、それをあえて「堕落を楽しむ」という名目で汚している気がしてならないんだ。 いや、まあ、星菫派に非常に心情を寄せている僕の言いがかりや不快感にすぎないのかといえば、それはそうかもしれないのだけれど。しかし、あまり「泥臭い生活臭」が詩には必要ない僕からすると、うーむ……って気がするんだよな。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
Molloyさんへ
(2024-06-21)

なんか昭和の一時期に見たカタカナ混じりの文章って昭和軽薄体だったのか……! あー!ウィキにも橋本治はそれ導入したって書いてる! ……ありがとうございます!おかげでわからなかった部分がすっきりしました! そうだよなー……うん、美文の定義が異なるわけだよ……。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
メルモsアラガイsさんへ
(2024-06-21)

まあ、うん……言いたいことはわからなくもない。言語化しにくいけれども。 最初は「メルモsさんも寛容じゃないなあ」と思ったけれど、なんか僕もチャンネル変えそうだなって気づいたというか……。 何なんだろう、このなんともいえぬ感覚は。これが言語化できれば、詩にも導入できそうなのに。

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atsuchan69
作品へ
(2024-06-21)

さて、こっそりと記述します、、 ★「マッドマックス:フュリオサ」は 北米での興行成績がキツイみたいですね ボクはこの映画、 前作「マッドマックス 怒りのデス・ロード」と同じくらい好きなのですが、 人によって好みの違うのは当然のことで ボクの知り合いにはお魚が食べれない奴がいます なぜか烏賊や貝なら食べれるそうですが 魚は煮ても焼いても生でも全くダメだそうです ★「最強のふたり」は面白かったです 最後までフィリップを演じているフランソワ・クリュゼを ダスティン・ホフマンと勘違いして観てしまいました ★「いまを生きる」はピーター・ウィアー監督作品ですね これを言うと歳がバレますが、ボクはこの監督の「誓い」を観ています 「マッドマックス:フュリオサ」を撮ったジョージ・ミラーや メル・ギブソンと同じオーストラリア出身の人です ★低予算で作られた「ターミネーター」ですが、 大ヒットしたのでシリーズ化され、2、3、4、と 別の時間軸の作品2本が作られています 「ターミネーター2」は梅田のナビオ8階で観ました ★「バイオハザード」はかなりヤバイ映画だと思っています ある意味、これから起きることのプレゼンかも知れません、、 ★「コリーニ事件」は観ていません ドイツ映画のようですが、ドイツ映画といえば、 ボクはどうしても「ベルリン天使の詩」を挙げてしまう アンリ・アルカン撮影の映像美が堪りません、、 あと、大好きな映画作品をこの際だから記述しておきます、、 〇「フェリーニの8 1/2」:フェデリコ・フェリーニ https://youtu.be/jUc4oHnFBnc?si=1EgU0KIE9mQKR4tE 〇「サウンドオブミュージック」: ロバート・ワイズ https://youtu.be/ygyK0HStjwg?si=cuP5sWC_hdZQXZPB 〇「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」:フランク・オズ https://youtu.be/QqFZuR6UzjA?si=4EvjTyYi-7oheIr6 〇「ハッシュパピー ~バスタブ島の少女~」:ベン・ザイトリン https://youtu.be/umcEIRzShX0?si=hF8ppZd2XgoXj7Aw 〇「ウエスト・サイド物語」: ロバート・ワイズ https://youtu.be/IakulTGwc0U?si=l_tkSSzJuq4q4gnt 〇「天国と地獄」:黒澤明 https://youtu.be/LV3z2Ytxu90?si=dh7IEPNbxH2Bjx1F 〇「マイフェアレディ」:ジョージ・キューカー https://youtu.be/ZJBM6qs22sE?si=aFQCAtA2LY9Bcv3M 〇「マッドマックス 怒りのデス・ロード」:ジョージ・ミラー https://youtu.be/4Krw9BbjzKQ?si=IZTf1dYMG74h3DQc 〇「ノスタルジア」:アンドレイ・タルコフスキー https://youtu.be/vMy-T5GI7Z0?si=M5UcvFt9SuX9rXHx 〇「神々の深き欲望」:今村昌平 https://youtu.be/eP69C8Q2ccQ?si=bOt1SKNYAgKsc1nx 〇「魔術師」:イングマル・ベルイマン https://youtu.be/jNV8MWw_jPc?si=sxSbW2UVqvZXLkxH 〇「もののけ姫」:宮崎駿 https://youtu.be/YOuG8m2RqOs?si=_GuYMBEgfytoTYU_ 〇「タワーリングインフェルノ」:ジョン・ギラーミン https://youtu.be/Kr6l87i9oAI?si=2F17Wtp5P9UR_R-y 〇「隣の女」フランソワ・トリュフォー https://youtu.be/AcizDt2LOGo?si=8ezSXXdZ1C83UhIP 〇「ドクトル・ジバゴ」:デヴィッド・リーン https://youtu.be/M1iQ5hQTR5s?si=QcxiDydwd5GO_BLC 〇「幕末太陽傳」:川島雄三 https://youtu.be/6BsHxN4r1Rk?si=gdg71ugWn2AHsQg1 〇「シェルブールの雨傘」:ジャック・ドゥミ https://youtu.be/eqzQn15mFao?si=C-0bhU9OqKCIIDvL 〇「ルートヴィヒ」ルキノ・ヴィスコンティ https://youtu.be/jRMDfKJeu_A?si=rDclVsUTd1_WZtJj 〇「フレンチ・コネクション」:ウィリアム・フリードキン https://youtu.be/T76K3RxJY0A?si=vJ7hSeXmspDLraul 〇「ニュー・シネマ・パラダイス」:ジュゼッペ・トルナトーレ https://youtu.be/YMlt7WfcOMA?si=s67NJgkkt7D-m62x いや、他にもまだ、もっともっとあるのだけど‥‥

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黒髪
作品へ
(2024-06-21)

https://www.youtube.com/watch?v=Ui6o8iJiW6s かっこつけだった僕は、この映画を見て、ショックを受けた。だが、愚かなのは私であり、 この映画は徹頭徹尾正しかった。バビロンシティで欲を満たすのではなく、詩を書いて 穏やかな生活を送ることこそ幸福、穏やかに生きられないなら不幸、不幸の影に幸福の 光あり。お釈迦様は、「天上 天下、ゆいが どくそん」と言い、それは、わたしは すべての ものたちを しあわせに するために、うまれて きた、という意味だそうです。 受け売りばかりですみませんが、自分を、愛することができればいいでしょう。 足の引っ張り合いばかりしては愚か、自分の尺度を持って見れば、何が幸福か分かるのではないですか。 自分の力で至らねばなりません。智慧や六波羅蜜とは相対的なものではありません。 減ったり、奪い合ったりするものではなく、むしろ、与え、称え合うものです。 幸せになりたいと願ったことのある子どもは、いつか必ず幸福になれるのだと思います。 ゼロサムゲームでは、ないのです。飢餓に苦しむ人もいて、明日はどうなるか分からない、 それならば、社会福祉を手厚くする政策を実現するように政治を変えましょう。 全ては我々の規約であって、法は尊く存在します。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
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(2024-06-21)

恥を知れ恥を……とか言ってた人は急に都知事選で時の人になる。なんだかな…広島の片田舎の市町村から大都会東京だよ。あんまし気持ちよくはないね。molloyさん、原爆も核も、みんなダブルスタンダードな考えを容認してるよね。だから外部の人たちからみればそんなふうにも感じる。おいでおいで平和公園に、この建物、資料館の写真や遺物を見なさい。だけじゃなくて、本音の部分で、核廃絶に署名してない国は来るな!広島の土を踏むな!くらい言う人たちが居てもいいんだよね。はじめから。日本人は全般的にお人が善すぎるのではないかと…

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
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(2024-06-21)

さすがにatsuchan69さん推薦の映画はどれをとっても観て損はないス。個人的には、黒澤、キューブリック、フェリーニの三大巨匠作品は全て観といたほうがよろしいかと…。あと日本人では今村昌平もいいね。社会派でもエログロナンセンスなんでもある。面白さで言えば伊丹十三作品もイイね。演出のセンスもいいし、よく考えられてる。通俗作品としてはピカイチよ。 それとみんなたぶん観てないだろうから紹介しとくけど、今井正監督作品の「キクとイサム」白黒映画で、戦後黒人米兵との間に生まれた兄弟たちの物語だね。一度しか観てないので細かいシーンは忘れたけど、ずっと胸に残り続けてる映画だよ。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
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(2024-06-21)

あっ、ドクトル・ジバゴある。 パステルナークはゲームで知ったけど、詩とかなかなかいいんだよな……。 しかし、肝心のドクトル・ジバゴの原作が街の図書館にも大学図書館にもない……。

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takoyo2
takoyo2
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(2024-06-21)

運営代表、天才詩人2様の、寛大なるご配慮で不肖投稿者のため わざわざ交流スペースを設けて下さったことに心から御礼申し上げる とともに、一同を代表して深く深く五体投地、拝礼、合掌つかまつる 次第です。 御大さまの気の向いたときには、あるいは、ご機嫌うるわしきときには 再びこのようなご配慮を不肖、投稿者どもに賜れますよう、深くお願い申し上げまして やつがれはこの場から退場させていただきます。 おありがとうざいました。運営代表様の大らかなご配慮に感謝感謝、ビーレビ、 万歳、万歳、万歳。代表閣下のビーレビ天下が続きますよに。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
メルモsアラガイsさんへ
(2024-06-21)

 そういえばちょっと前に「今の若い人は何が面白くて詩なんて書いているんだろう」と書かれていたけれど、その時は忙しくて答えられなかったけれど、僕(2002年生まれ)としてはこんな感じ。 ・先人たちのように書いてみたくなった ・二次創作以外にもやりたくなった ・詩人というものになってみたかった ・とくに抒情詩を書きたかった

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
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(2024-06-21)

ティムラーさん。それでいいでしょう。原爆開発の父オッペンハイマーは戦後被爆者と会って涙を流して何度も誤ったと報道されてましたね。一方では(…大統領、私の手は血で汚れている…)と言えばトルーマンから(…汚れたら洗い流せばいい )そして側近に言った。( こんな女々しい奴を二度と私の前に連れて来るな!)と…。   オッペンハイマーは詩人になったんだね。単に善人に目覚めたんじゃない。 詩人は非難されてこそ詩人だよ。良心の呵責に苦しみ抜いて、そんな覚悟を決めたんだ。世界一の馬鹿になる覚悟がなければ、いい詩人とは言えない。わたしはそう思う。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
作品へ
(2024-06-21)

うーむ……僕自身は李白ややなせたかしといった、ある程度気楽な詩人の流れだからなあ……。 詩風を除けば、基本的にシリアスが薄目なんだ、僕という書き手は。

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万太郎
万太郎
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(2024-06-21)

熊倉ミハイ様 西部邁という人は、大衆批判を徹底した人でした。 「大衆の愚かをどれだけ過大評価しても、過大評価しすぎることはない」 「世論の逆が概ね正しい」 と言った名言を残しました。 僕が群れに流されやすい人たちの自分のなさを見たことは、一度や二度ではありません。 歴史を見れば、大衆化された人々が愚かさをむき出しにするのは、熱狂を見れば分かります。 歴史上、熱狂を浴びた政治家ほど、愚かさは群を抜いています。 アドルフヒトラーとケネディ、リンカーンの中で誰が一番大衆に熱狂されたか? 私はヒトラーだと思う。 安倍首相に関していい政治家だと思う人もいるでしょう。しかし、最近ようやく、表のメディアでも彼が大規模な金をマスコミにばら撒き、言論統制をやっていたことが明るみになりました。 歴史上で言えば、ヒトラーのような独裁者的人物を、我々は支持していたことになる。 また私はスーパーで働いていた経験がありますが、あの時のマスク騒動も間近で見て酷かった。 マスクを売らないなら帰らないと怒る客がいました。どういう人だったか? 変わった人だと思うかもしれない。極々普通の一般人です。大衆化された人間の本性がむき出しになるのが緊急時です。 昔は、たけしにしてもタモリにしても、プロが最初に評価して業界入りするのは、割と普通だったと思うのです。 私が傑作を受賞した作品を、身近な人に見せたら、鼻で笑われました。その人は、他の私の作品についても、同人誌レベルだと言います。屈辱を感じましたね。その人もクリエイター志望で本まで出版しましたが、率直に自分のことを幼稚で軽薄だと語るような人です。 Youtubeにも幾らか作品を挙げましたが、プロで活躍しているような人が、上手いよく出来ていると率直に褒めるんです。それが大衆にどれだけ支持されたかというと、良くてイイねが二つ三つついたくらいです。 >万太郎さんはテストで100点を取ってクラスの人気者という路線なのかなと。その先の深み、理解されない研究だったり、ノーベル賞を!とまではいかないということなのですかね。 そこはそうでもないですよ。私はどちらかと言えば赤塚不二夫先生のようなギャグ路線の軽薄人間です。疑り深い、過度な実験精神、エログロへの執着心など、共感するところ多しです。ただ、ノーベル賞は無理で、良くてイグノーベルでしょうね。

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澤あづさ
おまるたろうさんへ
(2024-06-21)

いやはや貫之の件は失礼しましたが、おまるたろうさんが人麻呂を再考するきっかけになったのなら、間違った甲斐があったというものです。わたしは趣味で詩評をしているのに、最近の評論を追えておらず、貫之の六歌仙への罵倒などを援用している始末ですので、最近の論客について教えていただけるのは助かります。 おまるたろうさんも衒学的とか、生きてるだけで抑圧的とか、心外きわまりない罵倒を浴びやすいタイプかもしれませんが。お互い強く生きていきましょう!

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澤あづさ
テイムラー隆一さんへ
(2024-06-21)

橋本治の美文といえば、個人的には『窯変源氏物語』です。訳書研究書としては使い物になりませんが、間違いなく美文ですし演出もあざやかでおもしろいですよ。ちと心理描写がくどすぎる(つまり原作の思想を尊重してない)ので、好みも評価も分かれるでしょうけど。 ご興味がわいたら試し読みは、11巻冒頭の「雲隠」がおすすめです。紫式部日記に基づく式部の語りで、今年の大河とはまったく異なる解釈が得られます(伊周が源氏のモデルだとか、式部も定子に憧れていて少納言に嫉妬していたとか)。雲隠が気に入ったら7巻(玉鬘七帖)、7巻も気に入ったら通読を検討がよろしいかと。高いので図書館でどうぞ。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
澤あづささんへ
(2024-06-21)

 了解です! それでも……昭和軽薄体を書いた人という事実への苦手意識があるからなあ。手に取るのはもう少し後になるかも。  あと、そこら辺で不思議に思ってることがあるんですよ。なんで知識のある人や文学系の人たちがあんな軽薄体なんて作り出したのかとかもそうだし、僕の今までの肌感覚や経験という主観的なものになってしまうけど、昭和軽薄体を支持する(あるいはその流れを汲む)人たちの多くが反村上春樹的だということだったりとか……。  いや、春樹およびハルキストへの批判も尤もなものもあるのはわかってるんですよ。僕もハルキストとしてそういうのは頷けるし、「うぐっ」と図星を刺されたこともあります。  それでも僕は春樹を支持するし、僕の詩風も彼に影響を受けているのはあり得ることだというのも否定しない。だって、普通に綺麗だし、理性優位の情感という僕の理想のひとつの形でもあるし。  だからこそ、どうしてそこまで「軽薄」に傾くのかがわからない。それも、知識のある人の方が「軽薄」を支持したりするのかが……。そして、反軽薄的なものに攻撃的なのかも。

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rona
rona
葉月二兎さんへ
(2024-06-21)

二兎さん、こんばんは! 胸をお借りするつもりで作品をお借りしました。事後報告ですみません。 リンク先のあをの過程さんの文章読ませて頂きました。ああいう文章書ける人、最近は見ませんね。しかし葉月家の物置きはどんなお宝が眠っているのか…漁りに行きたいです。笑 (このスレッド連絡用にも活用出来て良いですね>運営さん)

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rona
rona
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(2024-06-22)

思いがけず懐かしい文章を読んだのでちょっと昔話を。 私は現代詩フォーラム黄金期に詩を書き始めたから当時の記憶ってものすごく鮮やかなんだよね。特にA氏、N氏、G氏、K氏、I氏(当時のハンドルから)の熱量、詩も散文もすごかった。 現フォにはリアルタイム会議室って名前のチャットルームが2つあっていつも賑わっていた。 私みたいに文系でもない詩にも精通してない初心者が今まで続いたのは当時に培われた何があるんだと思う。何か…詩には何かあるんだろうなぁ、という何か。

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るる
作品へ
(2024-06-22)

おはようございます。昨日は、夏至だったようです。1年で一番 お天道様がながく いらしたみたい。そんな日から 今日は 第一日め。   そんな日に、あたらしい交流の場を つくってくださって ありがとうございます。

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黒髪
作品へ
(2024-06-22)

民衆、大衆というのは、それらが、ある連帯責任を負うことによって生じる。私は、連帯責任を負うと いうやり方に、根本的疑問を抱く。サイの角のように独り歩め。また、責任を放棄するものには、徹底的に 教育したくなる。なぜなら、誰かはその責任を取らされざるを得ないから。 個人的例として、寮のボイラーとゴミ捨てを、やりそこなった場合、罰として、その班は来週もその仕事を 引き続き行わなければならない。これは、班同士の争いになる。迷惑をかける→罰を受ける。 だが、これはガチャになる。だから連帯責任は、やる気をなくさせることに他ならない。 争いを引き起こすもとになる。リーダーシップは、個人的なものだと言わねばならない。 民主主義は、連帯責任を主張してはならない。罪を憎んで人を憎まず、と言いたいところだが、 連帯責任が起きた場合、その犯人は、当然皆から憎まれることになる。まあしかし、そういった ことを経験した場合に、慈悲の心が生じるものなのかもしれない。何事も、無意味ということは ないので。全ての人の責任を負ってやるぞと考える人が現れれば、それは、仏さまが、 無私の、見返りを求めない救いを行っているということと同じであるが、各個人が、 経験を重ねることによって、より仏に近づいて行くということはあるだろう。 しかし、社会の仕組みとして、もう連帯責任は、軽いものであらねばならない。 そうしないと、あらゆる個人は、自立できないことになる。

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おまるたろう
おまるたろう
澤あづささんへ
(2024-06-22)

>おまるたろうさんも衒学的とか、生きてるだけで抑圧的とか、心外きわまりない罵倒を浴びやすいタイプかもしれませんが。お互い強く生きていきましょう! ありがとうございます。 そうですね。 まあ年をとってきたせいか、最近はおのれの境遇を楽しめるようになってきました。 私のごとき無名の輩が、澤さんのような名のある詩人と意見交換し、なんらかのケミストを生み出すのも、詩投稿サイトの醍醐味なのでしょう。 ビーレビ運営多謝!

4
rona
rona
作品へ
(2024-06-22)

好きな映画、続々と思い出したので! 『アトミック・ブロンド』この映画サントラもめっちゃ好き。 それから『レッドスパロー』あとは『キル・ビル』、『羊たちの沈黙』、あーー『タイタニック』を忘れちゃいけない。笑 作家だと村上春樹より村上龍の方が好き。

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澤あづさ
おまるたろうさんへ
(2024-06-22)

澤あづさの名は文極以外のどこにもありませんし、そもそも詩人ではないのですが、そんなのまでもアレなんですからネット詩の風は冷たいですよ。しかしおっしゃる通り、その境遇を楽しむこともできるでしょう。おまるたろうさんもぜひ、歩く抑圧よばわりにくじけずご躍進ください。 スレも上がらなくなりましたし、今回の件はこれにて最終便といたします。機会がありましたらまたお声がけくださいね。 ※最後に執念深く追記しますが、もし例の批評に着手なさることがありましたら、ご一報いただけますと幸いです。

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澤あづさ
テイムラー隆一さんへ
(2024-06-22)

ああテイムラーさんはハルキストなんですね。でしたら『窯変源氏物語』は、貴重な時間を費やす価値がないかもしれません。美文といってもラノベに近いタイプですから、ハルキストには向きませんし。そのうえ訳書研究書にもなりませんからね。 春樹について、テイムラーさんと論点を共有できているか不安ですが、わたしの周辺には「内容が軽薄だから嫌い」という人が多いですね。でも春樹ほど日本語のうまい存命作家なんてめったにいないし、詩人なら散文詩の手本として、ぜひ見習うべきだと思いますよ。 自分の好きなものを他人に否定されたからといって、嘆く必要はありません。だれかを持ち上げるために、ほかのだれかを貶す必要もありません。

2
A・O・I
作品へ
(2024-06-22)

フォーラム更新情報自体がなくなったようですね。対応ありがとうございます!

3
テイムラー隆一
テイムラー隆一
澤あづささんへ
(2024-06-22)

ありがとうございます。そして、すみません。僕も冷静さを失ってたみたいです。以降、気を付けるようにします!

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takoyo2
takoyo2
テイムラー隆一さんへ
(2024-06-23)

顔をそむけたくなるほど卑屈だね。 「すみません」て何がすみませんなの?。 「冷静さを失っていた」って何について冷静さを失っていたの?。 「気を付けるようにします」て何を気をつけるの? 澤とあなたの二人の会話だから外野は関係ないというかも知れない。 しかし、それならメールでやりとりすればいい。 ここは公開の場だから会員登録者や一般閲覧者が見ていることを忘れてはならない。 これだけ卑屈な返答を見ると、いや~な、気持ちになる。 澤氏がいった   春樹ほど日本語のうまい存命作家なんてめったにいないし、   詩人なら散文詩の手本として、ぜひ見習うべきだと思いますよ。 こんなことを批判的に受け取るのではなく何の抵抗もなく受け入れているのかい? もし詩人が散文詩の手本(そんなバカなことあるかい!笑)として村上の あのシワのないつるつるの、無国籍で精神性がずるむけた気持ちの悪い文体を手本 として真似したら、どれほど気持ち悪いかと思うがね。 それはともかく、見ている人がいるのだから、あまりにも隷属的なみっともない姿 さらさないでほしいな。 少なくともここはビーレビの発展した場じゃないのかい。澤のような俯瞰的な視点で 自分や周囲、世界を見ることができない、憎悪に凝り固まった困った人間に端から端 まで卑屈にうなづいている。 そんなに自己がないのならもう詩などやめてしまえよ。

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rona
rona
作品へ
(2024-06-23)

まぁこの掲示板の利用については運営代表が、 >とにかくみんななかよくね。あんど楽しく。 これ念頭に置きましょうよ。思想や主義主張、デリケートな問題はそれこそ自分のブログやXや個人間のメールでお仲間とやればいいんじゃないかなとは思う。誰かや何かをdisるってそれを読む他人の気分を害するって俯瞰は大事だしこういった場所ではエチケットだと思う。まぁ無自覚にやってる人には伝わらないだろうから私は特定の人のは読んでない。不本意だけど不快な思いをしないためにはそういった自己防衛をするしかないよね。 こんな事で来月も続くのかしら?

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rona
rona
takoyo2さんへ
(2024-06-23)

↑はtakoyo2さんの事ではないです。誤解のないように。

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葉月二兎
葉月二兎
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(2024-06-23)

「詩人」とか「詩人」になりたいとか思っているのであれば、 自分の思想や信条、感情、書きたいこと……は「作品」で示せば? って、誰に向けるわけでもないけど、シンプルにそう思ったです。 >とにかくみんななかよくね。あんど楽しく。 これ大事ー。 アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノだって、人それぞれの作り方あるんだし、 自分の好みで作って食べるのがいいんじゃん?って思います。 「こういう作り方あるんだー」「こういう応用できるんだー」とか、 あれこれやってみて、最終的に自分の「おいしい」ができれば、 しかも、それを楽しんで作るのが一番いいと思います。 (最近、映画よりクラシルとか料理王国のYoutubeばっか見てる自分がいます)

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黒髪
作品へ
(2024-06-24)

恐れ、怒り、憎しみなどにとらわれ、フォースの暗黒面に堕ちるジェダイの騎士がいっぱいいるので、 地獄は苦しいよ、と警告しておきます。 「何びとも他人を欺いてはならない たといどこにあっても 他人を軽んじてはならない 互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない この慈しみの 心づかいを しっかりと たもて」(ブッダのことば)

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takoyo2
takoyo2
作品へ
(2024-06-25)

本心で語る人がいなかったね、結局、ひとりも。 少なくともわたしは本心で語ったし、 若い人の意識や存在の在り方に危惧を覚えて必死で 注意したつもりです。 本心というものは傍から見るとことばが過激に 映るものなんです。 そういう意味ではわたしは表現が未熟だった。そのことで 場を氷りつかせた。 黒髪氏以外の皆様に謝罪します。 ところで黒髪! オマエのようなバカがしゃしゃり 出てくるんじゃない! だれかが瑕疵をさらすのを待っては まるでてめえが仏陀にでもなったつもりで鼻の穴を 伸ばして講釈を垂れにくるなんて 仏教の精神からすればどれほど恥ずかしいともわからんのか? このバカ、少しはてめえの歪んだ顔を鏡に映してみろ。 おまえはビョウキが治った、もう正常だと宣言していたが、 精神病理学者の北杜夫の本でも読め。 精神病から治った患者てのは治って初めて自分が 正常でないことに気づくんだ。 これが仏教者の態度でもあるんだ。解脱して初めて自分が無知無能 人さまに講釈を垂れるような人間でないことに気づく。 普遍的な仏教者の態度だ。 北杜夫『夜と霧の隅で』の主人公は精神の病から解放された とたん自殺する。おまえにこんなことの意味がわかるか? 蛾兆がいったように意味不明のデタラメな批評ばかりしている 自分がどれほど阿呆かわかっているのか、おまえ。 どれほど人から嘲笑されているか、わかっているのか? こちらが恥ずかしくなるから仏陀を気取るのやめろ。 そして本心でおれに怒ればいい。それが仏教者の態度だ。 あほう。

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黒髪
takoyo2さんへ
(2024-06-25)

私は、人々に対して尊大な意識を持ってきました。私の心を変えることにより、人々への 奉仕を行っていきたいと思います。何らかの心理的きっかけが必要であり、自分の人生を 振り返ったとき、私が誤っていたとしっかりと認めます。けんかするのも、大概にいたします。

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takoyo2
takoyo2
黒髪さんへ
(2024-06-25)

>けんかするのも、大概にいたします。 うん。

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rona
rona
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(2024-06-25)

>本心で語る人がいなかったね、結局、ひとりも。 つまるところココかな、と。 本心で語り合う、その心構えがあればどんな話題でも良いと思うのです。私が言いたいのは、自分と違う他者を少しでも理解しようという気持ちもなく、一方的に主義主張をする、そのために誰かや何かを否定批判する行為、憎悪のみで発言されている言葉はそれを目にする関係のない他者にとっても気分を害するものでしかないという事です。そして中途半端な応酬はやはり茶番にしか見えず白けますね。

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takoyo2
takoyo2
ronaさんへ
(2024-06-25)

えーとね、わたしはここ、多くの人が客席で閲覧している舞台だと 考えているんです。だから本心を語るにしても表現行為であると考えて これでもかなり工夫しているつもりです。 天才詩人2氏を中国の皇帝にみなして万歳三唱したコメント、まさかあれ、 そのまま真に受ける人はいないでしょう。 このサイトをやっと手に入れた人が池の金魚に餌をやるように 気が向いたときに交流欄を与えてやる。そして椅子に座ってにやにや 経緯を見ている。二人の宦官、黒髪氏と田中氏がことあらば帝王の 手足となって池の鯉たちの諍いに介入する。帝王は顔を出さない。 あるいは帝王の臣下は顔を出さない。 文学極道全盛時代になぜあれだけ先鋭的な詩人が集まったか、 わかる人いるかな? なぜ文学極道があれだけ栄えたか? 時代のせいじゃないんです。 ダーザインという人、詩の技量は置くとして、詩を見分ける感性は抜群だった。 天才的であった。 そしてその人がこういう交流の場や感想コメントの欄に誰よりも早く、積極的に 顔を出し 魅力的な感想や批評を書いていた。だから凄い詩人が集まったんです。 一度、見識のある常連詩人がみな無視したり罵倒した詩があった。 それをダーザイン氏ひとりが擁護して素晴らしいと絶賛したことがあった。 それを聞いて、読み直してみると、まったく「あ!」だった。 なるほど凄い繊細な感性が一見あたりまえにみえる、軽い、さっと流したような 詩の細部に光っていた! そしてその人の詩はすぐに評価を得た。残念ながら数週間ほどで消えてしまった が今でもその若い詩人のハンドルは伝説になっている。 鯉の諍いを御簾の奥からニヤニヤ見ていたら文学極道なんかちっとも興隆しなかった。 だからほら、ダーザインが消えたらすぐに消沈したでしょ。 あとをついだ連中は御簾の奥にひそんで特権的に、にやにや見ていたのです。 ダーザインは自らが一匹の鯉の仲間になって率先してコメントをし 泥にまみれていた。 そういうことが出来なければどんだ時代であれサイトが興隆しますか? 「憎悪のみで発言されている言葉はそれを目にする関係のない他者にとっても気分を害するものでしかない」というが、 この「憎悪のみ」というのはあくまでも主観でしかない。わたしのコメントにもイイネがつき、 あなたのコメントにもイイネがついたがどちらも一つか二つだ。 もしあなたの主観が大勢を占める根拠になるのなら今後、だれもがティムラー隆一くんのように意気消沈して、どこもまで卑屈に萎えるのが もっとも素晴らしい交流の態度ということになる。そんなインポテンツな場が、そんな静かでも何もない場が面白いだろうか? あるいは澤のような大学の文学授業の延長のようなものをありがたがる風潮。 ダーザインの短いことばで確信をつく、本当ほんものの批評と比べてご覧? 無知で詩が書けないやつに限って澤のような目くらましのことばをありがたがる。 あ、そうだ。こういうと憎悪ということばが返る。 いったいだれがだれに憎悪をもっているのです? わたしは澤のサイトなどまったく興味がないが多くの人々が訪れるサイトに一個人を憎悪罵倒する記事を ずっと載せつづけ、閲覧者のひとりからそれを注意されてもそのコメントを抹消して憎悪罵倒を続けているという。 こんなもの狂気でしょ? ふつうの神経で出来ますか? それを憎悪というのです。 当人にはまったくの迷惑以外の何者でもないでしょ。 ある発言にはそれにまつわる歴史も情況もある。 いつまでも憎悪を垂れ流しているのはだれか、 理性のあるひとにはわかるはずです。

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黒髪
作品へ
(2024-06-25)

少し勇気を出してコメントしますが、このサイトでは、悪いもの探しを止めましょうよ。 発見できる悪いものは、自分自身の中以外にはないでしょう。ある人が正しい、ある人は悪い、 そういったことをはっきりさせることをしていっても、良い結果につながるはずがありません。 みな、すねに傷があるでしょう。自らの悪を正し、自らを省みて、他人の悪口を言わない。 怨みに対して怨みをもってすれば、永遠に止むことなし、ということです。 人には人の意志があるので、その表れを、よく考えてみましょう。 困っている人がたくさんいます。みんな何かに困っている。詩の周りをまわっている。 人に命令するのもされるのも、ごめんだ、というのが、全ての人の本音でしょう。 そのためには、自己の悪いところをよく観察して反省して、他人の言い分に耳を貸す 必要があります。様々な意見が出ること自体は悪いことではない。自己とは異質なものへの 感覚を鋭くする必要がある。みんなで作るフェアリーランド、美しい話をしたいですね。 天才詩人2さんは、全部の責任を負って、必要な業務を、リーダーシップを取って、 行われています。帝政といって揶揄されるような後ろめたいことは、何一つされていません。 その働きが、外からは分かりにくいかもしれませんが、利用をされるのであれば、当然、 B-REVIEWの代表へ、ケンカを売ったりはしないでしょうね。もちろん、忠告、要望等は、是非に従って、 受け付けています。B-REVIEWも、世の中も、全て、善意に基づいて設計されています。 争いが、例えば日本社会では、公然と許される場はないですよね。 利用される方は、善意に従って行動してほしいです。そして、相互理解をすすめましょう。 人々は、詩を書き、批評されたい。批評を発表してみたい。それ以上の目的は、 ここにはないはずです。プロレスを行うフェーズは、過ぎていると思いますが。 全ては自分の意志で選んだこと。その結果は、自分が受け取る。助け合って、忠告しあいながら、 行を行う。異論があれば書けばいいですが、その結果が良くなるように、皆で助け合って、 やっていきませんか。B-REVIEWがつぶれたら、日本の詩にとって、どれほど痛手でしょう。 一度破壊したものは、もう取り返しがつかない、そういったことになります。 現在、みんなの大切なB-REVIEWを、守って行かれている、一番の人が、天才詩人2代表です。

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rona
rona
takoyo2さんへ
(2024-06-25)

>この「憎悪のみ」というのはあくまでも主観でしかない。 確かに主観ですね。だからこその対話でしょう。対話姿勢、対話内容でいくらでも認識は変わります。ということを言いたかったのですが。(文章力が低いためこれで伝わるかも不安ですが。)対話を拒否されたなら、私の信条や価値観が違う人と認識します。私は私が絶対的に正しいと思っているわけではなく、私の考えを表明しているだけなので。 この交流掲示版の開設に関しては、私は否定的に感じていません。匿名で荒れて閉じたフォーラムに代わりユーザーを紐付けられる掲示板に作ったのはいいアイデアくらいに思っています。頃合い的にも納得してます。試運転して荒れるなら閉じるというのも理に適っている。 私は天才詩人2さんにダーザイン氏と同様の役割を求めていないんです。彼には彼の個性があり良さもあるでしょう。『みんな仲良く楽しくやって』というのが彼のポリシーみたいなものと受け取っています。人には苦手な事もあれば得意な事もある。年齢的にも私よりかなり若いから(正確なお年は把握してないので失礼ながら)ちょっと子供を見ているような視線になっているかも知れません。私は天才詩人2さんはかなりユーザーの自主性に任せられていると感じていて(事細かくユーザーの言動をジャッジしてカード発行とかされませんよね)、その点を好ましく感じています。だから一利用者として利用しているに過ぎないです。そして私は自分が他人に必要以上に期待されたくないので他人にも必要以上に期待もかけません。場が私の好みと合わなければ去るだけです。勿論対話が可能であるなら対話はしたいですが。 掲示板に関してはtakoyo2さんのご意見はそれも一つのご意見としてそのまま受け取っております。takoyo2さんの批判は期待の裏返しのように感じています。それ故否定的に受け取っていません。 澤氏に関しては、言及したくない、というのが本心です。 本心で対話することが大切、と言った以上は本心で語りました。

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takoyo2
takoyo2
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(2024-06-25)

ronaさん、了解いたしました。 なるほど仰るとおりです。反省して出直すつもりです。 ダーザインさんの思い出話になるんですが、 詩というのは、いかな目利きのダーザインさんでも及ばない 遠く遥かな、まったく目利きの世界を超えた秘密の気圏がある。 それはだれにも見えない人倫を超えた空域です。 しかし、そこが詩の面白いところです。 わたしが生まれて初めて「現代詩フォーラム」に投稿したときの話ですが ダーザインさんはすでに常連だった。蛾兆さんも常連だった。 わたしは例によってH氏候補になった知人から口も聞いてもらえなく なるほど稚拙な詩を相変わらず書いており、その一つを初めて現代詩フォーラム に投稿したのです。 アフガニスタンの少年が戦争で両親を失くし、飢えてさまよっている うちに戦争集結を祝う米とアフガン新政権のパーティ会場を窓からみてし まう話です。 その会場に日本のテレビ局が来ていて、偶然、窓から場内の果物や肉野菜 が山のように盛り付けられた様子を見て驚愕している少年の顔を映してしまう。 それだけの話ですが、 ダーザインさんが感想を寄せて下さって、 「イタイ、イタイ。中学生が書いたかと思ったら中年過ぎの男だと聞いて、 イタイなあと思った。ひどすぎる....」そういうことを書かれた。 要するにやっぱりダメな詩だったかと自分でがっくり納得したわけです。 イイネがひとつも付かなかったしね。 ダーザインさんはわたしを非常に軽蔑しているようだった。 でも自分では心の中にひそかに期するところがあった。この詩はそんなに悪く ないとどこかで思っていた。 わたし個人にとって奇跡のような出来事が起きたのはそれから一ヶ月以上もし てからです。 「現代詩フォーラム」には《スレッド型会議室》というのがあって、そこに 「あなたがこの詩があるから生きていけると思った詩はなんですか」 というスレッドが立った。 みなさん有名な詩を次々にあげていく。 何気にそのスレッドを見ていると、驚いたことにある女の子がわたしの 詩をあげていた。 「●●さんのあの詩があるから生きていこうという気になれた。 勇気をいただいた」 というふうなことを書いている。全然知らない子だった。いや、歳はわからないけど 若い人だという気がした。 どれほど驚き、うれしかったか。こんなことは有り得ないと何度も読み返した ものでした。でもそう書いてある。 それならなぜイイネくれなかったの?と言いたかったけど、おれの詩、下手で クズだとしても、一人の女性の命を救ったのかもしれないぞ!とうれしくなった。 ここで詩を投稿されている若い人たちに言いたいのはそこです。 詩って玄人の評価なんかどうでもいいとはいわないけど、 必ず誰かが読んでいる。そしてひょっとしたらあなたのその下手っぴーな詩が だれかに希望を与え、命を救っているかもしれない。 わたしが現代詩フォーラムの点数制のあのシステムを嫌って退会したのは そういう理由からですが、 詩は不思議ですよ、ほんとうに生命をもっている。 それを信じているからわたしはこれまで書いてきたのです。 ronaさん、了解いたしました。 反省して出直すつもりです。 ダーザインさんの思い出話になるんですが、 詩というのは、いかな目利きのダーザインさんでも及ばない 遠く遥かな、まったく目利きの世界を超えた秘密の気圏がある。 それはだれにも見えない人倫を超えた空域です。 しかし、そこが詩の面白いところです。 わたしが生まれて初めて「現代詩フォーラム」に投稿したときの話ですが ダーザインさんはすでに常連だった。蛾兆さんもいた。 わたしは例によってH氏候補になった知人から口も聞いてもらえなく なるほど稚拙な詩を相変わらず書いており、その一つを初めて現代詩フォーラム に投稿したのです。 アフガニスタンの少年が戦争で両親を失くし、飢えてさまよっている うちに戦争集結を祝う米とアフガン新政権のパーティ会場を窓から覗いて おいしいものが山ほどあることに驚愕する話です。 その会場に日本のテレビ局が来ていて、偶然、場内の果物や肉野菜 が山のように盛り付けられた様子を見て驚愕している少年の顔を映してしまう。 それだけの話ですが、 ダーザインさんが感想を寄せて下さって、 「イタイ、イタイ。中学生が書いたかと思ったら中年過ぎの男だと聞いて、 思った。ひどすぎる....」そういうことを書かれた。 要するにやっぱりダメな詩だったかと自分でがっくり納得したわけです。 イイネがひとつも付かなかったしね。 ダーザインさんはわたしを非常に軽蔑しているようだった。 でも自分では内心ひそかに期するところがあった。この詩はそんなに悪く ないと思っていた。 わたし個人にとって奇跡のような出来事が起きたのはそれから一ヶ月以上も 経ってからです。 「現代詩フォーラム」には《スレッド型会議室》というのがあって、そこに 「あなたがこの詩があるから生きていけると思った詩はなんですか」 というスレッドが立った。 みなさん有名な詩を次々にあげていく。 何気にそのスレッドを見ていると、驚いたことにある女の子がわたしの 詩をあげていた。 「●●さんのあの詩があるからわたしは生きていこうという気になれた。 あの詩から勇気をいただいた」 というふうなことを書いている。全然知らない子だった。いや、歳はわからないけど 若い人だという気がした。 どれほど驚き、うれしかったか。こんなことは有り得ないと何度も読み返した ものでした。でもそう書いてある。 それならなぜイイネくれなかったの?と言いたかったけど、まったく知らない ところで知らないひとから評価されていることの不思議に愕然としたのです。 ここで詩を投稿されている若い人たちに言いたいのはそこです。 詩って玄人の評価なんかどうでもいいとはいわないけど、 必ず誰かが読んでいる。そしてひょっとしたらあなたのその下手っぴーな詩が だれかに希望を与え、命を救っているかもしれない。 ウソではなくほんとうにそういうことがありうる。 わたしが現代詩フォーラムの点数制のあのシステムを嫌って退会したのは そういう理由からですが、 詩は不思議ですよ、ほんとうに生命をもっている。 それを信じているからわたしはこれまで下手でも詩を書いてきたのです。

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takoyo2
takoyo2
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(2024-06-25)

すみません。下書きが二重になりそのまま投稿して してしまいました。下半分のみをお読み下さい。 失礼しました。

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takoyo2
takoyo2
黒髪さんへ
(2024-06-25)

黒髪さん そこまでいうのなら一つだけ質問に答えて下さい。 いつものように得手勝手にへらへら逃げるのじゃなく 正直にまっとうに答えるのならば大歓迎ですが ブッダを持ち出したり唯我独尊でケムに まくような不誠実な対応しかしないのなら答えなくて結構です。 質問。 takoyoと黒髪さんの長いコメントの応酬がありましたね。 黒髪さんの投稿『ブツ』についてのコメントの応酬です。 今見るとそのコメントの応酬の後半を運営が一方的に削除している。 削除するのは勝手ですが、なぜ相手方のtakoyoに知らせて確認を とらないで無断で削除したのでしょうか? それがきみのいう誠実な運営なのでしょうか? たしか天才詩人2はここを退会する方々が作品を消すことについて 動画で一番してはいけないことだみたいなことをいっていた。 それなら一番してはいけないことをする前に、相手方に理由を説明して 消すことを伝えるべきでは? 中味のない綺麗事を並べるのは自由です。きみにはそういう傾向があり、 それがまた何も考えないで一方的に綺麗事を並べる。そういうのはまずいよ。 君にとってあまりにもtakoyoの批判の後半部分を黙って削除したのだれなのか。 多分天才詩人2さんは知らないでしょう。技術関連の人たちの仕業だろうと 思うが、しかしそういうのが頻発するようなことでは善意のサイトといえるかな?

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takoyo2
takoyo2
黒髪さんへ
(2024-06-25)

またtakoyoは一方的にビーレビのツィッターサイトも見れなく されていた。さらにはビーレビのツィキャスも閲覧できなくされていた。 こういった差別というか排除を平然と行う技術関連の人たちがいることを きみや天才詩人2は承知しているのかな?

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takoyo2
takoyo2
黒髪さんへ
(2024-06-25)

はっきりいって技術関連の運営はあるミスをしたのではないかと 思っている。新しくなったビーレビの乗っ取り騒ぎのさいに運営の 技術関連者たちはある人への批判的な投稿を意図的に削除した。 そのとき、全面的なサイトの不具合が生じた。 それを他人に転嫁していないのなら、どうしてtakoyoの某氏への批判コメントが 同時に削除されたのか? 同時にあの全面的なサイト不具合が生じたのか。 説明が成り立たない。全運営のせいにして終わったかのようだが、 黒髪さんとtakoyoの長文コメントの後半が一方的に削除されたのをみて、 わたしは今、技術関連の人たちのイタズラを疑っている。 こういうこと平気でやらかすサイトがどこにある? 黒髪くんよ。 説明願えませんか。

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黒髪
takoyo2さんへ
(2024-06-25)

そうですね、あなたはまず自分の姿が見えていますでしょうか。善意でとらえれば、 口は悪いけど仕方のない人だ、という印象で、捉えられているのですよね。 そのため、切れば血の出る人間としてあなたを捉えた場合、問題を起こして回る ところのあるあなたを、運営が扱いづらいのです。詩を投稿できる、というだけでも、 いいと思った方がいいと思いますよ。色々と、不便はあるでしょうが、すべて、 あなたが名前を変えたり、策動してきたところ(takoyo、takoyo.、takoyo..、takoyo2などの名称) の存在、すべて、あなたの名前にまつわる不誠実さの招いた自業自得です。 厳しいようですが、善意でとらえても、そのようになります。 現運営の状態に対し、文句があるなら、関りを絶って、出て行ってください。 他に、数多くの方が、出て行かれたのですから。 そうしたくないなら、現状でできることをされてください。 我々のサイト運営陣は、懸命の努力を続けており、業務を無償で行っています。 他に、出て行って、新しいサイトを作られた立派な方もおられます。 そちらを利用されたりしてもいいのではないでしょうか。 別にあなたを嫌っているわけではないのですが、運営に支障が出ると、B-REVIEWがつぶれて しまいます。決死の努力で我々が守っているB-REVIEWを、壊さないで欲しいのです。 かつて、我々の始祖であるアダムは言いました。「大切なものを守るのに、理由がいりますか」と。 あなたは名誉プライド侠気心公正さ人情義理人権己の詩愛情など、大切なものがたくさんある のでしょうが、衝突を起こさないように、立派な人間として、詩を大切にしていきましょうね。 現運営に、これだけの能力を持った人たちが、残っており、運営がまわっていること、 そして、代々誰にも潰せずに、正常に運航していること、みな、奇跡的なことなのですよ。 takoyo2さんは、気負うところ大きいようですが、肩の力を抜いて、利用者として、 投稿、コメント等、したいようにされてください。

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羊飼い
羊飼い
作品へ
(2024-06-25)

思うのは、詩ってそもそも、神様の為のものなんだな、ということです。 神様が、神様のことを知ってもらうために、作り出した道具なのでは。 目に見えず、聞こえず、触れないものを人が知るためには、言葉が不可欠だった。 時間を生み、死を生み、善と悪を分けて、人を人よりも下に作ることになり、 そして、神様がいつか正しく滅ぶために、愛という概念を知らされることになり。 なんでしょうね。詩って結局、人間の為のものでは有り得ないんです。という呟き。

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rona
rona
takoyo2さんへ
(2024-06-25)

お返事ありがとうございます。 私も詩を比べる(ポイント、賞)行為は好きではありません。メリットよりデメリットの方が確実に高い気がします。ささやかな『好き:いいね』を伝えているだけでも数字になってしまう何だか比較しているように感じてしまいます。 なんというか、例えると麻布台ヒルズをいいなーと思う人がいてもいいし、築80年の昭和レトロな長屋に良さを感じる人も、結局好みだろうと思うのです。まぁ周りはどうであれ自分自身が詩と豊かな関わり方をしたいですね。 お付き合いありがとうございました。

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atsuchan69
作品へ
(2024-06-25)

あー、なにも変わらない、ボロの部屋 ゴミ袋の中の昨日と分別中の今日  そして明日も良い天気かな 少し不安 とりあえず、納豆&卵かけゴハンを食べる おそるおそる粘つく息をして 咳き込む 叫びたい気持ちを抑えつつ お口にマスク スマホで手持ちのカネの額を確かめる でも潤いが足りない、涙も出ない 安月給 期待なんかしちゃダメだ 騙されるぞ でもまだ生きてる 米も味噌もある、 神さまはいるさ、どこかに たぶん、きっと メシ、ちゃんと喰えたらいいよ マジで  君が笑ってくれたら、ただそれだけで嬉しい 一緒に暮らせたら あー、それで十分

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takoyo2
takoyo2
羊飼いさんへ
(2024-06-26)

こんにちわ。 仰るようなことを語る詩人の方は多いですね。 わたしはいわゆる宗派的な宗教は信じていませんが自然という 意味での神は存在しているかもしれないと思っています。 それとは別に思想としての仏教思想、そくに親鸞の仏教思想は 多くの「ふつうの人」を救ったような気がしており、非常に愛着を もっていまも、ときおり親鸞から学んでいます。 ところで、 現代詩フォーラムでわたしの詩をひそかに持ち上げてくれた方がいたことを 書きましたが、今思い出してみるとその詩、泣きながら書いたんです。 アフガン戦争なんてだれも関心もたないでしょうし、わたしもそうでした。 ましてあの戦争で多くの子どもたちが孤児になり、腕を失くしたり極寒の中で 飢えてさまよっていたことなど想像は出来てもだれも想像しようとなんかしな いでしょう。 日々の仕事や恋愛、家事にわたしも含めてみんな忙しいからあたりまえです。 米軍とアフガン新政権の戦争終結祝賀パーティはアフガンのそういう犠牲者を 捨象して、めでたいめでたいとばかりに開かれ、日本のテレビ局も呼ばれて 撮影に行ったのです。ところが、これは本当に起きたことなんですが、 飲めや歌えやでジャンジャカやっているその会場の様子を飢えたアフガンの子が雪の積もる 窓を手で拭いて額を押し付けて泣きたくなるような驚愕の表情で見つめていたんですね。 そこのところをうっかりテレビカメラが撮ってしまった。そしてその映像をお茶の間 でわたしは見てしまって、愕然としたんです。もう、なんともいえない表情でした。 そしてこれはもう絶対に書かないといけない。そう思ってひとつの詩をこしらえました。 泣きながら書いている最中にも涙があふれてきて、ああ、これはダメだ、冷静さを 失って客観性もなにもない自己満足の詩になっている。これはきっとダメだとわかって いても突き動かされるようにとりあえず書いたわけです。 女の子がずばり言ったように、だれかに生きる希望を与えられたらいいなという思いで 書いた詩だったんです。 その詩がね、その意図のもとに書いた詩が詩の目利きにぼろくそにいわれながらも ほんとうにそのように受け取られてだれかの胸に届いた。このときの腰を抜かすような 驚きってありませんでした。 神さまがなにかイタズラをしたのかと思いましたね、たしかに。 詩はこういう意図で書かれるだけでなくだれかを楽しませることも、考えさせることも、 思想的にちゃぶ台返しもできる。わたしのように泣きながら書く詩もある。 まるで世界のように広いし、いわゆる頭でっかちな詩の批評家によって規定されれたり 評価されたりするものでもない。とそのとき、不思議に自由になったような気がしました。 詩の批評は、詩そのものであり非常に大事な営みですがそれはわたしがいつもいうように「生活」 の側からの照射がなければまったく何の意味もないものだと思っています。 それがないとほんとうの意味で詩の批評ができないのじゃないか。 突然、個人の名前を出してなにですが、 ダーザインさんが突然消えたのは残念ですがわたしの妄想のなかでは彼がなにか ほんとうのことに突き当たったのじゃないか、そう思えて仕方がないのです。 みなさん、詩の可能性、それはそんな狭い小さなものじゃない、 それを胸に刻んでお互い書いていきましょう。だれもあなたを阻むことなどできない。

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takoyo2
takoyo2
atsuchan69さんへ
(2024-06-26)

きみのふだんの投稿詩よりも良い詩になっているよ。

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takoyo2
takoyo2
黒髪さんへ
(2024-06-26)

黒髪さま、 まるでブッダが乗り移ったかのような珠玉の言葉をたまわり、 不善不徳のやつがれ、心から平伏して反省することしきりでございます。 いえいえ、決してtakoyoのパスワード再発行が何度やっても送信されず その後のtakoyoも妨害にあってログインできなかったゆえ仕方なくという 弁解はいたしません。そもそもtakyoを変える必要などなかったわけでして、 という抗弁もいたしません。すべてはブッダの化身、黒髪さまの仰せのとおり です。ましてや、人間が不誠実だから規約を超越して勝手にコメントを 削除できるのだという御説に反論などするつもりもございません。 さすがブッダの生まれ変わり、公平性や規約の重視など超越されておられる。    我々の始祖であるアダムは言いました。    「大切なものを守るのに、理由がいりますか」と。 はい、はい、理由などいりません。大切なものを守るためにはガザに500t の爆弾を雨あられとふらせて女性や子どもを虐殺することも、はい、どうぞ、 何も文句のつけようのない素晴らしい珠玉のお言葉です。 心から、ブッダの生まれ変わり黒髪さまのお言葉に賛同する次第です。 どうか無知無能のこのやつがれをお許し下さり、奴隷のごとくこのサイトに 黙って使えますので、これからの反省の姿を黙って見て下さるよう ブッダのように公正な黒髪さまにお願い申し上げる次第でございます。 あなかしこ。

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羊飼い
羊飼い
takoyo2さんへ
(2024-06-26)

takoyo2さん、初めまして。こんにちは。羊飼いです。 詩が人を救うか、という問いに対しては、ある場合には、と答えたいと思っています。 詩人とアーティストとだけは結婚するな、そういう怒り狂う父親の、映画のシーンが印象に残っています。 私はですね、その方が書かれた詩よりも、その人に寄り添うことのほうが先決なのだと、 常々思っているのです。詩とは、生きるための目的でも、手段でもありません。ただの、言葉です。 あなたや、あなたのそばにいる人の悲しみを、伝えるためのものです。 ずっと暗闇の中にあって誰も触れることのできない、悲しみそのものであっては、いけないと思うのです。 たとえそれがどんなに美しく見え、時折気まぐれに人を救うことがあったとしても、 作者が命を賭すほどの価値があるものだとは思えません。暖かい寝床で眠り、誰にも縛られず、 好きな時に笑える生活を詩が奪うのなら、書くのなんて本当に辞めるべきです。 テイムラー隆一さんの投稿作品へのコメントの中でも書いたのですが、富裕層とはそういう意味なのです。 ちょっとぐらい詩に時間を割いたとしても、生活の基盤が崩れない程度のゆとりがあることを、私は富と言っています。 どうぞあなたのことを書いてください。どんなに幸せで、満ち足りていて、与えられているかを、窓の外で震えている私たちに教えてください。 私たちは、ここがどんなに寒くて、飢えていて、孤独かを伝えることが出来ます。本当に知りたいとお望みであれば。 詩に意味があるとすれば、そういうことも一つの理由ではある、と、私も思いました。

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takoyo2
takoyo2
羊飼いさんへ
(2024-06-26)

>詩とは、生きるための目的でも、手段でもありません。ただの、言葉です。 なるほど、なるほど、詩についてのあなたの考え方はわかりました。 素晴らしい考えだと思います。これからも頑張って下さい。でわ。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
羊飼いさんへ
(2024-06-26)

>どうぞあなたのことを書いてください。どんなに幸せで、満ち足りていて、与えられているかを、窓の外で震えている私たちに教えてください。  これだ、あのコメント欄でどうにも羊飼いさんが言ってない部分があるなって思っていたのは。  あくまで僕自身はそういうつもりでは書いてないのに、そう書いているということにされていることの違和感というべきか。  作品にしてみたいという感情があったのであって、別に幸せが孤独がどうとかっていうことを伝えたいという感情があったわけじゃないんだ。  それなのに、そういうつもりで書いたことにされているということの違和感がどうにも拭えない。

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takoyo2
takoyo2
作品へ
(2024-06-26)

だれかがわたしの羊飼いさんに対するコメントに イイネしているけど、誤解しないで頂きたい。 わたしは羊飼いさんの詩に対する考え方に同意したのじゃないですよ? 御本人がそう考えるのならそれは本人の自由だから素晴らしい といったのです。どうぞそれで頑張ってくださいといったまでのことです。 わたしの詩に対する、あるいは言葉に対する考え方とはまるっきり違うけど それはそれぞれ個人の自由ですから。 そもそも言葉が生活とは別の「ただの言葉」なら戦争も起きないし離婚も起きない でしょう。すべては言葉が人々を動かしている。「ただの言葉」なんてないのです。 言葉は生活だし、生活は言葉です。わたしの考えでは羊飼いさんのコメントは 支離滅裂で論理も破綻しています。でも、それは御本人の自由です。そう思うのならどうぞ、 頑張って下さいという以外に何ができます? 論じるに足りる相手でないのはその論理の 破綻ぶりからすぐにわかりました。 イイネなんかいりません。ばかばかしいだけですよもう、ここで語ることが。

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羊飼い
羊飼い
作品へ
(2024-06-27)

takoyo2さんが書かれ、詩の目利きに酷評された詩が、たった一人でも、誰かを救ったということに賛同しています。 語弊がありますが、語るには疲れています。テイムラー隆一さんも、いつか言葉が言葉以外の何物でもない、ということが分かるかもしれません。分からないかもしれません。私にコメントしたことだけが、その時が来たら、本当のことになるでしょう。 皮肉でも嫌味でもありませんが、恐らくそのように聞こえても仕方ありません。不快にさせてしまうことを、先に謝っておきます。 takoyo2さんの仰りたかったことの意味、イイネされた方にも伝わっていると思いますよ。安心してコメントを続けてくださっても大丈夫ですし、もう続けないことも、もちろん各々の自由です。今日はこの辺りで。

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takoyo2
takoyo2
黒髪さんへ
(2024-06-27)

黒髪さま、おはようございます。 やつがれでございます。「ならず者」のtakoyo2でございます。 いえ、ブッダの化身、黒髪さまのお言葉に逆らうために問い合わせを させて頂いたわけではございません。 「ならず者」という主観もそれはそれでまっとうなご意見でございまして、 「このラーメン美味い!」という方に対して「いや、それは不味いんだ」なんて 阿呆な反論をするつもり毛頭ございません。 ブッダの生まれ変わり、いや、現代のブッダそのものであり、五光がさす黒髪さまの 珠玉のお言葉はこの平民、takoyo2の愚昧な脳天にも突き刺さっております。 決して、決して謗法(ほうぼう)の戒めを犯すつもりはございません。 ただですね、えー、あのう、ブッダが体現されたとしか思えない凄い黒髪さまなんですが、 あのう、平民であるtakoyo2ごときが畏れ多いのですが、あのう、あのですね、 まだ、わたしの質問にお答え頂いていないような気が.....するのですが。 つまり、あの、運営が主観的に「ならず者」とみなした投稿者は規約を超越して 運営が自由自在にコメントの後半の一番いい部分を無断で削除することもオーケー ということで、そう了解させていただいてもいいのでしょうか? これですね。 ↓ 「大切なものを守るのに、理由がいりますか」 つまり大切なものを守るためには規約は関係ない。ならず者なんかの コメントは自由に編集していいのだ、そういうことでうけたまわって よろしいのでございますでしょうか。 いえ、いえ、無学無知無能の平民であるやつがれが、まさか、このことで ブッダの化身である黒髪さまに反旗をひるがえすつもりはございません。 イスラエルもそうですよね。大切なものを守るためにはガザの妊婦、老人、 病人、幼児を皆殺しにしておりますが、あれも「大切なものを守るのに 理由がいりますか」と世界に向かってブッダの化身さまからよくよく言い聞かせ ていただきたいものです。 ただですね、えーと、そうするとここの規約はいったい何のためにあるかという ことですが、これはあれですね、運営の主観に沿った投稿者のためにあるのであって 少しでも運営を不快にする者は、規約の外に置かれるとそう解釈するしかないので ございますね。 ただ、ブッダはこういってますね。 法というのは(この場合は公的な投稿サイトの規約)自由にその権限を行使 できないように権力者を縛るためにあることをわたしたちは知るべきだ。            (大無量寿経第二十四巻五十七章) あのう、わたしが仏教にあまりにも無知な黒髪さんに具体的な著書を 示して、黒髪ブッダの間違いをお教えしたのが悪かったのでしょうかね。 親鸞の著書も読まないでデタラメを書いておられたことを指摘したのですが、 それでわたしにとっては大事なコメントを告知もなく削除されたのでしょうか。 まさかブッダの化身とは知らず、ほんとうに失礼しました。 アダムの逸話を語られるのだからイエスの化身かも知れませんが、 こんなことなら恐れ多くも反論するんじゃなかった。 無知無能のやつがれ、心から震えつつ黒髪教祖に平伏して謝罪する 次第です。あれ? 質問するつもりが謝罪になってしまいました。 さすがブッダの化身、イエスの生まれ変わり黒髪さまでございます。 あなかしこ。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
羊飼いさんへ
(2024-06-27)

いや、羊飼いさんのコメントで僕が違和感を抱いたのは言葉がどうとかそういうことじゃないんだ。そこは別に気にしていない。 まるで僕が富裕であることを自慢をするかのように書いたということが強烈な違和感なだけなんだ。言葉がどうこうは僕の知ったことじゃない。言葉がどんなものであれ、それを用いて「詩」という形式の作品を書いているというのが僕なんだ。 それなのに、なぜか富裕だからとか幸福だとか満ち足りているとか与えられてるとかを窓の外の人に自慢するために僕が詩を書いたと解釈されている。それがすごく嫌なんだ。 「言葉」がどうこうということじゃないんだ。「解釈」の問題だ。 あと、前から思ってたけど、そうやって途中で語ることをあまり放棄しないでほしい。この前のコメント欄でも「ではこれで退場します」って急に消えたから、こちらとしてはちょっと困ったんだし。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
羊飼いさんへ
(2024-06-27)

僕は自分の作品に向けられた他者の解釈に関してはかなり緩やかな方だと思う。自分でいうのもなんだけど。 でも、これは別だ。僕はそんなつもりで作品を作ったつもりじゃない、というのは作者としての意地と頑固さで言わせてもらう。詩人としてではなく。 それで羊飼いさんが何か言いたいなら、言ってほしい。でも、「語るには疲れている」とか「途中で退場します」とかはなしでお願いしたい。思ったことを全て言ってほしい。言葉がどんなものであれ、とりあえずそれを尽くさないことには何も始まらないのだから。

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黒髪
takoyo2さんへ
(2024-06-27)

ですから、色々な疑問を持たれるのは当然あるでしょうが、それは、自分で考えて下さい。 身の潔白を証明することを目的とされるのであれば、弁解してください。 無量寿経というのは、阿弥陀仏についての教えですが、ご提示いただいた資料は、 本当に、存在していますか。非常に、嘘っぽい所であります、私に思えるのは。 手段を択ばず自分を守っているのか人を攻撃しているのかは分かりませんが、 何でも思う通りに行くと思ったら大間違いですよ。1000人殺してみろ、と親鸞師が 言われた通り、悪は悪として存在し、毒を好んではならない、と親鸞師が言った通りです、 よければ悪人正機の考え方を考えられてはいかがですか。つまり、行動を振り返るのが 必要であり、自己の悪を認めなければ救われない。そういう意味で、イスラエルの ジェノサイドが、強行されることは、大きな悪であり、私も誰も認めないことです。 私の意見は、B-REVIEWを守りたいなあということでして、そのために、悪を避けつつも、 利用者が満足できるサービスを提供し、サイトを守りたいということです。 そのために、人を殺したりはしませんよ。私の考えですがね、規約というのは、人が便利に なるように作られたものであって、法律とはまた違う、ということでしょうね。 法的拘束力がどの程度であるか、この規約で法律に違反していないのか、という点は、 恐らく大丈夫であると思います。私は、法律とサイトの規約について、そういった認識です。 過度な理屈付けで、自己の意見、つまり、コメント削除の弁明を求める、ということを 仰っているようですが、どのような利用者であれ、なんでもしていいわけではない、と 言っておきます。 そのように寂しいことを主調されるのをみると、僕と一緒で、まだ本当に誰も愛したことがないのでしょうか。 死ねない理由が見つかったら、もっと楽しいことができるでしょう。詩があってよかったと、 みんな思っているでしょう。「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」と、法句経の なかに書いてあります。悪にとらわれるのは、自己に関する真理を捉え間違うところからかと 思います。ある表題を掲げ、自らの力と思い、自己主張を通そうとする。そういったことが、 自らと人を幸せにしますか。矛盾があるのは、仕方のないことであり、大局的な 見地から、自己を見直されることをお薦めします。他人も誰も、社会も、決して、 あくどく冷たいものではないのですよ。あなたの不幸は、その不幸ゆえに幸福に 逆転することができるものであり、悪人正機とは、そういった、あらゆる人間の 業を、逆転して肯定する考え方だと思います。あきらめると悪夢に襲われます。 例え誰が何といおうと、譲れぬものがあなたにもあると知っています。 誰もそれを妨げはしませんよ。人生の荒波を、超えて行かれてください。 その程度に、運営の方々も、投稿者の方々も、本当は限りない優しさを、備えているのですよ。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
羊飼いさんへ
(2024-06-27)

すまない。やっぱり返信はしなくていい。先程の僕は少し冷静さを失ってたみたいだから。

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takoyo2
takoyo2
黒髪さんへ
(2024-06-27)

黒髪さま、黒髪さま ブッダの化身、イエス・キリストの生き神さまである 黒髪大権現さま、どうかお怒りをお鎮め下さい。 いつのまにかわたしは「ならず者」から「悪人」に格上げされて おられますが、いえいや、仰せのとおり、ごもっともです。 平伏してご宣託をたまわる次第でございますが.....。 しかし黒髪ブッダさま、親鸞はそんなこといってませんよ?    >1000人殺してみろ、と親鸞師が言われた通り、    >悪は悪として存在し、      ↑ ちゃんと『歎異抄』読まれましたか? 親鸞は唯円に「わたしの言うことは何でも聴けるか? ウソじゃないな。 二言はないな、それなら、今から千人ばかり殺してみよ」 とこういったのです。 それに対して唯円は「わたしのような凡夫にとても 千人殺すような器量はございません」と答えるのです。 ブッダ黒髪さま、この対話の意味、わかってます? 『歎異抄』のどこを 読んだのです? 唯円のその返答を待って親鸞はこう答えるのです。 「これでわかっただろう? 千人殺せといわれても人は契機が なければ殺せないし、逆に 一人だって殺したくないと思っていても人を殺すものだ。それは その人が 悪人だからではなく、人が人を殺すときには契機(=業、宿命) というものがあるからなんだ」 とまあこう説明するんですね。 黒髪ブッダ様、この親鸞の教えの意味するのは、悪人なんかいない ということです。 人が悪に染まるのはその人間の意志というより、契機、宿命、業(ごう) が関与しているのだよ、だから良い人でも人を何人も殺すことがあるし、 どんな無慈悲な人でも契機がなければ 人を殺すことはないと、そういってるのです。 万人を救済するという仏教思想からすればあたりまえの話ですよね。 ブッダ黒髪さま。何度もいいますがわたしはお寺に育って、 50年間、大阪の南御堂で仏教青年会に参加し竹中知秀という東本願寺派 の精神的支柱とでもいう僧侶の下 何十人もの僧侶たちと歎異抄については周期的に争論してきたのです。 もちろん未だに未熟とはいえ、黒髪ブッダさまの出鱈目なウソはすぐにわかります。 千人殺せと唯円にいった親鸞の逸話のどこをどうほじくれば「悪人はいる」 なんてことになるんです? 頭だいじょうぶですか? あのですね、わたしのようなほんとうの仏教の専門家に向かってそういうデマ を語るからわたしはご注意申し上げたんです。   >悪は悪として存在し、毒を好んではならない、と親鸞師が   >言った通りです、 もうむちゃくちゃですね、ブッダ黒髪さま。 親鸞が語った説話の前後をかってに切り取って出鱈目な話を広めないで下さい。 もうだれも信じないでしょうけど、 大納言黒髪さま、親鸞がいったのはこういうことなんです。 「悪人正機は正しい。だからといってみずから悪を好むものがあろうか。 意志によって悪を選択するのではなく、あくまでも宿命、宿業、契機 によって悪人になるものだからそんなことは無意味だ」 これが親鸞がいったことです。すべては仏様の御心であるといってるのに まさかブッダの生まれ変わりの大納言さまが得て勝手な出鱈目の解釈を、 親鸞をちゃんと読んだこともないのに広めないでくださいな。笑 無知無能の平民であり、ブッダの化身黒髪さまから悪人に昇格された やつがれより伏してお願い申し上げる次第です。 まあ、本心をいうと、これまでのやりとりを振り返って意識の錯綜した支離滅裂な 御仁であることはわかってきましたので、そういう障がいのある不憫な方を責めるのは 罪だと思い始めてきたましたから、もういいませんがね。 どうかお薬を飲んで安らかにお休み下さい。ブッダ黒髪さま。

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takoyo2
takoyo2
黒髪さんへ
(2024-06-27)

黒髪さんはね、どうして自分がブッダとかイエスとかを 気取りたがると、なぜ「悪人」や「ならず者」を無理に作り出さなくては ならないか、その心理の機微を静かに見つめることです。 わたしは仏教だけでなく心的現象論もずっとやってきましたから わかるんですが、あなたはビョーキといえばビョーキです。 聖なる存在であることを確かめるために、悪者を探し出そうとする。 もちろん、このブッダへの傾倒とその言説の振り回しはじつは 自分に自信がもてないからです。だから人間はにっちもさっちもいかなく なるとそういうところ(宗教)へ逃げ込む。しかしこういう人の難儀なところは かならずモラルを盾にして「悪人」や「ならず者」を探し出して だれかをそれに祭り上げるところです。これってのは学級でのイジメの 構造と、構造としては似ているかもしれない。 「大切なものを守るのに、理由がいりますか」という怖いことばを よく点検もせずに平気で吐き出す。 黒髪さん、あのね、人のことを「ならず者」だの「悪人」だのと決めつける前に あなたご自身の心の闇に、しずかに降りていかれることです。 まあ、これまでの経緯から、言っても無駄だとは承知で、忠告しています。 あなたのような方はだれかの意見を取り入れることは、ご自身で仰る ように敗北なんです。だからいっさい拒否する。しかし拒否しても 論理的に正しいことはあなたにその後も、圧力を与える。 それが嫌だから、遮断─キャンセルカルチャーがいつも姿をみせる。 しょうもないですよね、お互い。 言っても無駄だろうけど、もう一度、いいます。わたしはあなたより 歳食ってますし、だれも考えられないような体験を山ほどしてきました。 年寄りのいうことは聴くものですよ。そうでなければあなたがたには 過去も未来もないことになります。

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黒髪
takoyo2さんへ
(2024-06-27)

契機ではなく、器量ですね。人を殺すことは、契機は有れど、その人の意志が働いていないわけでは ない。そういう意志を持っているものは当然のごとく悪人、地獄行です。しかし、阿弥陀様は、 悪人であろうと、反省できる、反省しない悪人はいない(オッペンハイマー等)と知っていらっしゃった ので、あらゆる悪人も、悔い改めよ、死んでも苦しみが待っているのではなく、極楽浄土で、 さとりの修行をするだけだ、と教えられたのです。そのような偉大さに、我々凡夫が届くことは、 普通はできないでしょうが、菩薩が誓願を立てたり、全ての生命に仏性があり、仏法僧を 尊重する契機のあったものは、全ていつか仏になる、ということを、お釈迦様は説かれたのです。 一切皆苦であるこの世のものが、いつかは仏になり、生死のサイクルから離脱する、それが、 最も平穏なニルヴァーナであるということ、それを喜ぶのも悲しむのも、当たらない、ただ、 苦を浄化しなければいけないということのみです。執着を離れる、生というものにも執着しない、 そうした境地に立たなければ、いつまでも生まれ変わるということになります。 そのようにお考えになったお釈迦様は、さとりで、全ての真理を自分が知った、とわかった。 それを、当時のインドの人たちは、皆認めた。現在では、末法の世であるから、ブッダの教えを 信じない人もいて、まあ当然、完全なる真理を知ったというものに、嘘をついているだろう、 誤りもあるだろうと考えるのも分かりますが、私自身は、ブッダに帰依しており、日本の 仏教のあらすじもみな正しいと、自分に訴えかけてくるところが多いのです。 慈悲の心、寛容さ、みな、普通には得られない良い価値です。それらを人間として、 さとられたお釈迦様が、現在も、必死の力で皆を救おうと頑張っておられるので、 私のような凡夫には、自分自身で全てをあみだすなんてことはできないわけで、 仏さまを信じるということになっています。勉強しなければ、仏教も哲学もわからない、 勉強できなければ、お経を唱え、信じること。 私は、修行をすることに喜びを感じるので、なるべく良い人間になろうと修行しています。 そのやり方も、方法も、自分の縁に従って得て来て、最もよいと思ったことをしています。 takoyo2さんにおかれましては、ご自身の縁に従って、仏教と関わって行かれるといいでしょうね。 私も、人生でやりたいことはたくさんあるような気がするのですが、修行を完成させたい と思ってもいます。自分勝手にではなく、広く世の人々と関わり合うことが、修行をより すすめるだろうと思っています。別に、誰かのためや何かのために歯を食いしばり頑張って いるのではなく、真理に従い、人を思い、それらすべて、自分がやりたいからやっているだけです。 法に関しても、人々が幸せになるために存在しており、宇宙の真理から生まれた人間だけが、 法を言葉にすることができたのです。したがって、法を守ることが可能になったのです。 自分で判断し、法を思う。いつか消えてなくなる我々は、なにをしたいかというと、法を守って、 さとりを得て、満足して、死んでいくということになるでしょう。人間は、知るということが、 基本にあります。そして、愛するということもあります。死ぬ前に、寂しい人間である 私が、寂しいのは私だけではないんだと知ったとき、全ての人が寂しいんだというさとりを 得ました。仕方がないのです、それが人間存在の真理である以上。真理をねじ曲げようとする ことが、出来るはずもありません。ただ仏のみ心に、限りある生の内で、気づくこと。 それは、ためることではありません。己の道を見つけ出し、歩いて行くこと。この実践 こそが、生きることに外なりません。歩きましょう、さとりを求めて。そうすれば、 全ての答えが分かり、煩悩が消滅するでしょう。 大仰なことを言ってきましたが、昔から親、先生、先輩に、教わってきたことばかりです。 疎外されたものは、その経験から、逆により良い友情を人に与え求めることができるのです。 求め渇いたものは、その価値を、強く気付いているのです。 ただ、言葉にして概念をえることで、実践に迷いがなくなる、こうやっていくことが、 人間の本性であり、善といったことになると思っています。 ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー (往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ。) 真言によってすべての苦しみを鎮められた、優しい聖なる観音様のお言葉です。 修行が完成するとはどういうことでしょうか。私が思うに、それは智慧が完成するということです。 全ての仏性に幸せあれ。

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takoyo2
takoyo2
黒髪さんへ
(2024-06-27)

あのねえ、ん~と、人の言う事を少しは真面目に 聴いてはどうかな、黒髪さんは。 きみの長文の返事、全部、きみの生活や身体の匂いがしない。 具体性を欠いた大雑把な言葉でしかないことに気づかないのかな? きみは生活というものを持っているの? 漠然とした仏教概念を語っているばかりだけど、きみは ポルノサイトをみてマスなんか書いたことあるのかい? マスって言ってわからなければセンズリといえばわかるかな? 黒髪さんはね、まずはポルノサイトみてセンズリでもかくことだ。 いや、本気の真面目でいってます。 ブッダなんか語るの百年はやい。どうせもてないだろうからうどん屋の バイトの子でもいいから追っかけてね、一発やって大人になってからだな。 パンツから精液の臭うような濃い自分が語れるようになれば 相手にしてあげるよ。うん。

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黒髪
takoyo2さんへ
(2024-06-27)

一つだけ言っておきますがね、人殺しをする宿命を背負って生まれてくるものなど、一人もいない ですよ。赤ちゃんが人殺しをしますか。いつかの時点で、人殺しを思いとどまることが、 みんなできたはずです。最悪の場合は、自殺すればいい。人殺しをすることが(悪い)業をつくるのであって、 業が人殺しをさせるのではありません。全ての苦は、無知、無明から生じるのです。 人殺しをしたのを、仕方ないやね、と言って、放っておく、そんな社会がどこにありますか。 九条の会のメッセージ、「殺すな」を、しっかりと嚙み締められたらいかがですか。 一般市民の常識として、私は決して人を殺さない。殺すくらいなら死んだ方がいい。 事故で殺す場合は仕方がないと言えるかもしれません。ですが、心は、殺しを望んではいけないのです。 人殺しの戦争によって、戦勝国も、戦敗国も、両方が報いを受けるのです。 それを冷静に観察して、非戦の誓いを、もう一度確かめ直してください。 他人が人を殺そうとしている、その場にあって、平気で見ていられる人間はいませんよ。 それも宿命だとあきらめるのですか。確かに、この世には、そのような迷いが見受けられます。 長渕剛主演のドラマ、「とんぼ」では、ラストシーンで、この世の人の終わりのような光景が、 描かれています。それほど、世に迷いはあくどく残っています。 >「悪人正機は正しい。だからといってみずから悪を好むものがあろうか。 >意志によって悪を選択するのではなく、あくまでも宿命、宿業、契機 >によって悪人になるものだからそんなことは無意味だ」 これは本当ですか。悪人のあまりの悲しさに、仏さまはとても強い慈悲の心を持って、 救ってくださるのです。そして我々市民が思うべきことは、同じように慈悲の心を持って、 悪人や罪に、向かうことです。少なくとも私はそのような世界を望みます。人もそうだと思います。

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takoyo2
takoyo2
黒髪さんへ
(2024-06-27)

黒髪くん、 しかし、きみは人を殺してるじゃないか。 まさかきみは人を殺していないとでも??? 潔白だとでも?

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黒髪
takoyo2さんへ
(2024-06-27)

すいません、何をおっしゃっているのか、全く分からないのですが。

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takoyo2
takoyo2
黒髪さんへ
(2024-06-27)

わからないで当然ですよ。あなたが仏教者でもなければ 善人でもないからです。良心などかけらもないからです。 もし少しでも自分をみつめることができるなら、この 飽食平和の日本でこれまで安全安心に生活できて、きたこと、 一方で日本以外の世界中で欧米による大量殺戮、国家転覆、 暗殺、クーデータなどによって、アフリカ、南米、東アジア、 東欧、中東などで、 これまで数百万の数千万の人間が殺されていったかに思いをはせる はずです。彼らを殺したのは欧米の資本家です。そしてその連中 に基地を貸し、連中の殺戮戦争を金銭的に支援することで 日本人は飽食平和と、安全安心な社会を手に入れた。 仏教者として、もしきみが この非対称な世界に生きていることに内省的になれば、必然的に生じて いる日本の原罪に少しでも目をこらすことがあるなら、わたしたち日本人が人殺し であるという自覚が生まれるはずです。 きみもぼくも人殺しなのだが、きみは意味不明だという。それはきみが ツラの皮もなにもかも分厚いし、じつは鈍感な人間だからだよ。 そもそもブッダの生まれ変わりみたいなことをぶつぶつ言ってる時点で マンガなのだから、きみに何も期待などしてない、 わからなきゃわからないでいいよ。

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黒髪
takoyo2さんへ
(2024-06-27)

あなたの世界観は分かりました。では、あなたはあなたで、私は私で生きて行くこと、 そうするしかないですね。私の道は、私が探すし、あなたの道はあなたが探す、 自殺しないならそうなります。血塗られた手を反省して泣きはらした夜は、あなたと 同様に、私にもありました。私の世界観では、実際にこの手で人を殺すということが、 とんでもない悪であると思っていますが、あなたの良心は、私の良心と同じであるという 風に考えています。つまり、あなたはモンスターではない。善人なのです。 あなたは、人を殺したことがないでしょう。私もです。 このように私は問題を設定し直すしかないのです。あなたとの世界観の相違によって。 迷ったときは、お互い様、道を聞けばきっと誰かが教えてくれます。死なないで、 元気にやって行かれてください。私も死なないので。

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takoyo2
takoyo2
黒髪さんへ
(2024-06-27)

おやおや、わたしは「ならず者」から「悪人」を経て今度は 「善人」に昇格ですか? ところで、黒髪さん、 あなたは仏教者としていったい誰を救いたいのですか? もちろん、救うということは救われるということでもあるとしても、 一人の修行者として誰を救おうとしているのです? まさか、この飽食平和かつ安心安全な国で今だけカネだけ自分だけと、 世界情勢ひとつ顧みないで暮らしているお気楽な人々のだれかをですか? しかしブッダは何もインド人だけをみて教えを説いたのではない。 世界を見ていたいのです。 世界の人々をすべて掬い取りたいと考えていたのだとすれば、 仏教者は昔と違って世界中に厄災をばまらく経済構造とその構造が 生みだす数々のジェノサイドに怒りを覚えるべきはずなんですがね。 ベトナム戦争のときは多くの僧侶が米大使館の前で焼身自殺をしました。 いまはそんな僧侶は一人もいない。逆にもと軍人がイスラエル使館の前で ガザのジェノサイドに対して抗議の焼身自殺をしましたよ。 日本のテレビは報じませんが。 https://www.bbc.com/japanese/articles/c72g2x9dqnzo 米はこのジェノサイドをイラクやアフガンと同じように容認しており それに同調しているのが日本政府と日本の主要メディアです。 つまりわたしたち日本人は、またしてもジェノサイドの協力者なんです。 そのことに恥じなくても、仏教者なら、少しは罪悪感を感じてはどうです? ブッダ黒髪に良心があるのなら。   >あなたの世界観は分かりました。では、あなたはあなたで、   >私は私で生きて行くこと、そうするしかないですね。 そういう話じゃない。仏教者だ、ブッダだとほら吹くなら避けては通れない 道なんだよ。この問題におれはおれ、知らねえよというのなら、今後二度と ブッダの化身みたいな偉そうなことをいうのはやめなさい。 人を「ならず者」と認定したり「悪人」と断定したり「善人」と認証したり いったいきみのどこにそんな資格があるの? 世界に目をやったこともない仏教者がいるのかな? そんな仏教者なんか この日本だけじゃないのかな。 まずは黒髪くん、一から世界を人間を生活を勉強しなおしなさい。 きみの滑稽な仏教与太話が通用するのはここだけだからね。

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黒髪
takoyo2さんへ
(2024-06-27)

あなたの考え方は、大体わかりました。 >それに同調しているのが日本政府と日本の主要メディアです。 >つまりわたしたち日本人は、またしてもジェノサイドの協力者なんです。 と言うということは、日本政府と日本の主要メディアが言うことが、あなたの意見を代表 しているということが、あなたの主張だということになりますね。 「わたしたち日本人」=「日本政府、日本の主要メディア」というお言葉を読み取りました。 まだ言うことはありますか。あなたがまともな心を持っているのであれば、そのような 恥知らずな言葉は出てきませんよね。他者からの視線が気になるのは、メンツにこだわりすぎる からです。体面なんてどうでもいいことなんですよ。だから、自分の感情のみを大切にして、 他人の意見に土足で踏み入るようなことはやめなさい。他人と他人の意見を尊重しなさい。 構図だけ作って、一般意思でござい、というような愚かなことを申されるな。希望的観測を するならば、地球上で一般意思が作られて、世界平和が達成される、という道のりを、 私は見ているのですが。 悲観的な地獄へ引き戻されるな、平和は伝えれば残る、この世の地獄も天国も、いっしょに 見てきたではありませんか、だから、あなたも、一緒にさとりませんか。

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葉月二兎
葉月二兎
作品へ
(2024-06-27)

この頃、いりこ(関東だと煮干しって言うのか)という存在はもっと再評価されるべきだと思うのですよね。 やんわり癖っぽい野菜(大根とか茄子とか)には、鰹節のダシよりもいりこダシ合わせた方が、 いい感じにその癖がマスキングされて鰹節よりも合うと思ったり。 あといりこの出し殻をジップロックに入れて冷凍しておいて、 ある程度量が集まったら佃煮にすると本当に美味しい。 お酒のアテにしても、ご飯のお供にしても最高。 ついでに昆布の出し殻を細く切って入れるか、塩昆布ちょこっとつまんで入れるともっと良い。 (よく入れ忘れるけど)仕上げに胡麻を振るといっそう香りが良くなる。 子供には「骨残ってるからお気をつけんさい。よく噛みんさい」って感じですが、 カルシウムもタンパク質も豊富でローカロリーなので、お魚苦手な方以外にはオススメしたい一品です。

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葉月二兎
葉月二兎
テイムラー隆一さんへ
(2024-06-28)

せっかく天才詩人2さんが用意してくださった場ですから気楽にいきましょ〜。 テイムラー隆一さんご自身も、色々思うところはあるのでしょうが、 そーいうのはご自身の作品で示せば良いと思います。 この場には色々な方がいらっしゃるので、分かる方には分かると思いますよ。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
葉月二兎さんへ
(2024-06-28)

すみません。僕も言葉が過ぎました。これからは気を付けるようにします。 ……それにしても、なんというべきか。 葉月さんは不思議と懐かしい感じがする。 Pixivとかで二次創作書いてたときに読者をすごく圧倒するような作品を書く人に何度も出会ったのだけど、そういう人ほど不思議と優しかったり、常識的かつ良識的だったり……。 葉月さんもそういった人たちと似た感じがして、安心感を覚える。

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rona
rona
作品へ
(2024-06-28)

最近バラにハマっていてローズクリエーター(育種家)のyoutubeをよく見るんだけど情熱に圧倒される。新品種が生み出されるまでの過程と年月。最近のガーデンローズは特に耐病性が優れているものを作ろうという誰でも楽しめる花にしようという方向性とか、何だかすごく楽しい。 一流の人は周りに人が集まるから大抵は常識的で優しいよね。自信が余裕を生むんじゃないかな。 煮干しと昆布は二次創作というか、クリエイティブですねー美味しそうなの伝わってきます!

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atsuchan69
葉月二兎さんへ
(2024-06-28)

ボクはスパゲッティにいりこじゃないんですが、アンチョビの代わりにめざしをちぎって使ったりします。作り方は炒めた具(ニンニク・玉ねぎ・めざし)に水を注ぎふたつに折ったスパゲッティを入れて火にかけます。はい、海の男の料理フィデウアです。最後に塩胡椒をふって喰います。ボクはイタリア人ではないのでかつてアントニオ猪木さんが販売権を持っていたタバスコはメキシカンになったつもりで陽気にぶっかけます。ナポリタンバージョンも作るし、醤油バージョンも気が向けば作ります。たぶん、出汁に使ったいりこも同じように使うことが出来ると思います。

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takoyo2
takoyo2
作品へ
(2024-06-28)

気楽な話をしたいならそれを誰もとめるわけないし、 堅い話?をしたいなら(当人はそれが気楽で面白いのだろうから) 難解な話でもなんでもすればいいのじゃないかな。 気楽にいこうが いくまいが対話す当人それぞれの自由でしょうね。 おれ個人はだれがスパゲティのかわりにアンチョビ使おうが そんなことここでやることかと思うけど それも勝手だからねえ。まあ、黒髪さんには失礼したよ。 黒髪さん、お話に付き合ってくれてありがとう。元気でね。

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葉月二兎
葉月二兎
atsuchan69さんへ
(2024-06-28)

そのお料理、すごく美味しそうです! めざしは盲点かも。。確かに炒ってから出汁とってもいいし、 (カタクシイワシの)めざしなら、アンチョビと原料は同じ。 イワシの糠炊きというのが、北九州(小倉?)の料理にあって、 糠のポソポソっと感が気になってましたけど、(生の)イワシの代わりに めざしを使って、オリーブオイル入れて失われた油分を補ってあげれば、 とてもいい感じになるかも。

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葉月二兎
葉月二兎
作品へ
(2024-06-28)

科学的に見るなら、いりこは1時間沸騰させるとアミノ酸が一番抽出されるようなので、 糠炊きのように長時間コトコト煮出したら、どうなるか実験したい。 ⇩論文。 https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F10580102&contentNo=1

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atsuchan69
葉月二兎さんへ
(2024-06-29)

めざしのフィデウア。海の男はめざしを指で千切るんですが、彼女とか特別な人に作ってあげるときはキッチン鋏で胴体を薄めに輪切りにします。水加減はテキトーですが少し多めのほうが良く、スパゲッティが茹だって来たら強火にして一気に水分を飛ばします。と、同時に菜箸で麺をかき混ぜて油と茹で汁を【乳化】させます。汁気の状態は好みで調節して下さい。仕上げにバジルじゃなくて刻んだ大葉を飾ります。あ、その前に隠し味でマヨネーズを少量絡めます。ぜひやってみて下さい。玉葱は使わなくても作れます。

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atsuchan69
作品へ
(2024-06-29)

ついでに三國シェフの本格的なフィデウアのつくり方も張っておきます、、 https://youtu.be/4kMYS-YrbXE?si=T31k-QTBKsNWGQsc それと、めざしのフィデウアにアンチョビ臭がしないとお嘆きの方はサンバのリズムでナンプラーをふりかけて下さい、、

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