crackの踵、鎮座するうららかな痺れ - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

良い

シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

いい

明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

afterglow

桃太郎の神殿

幻想的な具体、具体的な幻想

時刻、刻々、刻むということは生きるということである。生きる、生まれる、死を予感する全ての事象が望む新たな幻想、書かれるべき詩、読まれるべき詩がここにある。

狂詩人



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crackの踵、鎮座するうららかな痺れ    

たとえば手摺と鍵、或いは爪を噛む白い手が、古雑誌の栞の意味を摘む、この誰かの肉声は(あわくって。)ならそれで適当な木目地を愛で謎るだけで、高い空を遠い道程を走りまわる短い風だ Sonosheet赫ヰアルバムに熨せた旅愁のひとつだ 聴いたか? 手がかりひとつなく途方もなくナマイキな口を叩く脆そうな開花に。いまを染上げる落陽は秒のひとつもパッと膨らんだとして、またぽっかりとあいた水辺として、ぱしゃんとほとばしり、ひそやかに手放すまえにある ――ああ、いまにして瞳は観覧車を 足取りは終列車よぅ 切り揃えられた静謐に絡みついた夜に、苹果は体を丸め自虐の砂礫にごぅと削ぎ落とす、燃え上がって。慎ましく多すぎる修辞に、一点の設問の夏日にくちびるがぽつりぽつりと尋ね回る、おぼろげな引き潮は歪んでみえるけれども、温厚な弦と痛烈な弓をつきあわせるばかりの、浅ましく疼く誰かと激しい動機を平穏にカケハギ、無音のなか古いオンナのおむつをかえる仕種よ まったく(あちらからおしよせるチェンバロの この手の洪水だぁ)脅しているのではないか、といくつかのあなたもこの眩暈のなかで、すり混ぜたように己自身と心中する けれどもね。折り曲げられた仏頂面は貪欲に北風に逆らって、このラブラドライトの杜として 分解する月や太陽の もうすこし、もうすこし (睫毛が濡れている、)側面はもっと、最も「奇っ怪なこと、といったら重ねるように。」おかしいったら ありゃしないのよ たとえば臍に沿う。露わ。座礁した無類の息吹が桟橋を亘れば、ていだらぽっちの立て爪も陶の花のブローチも、「もうこえもとどかないだろうがねえ。」降って湧いた血がごうごうと唸りながら、どっと握拳に雑り 求めていたもんは、札を欲しがる白虎の子の、経過なり ひかりだったのかなと。うすぼんやりと上まぶたに貼り付ける髭と頬と、それから、緩んだ…… 〈かれはでも――燦々と泣いてしまえば〉 過去のワタシも、未来のキミも16の娘も土壌も父も大海原も桜の樹の下で、 (その狸かい、鸚鵡かい?)まあ すげて、〝でも こたえもない けれどもね〟 わしゃわしゃしているだろう この空っぽなアタマで、骨が溶けてしまいそな 乾季のお天道様だってよ。翠雨の平行線を波々と蹴散らしていく 酸味ばかりの。痛みを賭した、やわらかなよみがえりの通信記録を 焚き点けている、この生きた証よ 糸を引く斜光が若葉と戦いでいる気がする。ふらついた肩口だけ煙霧に逃げ延びていった。白樺の根に蔦が絡まり小言を窘めるような暮らしぶりを便りに認めては、はめ込まれた生活からはなにも生まれやしないものだから、彫り進んではなにもかも、餓えて死ぬまでが逢瀬みたいなものだと靴を揃えて、老いた者だ  名も知らぬ花が咲き実を結び、とおくながく眺めていた  水銀の陽炎が塗り替えた真空に、退けられた潮騒と  ほんのりとした墨絵の、苦々しい微熱の行方、融け合った結果論だよ 『自然とは やけに腥く美しく、落葉と 共に。         (著:この駄馬の黄ばんだ歯は)』      ~隅々まで汚染された殻を。    ランプの火を、花緑青にて締め付けられる~ ドタバタとした調声輝音をいただく。口元のそこは人懐こく  くぐもった熱に浮かされるよう、愛想尽かした どぎつい花を。 時間停止の余波に繋いでみせる/朧な細月とばったり(一息、) むきだしの鉛の氾濫で、あれは孤島へのトビラ(と馴染み。) 帯という琴の場だ。綺羅びやかなやまひだの甘い悔恨に乾いたほつれみを いっぱい 氾濫させた、あさかぜの 気晴らしの時代。ともふかく毒々しい万華鏡を覗く かのように。虚像の天変で、(ポケットから色褪せた写真が朽ちる。)あんたがたの後日なんぞ 知りゃしないがね/わたしたちはまだまだ まばらな剥製に蓋をするのさ

crackの踵、鎮座するうららかな痺れ ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 19
P V 数 : 1392.6
お気に入り数: 1
投票数   : 6
ポイント数 : 0

作成日時 2024-05-01
コメント日時 2024-06-02
#現代詩
項目全期間(2024/07/02現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
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技巧00
音韻00
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閲覧指数:1392.6
2024/07/02 04時37分42秒現在
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    作品に書かれた推薦文

crackの踵、鎮座するうららかな痺れ コメントセクション

コメント数(19)
田中恭平 new
田中恭平 new
作品へ
(2024-05-01)

5月から真面目ビーレビ掲示板での活動ができるので、したいのですけれど、例えば芭蕉でいったら、古池や飛び込む水の音、の句から、と、その古池に飛び込むように、ビーレビに於いては、このような作品へダイブしてはじめなきゃならないと。なかなか気概が無いといけませんね。 つらつら読んでいくわけですが、口語の文体を味わう事に意義があるような作品に思えて、全体のフォルムとしてはやはり「光って」いる、わけですが、ミーニングというか、物語はなくて、これ、半無尽蔵に加筆して、増殖可能な「文学装置」なんじゃないか?と思いました。  ビーレビは「文学極道」じゃないんですけれど、一人果敢に中原中也(そのダダに影響されていた時期)なり、大正~昭和の作家の「労苦」の部分、極める道を突き進んでますなぁ、というような気もする。 全く、個人的に受けたインスパイヤとして  わしゃわしゃしているだろう この空っぽなアタマで、骨が溶けてしまいそな 乾季のお天道様だってよ  が良かった。それが過密な文字群を読んでるさなかに、わしゃわしゃしているだろう と、言われると「うん、わしゃわしゃしてる」と頷きたくなる。  というか、ミーニングじゃなくて、文体だ、と書きつつ、コメントの為に何度か反芻して読めば、キー・フレーズの部分で深い示唆がありますね。しかし、それも若輩者の?私にはわからない部分ですかねぇ。ふわっと沁みてくる部分もありますし、今後ふるえることもあるのかな。

0
A・O・I
田中恭平 newさんへ
(2024-05-06)

お読みくださりありがとうございます。田中さんが若輩者ならわたしはどうすればいいんでしょうwまあ自分勝手なんでしょうね結局、誰のためでもないですからコレ。偏向に出してるやつは特に書かされるまま打ち止めというところまで捏ねてるだけですからかなり自由に書いてて。これはここに出す際に読みづらいと思ったんでささやかに連を入れて、気づいたんですけど、みたされたすべてが真直ぐだった と系列一緒っす。まあ見事に書かされました、とそんな感じです。わたしもいつも「わしゃわしゃ」してます、まわりにも自分にも乱されてますから。詩を楽しむなんていいつつ、けっこう苦しいですよ。まあいろいろ いきづまってるってかんじある。しかたないね逃げられないもんね、ハイ!

1
鷹枕可
作品へ
(2024-05-07)

眼が佳い作家である、と文体への美意識の徹底性より感受を致しました。 現実を見る眼とは、 夢を見る眼であり、 畢竟現実意識とは感受せられた個々人の夢、つまり生命の外的必然性(=内的必然性)に他ならないからで御座います。 一つの夢に現実を見出さんとし得る営為の外に、 その夢より 現実より迫真的な、つまり真実の発露を見出す外に 実の言語藝術家の仕事の真髄が一体有り得ましょうか。 何が見えているか、 如何見えているか、 如何に見える様に編集をし直すか。 上記の過程により、個々人の迫真性、畢竟実存感覚に最も適合した塩梅の夢(=現実)を再現、再構成し、更に研磨し、真実へ到達致しますのが藝術表現の仕事で御座いましょう。 上記三点より最も肝要でございますのが、 第二行 如何見えているか で御座いまして、 此ればかりは個々人の実存(畢竟生存の、かけがえのなさ)の照応を致します塩梅に拠りまして大異小同となります由縁のもので御座いますから、 此処を疎かに致しましては、類型的表出の型を逃れ難いもので御座いましょう。 でありますから、何卒比類無き視座よりの表現営為を先鋭的特別化せしめ、 表現藝術の骨頂を極めて頂きたいと存じ上げます次第で御座います。 長長と、悪文を失礼致しました。

0
黒髪
作品へ
(2024-05-07)

一読して意味は取れなかったのですが、深い意味に満ち溢れています。作品の方向として、 何らかの抒情から、クライマックスを導く、という風でもなさそうだし、 詩と言葉の可能性を追求している作だと思います。構成とか、工夫を、掴み切ることができなかった のですが、もっと良く読み込んでみます。私は、詩というと、どうしても作者の人生の 反映ということを考えてしまうのですが、新しい抒情へと、探求の途中におられるのかな、 といった感想を持ちました。完全性へ至って欲しいという気持ちはあります。

0
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-05-07)

田中恭平new先生が表現されたような「文学装置」わかるような気がします。私もこの作品には着想化された下敷きの存在ようなものを強く感じます。戯曲にでも書かれたかのように、舞台の上で台詞に興じている語り口。ちょっとやさしくないですね。技術も高く、おそらく和歌落語と古典芸能にも長けた方の作品でしょうが、読み手にはやさしくないですね。イメージとしての場。演目としてのお題目。何かしら舞台のイメージでもあれば少しは作者の趣向も読めるのではと思います。

0
おまるたろう
おまるたろう
作品へ
(2024-05-07)

やはり、読んでも読んでも消化できないような部分にこそ注意をむけるので、そうすると、 >わしゃわしゃしているだろう この空っぽなアタマで、骨が溶けてしまいそな 乾季のお天道様だってよ ...の前後が良いと思いました。抜きんでている、とまでは思いませんが、この行はふつう出ないですね。 中心にあるのが、あきらめや絶望だとして(違うかもしれない)、それがなにか怒りとか、前向きなパワーに変換されてないので、読んでる方は「ちょっとよくわかんない」ってなるのだろう。 なんだか、へんな余裕も垣間見えるし。もっと、せっぱつまったものだったら、わたしは称賛したような気がする。最後に、泣いたりとかして。

0
トビラ
作品へ
(2024-05-07)

書かされているというのは、そうなんだろうなと思います。 作品の文体と作者さんのコメントの文体がだいぶ違っていて、それは媒体としての作者と、書かせている存在の違いだと思いました。 わかりやすく言えば、降ろして書いている。 そういう意味では現状は習作という感じなのかなと思います。 それは程度が低いという意味ではなく、言語習得段階という意味です。 書き進めるにつれ洗練されていくと思いますよ。 作者さんがどこを目指すかでけっこう変わってくると思います。

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A・O・I
トビラさんへ
(2024-05-08)

>書かされているというのは、そうなんだろうなと思います ちがいます >書かされるまま 降ろして書く について 結局書かれているといったところで、じぶんが今まで生きてきた中で培ってきたことしか出てこないのは当然ですから、書かされてしまう自分も自分でしかありません、自分自身が無意識に自分に対し働きかけるだけ。なので自分自身と対峙してひとつひとつ決めていってる。おばけや憑き物じゃない。まあ酒のんだらはなり思考はトぶので楽しくかけますけど。 例えば題材から入る人はソレに向かって意識して書いているわけですよね、それは書かされるとは言わないでしょう。言いたいことがあって意識して書く人もいるでしょう、一文浮かんでそこから見えてくるものを意識して書き増やすやり方だってある。そういった書き方の問題です。 なので口調に関しては全く関係ない、人格と作品が別物であることぐらい、あたりまえなんですけど。ちょっとびっくりしました。 >言語取得段階、習作 詩作は常に習作で実験だと思っています。いつだって本気であって楽しい遊びです。どう作り上げるかなんて詩に対して考えてない。ただそうなるように導かれる、詩は訴えてくる。私に指図スっから、「まだだ、違う、こうじゃない、」試行錯誤させられるだけ。作ってやろうと思うから自由じゃない、詩作自体に謙虚に従順であれ、これは成り行き任せでしかない。出来上がりがミラクルになるか、ポンコツになるかその違いです。 >なにを基準に目指す トビラさんのいいたいことは、賞を取って詩人になりたいとかそういう意味ですかね。私はそのためには意味あるようにとか理解させるとか、感情を動かすとか、そういった方向を操作する気はないです。詩作はあくまで自分との対峙です、その中で納得できるものができれば、挑戦する。それだけです。面白いことをやりたい、たのしいことを探してる、書かされるから書いてる、目標も目的もありません。 周りからは私がどう見えるかはわかりませんが。自分迷ってませんので、せっかく教えていただいたのになんか、スイマセンでした。ところでコレ面白くなかったですか?作品について書かれていなかったので、ちょっと気になってます。 兎角およみくださるだけで、感謝!コメントありがとうございました!

1
トビラ
A・O・Iさんへ
(2024-05-08)

今まで頑なに作品自体の感想を言わなかったのは、よくわからなかったからです。 よく読めなかったんですよね。 ただ作品の感想を求められ、改めて作品に向き合ってみて思ったのですが、 >たとえば手摺と鍵、或いは爪を噛む白い手が、古雑誌の栞の意味を摘む、この誰かの肉声は(あわくって。)ならそれで適当な木目地を愛で謎るだけで、高い空を遠い道程を走りまわる短い風だ たとえば手摺と鍵、或いは爪を噛む白い手が、古雑誌の栞の意味を摘む、 ここは「或いは」じゃない方がいいと思いますね。 A或いはBだとAとBは同質の印象を与えます。 で、この書き方だと、手摺と鍵と白い手とが「摘む」にかかります。 白い手は問題ないのですが、手摺と鍵は摘めないですよね。 これは、詩的表現というより日本語としてうまくない感じになるので、違う接続詞の方がいいと思います。 何をチョイスするかは、作者さんの好みにもよりますが。 例えば、「しかれば」。 他にも少し手を入れると、こんな感じですね。 たとえば手摺と鍵、しかれば爪を噛む白い手が、古雑誌の栞の意味を摘む、この誰かの肉声は(あわくって。)、ならそれは適切な木目を愛で謎るだけの、高い空を遠い道程を走りまわる短い風だ (あわくって。)の後に読点を打ったのは、「肉声は」の後にすぐ「ならそれは」がつながる印象を薄めたかったからです。 適当を適切に代えたのは、適当という言葉にあるよくないいい加減さをなくしたかったからです。 木目地の地を削ったのは、ここは少し好みもありますが、その方がより木目感が出るような感じがするからです。 「ならそれで」を「ならそれは」、「謎るだけで」を「謎るだけの」に代えたのは、最後の「短い風だ」が跳ねるように意識しました。 そこまでの助走のような感じですね。 これだと、自分でも作者さんの作品を味わえます。 手摺と鍵は滑るような勢いがある、爪を噛む手は停滞感、勢いと停滞が渦になった嵐のように、古い雑誌から意味を摘む、つまり古い価値観を剥ぎ取っていく。 その剥ぎ取った誰かの、あるいは剥ぎ取られた誰かの叫びが、激しさと木目をなでるような優しさをもって、世界を一瞬で駆ける。 そういう眩い風。 新風、という感じでしょうか。 で、面白いか?という話ですが、面白いですよ。 新しさに対する予感を感じますね。 それと同時に古いもの、過ぎ去っていくものに対する愛着も感じます。 竜巻のようにめちゃくちゃにしながら吹き上げるエネルギーがあって、それも魅力的ですね。 作品に手を入れてしまい、それはすみません。 自分には、そうしないとうまく読めませんでした。 書き方についてですが、違うなら気になさらないでください。 目指すというのも、必要のない話しだったかもしれません。 参考になるかわからないですが、自分に読みやすく手を入れるとこんな感じです。 たとえば手摺と鍵、しかれば爪を噛む白い手が、古雑誌の栞の意味を摘む、この誰かの肉声は(あわくって。)、ならそれは適切な木目を愛で謎るだけの、高い空を遠い道程を走りまわる短い風だ Sonosheet赫ヰアルバムに熨せた旅愁のひとつだ 聴いたか? 手がかりひとつなく途方もなくナマイキな口を叩く脆そうな開花に、いまを染上げる落陽は秒のひとつもパッと膨らんだとして、またぽっかりとあいた水辺として、ぱしゃんとほとばしり、ひそやかに手放すまえにある ――ああ、いまにして瞳は観覧車を 足取りは終列車よぅ 切り揃えられた静謐に絡みついた夜に、苹果は体を丸め自虐の砂礫にごぅと削ぎ落とす、燃え上がって。慎ましく多すぎる修辞に、一点の設問の夏日に、くちびるがぽつりぽつりと尋ね回る、おぼろげな引き潮は歪んでみえるけれども、温厚な弦と痛烈な矢をつきあわせるばかりの、浅ましく疼く誰かと激しい動機を平穏にカケハギ、それは無音のなか古いオンナのおむつをかえる仕種よ まったく(あちらからおしよせるチェンバロの この手の洪水はぁ)脅しているのではないか、といくつかの、あなたもこの眩暈のなかで、すり混ぜたように己自身と心中する けれどもね。折り曲げられた仏頂面は貪欲に北風に逆らって、このラブラドライトの杜として 分解する月や太陽の もうすこし、もうすこし (睫毛が濡れている、)側面はもっと、最も「奇っ怪なこと、そう言ったら重ねるように。」おかしいったら ありゃしないのよ、本当に たとえば臍に沿う。露わ。座礁した無類の息吹が桟橋を亘れば、ていだらぽっちの立て爪も陶の花のブローチも、「もうこえもとどかないだろうがねえ。」今さら降って湧いた血がごうごうと唸りながら、どっと握拳に雑り 求めていたもんは、札を欲しがる白虎の子の、経過なり ひかりだったのかなと。うすぼんやりと上まぶたに貼り付ける髭と頬と、それから、緩んだ……。 〈かれはでも――燦々と泣いてしまえば〉 過去のワタシも、未来のキミも16の娘も土壌も父も大海原も桜の樹の下で、 (その狸かい、鸚鵡かい?)まあ すげて、〝でも こたえもない けれどもね〟 この空っぽなアタマで、骨が溶けてしまいそな 乾季のお天道様だってよ。翠雨の平行線を波々と蹴散らしていく 酸味ばかりの。痛みを賭した、やわらかなよみがえりの通信記録を 焚き点けている、この生きた証よ わしゃわしゃしているだろう  糸を引く斜光が若葉とぶつかり合う気がする。ふらついた肩口だけ煙霧に逃げ延びていった。白樺の根に蔦が絡まり小言を窘めるような暮らしぶりを便りに認めて、は、はめ込まれた生活からはなにも生まれやしないものだから、彫り進んではなにもかも、餓えて死ぬまでが逢瀬みたいなものだと靴を揃えて、老いた者だ  名も知らぬ花が咲き実を結び、とおくながく眺めていた  水銀の陽炎が塗り替えた真空に、退けられた潮騒と  ほんのりとした墨絵の、苦々しい微熱の行方、融け合った、結果論だよ 『自然とは やけに腥く美しく、落葉と 共に。         (著:この駄馬の黄ばんだ歯は)』      ~隅々まで汚染された殻を。    ランプの火を、花緑青にて締め付けられる~ ドタバタとした調声輝音をいただく。口元のそこは人懐こく くぐもった熱に浮かされるよう、愛想尽かした どぎつい花を。 時間停止の余波に繋いでみせる/朧な細月とばったり(一息、) むきだしの鉛の氾濫で、あれは孤島へのトビラ(と馴染み。) 帯という琴の場だ。綺羅びやかなやまひだの、甘い悔恨に乾いたほつれみを いっぱい 氾濫させた、あさかぜの 気晴らしの時代。ともふかく毒々しい万華鏡を覗く かのように。虚像の天変で、(ポケットから色褪せた写真が朽ちる。)あんたがたの後日なんぞ 知りゃしないがね/わたしたちはまだまだ まばらな剥製に蓋をするのさ

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-05-09)

トビラさんの意見を拝見したのでちょっと。 まあ、詩の感じ方捉え方は思い思いであっていいのですが、 たとえば手摺りと鍵、或いは爪を噛む白い手が、古雑誌の意味を掴む。 冒頭部分ですね。この冒頭は~ならそれで木目地愛で謎るだけで~の文節の後半に寄りかかってきますね。謎る。漢字を見ればこれも普通に手でなぞるのではないということが読み取れてくる。なのでこの冒頭部分は時空の超えた非現実的な読み方をしなければ単に可笑しい文だということになります。 しかれば爪を噛む~用いるならば然らばでしょうが、これを持ってきたら手摺りと鍵を爪を噛むにつなげて読まなければならなくなる。この冒頭部分は意識を外さなければ後ろの文の味わいにはつながらない。なので、手摺りと鍵、そして、爪を噛む白い手、とはイメージを切り離して読まなければならない。 私はそのように解釈しています。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-05-09)

書き落ちましたが、~名も知らぬ花が咲き実を結ぶ~ この後半から終わりまでは特に秀逸に表現されていますね。唸りました。

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A・O・I
トビラさんへ
(2024-05-09)

再コメありがとうございます。自分はこれは味を楽しむものだとワタシ的には感じでいたので。これでも意味を読み取ろうとしまうのだなと、驚きました。はじめの行の読みは、とても面白く読ませていただきましたが、個人的にコピペして改ざんしたものを全文貼り付けられてちょっと気味悪く……それはトビラさんの中で楽しんだ形としてあれば充分ではないかと思いました。自分のものは読むことに意味を置くのではなく、音として引っかからないように置いているところもあるので、違和感ありありでしたね。 まあ作品の楽しみ方は其々です。作者してはどんなあり方で切り口でも読み手が楽しんでくだされば嬉しくおもうものですから、楽しめる方法で面白がってくれればソレでありがたい。 読み手を通された自作はわたしの手から離れます、読み手を通して自分の作品の一面をすくい取ったということです。読み手が真摯に向き合ってくれた結果、のコメントですから。これは本当に、予想がつかない面白い有り難いと素直に思うことできるのです。とまあ、そんな感じです。 色んな人がいるなあと、兎角凝り固まってしまわないように色々吸収していきたいところです。知ることは、学びですから。そこから如何に自分に落とし込むか。己が楽しめるように柔軟に変化できたらなと常々思っています。まあ、わたしとしては、ただただ詩作を楽しんでいきたい。ただそれだけですけどね。 トビラさま。お読みくださりありがとうございました。

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A・O・I
作品へ
(2024-05-09)

其々いただいたコメントはぼちぼち返します、兎角 お読みくださりありがとうございます!

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A・O・I
鷹枕可さんへ
(2024-05-10)

>何が見えているか、 如何見えているか、 如何に見える様に編集をし直すか。 これに関してはまだ考慮されてない、読み手を意識することは難しい。まだまだ自分の中で納得するように突き詰めているだけという状況です。今は書かされてしまうという無意識を、なぜそう書かされるのかと悩みながら自分に落とし込む、意識化する訓練のようなものを繰り返し行っている感じです。やはりどういった形になるのか、読める範囲に置くことができるのか、見えることがあるのか、それすらまだ自分の意志ではなかなか動かすことができないので。兎角たくさん書いて、自分のからだに覚えさせるしかないなといったここ最近です。まあ楽しんでます、いつだってね。兎角お褒めくださりありがとうございます、精進します!

1
A・O・I
黒髪さんへ
(2024-05-11)

>一読して意味は取れなかったのですが、深い意味に満ち溢れています。 その満ち溢れていると思われる深い意味とやらが、どう感じ取ったのか。知りたいですけど書かれてない(*_*; まあ詩って形として掴み取らなくていいはずです。言葉にできない感情って実際あると思うので。兎角作者を暴くのではなく詩に向き合って、作者自身と切り離して詩を味わうと。色んな意味で、角度で、好きなように楽しめるものかなと。それが詩の醍醐味だと私は思っています。お読みくださりありがとうございます

1
A・O・I
メルモsアラガイsさんへ
(2024-05-12)

たくさん褒めていただいてとても嬉しく思います。この詩は特に下敷きはないです。口調とオノマトペはあとあと引きが弱いなと思って足して整えるかたちでした。和歌落語や古典芸能はまったくわかりません。ただ推敲するときになんども音声出力したり自分でブツブツ言ったりして直したことは確かです。兎角気持ちよく書いてミラクル出た!そんなかんじで、じぶんでも気に入ってます。そういったミラクルをもっと出せるようにそれが、いつもの形となってしまえるように、書きまくるしかないでしょうねきっと。まあ何が現れるかわからないのが、自分でもおもしろいところなんですが。まあ精進ですね。アラガイさま、お読みくださりありがとうございます

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A・O・I
おまるたろうさんへ
(2024-05-14)

この詩に関しては なるようになる ぐらいのイメージだと思いますね。だからそれが変な余裕に見えたりする。一貫性があるものは多分かけないですね。んだから「ちょっとよくわかんない」になることも、わかってます。わしゃわしゃの前後、普通には出ない、良いとのこと、褒められてうれしくおもいます。およみくださりありがとうございました

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熊倉ミハイ
熊倉ミハイ
作品へ
(2024-06-02)

やって来ました。 「なるほど…」という静かな反応がまず出ました。吟味、咀嚼。(私はすこし、詩に劇薬さを求めすぎているのかもしれません……) 直感です。波や潮というものが頻出していて、それが「流動体」の怪物として襲ってくる。それに対して、写真や剥製といったもので静止させようとする抵抗があるように感じました。 しかし、タイトルにもあるように、完全に静止させることはできない(痺れ・ひび割れ→今にも動き出しそう)その絶望。 私の価値観にはないですね。私は今は流動体、放浪への肯定をモットーとしているので。 上の解釈は終盤に繋がりました。では、二週目前半はどう映るか。 眼に異常をきたしているのでしょうか。潮の歪み、目眩、流動体だったものがさらに歪んで見えていく。 声も重要だ。聴いたか? という前半から「もうこえもとどかない」と変わっていく。声が消えていく世界? 異常気象があるようにも思う。血の雨が降ったり、その自然らの暴力性が強調される眼を持ったのだろうか。(ひかりを求めていたのは、眩しさでそういうものらを見ないようにするため?←これまた一つの抵抗) 前半で馬鹿にされていたような花が後半で咲いている。それは本当の眼を持つ花かもしれない。こんな激動する世界で、自分のペースで、ゆっくりと咲く不自然な花。 老いた者 も気になる。最後の連は、その老いた者の言葉のようにも見える。 ここで苦しくなってコメント欄を見る。う、ううむ、むむ(汗) 鷹枕可さんとトビラさんとの解釈と一部被るか? なんだか添削祭りが行われているが、私は元々日本語コンプレックスのため文法とか言葉遣いには何も引っ掛からない……。寛容と無頓着。 私の読みには、一つの哲学を作品から抽出できるか、というのがあるので、なるほど、丁寧に直感に寄り添って読んで良かったです。流動体が、手を付けられなくなって暴走したら、私たちはどう対応する? 視覚? 聴覚? 言語? カメラ? 剥製? そんなものらで静止させられる? だからといって流れに逆らわないというのも、どうなんだろう? あなたはどうする? そんな問いかけが聞こえてきました。良いアイデアが貰えました。取りこぼしている表現は多いですが。 静かな訴えでした。後頭部をぶん殴られる、振り回されるというような感じはあまりない。私に耐性があるだけなのか……どうなのか……。 食わず嫌いは駄目ですね。信じて読んでみてよかったです。私の直感は、こんな感じです。

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A・O・I
熊倉ミハイさんへ
(2024-06-02)

直感で読んでいただきありがとうございます。 まだまだ視覚的要素に囚われている気がしますけど。見解を変え磨けばモノになるとおもいます もともと素質は上等なものですからね、ミハイさんは。もとから画像を文字として書かれていない 感覚を畫くタイプは、物体として書かれているのではなく、そのモノのイメージを表しているんです。例えば花ひとつとっても、その花は性別や盛り徒花や笑みかも知れません。花と類語を探すと、そんな感じですかね。 行動が感情に表れていく場面ではなく、ミハイさんが苦手だとされている、感情を表すための描写とおもえば、主にどちらのパターンで書かれていているのか見抜ける、詩を読む際にスムーズに読解にたどり着ける気がします。まあ実際はそんな単純なものでもありませんけど。もっと細分化されてる気がしますが。 静かな訴え、そうですね、鈍器で殴るようなものではないとおもってます。そういった衝撃的なものは書けませんね。まあ生け簀はちょっと過激ですかね、わかりませんけど。とかく楽しめたようで何よりです(^^)

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