さて、ここで問題
あなたは人に愛されたことがあるか?
好きでもなんでもない物を大好物のように平らげ
どう考えても間違っている正論に微笑んで
髪の毛一本触りたくないまま身体の自由を明け渡し
身銭を食い潰すことしか考えて貰えないのを知りながら
喜んで犠牲になろうと全てを差し出し、またそれが
相手の幸せに繋がるのだと信じたことがあるか?
車窓を朝の光が支配する
何者かに依存するのはいかなる時にも幸福だ
地獄に向かっているとしても
その先に待ち受けるのが君の愛ならば本望だ
日常を切り裂いて人を運ぶ機械が言う
あなたは私を愛しているだろうか?
そんなことはどうだって良かったのだが
あなたの為に泥まみれになろうと構わない
ただ美しくあれと望まれるのが嬉しかったので
私はどんどん美しい人間になっていった
どぶ川のほとりに咲いた水仙のように咲いて
そして神との約束を果たす為に枯れていった
あなたに全ての明るい未来を託して
人は皆天使の翼のように罪を背負いこみ
自分の手を汚すことを決して許されない
不幸を啜って凹んだ腹を満たしては
もう死んでいるのにと冗談を云うのが精いっぱい
絶え絶えの呼吸で発語しようとする時の哀れさ
私は
あなたに愛されたことがある
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作品データ
コメント数 : 9
P V 数 : 1157.3
お気に入り数: 1
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2023-03-16
コメント日時 2023-03-26
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/10/03現在) | 投稿後10日間 |
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閲覧指数:1157.3
2024/10/03 17時05分37秒現在
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一度速読して、本気度の高さ、熱さ、重量感、美、詩作力の高さ、こういうものを感じたので、印刷して読みました。「さて、ここで問題」とか、愛とか幸福とか不幸とか、あなたとか私とか、地獄とか神とか天使とか、詩を死なせてしまいがちなこういう言葉が、全然詩を死なせていないことに驚きました。最後に「私は/あなたに愛されたことがある」と気づく、ここがまさに絶頂になっていますね。この絶頂まで息もつかせず読ませる不思議なパワーが詩全体にこめられていると感じました。
0こんにちは。 タイトルの水仙は、ナルキッソスの成れの果てですね。神話によると自己愛とは罰なのですね。 でも、自己愛は多少の差はあれ、たいていの人が持っています。 そんな自己愛が罰ならば、その罰をもたらした、人が皆背負っている罪とは何なのでしょう。 さて、この詩を拝読したところの率直な感想を申しますと、全体として誰かに愛されたというよりは、誰かを愛して尽くした記憶を語っているように感じます。 そして、最後のほうで罪や息も絶え絶えな様子が描かれているのは、罰の結末としての水仙と何が関連があるような気がします。 そう考えると、冒頭と末尾で「愛されたこと」と述べながら、敢えてその間の本編を誰かを愛して尽くした記憶のように書いているのかもしれない、とも思いました。 誰かに愛されているということは、その愛されている自分を愛していることでもある、ということでしょうか。 (的外れなコメントかもしれませんね) いろいろな解釈ができそうな詩だと思います。
0現実における幸せも実際ぶっちゃけてみればこんな感じでしょうけど…日常で無償にも愛し尽し合うことが当然だと疑うこともなく生活しているならば、この強い口調で語られる自嘲じみた唾棄も、些細なズレや喧嘩の 些細な愚痴のようにも思え、この詩の最終連で「私は/あなたに愛されたことがある」と断言したところで、なら幸せだと感じさせることができる。この問いかけともとれる投げ捨てられたことばたち、いや作者サマがどうお考えになられてこれを書いているのかはわかりませんが。読み手それぞれの思いを呼び込める構成すごくないですか(拍手)! 詩のなかの私さんは独り立ちをし幸せになれると信じています。最終連にて、そういう強い意志を、それぞれのあなたに問題として、いま、突きつけたのではないでしょうか。
0読んで下さって有難うございます、嬉しいです。 訳の分からない確信を持って語られる言葉って、頭で理解出来る話よりも魅力的なことがありますよね。なんだか、自分の中の読者がそういうものを読みたいと言っていて、書かされた気がします。 良い作品の書き手の頭の中には良い読者が必要なんだそうです。彼らと話をしているようで、書いていて楽しい投稿でした。
1こんにちは。読んで下さって有難うございます。 受け身であり続けることを犠牲というのかもしれませんが、愛されることは、それが本来の自分を受け入れて貰うという意味ではない時、とても滑稽だなという気がしまして。 「私」にとって、愛されることは能動でもあり受動でもあるんです。愛して尽くす、でも与えられる、でもなく。 読者それぞれにあるだろう答えを、シンプルに問いかけられていれば、書きたかったことが伝わったと思っていいかなと。 タイトルについてですが、本当に酷いナルシストなのに誠意を持って誰かに尽くそうとしたことがある、という冗談ですかね。 愛される、という言葉のニュアンスがtasakiさんとちょっと違っている印象がありますが、なんとなくそこの辺りも伝わることを願って。
0読んで下さり有難うございます。 「私」は、この話の中にある通り、散々な体験をしてきているので、その分人生の豊かさは増していると思います。何を喜びだと思えばいいか、何を罪だと断じればいいか、自分で考える為の材料が沢山ある。きっと独り立ちできるでしょう。これからは、「あなた」に搾取されていた分を自分の為に使えばいいだけのことですし。 時間を置いて読み直せば人間として犯してはいけないような、間違いを見つけることもあるかもしれません。今は大目に見てやって下さい。
1読んで下さって有難うございます。 寝ぼけながら書いていたので残っていますが、素面なら書き直していた箇所です。 共感していただけて嬉しいです。
1こんにちは。 一つ一つの言葉が心に触れるようで、とてもいいですね。
0こんにちは。 まだ自由まではいきませんが、気ままに書いて遊んでいます。 そうするべきではないか、と仰って下さったトビラさんにも、 楽しんでいただけていれば幸いです。
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