誰もいない海辺よ
夜の波にいつの日かの
ジェームス・ディーンの憂鬱が
生ぬるい風となって這い私の頬を撫でる
それはいつかの手に入らなかったことが香る鏡の破片だ
記憶の火花よ
愛したかったと嘆けば愛していると打ち返す波よ
私はやせた腹の記憶をあやす
骨がきしむほどに抱きしめてよ
夜の水平線にそっとくすぶる無念と甘い痛みが
はじける波に押し寄せて
肌に呟きの刺青となって、ひりひり
ふふふ
青春という壮麗な時の棺よ
白米におかずはおまえだけ
きしり、きしり、と夜に歯を動かす
無残に散ったおまえの残骸が惜しまれて
それは壊れてしまったけれど
あなたが大切だから
私も大切で
壊れた音が永遠にきしきしと鳴っている
握れなかった手よ
それが黒くざわめく海に私を呼ぶから
私は裾はためかす亡霊となってこの闇を飛ぶだろう
風がからからと風車を回し
読まれない詩片の記された手紙となって
私の心をノックする
そんな思いに風くるまれた夜の心臓が脈打つのだ
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作品データ
コメント数 : 4
P V 数 : 777.1
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2023-01-04
コメント日時 2023-01-06
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/07/06現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
閲覧指数:777.1
2024/07/06 19時51分11秒現在
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言葉に重みがある、という表現があるじゃないですか。今作に限らず、言葉に重みがある作品って有る。これは読む側の主観による天秤なのか、或いは、その作品にある含有量なのか、私は後者だと思うんです。時々湖湖作品に感じる言葉の重み。それを表現したことが三浦にはあるかと振り返ると一作品だけはあったと確信がありますが、基調として私の言葉には重みがないと自覚していて。羨ましいとも思わないのですが、とても魅力的です。
0とても味わい深い詩をありがとうございます。 好きなところはほとんど全部なのですが、なかでも 「それはいつかの手に入らなかったことが香る鏡の破片だ」 「愛したかったと嘆けば愛していると打ち返す波よ」、 「青春という壮麗な時の棺よ 白米におかずはおまえだけ きしり、きしり、と夜に歯を動かす」、 「あなたが大切だから 私も大切で 壊れた音が永遠にきしきしと鳴っている」、 「握れなかった手よ それが黒くざわめく海に私を呼ぶから 私は裾はためかす亡霊となってこの闇を飛ぶだろう」 のそれぞれの表現が、たまらなく好きです。 夜の海、深くなる闇の中できこえる波の音、風の感触、 そんな情景と「私」の心模様が、肌で感じられるような そんな稀有な読後感でした。
0コメントありがとうございます。 言葉の重み、私は現実の事実や感じ方の苦しさ、重さに比重する言葉を見つけることが難しく、若い頃は無口でした。今でも言葉が届かない、という掻痒感は残っていて、等価交換をするのは仕方なくで、いつも言葉は十全でない、と大概感じています。うまく言えた時は、肉薄に努力すれど嬉しいものです。でも、作品はその時の瞬間の感情の結晶化なので現実といつも番うものではない、言行一致は人間のかなり難しいハードルだ、と思っています。ですので作品をフィクション扱い、作品はクリエイターのトップギアの記録、だと思っています。この作品は若い頃を比較的ライトに回顧し、書き換えたもので、それでも少し重いのですね、きっと。自分の言葉がどういう風に見えるのか、私は分からないです。ただ明るくて軽く面白い井上ひさしさんや谷川俊太郎さんみたいな言葉遊びも好きです。 若い頃は私は本当に無残で、酷い経験と敏感なせいで、五感刺激、色と音の渦の洗濯機の中に揉まれいる憐れな猫のような騒擾で、苦しくて、傍の暗闇に逆流する滝が在るように感じ、血が匂い、立っているのがやっとで無口だったのです。そして、護符のように森の緑色をコレクションする緑色マニアでした。青春期を越えておばさんになり(笑)、やっと言葉を使えるようになったけど、三浦さんが仰っていたように存在のエネルギーは自然の音や気配、それを感じる心、音楽に身をゆだねる心の方に存在している、そんな無口の中の自分をより確かなものに感じます。でも、言葉は人の架け橋だから、道具として信じる部分に時に精一杯を載せて詩を書くのだと思います。 三浦さんの自信作、アップされたら読ませていただきますね!
0コメント、ありがとうございます。 私の詩を好いていただけて、愉しんでいただけたようで、詩を書く者としてとてもうれしいです。 人生の喜怒哀楽を人は他者を覗き込み、感動を響き合わせることで、生きる喜びや愛を感じるのでしょう。その湖のような器として、詩が書けたらいいな、そう思っています。感謝。
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