作品投稿掲示板 - B-REVIEW

緒北くない


投稿作品数: 18
総コメント数: 30
今月は1作品にコメントを付与しました。
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叙情詩を書きます。
自作の一押し・・・・ 老いた女

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徒然なるままに書き連ねた詩としてはあまりいいものではない文なので、途中の否定で「あら?」となるのは当然だと思います。 それでも投稿したのは、浮き沈みが激しい心で書いたのにも関わらず、最後は放り投げたような希望の言葉を紡いだ自分に少し失望と可愛さのようなものを感じることが出来たからです。もしかしたら投稿することでそういう人間的な部分を認めてもらいたくなったのかもしれません (徒然なる死)

2025-04-09

悲しみのリフレインでなんとなく中原中也を思い出しますね。写実的で郷愁的で美しいと思いました。しかしそうであるが故に、「悲しみ」という言葉に込められた見に迫るような切実さをもっと感じたいとも思いました (花と霙)

2025-02-21

中心とはどこでしょうかね?たどり着けるといいのですが (祝う)

2025-02-21

遅くなりましたがコメントありがとうございます。 確かに情景はもっと濃縮した表現が出来ていたなら、もっと良い叙情詩になり得たと自分でも思っています。しかし、語りの部分はこれ以上凝縮できないのではないかと思いました。 語りで伝えたい情報を情景の描写で表現できたら尚良いというのは、叙情詩を書く者として目指すところだと思うので精進します! (老いた女)

2025-01-10

遅くなりましたがありがとうございます。美しい語彙で綴られた感想をいただけて嬉しいです。 私は風景として浮かんだ感性から詩を書くタイプなので、作者自身としても自分の詩を解釈しきれない部分が多々あります。ミハイさんのように構造的に解釈してくださる方の文章を読むと、私自身もハッとさせられるところがあり、とても興味深かったです。 特に「透明な星たちをあなたが先に見れてしまうのが怖かった」という解釈は、この後に書く私の内省を促してくれた文章で興味深かったです。 さて、「透明」について言及してくださったのを見て、自分なりに良い返答を考えていたところ、色々考えつくところがあったので書いてみようと思います。私は別の詩でもよく「透明」ないしは「本当の透明」という言葉を使っているのですが、自分の作品を見返してみると、見事に叙情的な詩でしか「透明」が使われていないことに気が付きました。それは私の創作の原風景が「透明」であるからで、詩から感じ取っていただいた通り、私の「銀河鉄道の夜」で描かれた叙情への憧れからも来ているのだと思います。 ではなぜ「透明」が私の創作の原風景になり得たのか、自分で考えてみたところ、こういうことだったのかなというものがありました。 透明は描くことができません。「本当の透明」という言葉が叙情的な詩の中に出てきても、想像することができないのです。それが創作者としての私の原風景になり得た理由なのではないかと。  以前のコメントで私は「この詩は『言葉になる前の感動を言葉にする、という詩の矛盾を超えてその先にたどり着くためには、叙情的でなくてはあり得ない』と考えている頃に書いた詩」と書きましたが、その考えに対する今の時点での私の結論が「本当の透明」だったのではないかと思います。  つまり、「叙情的に描画不可能な言葉」を『矛盾を超えたその先』として描くことで、「言葉になる前の感動を言葉にするという矛盾」を解決しようとしていたのではないかと思うのです。 ここで先で書いたことに戻ってしまいますが、『透明な星たちを「あなた」が先に見れてしまうのが怖かったのでしょう』というミハイさんの解釈を考えてみると、凄くしっくりくるものがあったのです。「あなた」が先に「矛盾」を解決してしまうのが怖かった__「あなた」の存在は詩を書く理由なわけですから、それは『「詩を書く理由」が先に到達して消えてしまうのが怖かった』とも言い換えられるのではないかなと。 長くつらつらと書き連ねてしまいましたが、自分でも詩を解釈し直すきっかけになりました。これからも試行錯誤していこうと思います。ありがとうございました。 (老いた女)

2025-01-10

この詩は『言葉になる前の感動を言葉にする、という詩の矛盾を超えてその先にたどり着くためには、叙情的でなくてはあり得ない』と考えている頃に書いた詩でした。 私にとって詩を書くことは、頭の中にある原風景の感動を自分の力の持ちうる限りそのままに言葉にする営みであると考えているのでそう言っていただけて嬉しいです。 (老いた女)

2024-12-08

ありがとうございます!いつも黒髪さんのコメントが励みになっています。 この詩は自分でも捉えきれていない、夕方らへんにやって来る重 い塊みたいなものを書こうとした詩なのですが、黒髪さんのコメントから考えると、"お前"は疲れから訪れる漠然とした怠惰の化身みたいなものとも考えられるかもしれないですね。 (冷たい床)

2024-11-05

ありがとうございます。叙情的な詩を書いてみたかったので嬉しいです。確かに熊倉さんのコメントにもありますが、ご指摘の通り最終連は改善の余地がありますね。精進します! (雨の日)

2024-11-02

読んでいてこちらもハッとさせられる考察ですね。だいぶ書いた当初の源流に近いところもあり、自分でも気づかなかった構造的な解釈もありました。特に「海と部屋どちらにも肉体がある」という表現は面白いと思いました。また、第五連の、「お前は現実の星を映さず幻想の海を抱いている希望的な存在であり、健やかな眼差しとは幻想を見続けるその眼差しである」という解釈、そこから綺麗に締めに続けることができるかもしれないという指摘は非常にクリティカルだと思いました。 うーん、仰る通り最終連は描いていて本当に迷ったところで、初稿では七連目のカッコ内の言葉で締めくくっていたのですがまだ続けなければならない気がして付け足した連でした。以下最終連を書くに至った思考の経緯みたいなものを書き連ねますね。 光は眩く私たちを惑わすもの、偽りの幸福をもたらすもので、私の源泉である海は光がないと干上がってしまい、窮屈な肺呼吸に戻ります。だから私は黒い海を夢想するしかない。だからある意味で永遠なわけですね。その中で私の目を焼くような実存、即物的ではない真の幸福の太陽を見るのですが、それは幻想の海でしかない。光る鯨がくるとまた表面的な幸福に捕らわれ、現実へと帰還します。ここにある「三度目」は私の個人的な体験から来る数字だったのでもっと良い表現があったなと思っています。詩の中の具体的な数字がもたらす影響は大きいことを痛感します……。 その後、鯨は海が育んだ鰯を食べ、その光で海を飲み込んでしまう。最後に鯨を描いた理由はその後の展開を暗示するためだったのですが、ここはもう少し続けて描いた方が良かったと思います。この連で言いたいことを詰め込んだ結果、最終連以前の叙情的な表現が結果として損なわれる形になってしまいました。しかし熊倉さんのその解釈は考えもしなかったもので、叙情的で素敵だと思いました。 (雨の日)

2024-11-02

ありがとうございます。おっしゃる通り前半と後半はもともと視点が異なる独立した詩でした。最後の一連に繋げるために連結させたのですが、結果的に唐突な展開に戸惑わせてしまった時点で失敗だったかもしれません。私の詩の作り方は一度拙い表現の下書きを書き、そのあとで足りない連を足していく形なので、展開が急になりやすいのが短所だと思っています……。一つの詩の中でテーマが一貫していて、違和感なく最後まで読める詩が完成度が高い詩だと思うので、そのご指摘は参考になりました。 熊倉さんの読み解きは本当に行き届いていて、感想を送ってもらえるといつも嬉しく思っています。種明かしをして詩の余白を無くすのは本意ではないのであくまで私がこの詩を書いた出発点として受け取ってほしいのですが、支配というのは一方を制圧することとして書きました。 山羊は悪魔の象徴としてよく用いられますが、この詩ではプラスアルファ理性の象徴としても描きました。「私が山羊を支配したなら」私はもっと馬鹿になれて幸せになれるし、「山羊が私を支配したなら」私はもっと感情に縛られず賢くいきられる。中途半端ではいけないと理解しているのにシャワーという物理的な閉鎖がないと向き合えない。この詩の源流は支配する努力をしない私自身への苛立ちのようなものです。 長々と語ってしまいましたが、良いコメントをありがとうございました。 (……あ な た を 支 配 し た な ら)

2024-11-02

飾らない直接的な言葉で、メッセージが良く伝わってきて良いですね。特に最後の「8歳の心を思い出す」ところは、今の年齢の自分が自分に手紙を書くのでは希望を作り出せないという諦念のようなものも読み取れて好きです。 最初読んだ時、少し「手紙を破り捨てる」は少し大げさかなと思いましたが、諦念を超えようとする意思の大きさを考えると妥当かもしれないですね。次は作者様のここで言われている「希望」や「夢」をもう少し掘り下げた詩も読んでみたいなと思いました (タイムカプセルから出てきたもの)

2024-10-03

何かに納得出来たのなら良かったです (父さん)

2024-10-02

遅れましたがコメントありがとうございます。 確かに「私と同じ選択」とほのめかすのは悪手だったかもなと読んで思いました。詩は得てして自分のことを語るものですが、「自分語りしてるな」と読者に感じさせるような表現は失敗だと私も思います。建設的なご意見で参考になりました。ありがとうございます。 (父さん)

2024-09-30

“親”っていう絶対的な、ある種の神様みたいな存在を失ったカナちゃんが、「サンタさんいない」と言った後にやっぱり神頼みならぬサンタ頼みをするっていうのが、なんか現代のクリスマスの在り方そのものな気がして面白かったです。科学が発達して近代的自我が芽生えて(天皇が神様じゃなくなって)、「神は死んだ」けど、それでもやっぱりクリスマスを祝うしどこかで神様を信じている。信じたいと思っている。それもこれも、大変だからこそ神頼みをするしかないのでしょうね。 (サンタが死んだ)

2024-09-20

遅くなりましたがありがとうございます。 詩の性質上、表現が上手くいかないとどうしても痛み自慢のようになってしまうので、「読んでいて嫌味がない」と思ってもらえたことはとても嬉しいです。 一方で、「現実逃避する自我」のイメージから書き始めていたので、「自我が侵食されていない状態」って言ってもらえたのは意外でした。 でも確かに、「崩壊から自我を保護する音」が「ぐわんぐわん」であると考えると、まだ自我はある意味侵食されていないのかもしれません。それが良いことか悪いことかは別として。 (ぐわんぐわん)

2024-09-20

ありがとうございます。 「押しピンのような足場」って的確なのに響きがポップで良い表現ですね。 私は頭が良くないのでいつも頭の中で押しピンのような足場で飛躍したり落下したりしてます。いつかちゃんと壁にめり込ませたいですね。 (ぐわんぐわん)

2024-09-20

遅くなりましたがありがとうございます。 “子供の視点”みたいな文章が書けるのは、私自身が子供の心から踏み出そうとしないからかもしれない、塗布と思いました。 (ぐわんぐわん)

2024-09-20

返信遅くなりすみません。丁寧に読んでもらえて嬉しいです。 大人も子供も、問題に直面して悩んでいる時の頭の中って、高尚な理想から未来の不安を行ったり来たりして忙しく、そのくせ突然生活が迫ってきたりして、結構支離滅裂で似ていると感じます。 でも違うのは、大人は支離滅裂の中からも次に進むための回答を探す所です。でもこの詩の主人公は違くて、その回答を先延ばしにする時に「ぐわんぐわん」がやってくる。 問題はこの主人公が「ぐわんぐわん」をあまり嫌っていないところですね。ご指摘の通り、それを気に入ってさえいます。 私の好きな漫画に、「一生快適な自己否定に留まるか、全てを捨てて自己肯定に賭けるか」という言葉があるのですが、一生この主人公は自己否定を享受して生きていくのかもしれません。 (ぐわんぐわん)

2024-09-19

ありがとうございます。個人的に、「なんか痛そうだな」と感じてもらえた時点でその詩はある程度成功したと思っているので、苦痛を表現できていると言ってもらえてとても嬉しいです。 確かに「ぐわぐわ」だと、たとえ耳をふさいでも目を背けても、五感情報が勝手に体に染み渡っていってしまうような、そんな不気味さがありますね。 「ぐわんぐわん」は頭痛からイメージして使った表現だったのですが、一文字違うだけで印象がこうも違うことを考えてみると、日本語の擬音って痛みの表現をするのにとても適していると感じますね。 「大人になることの呼び鈴」は自分の中で納得できる一文ですね。 私自身、最近呼び鈴がなんだか理由もよく分からずに恐ろしく感じていたんです。その正体を掴みたくて詩の最後で「ぐわんぐわん」と共鳴させたてみたのですが、もしかしたら、それは「大人になることの呼び鈴」だったのかもしれません。 丁寧に読み解いてくださり嬉しかったです。私もこの詩の最後の一節から抜け出せなければなりませんね。 (ぐわんぐわん)

2024-09-19

コメントありがとうございます。 実を言うと最初から子供の世界を描こうと思って書いたわけではなかったのですが、万太郎さんに懐かしさを感じてもらえたならこれも成功ですね。 よく何も心配しなくてよかった小学生の頃に戻りたいだとか中学生が人生のピークだっただとか言う人がいますが、私は子供の心ってどうしようもなく感じたがりで痛がりで、全然楽なんかじゃないと思うんですよね。ただみんな子供のころよりもずっと感度が鈍ってしまうから、大人はその傷跡の形を忘れてしまうってだけで。詩を書いている時。正確には自分が何に向かって書いているのか理解しきれていなかったのですが、コメントを拝見して、もしかしたら私は子供の感性みたいな文を書いてみることで、もう見えない傷に体感的に触れようとしていたのかなとふと思いました。 (ぐわんぐわん)

2024-09-07

返信先を間違えてしまったので、もう一度返信することをお許しください? ダリの作品は恥ずかしながら知らなかったのですが、タイトルも作品も自分が夢に対して感じていたものと似ていてすごく好きでした。作品の名前を出していただいて感謝です この詩は「思い出す」という行為をテーマにして書き始めた作品なのですが、夢の描写を書いていくうちに、確かに自分でも「夢に比重を置いた方が良いのではないか」と思っていました。次はそこをテーマにして書いてみようと思います。テーマの一貫性って大切ですね、、 (どんなだったかな)

2024-08-30

返信遅くなりましたが、コメントありがとうございます。何かを思い出そうとする瞬間ってなんかいいな~ってふと思って書いた詩なので、そう言ってもらえて嬉しいです (どんなだったかな)

2024-08-30

長い夢を見た後特有の美しさと寂しさを書こうとしたので、そう感じてくれた方がいると知れて嬉しいです (どんなだったかな)

2024-08-30

自分は夢を思い出そうとする瞬間に訪れる、言語化するなら湖湖さんが言うような“繊細で柔らかな存在”をテーマにした文章を書いたので、この詩でそう思ってもらえたならめっちゃ嬉しいです! (どんなだったかな)

2024-08-30

返信遅くなりましたが、コメントありがとうございます。何かを思い出そうとする瞬間ってなんかいいな~ってふと思って書いた詩なので、そう言ってもらえて嬉しいです (どんなだったかな)

2024-08-30

ありがとうございます。私はむしろ純粋な透明に固執する身勝手な者の詩だというふうに思っていたのですが、それを含めて「優しい」という風に言ってもらえて少し救われたような気がします。 (トンボ玉)

2024-06-12

あらゆる言語の感情を表す語句の中でどんな感情も一言として完全に一致するものはない。だけど『からっぽ』って言葉は感情でもあるが、あらゆる感情の果てにある帰結だから、その一言で自分を説明できたかのように思ってしまう。だから「からっぽ」な状態にある自分を自覚さえできれば、説明できなさに疲れることもないし、原因に頭を悩ませることもない。言ってしまえば詩にあるように『楽』で『便利』な言葉だ。でもこの詩の語尾の節々に現れているように、だからこそ厄介な言葉だよな、と思った。 (からっぽ)

2024-05-11

偶然を必然と願うことはある種無意味なんだけど、空虚だと分かっていながらその必要を説く美しさが綺麗ですね (待つ力)

2024-05-11

タイトルが秀逸ですね。夜に潜っていくような孤独と、朝の光の中では干からびてしまう孤独が結びついて美しいです (そして孤独を思い知る)

2024-04-29