作品投稿掲示板 - B-REVIEW

メルモsアラガイs


投稿作品数: 6
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あわ?あなたがこするからでいするたるけじゃないの?澤さんに聞いてみてよ。ペエもマン太もあなたの褌を担いで神輿を上げたいだけじゃないの?熊さんに聞いてみてよ。あなた右翼関係者でしょ。右翼なら右翼らしく左の肩をほぐしてくれないの?わたし懸賞いらないどずっと腱鞘炎煩ってるのよ。あたまも少しね。右脳左脳両方共にだけど、いまにきっとあなたの褌を議事堂の二階に捧げてやるのよ。二重橋前にもね。踏みつけてやるわ。そうそう米国の独立記念日はもう終わったのよ。日本にはあるのかしらね。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

07:31:57

ハーイ!ポストモダン。いや、流れからしたらやはりデリダでしょうね。 最近TVで見ていたので、たまたま名前が上がっただけです。キスしたい。ご丁寧にありがとう。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

06:25:42

↑演出効果を知らない人のコメントで、それは素人芸は素人芸のままにしておけばよい。というような程度の低い感想ですよ。こういう中途半端な姿勢で臨むのでわたしは朗読嫌いになってしまう。人様を前に発表する覚悟があるのなら腹を括る必要がある。肌に入れ墨を描いてもいいし、血だらけで朗読してもいい。場合によってはスッポンポンでもいい。それくらいの覚悟をしてほしいのだ。 あなたjokerだって正装してますよ。口裂け男のように唇を朱く塗るなら白地のYシャツに黒いネクタイくらいすべきだ。そしたらわたしも正座して拝見しよう。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

05:48:54

えーと、コスモポリタンから帰ってきました。澤さん、冷蔵庫からフルスパ爽やかに美味しかったです。        えーと、また玄関口のベンチで何をしているのか。腰の曲がったお婆さんがじっと何かにすがって立ち尽くしていました。まだ暗い夜明け前です。中で配達を終えて出て来たわたしをチラリと見てゆっくり動き出しました。腰を曲げた糸人形のように。わたしのヘルメットに装着したライトに反応したのでしょうね。たまに姿を見せます。 掃除をしているときもある。今朝は何もしていない様子でした。   院内のベッドには人工呼吸器を装着したお年寄りがいて、眠ったまま機械の音だけが反応している患者さんもいて、藻掻きながら身体をくねらせて奇声を発する人もいるのでしょう。 夜明け前のお年寄りを見れば胸に熱いものがこみ上げてきます。 その度わたしは安楽死の薬を手に入れておきたい。そう思うのです。 精神病理学なんてコメントしたら作者様に於かれましては何やらぬ怪訝な思いをされるかも知れない。はやく書いて置けばよかった。澤さんもおっしゃっておられるように、これは作品から得られるテクストを基に介した読み手の情報というだけの話しなので、どうぞ作品と作者ご本人とを切り離してお読みくだされば本望でございます。 なんて丁寧な言い方になりましたが、そういうことなので宜しくです。 (リボルバー)

05:22:35

!そうだ。どちらかといえばアポフェニー精神病理学の分野ですね。ポスモ?ポストモダン。現代思想ですか。ローティだな。 (リボルバー)

2024-07-05

ひとつ言い忘れた。またすみません。僕は後からすぐに思い出してしまうのです。だから推敲は必須だ。 ここに書かれてある言葉たちは掘り出した原石の瑪瑙だ。  深くて蒼い神秘に満ちた異世界へ僕を誘ってくれる。 (オマージュ;『成れの果ての』〝その続き〟を)

2024-07-05

四半世紀もすれば歩んできたその痕跡さえも忘れ去られてしまうという実体。  わたしという人間は命ある限り幻という夢を見続けているだけなのてしょうか。 それとも大いなる転た寝の中でドラモエンを演じているだけなのてしょうか。 宇宙から見下ろした地球は果たして我々が暮らした地球なのでしょうか。 その時詩人は小さくため息をつくのでしょうか。            ……すみません。他からinspireされた詩にはどうしても返詩のようなカタチを取りたくなります。 (オマージュ;『成れの果ての』〝その続き〟を)

2024-07-05

たまには詩も書かれるのですね。懐かしいその嗄れた声、笑(ごめんなさい)                          お久しぶりです。(投げキッス)    星が見えなくなりましたね。小さい頃から比べるとそう実感いたします。 遠い宇宙がよけいに遠く見えきて、地球は孤独だな。 僕もときどき想像しますね。生命は何処からやって来たのか。 ひょっとして人類だけは何か異星人からの贈り物を賜わったのではないのか、と。(まるで2001年宇宙の旅ですね。引用して申し訳ないです) 一度は降るような星屑(これも普通で申し訳ない) 地上から眺め見てみたいのです。何処がいいのかなあ…と。 (交錯する夏の香り)

2024-07-05

乖離や分裂症。さすが澤さんだな。病理学的な観点から内面の精神性で捉えている。 そうして読むと~やつらがやってくる。とは女神の姿をした何か病的な悪魔(悪夢)のことかも知れない。 これね、冒頭はセザンヌの立体的な空間から抽象絵画へ向かうモンドリアンの構図もイメージとして浮かんできて、それが突然(     )告白に変化してしまうという不可解さに泳がされてしまう。 そうだな。内面的な描写を強く意識すればこの詩は夢と現実を乖離分裂させてみているのかも知れない。悪夢から逃れたという願望で。ロシアンルーレットの弾を外したい。タイトル「リボルバー」とは、つまり運、運命を指す意味なんだ。 (リボルバー)

2024-07-05

takoyo2気味は一生闘っても答えを見出せないよ。 僧侶に復帰すればいいじゃないか。欲深いのもお坊さんだ。 ただで喰って生きれるなら私も親鸞和尚にすがりたい。そしておま●この中に仕舞いたい。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-05

誰も本気では聴いていない席。それは会社の宴会や結婚式で場違いに真面目なクラシック曲を下手くそなギターで演奏して、ああ若気の至りとはいえそのバカバカしさに腹が立つやら恥ずかしさやらで今でも思い出すと虚しく響いてきます。もちろん廻りの人は忘れているでしょう。恥の掻き捨てを想う。それだけ歳を取ってしまったということです。 中小大手企業の宴会には必ずあなたのような若い社員がウケを狙ってパフォーマンスをやらかしますね。誰に対してウケなのかはっきりとは言えないが、一応肩書きは一流大学卒の経歴を持ち将来を嘱望されている人たちが多い。劣等感だらけの私からみればその景色は吐き気を催します。その心理を分析すればバラエティ番組によく出てくる高学歴タレントと同じような意識ですね。作り出すお笑いはそれを見ている人たちも本人も納得済みなのです。なので本気度の薄い下を見下ろす高慢な意識が当然内包されている。ほら、馬鹿を演じて見せてやるよ。という。 動画は概ね好印象を持ちました。赤で分厚く塗られた口の周囲。そこまでやるなら黒いネクタイを巻いてきちんと正装してほしかった。後ろは壁で箒が置いてあるトイレの前です。 内弁慶武者震い国日本。そのそおりだと思う。だからといって私はtakoyo2のように絶対的な腕力に頼ろうとする右翼的な言動も行動にも反対の声を挙げる。いまはまだ人類も過渡期で個人主義も中途半端なままなのです。 このような憂う国の状態にチャラけた風刺を込めて吐き捨てた詩は沢山みましたよ。名前のよく挙がる谷川俊太郎先生だってそうだ。 将来なんて、少ししか残されていない私からみればクソ喰らえだ。 先の見える人たち。前面に出てどんどんやればいい。                           否定はしません。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-05

書き忘れちゃいましたが、刺激的な文体にはやられましたね。ロシアンルーレット。 (リボルバー)

2024-07-05

この詩何度か繰り返して読んでるのだけれど、う~ん、よくわからない。お題はリボルバー。途中( かってやつらがはがねのはぐるまをまわして~)これがあるのでリボルバー(回転式銃)なんでしょうが、急に緊張感ある綴りで展開される。リボルバー。これはどうしてなのか、いまいち掴めない。~いよいよやつらがやってくる。このやつらが終わりのほうにも出てくる。やつらとは一体何者なのか。これも鍵になりそうで……あたまを捻ります。 どうやらですね。想像するにミューズ(詩神)女神のようなものではないかしらん。とかとんちんかんに思ったりしてみたり、    、しかし格好いいすよね。リボルバー(回転式銃)この耳触り。わたしら前後から上の世代まで、リボルバーと聞き及べば銃よりも先に、ビートルズのレコードタイトルを思い浮かべるはずです。あの頃のビートルズはゴキゲンなリフに引っ張られて、シンプルで格好いいタイトル曲が多くありますね。デイ.トリッパー。ペーパーパックライターetc.  まさか、まさかオヤジ心をくすぐるつもりで……このタイトルを無理強いにして…でもないか。う~ん、また再度読んでみます。 (リボルバー)

2024-07-05

ペエ太とかタコよとかポン太やら、桶屋の太鼓持ちじゃあるまいに、名前からして品性がわかる。道頓堀で脂身売ってりゃいいんだ。 (窓)

2024-07-05

こういうエロオモロイのには決まってこの馬鹿三人が寄ってくる。がっくりしょんだ。書かなきゃよかった。 (習作)

2024-07-05

夏が来れば思い出す。夏の思い出。作詞、江間章子。作曲家の中田喜直などは有名ですが、作詞家の経歴はまったく知らないですね。その時間になれば有線から流れてきますよ。笑。デルフィニウム。青い花穂が数多く立ち上がる。幸せをふりまく花でしょうか。やや寒冷地域の高地に見られ、日本のような高温多湿な場所には弱い花ですね。この花を観る度にまだ初々しかった頃の彼への思いが懐かしさとともに込み上げてくるのでしょうね。羨ましいような記憶です。 (デルフィニウム)

2024-07-05

確かにイメージ的にはアニメーション的なの映像で迫ってきますね。七人の小人が出てくるので白雪姫バーサス山賊の娘ローニャか、いやゲド戦記。白雪姫以外はチラリとしか観てないです。笑。ヨハネの黙示録かな。アルマゲドン。わからないけど。でも表現よく書き込まれていますね。唸ったと。です。 (炭素循環)

2024-07-05

ペエ太さん、失礼はお詫び申し上げる。その通りで私にも作品評から脱線させるわるい癖がある。ついつい口を挟みたくななてしまう。黙っときゃいいのにね。     ところで個性ですか。これが一番。心がけていることです。一~二作品ではわからないでしょう。ああ、こいつメルモだろうな。そう思われると嬉しいのですが、人真似もできますからね。なのでやはり作品本意でしょうね。どこかで異色を出したい。そう思いながらも励んではいますけれど。 (窓)

2024-07-05

ああ、このtakoyo2氏は正真正銘の阿呆面を暴露している大馬鹿者だな。アンネ.フランクが益々哀れに思えてくる。峠三吉の悔しさが込み上げてくる。そんな文面だ。第二次大戦。多くの詩人作家が兵役に従事した。大戦後もシベリア中国に抑留された。当然ご存じですよね。経験していない者には実感として伝わらない。あたりまえじゃないか。実際地獄のような戦争体験をしてきて君らは経験がないので詩に興しても何も伝わらない。そんなことを堂々と後輩に宣言できた詩人がいるのなら教えてほしいよ。何が経験からだ。それこそこの世に於ける人間の生業のすべてがわかったような独り善がりの口振り。両脇腹が痛くなる。経験してないってことには無垢な佳さもある。ってことをまったく否定したコメントで唾を吐いてやりたくなる。そう反感を買うのを承知でコメントしている。なんて下劣で奇天烈な策士だろう。 (炭素循環)

2024-07-04

まあ、いい詩とは言えるかも知れないが終わりの二連など読めば旧イカイカ氏の口癖にも詠める。もっと個性を発揮すべきであろうと思う。 (窓)

2024-07-04

谷川俊太郎氏も文壇という権威を嫌うお方で、その両方を否定するとは、これもまたミイラ取りがミイラになってしまったとしか言えない。どちらにせよ決めつけは良くないですね。選評する批評と同じくです。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-04

↑ペエタくん。~如何にどん百姓臭いかを思い知らされる~言語学の教授でもないのだからいちいち細かいことは言いたくもないけど、こういう表現は相手を称えるときに使うべきではないよ。真摯だとは云えない。自分に対してのコメントへの返信ならばかまわないが、自分を卑下する表現で相手を称えるというやり方は不信感を与えて返って失礼だと私は思う。垢抜けてない、とか普通に書き込めばいいのだ。よ。と。 (リボルバー)

2024-07-04

なので押しつけられるアカデミックなやり方を嫌って才人は去るのです。猿とも云える。しかしミイラ取りがミイラになってはね。takoyo12氏なんかいつもそう。土俵を過ぎても押し徹そうとするのよね。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-04

最近の子供たちは当て字の名前が多くて下手に声を出して読めない。まあ、この自由さも流行りではあるのでしょうが、劈く星霜。なんてのも日頃から漢字を見慣れていないとなかなか覚えてても忘れて読めない。と思えば鷹枕可氏主催の歌会に応募するようなお方だったんだ。何方はだいたい察しもつきますが、批評も氏にお任せするしかない。いやあ、私からみればこういう難字にはいつも苦労させられて勉強不足を痛感させられますね。 (分子零度)

2024-07-04

完備さんて新プラトン主義派だったのね。意外。本人は否定されるのかな。 (3分の1がない世界で -REMIX- )

2024-07-04

惜しいな。疲れたおまんこが空気を出す。疲れるのは人間の頭脳でべつに性器として機能するおまんこではない。 冒頭、結晶化されたされた欲望の河のそばでオナニーをしていました。 こういうのを綺麗に書くな!と言えるのかも知れない。ほとんど肉体のことしか表現されていないのでオナニーも肉体な性的な自慰であるとしか解釈できない。 比喩として想像する行為と実際の性的な行為。「習作」とあるのでそのあたりをどう受けとめられるのか、作者は意識して書かれたのかも知れないが、ですね。 (習作)

2024-07-04

そうですね。綺麗にみるか醜いとみるのかはあなたの心次第。ものごとの本質を捉えろとおっしゃっておられるのではないか。 芸術は美しいだけのものとは限らない。ただそうおっしゃっているだけのように感じます。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-04

↑あなんた↑takoyo12さん、岡本太郎のいう綺麗に書くな!馬鹿たれ!をなんか勘違いしてないすかね。太郎さんは綺麗にみえるものをそのまま綺麗に書くな!とおっしゃてるように聞こえてきますよ。天国から。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-04

えーと、こちらはインターネットでございます。 六本木ヒルズの男性トイレを借りて放送しています。   「本日は曇り空、ときどき大粒の雨に混じって小石が降ってくる気配が予想されます。  ?え、 何処から飛んでくるって、あなた、いまおっしゃいましたね。 お隣の中国ですか?それとも北朝鮮。いや、もっと遠くのモスカヴァから? それとも紛争中の地域からでしょうか。 いいえ、火星に置かれた中継基地局Bレビュー放送の電波を拾ってみてください。 これは麗しのカナリア。火星の噴火ですよ。噴火。宇宙空間舞い上がる噴石が、ほら海馬のベルトを打ち破り、穴という穴からゆるい脱糞症状を引き起こす。蛸や海豚の最接近。おまえな、災害時にはオマルを用意しろいうて宝塚のおっちゃんが言うたろう。石原言うたろう。つまんねえな。ところでBレビ放送はこれから六本木ヒルズに場所を変えて流しますので、皆さん呉々も愛鍵を差し込まないでください。 愛などという言葉は死にました。恋は捨てました。小橋オバマ。お墓参る。お馬鹿さんだけ集まってください。 では… (B-REVIEW 7月のお題詩「さよなら、インターネット」「打ち上げ花火」 )

2024-07-04

わたしの作品を下劣だと散々罵って、米大統領をコケにするこの下劣さ。しかし卑劣ではない。下劣さが秘匿されるのも想像である。美徳も下劣も体験してみないことにはわからないこともある。この詩人間を人間としてみる正直さに触れている。感動とはそれ故に生まれる。いい詩だ。 (大人用おむつの中で)

2024-07-04

谷川俊太郎先生とは旧Twitterで勝手に返詩させてもらいましたね。どれぐらい続いただろうか。三カ月以上かな。ほとんど毎日リツィートで詩のらしきもので短く返させていただきました。友人の方の図柄で短く詩を書き込んでらした。(どちらが先なのかはわからない。たぶん谷川俊太郎先生の詩にイラストを添えたのでしょうね。なので詩の元が実際本人だったのか。これも不明です)  ですがね。しばらくリツィートさせていただいてわかりましたね。やはり出てくる言葉のパラフレーズにキレ味があって、ああ、まだ勝てないなあ、と実感しましたね。もうかなりご高齢のおじいちゃんですよ。それなのに言葉がイキイキとしてるのです。まだX に残ってるかな。ご覧になってみてください。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-04

いいねえ、あの世で生まれ変わった文学極道続編だ。 詩人、谷川俊太郎。takoyo2氏もよく馬鹿にしてたな。吉本隆明オンリーにして詩の素晴らしさがなんもわかってない。   ティムラー隆一さん、鉄腕アトムの作詞家ですよ。谷川俊太郎氏は。日本を代表する作曲家の武満徹もリスペクトして多くの曲を提供している。その作風からボピュリズム的な扱いを受けることもあるが、初期の作品なんか読んでごらんなさい。否定的な見方ができるわけがない。谷川俊太郎。戦後の日本詩界を牽引した偉大な詩人には違いないのです。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-04

もっとモットー竹モットーで長いね。面白いのかなと読み始めて途中で萎えちゃいました。凄い!もう知識の叩き売りが凄くて恨めしくなってきた。この叩き売り感でしょうね。このリズム感が好きな人は好きなんだろうけど、オヤジ疲れました。すみません。 (ストレスドデザーツ(菓子めいたタイめしか))

2024-07-03

いいですね。二連、~朝を追う列車のトイレで一人の女性が健康な子を産み~なんとも刺激的な、というか悲惨な状況、ですが、次、~ラッシーを飲み経済新聞を読む~ああよかった。このことは語り手の想像だったのか。と一安心。何故に小田急線に乗りながらこのような思いで綴られるのか。そのことを示唆するのは~あなた。~あなたの為に生きているのに~あなたの死んだ心だけれど~。むむ、これはあなたに対する相当に根の深い恨み節。絡めて~樹海を経由する。そして月の満ち欠けなど、妊娠や出産または堕胎、に関与した死の匂いに誘われてしまう。不幸な出来事を思い浮かべてしまいますね。それが小田急線なのか?といえばわたしは想像します。つまりこの語り手はあなた、小田急線に乗る(あなた)を思い語らせているのです。これ二連などは意味内容を掴まないと過激なだけだと受け取られてしまう心配もなきにしもあらず。笑。まあいい出来の詩だとは思いますが、べつに小田急線や乗客自体に責任があるわけでもなく。この少し裏日れた気持ちを和らげる表現があってもいいのではないか。とも感じました。 (小田急線)

2024-07-03

特に愛などという非常に裾野の広い概念。悪いとか良いとか、そう単純には推し量れないものなのではないでしょうか。 (厭離穢土欣求浄土)

2024-07-02

! あ、そうか、takoyoの膨れ上がったあたまを押さえつける目的だったのか。 しかしね、黒髪さん、傷つけあう愛が悪い愛/称え合う愛が良い愛。? これも一般的相対論として常識的にみれば至極あたりまえの言い方のことで、 あなた、黒髪さんは(傷つけあう愛)でも良い愛を知ろうしないから言えることで、傷つけあいながらも愛しあってる二人の関係性。例えば、長年連れ添う夫婦のような関係をどう捉えているのか。これは悪い愛の結晶の賜物ですか? (厭離穢土欣求浄土)

2024-07-02

!このスレ、シノハラマサユキさんアイデアだったのね。日頃から鬱憤が溜まってて、ずいぶんと居酒屋してしまったな。勘弁してくださいね。Bレビ文化放送#パーソナリティがんばってください。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-02

↑あ、これはこれは、そのとおりでございますです。拘りを「押し」つける」。 あの方、といえばtakoyoかNo2さんのことですが、わたしなども嘘詭弁偽情報をいままで散文押し、つけられたのでございます。で、ヤバくなるとクルックルウと反転して行方を眩ましてしまうのです。これは持って生まれた性分だな。といまでは可哀想を認めてお付き合いさせていただいております。 警句否敬具 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-02

自分と違う価値の全てが正しいものではなくて~それを言うならば、(自分と違う価値の全てが悪いものではなくて、正しいものは正しいのであって、悪いものを賞賛することはできない)。でしょう。でなければあなた黒髪さんの価値認識ははじめから正しいものだとご自身で決めつける論理が展開されることになる。だから突っ込まれるのです。そもそも何が悪いのか正しいのかの判断は知能を進化させた人間の理性による判断がそう言わしめるもので、これも時代とともに変化するということを前提に論じられなければ穴の中を巡るばかりです。愛は普遍なるもの、なんて言えばそれは言葉が本質を指す仮装として形而されているだけで、何が悪い愛なのか正しい愛なのか、わたしは未だに懐疑的である。 (厭離穢土欣求浄土)

2024-07-02

僕は田中宏輔氏の「The Wasteless land.lllを持っているが、この●印が置かれた先生の形式詩は画面で一度に見たほうが心地よく合う気はする。何故ならば●不規則に置かれた素数の拡がり●宇宙空間とのつながりを感じるからである。 (FEEL LIKE MAKIN’LOVE 。)

2024-07-02

takoyo2氏は間抜けだ。そして偏屈だ。ダンスをしてもまともにはタッグを組めない相手だ。自分が詩に対して拘りを持っているのかを晒している。管のつまった便器である。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-02

詩作ですか。書けないときは何を書いてもダメですね。何もしないか瞑想に耽るか、詩から離れます。そんなときは散文でも書いて文章のお遊びをすればいい。そのうち閃いた言葉が降りてくる。その時ですね。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-02

なんだよ。まためんどくせーな。万太郎さん。自分で自信があるならそれでいいじゃないか。冗談でもなきゃ嘘ついてまで他人の作品に批評は書かないよ。いいものいいと批評するしちょっとダメなものはそれなりに理由も付ける。俺の詩も評価してないんだろ?好きも人それぞれ。それでいいじゃないか。あんまし気にすんなよ。どのみち時間が証明してくれるさ。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-02

ああああ二日間続けてびしょぬれに濡れて、痛い肩と腰を気づかいながらシャワーで雨と汗を流す。なんでしょうか、世の中にはこんなときにも豪華客船のラウンジに酔い、それでも貯蓄は増えるばかりの人間が何人いることやら。 まったく、ついてない。何が憑いてないのか。渋沢栄一が付いてこない。神々が憑いてないのです。 ああ紫綬褒章受章者の吉増〇造先生ですか。残念ながら彼の著作は批評本含めて3~4冊くらいしか持ってないですね。しかも読み通してはいないし。なので似てるとか言われたらそれはホントホント嬉しいのですが、真似ることなどできないのですよ。実力が違い過ぎる。谷川俊太郎先生と同じです。Mrs.オバマが実は男だとか、そんな似非情報を平気で書き込むあなたtakoyoさんから、やれ下劣だ。下品だ。馬鹿につける薬だ。真似る蛸の擬態だ。とかおっしゃられてもですね、それこそ蛸が烏賊の足を挫くようなものですね。 そんなことよりもあなた、takoyoとかtakoyo2とか一人で怪人二十面相のお遊びですか?小学生相手の謎かけじゃあるまいし。それとも阿呆な誰かが本当に成りすましやってるの?まさかね。 いい加減に統一したらどうですかね。大昔から今現在まで、名前は散々変えてきてもう飽きたでしょうにねへ、ねへ、へのへの字も?? (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-02

あ? 上品なtakoyo2さん、わたし名義のコメントありがとう。いまから仕事ですので、今日はメジャーリーグの放送もないので帰ってからゆっくりお仕置きしてやるよ。この蛸よ烏賊野郎。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-02

ざーけるんじゃないよのざきやまピーコック。たんブラックボックス。顔合わせしたらジャックダニエル。  ウイルスもいっぱい。指いっぱい。壊れるのはわかりますよ。だったらよ。takoyoikayo2氏はまた出てくるんだな。出て来なきゃグルだ。どっち向いてもわたしには関係ない。右だろうが左だろうが、どのみちウクライナドールが、アメリカから円が消える。。 (こんにちわ)

2024-07-02

蓮舫だろ?彼女は白のブラウスが好きだ。もちろん下着も白だ。腹の中は、わからない。引退二階が名前で出るなら彼女も出せよ。百合子も書け。   と言いたいよ。触れて、知らないけどね。 (白)

2024-07-02

なんかさ。名前ばかりおもしろい人が沢山出てきて書いてるものは名前ほど全然おもしろくないのねっ とした。月に三作品OKだから、そりゃ思いつきで投稿したくなる気持ちわかる。わかるけどさ、それならば、だよ。べつにヘルスケアしてこころ掴まなくてもいいから尻尾くらい掴まされる作品挙げろよ。 鯒'虎は時間が限られてる。期待外されるのは大谷だけで充分。現在詩人会に於いて枯れるばかり。 もう~下手な洒落書かすなよ。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-02

あ!ヒント書き忘れた。サントリー天然水フルスパのCM。~好きすき好きすき好き、好き( )これで無糖。武藤敬司。このシュールなウケとノリですよ。 (漫才:漫画みたいな話)

2024-07-01

まあ、ギャグ的な受け狙いだろいけど、ダジャレも冴えないし、おもしろいかと言えばあんましね。このサンバ(三人)が社会派をネタにするときは急に口振りが爺婆になってシラケますよ~。でもおもしろいギャグ詩人ならはもっと反抗的になるべきで、駄洒落も癖にはなるのです。 (漫才:漫画みたいな話)

2024-07-01

これはですね。朝早く夜明け前からスケートボートを担ぎ出しては転がしていく。趣味は文楽と海外エンタメ。そして酒も煙草もいっさいやらない。健康管理体制に徹底して生きるストイックなtakoyo2さん、のような人物が浮かび上がる天の川、じゃなかったタイトル「天の邪鬼」。姿は見えるのだけど、内容がない。おいらは一人。この人物がなんで天邪鬼と呼ばれるんだ?と…。 (天の邪鬼)

2024-07-01

冒頭~ うつくしいものだけかんじていたいとねがった~ 自分本意にものごとをすすめていけるのならば、美しいもの以外みつめたくはない。ふれたくもない。 という自己中心的な美意識が書き込まれている。醜悪。そんな僕の思いは、きみの意識という直喩に置きかえられた自己認識で表現されていく。 終わり~それいがいのうつくしいものはきみとぼくのあいだにおだやかにとけていく。  この、きみの~と喩えられた文章には温もりのある美的さと皮肉を込めた辛辣さとが入り交じり読み手の感情を混乱させている。アイロニカルな表現だ。醜悪。つまり対比的な意味合いできみの美的さと醜悪さを混交させて、自己中心的な美意識を世の中で完遂させたいと願う厭世家の憧れなのである。 漢字表記のタイトルと全面ひらがなの対比はおもしろい。ならばうつくしい。この表記だけは美しいと漢字に置かれてもいいのではないか。 そして、醜さと美しさ。 何故僕がきみを介してその美しさに拘るのかわからない。 終わりの前に一行くらい表現されるべきだと思う。 (醜悪)

2024-07-01

何方かな。ごめんなさいね、コメント外して。まあ、でも人間経験を重ねて歳を取ればそんなもんでしょう。性的能力とともに色恋への興味も薄れる。その点ずっっと歳の離れた異姓(同性)に関心を持つことで、仮性的な情熱は保ち続けていかれるかも、ですね。わからない、笑 (紫陽花)

2024-06-30

そこまで言える万太郎さんには、羨ましいな。いい人生がないといい詩は書けない。決して?だとしたら、ならば僕には一生かけない。いい詩が… (紫陽花)

2024-06-30

元来匿名で書き込むネット詩人なんて風変わりな人物が多いはずで、単に他人の私生活を想像してみたり、動物の轢死体にゾクっとした興奮を覚えたり、興味のある異性(同性)を陰から覗き見したりすることは詩を書くことと同じで、それを言葉にして書き込んでそんな事例は世の中には沢山出回っていて普通につまらない。だいたい本当に異常な人間は人前では普通人を装うので、書きものにしても普通に読めるものを選びます。異常なものに関心を示して公に発表する人ほど実はまともであり、本当の変質者(偏執狂)とは自らが気づくこともなく、通常人々が関心を示さない物事に興味を持ち、それを誉れのように提示したがる人物だと思います。そういう意味では新たな可能性を研究している科学者なども変質者の部類でしょうが、彼らは作家と違って人間(生物)を観念として眺めた外観自体には特別興味があるわけでもないようです。べつに興奮や快感を覚えるのは意識して性的なものばかりだとは限らないからです。そういう意味ではこの投稿サイトの近くにも通常とはかけ離れた意識の持ち合わせたお人はおられる。なんとなく一人挙げればtakoyo2さんなどは本当に異常な拘りを持つお方で、彼はこっそりと誰も観ないような背景を探りたがるのです。例えばチベットはポタラ宮に居を構えるダライ・ラマ14世の私生活を覗き見たり、ミャンマーの奥地で採掘される希少高価なルビーと軍事政権の関係に探りをいれる。彼ならばきっと興味を持つことでしょう。普段誰にも触られたくはない部分だからなのです。takoyo2さん、ごめんなさい(>_<) (散歩のエロス)

2024-06-30

新ひょっこりとひょうたん島2。それはどこだ。インバウンドアウトブレイク。海燕ジョーはフィリピンに渡り、大統領ジョーバイデンは台湾を指さしている。対面からやって来るのは馬に乗るカウボーイのジョーカー対立候補のトランプだ。冷笑するロボットの仮面を付けている。ああああムラムラする。というよりも見ている聴衆はイライラする。そんな小島の住民は何故か東洋の民日本人。村々にはお米と財産が納屋に隠されて、ああああはやくバラ撒けよ。と小銃を携えたジョーが村に帰って来た。 そんな想像感想も雨に流されて、わたしには読み解く才能がない。 (村々)

2024-06-29

そうですね。それほど遠くない未来。(まだ人類がこの姿で生存しているならば) ロボットと人類を見分けるのは言葉かも知れない。そう、未来人は詩で普通に話しかけている。埋め込んだ自動翻訳機ですぐに誰とでも話せるし、否、共通の新しい言語が持てる時代が人類にはやって来る。それは極端に簡略化されて詩的だ。つまり現代の尺度で考えれば未来人は皆詩人なのだ。そんな気もします。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

↑ウクライナ人よ。無駄に殺されるな。狂犬願望家なら狂犬らしくはっきり言いなさい!ってことですよ。では。偽ストーカーこのスレから去ります。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

ごめんなさい(^-^; 凧さんに気を囚われて間違えて二度打っちゃった。編集部の方、空打ち邪魔なら消してください。 この詩は短いけどただ読ませる(詠ませる)だけなら妙に色気がありますね。ただ不満なのは何故に~俺の~俺言葉にしちゃうったのかな、ってことですね。~わたしを悟られないよう、それから僕の~でもいいじゃないかと、思った和紙の色付くはながみ。 (撫子)

2024-06-29

(撫子)

2024-06-29

(撫子)

2024-06-29

笑、トーキング.ヘッジファンドオマル、じゃなかったアレ?名前飛んだ、凧よ蛸よさんか、。てくてく舞い上がれ上がれ。please Mr. postmancard.  もうすぐ切手も値上がりチマス。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

ドネツク地方の親ロシア人が弾圧されせいる。いまだにクラミジア.プーチン氏がウクライナ政府をネオナチ呼ばわりするのは戦前ウクライナ人がナチスのユダヤ人弾圧に協力した事例があるからだ。いまのウクライナ政府は欧米のグローバル企業もしくは金権政治家どもと橋の下ではグルになって自分たちが懐を肥やしているだけだ。ウクライナ人よ。起ち上がれ!ロシア人、ヴラヴラプーチン氏からこの国を守るのだ!これはゼレンスキのお得意二枚舌で実はさっさと逃げ延びる画策を考えているホニャララルルリラ…。ウクライナ人よ。眼を覚ませ!民族的歴史観が領土を示すようにドネツク地方を明け渡してロシアに屈伏しなさい。はやく手を挙げて完敗しないうちに手を打ちなさい。どう転んでもロシアには勝てない。Bレビウスも現代詩人会には勝てない。生き残って苦笑いするのは欧米の資本家どもだ。バンザイ露死亜!バンザイウクライナ人!バンザイ詩人会!バンザイがんばれネット詩人たちBレビウス。  ってじゃあロシアのオリガル匕って、CCモスカヴァレモンプーチン氏ってビンボー鈍臭い犬好きなだけなのね。ああ世界平和バンザイネット! (ウクライナの真実)

2024-06-29

おもしろいていうか、先にちょっと触れておいて、あ!痴漢だ!痴漢だと騒ぐ女性のようなもんだな。 さかさんを問う前にあなたが事実の証明をするのが先でしょ。どこから出てきた動画か知らないが、このウクライナの真実を語るディアナネーチャーについてひと言でも平伏している日本人の著名人コメンテーター(如何様ユーチューバーじゃダメ)を挙げてみなさいよ。誰と誰 ?笑笑犬笑。書けないでしょ?こんな話し90%誰も信用してないから。(10%はその脈節もある)。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

まあ、「ある雨の日に、私と君は、」なんて豪雨災害ばかりをもたらすいやらしい雨の、しかもこんな不穏な世相の時代に、こんな呑気なお題目を挙げて、何の反感もなく、いちゃつく詩をちゃっかり挙げてる奴らを見ると殴り倒してやりたくなりのは、おいらも同じくだけどね。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

湯煙くん、啓蒙や風刺の意図はない~。きみも呑気だな。何の意図もなくハイドリッヒに妻のリナの名前が書かれていると思うカネ? 例え作者本人が否定したとしても妻の名前まで同じだ。有名人としてならば彼はその昔SSの重鎮だよ。皮肉を伴う批判的に書かれてある詩だよ。濃い詩だとは思うけどね。 (尊重)

2024-06-29

通称takoyo2ikayo3そして腰掛けて紙飛行機室町太郎さん、あなたもMr.ドーナツ、露死亜のピーナッツ。プーチン氏の手先ですか?日本人の癖にしつこい批判ですね。➰れよりもこのウクライナのジャーナリストとかいうオネーサンが言う話しをどうして真実と確信しているのですか? 例えば親ロシア派によるプロパガンダだと疑う事実は見当もつかないほど信用できるものなのですか? あなた、ウクライナに行って直接見たり聞いたりしてきたのですか?ということですよ。 どう思おうとそれは同じく部外者であるあなたの勝手だが、わかりもしないことを、さも真実であるかのように声を大にして訴えるのは滑稽だ。その滑稽さを承知で声を挙げているとしたら、ショープロレス好きなトランプのように、ただ社会が荒れるのが好きなだけのいい加減な野次馬野郎ですよ。そこまで詩人会を否定して言うならあなた、ウクライナ行って観てきなさいよ。マスクメロン氏に150万円くらい都合してもらいなさいよ。キーウィ持ってキーウ行きなさい。ならば信用したげるわ。 嵐山光太郎。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

非常なほどにアイロニカルでむしろ後味はわるいが確信をついている。という点では苦い爽やかさがある。 この詩は強制と発見。つまりアイデンティティを発揮するのにも暴力が介在するのだ。という人間社会に対する皮肉が込められている。黄色い粉とはもちろん黄金の粉でこれは祈祷に使う悪夢を生み出す麻薬だ。ああわたしもそんな麻薬に触れてみたいと思った。もちろん搾取する側で、略奪暴行撲滅させる側で、 (尊重)

2024-06-29

「ハイパーポップ」 広いスタジオで米津玄師が「pop song」を撮影している。 セットも人数もハンパじゃなかった。 それを現代アーティストの村上隆が眺めていた。 「habit」 よりも凄いね。 連れてきた子供たちはゲームに夢中だ。 途切れたままの撮影には無関心。 セットの隅から掃除をしていた若者がポツリと言い放つ  「くだらねえな、こんなの。ホントにくだらねえ。みんなどうかしてる」。 「ヤッタア!」 真新しいpsをしていた子供が叫んだ。 高い天井から偽の札束が無数に舞い落ちてきて、それを関係者の大人たちが拾う。    くだらねえよ。みんなどうかしてる。 アルバイトの若者がスタジオにポリバケツのガソリンをぶち撒いた。  火を点けるのに10秒ほどかかった。 (B-REVIEW 6月のお題詩「ある雨の日に、私と君と。」「ハイパーポップ」)

2024-06-29

「ある雨の日に、私と君と、」 三丁目まで歩いて行くと公園には大きな銀杏の木があって、その下のベンチにはいつも恋人たちの時間が流れている。 この日小雨で降り続いた雨が勢いを増して、傘を手にした一人の初老の男が明け方近くになってベンチに現れた。 男はびしょ濡れになったジャケットの裾を捲ると'ふう~ともたれ掛かるようにベンチに腰掛けた。内側のポケットから煙草をひとつ取り出し、プラスチックライターを親指で押さえるがなかなか火は移らなかった。 しばらくして派手な色柄の傘をさした人物が現れて、この初老の男に声をかけた。  /// あら~/お、待たせ! まだ暗い雨の中、 待ち人よりも背伸び高いこの人物の紅い唇がやけに目立つ。  ~うむ///さっき着いたばかりだよ。 そういうと、枝で濡れていない隣を指さした。 初老の男はやさしく傘を掲げてやると傍につめよった。 ////ありがとう//// 座るとすぐに黒い鞄からタオルを出して額を拭う。 それからうるさそうに長い髪の毛を剥ぎ取った。 男は二口吸った煙草を投げて、二人はすぐに口吻を交わした。       男の濡れた靴の上にそれよりも大きなヒールが重なっていた。 「いああ、痛いやっちまったよ。」 横殴りの雨に抵抗しながら男はバイクから降りてきた。 ////    //「蛙がさ、蛙が飛び出してきたんだよ!」 この人のいい初老の人物は蛙も避けるらしい。 合羽のズボンが膝から千切れるように裂けていた。 わたしはたまたま集配所から帰ろうとしていた。   「いやあ、しかしひどい雨やね~急に風が出てきて、 ほら、側溝にはまってしまったよ」。  どうしてバイクが転けてしまったのか、真実は言えなかったのだろう。 それにしても酷い。 憎い雨だ。  ////   わたしはこれがミサイルなら降るような一粒一粒の爆発ならば尚更受け入れる。そんなわけがない。  //瓦礫の雨//舞いあがる埃の雨/そして                          血の雨だ。  蛙が鳴いている         新聞配達の男も鳴いている   公園では男と男が世間を憚り鳴いている                    「ある雨の日に、私と君と、」  わたしは拳を振り上げて殴る。クラスターの朝を降らせて破壊してやりたい//// //////そう思う。 (B-REVIEW 6月のお題詩「ある雨の日に、私と君と。」「ハイパーポップ」)

2024-06-29

失ってしまった10年を現実のように叫ぶ死者の声って感じでしょうかね。イメージ的には過去を遡りながら空間が逆転して流れていく。それらが断片的につながっていくんだ。しかしやはりあなたの作品には何かひとつ足りないものを感じる。ここでは(わたし)という象徴化されたモノの何かだろう。べつに簡略化されて短いというだけではないのだ。 (霊)

2024-06-27

いいねう。SEKAI NO OWARI in 釜ヶ崎 (或いは桜木町)な感じ。 男二人に女ひとりのグループで飲んでるわけ。もちろん話しの中心はあたし、女性だよ。 まあ、痛快でめちゃくちゃだから、オモロイね。としかいえません。あとタイトルね。凝りすぎて返ってつまんねえな。 せっかくあたし、あたしと洒落にならないくらい全面に出てくるんだから、もう少し短くてあたし中心のタイトルのほうがいいねって思うな。でもSaori って、美人とは言えないけど(・∀・)イイ表情するね。特に笑顔がすんごくセクシーだよね。ビデオなんか見てるとそう感じちゃう。結婚しちゃってるけど、イイ女。本当の美人ってああいう女性を言うんだろうな。好みですよ。それからFukaseも少年時代はけっこうヤンキーだったらしくて、この詩のイメージにピッタリじゃんさ。そう思ったわけ。です。 (りはびりか虚勢かmy sweet revolution)

2024-06-26

店を出ると~見慣れた床屋が前方に立ち現れた。は?、ひょっとして幻想?お店とは床屋?この尻切れトンボは結局白昼夢だったのじゃ?にしては~早く、早く、帰らなくては~何かに追われるように赤信号を渡る~また後悔する。ズルズル。動機も何もわからずに尻切れトンボは尻切れたままに、ああ、なんだよこれ、ですね。「家」昔みた映画にトワイライト.ゾーンというのがあって(テレビのシリーズ化にもなってる)おねーさんが車運転中に少年と遭遇して、どういう経緯か細かいことは忘れましたけどね、その少年の家に招待されて出てきた家族は妙に丁寧で親切に迎えてくれるのね。しかし実はこの少年は超能力者で気に入らない者(モノ)をなんでもアニメ化しちゃうという、その能力に家族たちは怯えていたのです。不機嫌なことがあると家族たちはアニメの世界へ連れていかれ、おねーさんはその少年の正体を知ると、って最後は忘れちゃったけど、まあ正常な世界に帰るんだろうな。くらいの空覚えですが、作者様のコメント曰く。嘘の演出を入れると、如何にも~ファンタジーの入り口へ~うん?嘘じゃなかったんだ。なら、いまからファンタジーの世界(幻想へ突入するのですか。何のことやらわかりませんです。 実話にせよファンタジーにせよサスペンスにせよ、兎にも角にもわたしという語り手を中心に始まる物語には、その動機があるからでしょう。~早く、早く、帰らなくては~何かに追われるように~一番肝心なテーマですよ。ここは。というコメンテーターは古いドラマを持ち出したりして糞害だよ。ということで〆たいと思います。 (家)

2024-06-26

何やらイメージさせようと目論むような詩を見て、ごめんなさい、久しぶりに緩やかに罵倒したくなってしまった。少し読んで~もの哀しい潮騒が聴こえてくるようだ。もうここで投げ出したくなる。~もう30を越えて~とか全体的に言葉使いが緩くてイメージできないのです。決定的なのが〆に置かれた~僕は明日も詩を書くだろう。?あれ?何のこっちゃですよ。人魚のイメージは何処に置いてきたのか。 読み手にその形象をイメージさせたいとき。ここでは人魚ですが、作者はあたまの先から脚の爪先まで、その姿は完璧にイメージされていないと漠然としても読み手には伝わりません。 例えば、~人魚の腰が~なんて書かれても読み手にはあのアンデルセンが想像した人魚姫の容姿でしか思い浮かばない。人魚、なんて最初から押しつけなくても脚の先が鰭になった女、と書かれてただけで人魚というのは想像できます。わたしが表現する、とはそういうことではないでしょうか?  そもそも「追憶の詩」このタイトルの意味が主題を成していない。 追憶とは自らの記憶を思い出し偲ぶことです。仮に語り手であるわたしに追憶を持たせるのならば、想像で作りあげたわたしが先にイメージされ描かれていなければ追憶とは云えないのです。 とここまでゆるやかに酷評してきましたが、思いつきで書かれることは誰にでもあり、酷評も糧にはなるのです。どうぞ笑いながらご参考にしてくだされば、と失礼いたしました。 (追憶の詩)

2024-06-25

パリ五輪。種目も増えて変わってきました。ていうかロシア人の出ない五輪なんて種目によっては勝ったとは言えない。 排他的公園一般道路じゃ入れ墨を施した小柿どもがヒップホップに合わせてアクロバッチックに跳ぶわ回るわ踊り狂う。それがオリピックの正式種目になってしまう。時代。白い綺麗な肌をした白人のオネーが全身入れ墨だらけ。あ~肌がもったいないやら気色悪いやら。それって西洋式便器でみたらし古いよおじさん。とか言われるでしょうね。そうね、日本じゃ未だに温泉入場禁止とか貼ってあるし、営業マンなんて絶対見せられないでしょうね。舐め達磨。そうだったんだ。 (子宮)

2024-06-24

人間は考える葦である、はずがない。~ものごとの善し悪しを~。一応パスカルの名言を否定してみよう。ということは人間の理性を取っ払って獣性で考えてみよう。という一連の出だしから始まっての六連編成ですね。労働を意味するような社会性を帯びた二連などを含めれば、これは明らかに理性に対する反抗的な思惑が考えられる。 これが三連目からは現代美術館に場所は移り、何やらシュールリアリズム的な絵画への批評感が男を介して語り手から持ち出される。四連目、叩き売りされている見ることと見せられることの違いについて。それは能動的か受動的か、意識的して考える。または意識しないで思考すること(無意識性)このことが絵画的な平面的な視線で、その思考の危うさが感情を天秤にかけて語られる。それは果たして意味のあることだろうか、と問うこともない否定された五連。~その鐘がなるまで垂直であることを拒む。終わりの六連で再びわたしの総括的な感想で括られる。垂直であることを拒むとは、つまりわたしはずっと眠ったままだが、その答えが出るまで起きないで寝ていよう。解せないものは解せないままに、という一連~五連にかけて書いてきた事への答えで括られるわけですね。 こうして一連から六連にかけて読んでいけば、この詩の目的が詩(芸術)に対しての曖昧な批評性の真偽を問いかけていることがわかります。 思考というこの哲学的な意味ひとつを取ってみても答えは見つからないじゃないか。それなのに我々は抽象化された表現。シュールリアリズムといった感覚的かつ観念的な作品に対しても、思考という理性を意味する哲学的な言葉で解釈に導こうとしている。では思考をいったん取り払えば野性という感情だけで判断することになるのだろうか。芸術を推し量る人間とは一体考える葦なのか。それとも脚足のある葦でもあるのだろうか。どちらにせよわたしは未だ答えを知らない。という風によく組み立てられていると思われるので、「考える」このロダンの彫刻のような簡略化されたタイトルで相応しいのか、もう少し喩化されたタイトルはないのか、読み手のわたしはいま少し考える術を持たないのであります。   (考える)

2024-06-24

このトリップ感。二度、目を通したら面白く読めました。これはマチスのダンスですな。踊り手は暴力的なアクセルローズ。にも成りきれないJapanのpunk野郎 って感じですかね。動きが面白かった。ごめんなさいごめんなさい~がメリメリで効いてるけど、でも書かれてある言葉が大人しい。そしてもっと弾けてもいいんだよね文体は。という感想でした。 (庭が家だからダンスする)

2024-06-24

なんだかな、男性目線で語られる、子宮( )刺激的ではあるんだけど、何か足りない。母性に対する畏敬の念なのか、青空を突き破る精子の道程なのか。 否 一行くらいの母恵夢。一瞬でポンペイを埋没させたウェスヴィオ火山の対比的な描写、幻想だろう。 (子宮)

2024-06-24

↑takoyoikayo テスラ要らねーから貧乏アルバイト老人に少し回してくれ(円)マスクメロン氏と知り合いなんだろう? お尻かじり付きなんだろう? (裏路地にある宿根草の群れは渇れて生きるか)

2024-06-23

(みんな結局死んでいくから…)わたしのつぶやきが最後は決定的な悲観で終わってしまう。という内容ですが、べつに客観的に読めるからと言って(  )を仕様することもないと思いますね。語りかけるわたしに対してのもう一人のわたし。これは作者の声としても受けとめれるので(  )に入れて強調する必要もないと考えます。いつもAOIさんにいじめられるからかな(笑)文体を変えて来られた。 しかし、佐々木さん、はじめの印象があまりにもわたしの中で強力だったので、ふむふむと、うむうむですね。ここ二作品はちょっと尻すぼみの感じがしています(ごめんなさいね) でもね、仕方ないですよね。いい作品を書き上げた後はプレッシャーも強くなる。押しつぶされて書けなくなってしまう人。詩人だけに限りませんよね。音楽家にも画家にも云える。ふむふむうむうむと内心ニヤついているわたしを責めないでください。決してざまあみろ、なんて阿漕な気持ちは爪の先まで毛頭もありません。それよりも久保田早紀(異邦人)ご存じですよね。天使のように降りてきた彼女はその曲があまりにも偉大過ぎたために後が続かなかった。否、それ以上の出来栄えを求められてさぞかし苦しんだのでしょう。ほとんど一発屋で舞台から消えていきましたね(もちろん彼女は現役で健在です) ここ二作品を拝見すると、ああ、佐々木さんもこれから苦しまれるな、とか勝手に思ってふむふむうむうむなのです。すみません。どうぞわたしを否定してください。詩なんて本来苦しみながら書くものでもなく。人それぞれ自由ですよね。創作に苦しむなんて、それでお金になる世界でもない。馬鹿らしい事です。詩だけじゃない、文学や音楽から絵画創作劇と芸術は他にもたくさんある。何が一番興味ある事柄なのかはわかりませんが、創作に於いて役に立たない趣味はないと思います。 きっと苦しみ抜いてわたしをあざ笑うときは来るでしょう。その時を楽しみにしています。 過剰な意見で失礼いたしました。 (フロート)

2024-06-23

また難解な読みの作品ですが、こういう作品を読み解くにはコペルニクス的転回な発想で試してみたくもなります。 つまり普通には読めない。笑。読めないのだが、読み解くことはできる。それはどういうことかと云えば詩が、言葉がどうあるべきか、などという問いを捨てて自分でその答えを作っていく。もちろん想像するのは作者なのだから、読み手もそれに倣い読み手自らがそう思い込めばいいのだ。などと云うと、そう思い込むための詩との関わり方が自己を超えた認識の言葉として必要にもなり、解釈自体が難しい、しかし難しいからと言って逃げてはいけないのだ。笑   キーになるのはまさしくタイトルの「裏路地にある宿根草の群れは渇れて生きるか」で、まさに人生観を匂い付けるような表題で、同じような文中にも置かれてあります。違いはその場所と漢字の扱い。渇く枯れる嗄れる。という枯渇としての失われるという同じような意味を指す生命力に対しての言葉ですね。 冒頭に記述したのはたまたまETV「こころの時代3」「夜と霧」の著者として有名なヴィクトール.フランクル編の、生き方についての解説を途中から観ていて少しばかりヒントになったからです。 仏教的な思想観では他力本願に対して自力作善という言い方もあります。ここでフランクルは言います。自己の在り方を他者や社会の中に位置づけて自己の生き方を追求する。このことを解説者お二方は人生には意味があるとして実存主義を念頭に肯定的に解釈しておられた。やもすれば虚無感に覆われて否定的な見方が優先されるこのExistere(実存)に、そうではなく過去に縛られず過去を受けとめることによって新たな自己を見出していくという。ああこれはまさに仏教的な教えの他力本願でもあり自力作善でもあるのだ。それには瞬間瞬間にと新たな自己を発見する能力も身につけなければならない。 何故にこんなことを私が持ち出して批評しているのかと云えば、この詩人(AOI様)の作品にもそのような瞬間瞬間の結びつきと乖離が読み取れてくるからですね。枯渇という。それは自らの詩作、または人生観に対する関わり方の表明が表出として著されていると思った次第であります。 詩がどうあるべきか、などというケチな問いはやめて、自らで作りあげていけばよい。それだけだ。 覆水盆に返らず。 (裏路地にある宿根草の群れは渇れて生きるか)

2024-06-22

Xみてるからイーロンが日本好きというのはわかる。これはあなはの釣りですかね? 世界平和のために、飛んで来た核ミサイルを完全に無力化する。地上型防衛バリア…か何かを開発してください。とお願いしたら如何か…。 (大人用おむつの中で)

2024-06-22

第一イーロンもそんな暇があるなら科学技術芸術文化活動で苦労している人間たちのMoney〇パトロンやればいいんだよね。 (大人用おむつの中で)

2024-06-22

この詩の感想は後にしてみようかと思う、けれども、一億円が当たりました!どうぞ期限までに銀行口座へ振り込むので口座番号をお知らせください…云々…よく携帯に入って来てたな。面倒くさいので、ちょっとクリック仕掛けましたよ。笑。 しかし日本でも流行ってたな。あの宇宙行った猿顔のお金持ちのバラ撒き。世界長者番付トップ100に入る人間からみれば1000万円なんて端金だろうけど、そんな甘い話しが実際地方に暮らす我々庶民のもとに届くとは、、●ほぼ信じられません。 (大人用おむつの中で)

2024-06-22

校舎或いは構内の課外活動。ふざけては遊ぶ生徒たちの面影が浮かぶ。主題はこのことでしょうがティーチャー(先生)に対する畏敬の念もこみ上げてきてわたしは胸が熱くなる。そんなふうにもよめるなのです。例えば「時計仕掛けのオレンジ」という変な題名の映画がありますね。大好きな映画ですが、内容は至極暴力的に描写されています。  この変態的な題名の意味は、外見は普通でも中身は変。という英国調のスラングを意味しているらしい。鬱憤の溜まった人間が集団化し狂気に支配されるとき、その暴力は突発的に日常に向けられるわけです。それは今日の社会情勢をみても繰り返されている。べつに思春期の子供たちに限った動向でもない。 この詩もある意味暴力的に描かれている。それを癒すのは円運動に置かれたオレンジ。そう、つまりある日あの時のティーチャー(先生)の面影なのです。 (オレンジティーチャー)

2024-06-22

~配列された綺麗さが嫌で散らばる形を~  綺麗さが嫌ならはじめから書き直せばいいんだ。笑 何方か知らないが、形作りだけをみれば確かにわたしの作りの様にみえる。笑ですね。 普通に書かれていたのは読んでみればわかる。語りがつながって読めるから、ですが、わたしのコンセプトとはずいぶん違う。わたしの場合は時空間を飛ばすだけじゃない。時間空間を壊すように言葉も崩れていくのです。手法的にはやはりピカソが念頭にあったりしますね。実存と本質のせめぎ合いですよ。 せっかく綺麗につなげて書かれたものを散らばらせるのは無意味なことだと思う。しかし無意味なことに意味をもたせるのは賛成。お金は無駄づかいできるから意欲的にもなるのだ。 (ディナー)

2024-06-22

ティムラーさん。それでいいでしょう。原爆開発の父オッペンハイマーは戦後被爆者と会って涙を流して何度も誤ったと報道されてましたね。一方では(…大統領、私の手は血で汚れている…)と言えばトルーマンから(…汚れたら洗い流せばいい )そして側近に言った。( こんな女々しい奴を二度と私の前に連れて来るな!)と…。   オッペンハイマーは詩人になったんだね。単に善人に目覚めたんじゃない。 詩人は非難されてこそ詩人だよ。良心の呵責に苦しみ抜いて、そんな覚悟を決めたんだ。世界一の馬鹿になる覚悟がなければ、いい詩人とは言えない。わたしはそう思う。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-21

さすがにatsuchan69さん推薦の映画はどれをとっても観て損はないス。個人的には、黒澤、キューブリック、フェリーニの三大巨匠作品は全て観といたほうがよろしいかと…。あと日本人では今村昌平もいいね。社会派でもエログロナンセンスなんでもある。面白さで言えば伊丹十三作品もイイね。演出のセンスもいいし、よく考えられてる。通俗作品としてはピカイチよ。 それとみんなたぶん観てないだろうから紹介しとくけど、今井正監督作品の「キクとイサム」白黒映画で、戦後黒人米兵との間に生まれた兄弟たちの物語だね。一度しか観てないので細かいシーンは忘れたけど、ずっと胸に残り続けてる映画だよ。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-21

恥を知れ恥を……とか言ってた人は急に都知事選で時の人になる。なんだかな…広島の片田舎の市町村から大都会東京だよ。あんまし気持ちよくはないね。molloyさん、原爆も核も、みんなダブルスタンダードな考えを容認してるよね。だから外部の人たちからみればそんなふうにも感じる。おいでおいで平和公園に、この建物、資料館の写真や遺物を見なさい。だけじゃなくて、本音の部分で、核廃絶に署名してない国は来るな!広島の土を踏むな!くらい言う人たちが居てもいいんだよね。はじめから。日本人は全般的にお人が善すぎるのではないかと… (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-21

~自分の人生を大切にしてください。何やら犯罪でも冒したように最後は自省してしまう。大きなお世話だ、と、この語りの中のもう一人が思う。ピカソの名前が出てる。見方によってはこの作品。立体的な空間にも読める。レモン。何がレモンなのか。思い思いにレモン印象は勝手だが、わたしにはレモンのレの字も想像もできなかった。其れなりに緊張感漂い読めるので、何か立体的なタイトルのほうがいいんじゃないすかね。と思う。 (レモン)

2024-06-21

夕方NHKの地元放送を見ていたら、原爆ドームの前で自らを詩人と名告る男が何やら書かれたポストカードを観光客に配っていた。男は確か地元圏内出身で大阪からやって来た高木某とテレビでは伝えていた。 この団塊世代に近い自称詩人から原爆についての詩が少しばかり紹介された。なんてことのない詩だった。臆せずに堂々と自らを詩人と名告る男を見た。わたしは吐き気を覚えてチャンネルを変えたよ。 君らはどう思う。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-21

「ザ.フェデラリスト.ペーパーズ」1787~1788 この政治論評をハミルトンと共同で書き終えたJ.マディソン(第四代アメリカ合衆国大統領)はスコッチに酔いながら湖畔を眺めていた。部屋には暖炉が灯る静かな秋の夜だった。振り返るのは(o’ Say can you see,by tha dawn's early light )この1814年当時の英米戦争。イギリス海軍に捕縛されていた詩人(弁護士)の「フランシス.スコット.キー」が朝焼けの中で見たはためく星条旗を。あの激しい砲撃にもかかわらず尚も味方の砦は死守されていたことを。彼はこの感動を後に詩に掲げるのだ。 「The Starーspangled Banner」 机に置かれた二冊の書籍。マディソンはいまでは何もなかったかのような心持ちで眺めていたのだ。……という想像をしてみました。 すみません。 (夜行)

2024-06-21

は~い!よお、来ましたね。それでこそ澤さんだ。お勉強させていただきましょう。ありがとう。 因みに凧よ氏は中韓映画だ!とか書いてるけど、中国の、それはもう少し昔話。韓流派、テレビドラマじゃないんだから。アジアなら中央、イスラム圏、イラン映画やアフガニスタンにもいいのがあるね。中国韓国の映像なんて言葉が耳触りで観たくないです。これは差別化してます。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-19

ティムラーさん、最果てのタヒチさん(本人様にはごめん、ジョークです)は女の子のような男子ですよ。笑。僕はあんまし趣味じゃないけれど、さすがに雰囲気はある。人気のあるのもわかる。僕も誰も見たことのないような怪人の格好して表舞台に立ってやりたい、かな。いや、恥ずかしい。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-19

手紙の内容からその追記のような構成だけど、短いけれど構成的にはめちゃくちゃだ。しかし、それが活かされているのが、唐突に導入される対比的な感情の~ぐんぐん伸びろよ、雑草。ですかね。これは回顧する心情とは相反して未来を肯定的に捉えれている。だから、ぐんぐん伸びろよ、雑草。この言葉が活きるのです。 (跡地)

2024-06-19

他方現代詩フォーラムをみてもこのように行数を区切ったように書く人は多いけど。制約って日本じゃ俳句や短歌があるではないの、かとらん(ごめん) atsuchanさんが中の形式を壊して見本のように挙げてるね。面白いよ。ここでは四連の冒頭から置かれる~そうです。そうです。この辺りの空間を崩してほしいな。という崩し好きな僕の感想でした。 (愛おしい季節)

2024-06-19

1980年代以降生まれの映画好きが不幸なのはDVDになっていない希少な過去作品を観れていないことだろうな。昔は民放でもNHKでも放送してたんだよ。? 僕は貸しビデオ屋からテープに録画したりしてるけど、もう店舗でも見かけない。70~80年代。まだ深夜のテレビで放送されいた映画作品。あれは存在しているんだろう?視聴率のことや状態を考えてなかなか放送されないけど試験的な作品はいっぱいあるよ。いまでは映画も派手なトンデモCG作品ばかり、国内ではライトノベルを原作にしたような少女趣味の泣かせ目的な映画も撮られているようだけど幼稚臭くて観ないね。だからアニメ作品。残念な時代だけど仕方ないのさ。詩人も同じ。もっと本音でぶつかれよ。例えばなんで天皇制って必要なの?国家って、、 、政党なんかに縛られない意見。馬鹿にしないで主張してみろ。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-19

若い人たちって、まあ30歳前後までになるんだけど、何が面白くて詩なんか書いてるんだろうね。?え、じゃあおまえはなんで書いてるんだ?いい歳をこいて。って言われたら、まあ、なりゆきなんだけど、映画や音楽、絵画、それにテレビ好きだから原作の小説という書きものから作家や詩人に興味を覚えただけで、詩は手っ取り早く誰でも書けるからね。下手をすれば昨日の悪ガキが天才詩人になったりする。そんな刺激のある世界でもあるわけだけど、実際はほぼ不可能な世界。書けば書くほどわからなくなる。まあこれは詩に限らずだけど、わからないから続けてる。って節もあるね。長く書いてる人は皆さんそうじゃないかな。べつに苦しんで書くほどのことでもないけど、わからない。なんで詩が詩人が必要なのかもわからない。わからないけど書いてる。そんな世界だよ。其れなりに専門の文学教授を目指すのならばいいけど、よほどの馬鹿じゃない限りあんましオススメはしたくない世界ですよ。詩人?ってね。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-19

情景を辿るのかと思いきや、盲目の老犬が出てきたところで内容はがらりと奥深く浸透するわけですが、この盲目の老犬をどう捉えたらよいのかと迷ってしまう。つまり内容を深めたことで作品は二重性を帯びるわけですが、冒頭からの数行に照らし合わせてみれば、それがこの詩にどういう影響を投げかけているのか。ちょっと懐疑的な見方になってしまった。 (アスチルベの水辺)

2024-06-19

よっぽど、と言っても以前からだが、アイラブユー田中宏輔氏の所業が気になる様子ですな。 わかりますか?      詩 所業 詩は、少なくとも私の場合ですが、魂を込めた誤魔化しです。心を込めたといってもいい。つまり欲の無い詐欺師といってもいい。私の場合ですが、    自分を信じて誤魔化している。            普通ではない見方をしようとして鷹は届かない鳴き声を発するのですよ。                                  (しゃがんで「田中宏輔」を読む)

2024-06-19

あの頃は澤さんという方がそれほどに熱いお人柄だとは感じもしなかった。むしろ膝元から締まりのある洋装に細い眼鏡の似合うお人だと想像していたのだ僕たちは。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-18

外国人の書いた詩は、割って半分は翻訳者の詩を読むことになるので、いくら作品に感動できてもそれが原作者の意図するものだと正確には言い切れないので、こと細やかに分析して批評することは難しい。そこで語学の知識が必要にもなる。身近な英国ならまだしも、仏語?独語?訳せないわたしは、大まかに、ああ、イイねこれ、としか言えない。それも悩みのタネですね。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-18

壁という人工物のキャンパスに絡まる。まさに無意味に奇妙な生え方で、こういう蔦の生命力を見ると地球がやがて再生されてまた緑に覆われてゆく。というのもわかる気はします。ハトは映らないが詩もいい。 (童話)

2024-06-18

世界は音も光もない存在という認識も知覚もできないわたしへの旅 無我を求め無我に困惑する。言葉とは無意に帰する意味で、そこに真実はあるのか、或いは永遠という無死を意味するのだろうか。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-18

~ただひたすら自分のために生きよう~理性をなくしてフライドポテトを食べたが、人類にはフライドポテトはまだ早すぎる食べものだった。込められた喩をもとに羊飼いと羊の小咄を考え合わせれば、内容的には人間の仕草に対しての諦念とも取れる皮肉が込められている。単純な話しにオチをつける。と言えば伝習のようにお決まりごとがあるのも落語ですが、なかなか奥の深い小咄ですね。理性を求めてフライドポテトなる理性に再び挑戦してみたが、フライドポテトに込められた理性にはまだ到達していないようだったことを知るはめになる。つまり独立独歩と個人に徹していたわたしが、何故か集会(会議)に興味を持ち始めたところからこの小咄は解決できないに向かってしまった。という逆説的な趣向が伺えてきます。むろん自分のあたまの中の思考なので直接的に誰かと対峙するような内容とははっきり言えません。元々の、いや、或いは現在形の関係者の方でしょうか? まあ、面白さを考えたらどうでもいいのですが、会議と言えば元文藝春秋社編集長の高橋一清氏がその著者「芥川賞直木賞秘話」の中でこのような内容のことを書かれている。  …当時の芥川賞選考委員etc.の顔ぶれは作品への印象批評というより、小説への論評、すなわち理屈が多く、小説も面白い筋のある小説というより、流行りの文藝理論や手法を取り入れた実験的な小説や細やかな心理を描く小説が多かった。…そこで第114回下半期の選考委員を宮本輝氏と石原慎太郎氏に加わっていただきました云々…。そして小説について話し合う宮本輝氏とは文藝理論を知った上で「面白いか、面白くないか」で意見は一致するという。また石原慎太郎氏も実感的な小説論者で理屈っぽい言辞を長々と述べて理解しようとする選考委員を「それでどこが面白い」と斬り返す発言をする。選考委員たちには不満だったかも知れないが、世間一般の読者の読みはこの二人の作家に近いと思った…etc.という内容のことを著者は述べられている。  どちらが甲乙と記す記さないにせよ、それだけあの注目される賞には責任者側から見た選考することの苦渋が記されている。 コメントは逸れましたが、主に素人集団のサイトです。難解で実験的な作品からエログロナンセンス、ユーモアから面白さを求めた詩といろいろあっても宜しいのではないでしょうか。 (話)

2024-06-18

あら!皆さん挙げてたのね。どうも空気読まなかったな。笑。まあ、どこまで現代詩人会に負けないような詩が集まるかだな。ミイラ取りがミイラになってしまわないように。例えば前衛的にも思想的にも倫理的にもより自由度のある。程度違いを出していってほしい気はある。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-17

その昔「永遠などなかった」そう言って詩サイトを立ち上げた人がいた。同じように「平和」これも単に言葉による理想にすぎなかった。ではこの世界で一体普遍的なものなどあるのだろうか。詩は言葉は何処へ向かおうとしているのか。否、何処へ向かって足跡を残せばいいのだろうか。詩は言葉とは残り得るものなのだろうか。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-17

抒情を誘いようには書けていると思いますよ。ただ~誰かの涙で満たされた渥美湾が~この誰か、ですね。渥美湾といえば愛知県の南東部で多くは埋め立て地ですよね。背後には豊橋市があり化成工場などが集まっている地域だと思われます。誰かの涙、とは誰で何のことでしょうか。せっかく地域的に指定されているので、ここがはぐらかされてしまっては読み手としては残念な思いが残りますね。例えば、埋め立て地に拡がる慚愧な念なのか、工場に対する公害や労働とか、そのことを念頭におけば石灰色の涙(例え)とか、作者の思いは事象で言葉にできると思います。 終わりのほうには石鹸の匂いや糖蜜菓子の匂いにいつまでも酔いしれていたい語り手がいる。~その優しさが僕の覚めることを~これは覚醒されたくはない。つまり現実に引き戻されてたくはない。という思いからでしょうが、~僕の覚めることを~ここももう少し表現として工夫してほしいな。という感想ですが。 それにしてもいまだに旧文極のことが取り上げられる。私などもたいへんお世話になり愉しませていただいたその一人ですが、彼所も発起人や選者が入れ替わり辞めていくようになってから次第に凋落の途を歩んでいくことになるのですが、まあ人が変われば仕方ないでしょう。人がいないとどうしても仲間内に頼るようになります。愚痴不満の批判的な意見を蒸し返せば、終わりのほうの入選作品は本当に酷かった。私的にそう思うだけかと勘違いしたくなるほどレベル的に酷かった。そんな不満を抱えていた投稿者は多かったでしょう。どちらにせよ好き嫌いで判断できる世界なのだからこれも仕方ないことで、彼所の一番の失敗は選出の趣きに偏ってしまったことでしょうね。だからどうしても発起人や選者の読みレベルで必然的に叩かれてしまうわけです。その点こちらBレビでは携わる方々もそれほど選出に趣きを置いていないのがいい。と思われます。まあしかしもう文極のトラウマからは離れましょうよ。一時代は過ぎ去ったのです。変容の乏しいアカデミーな詩壇への対抗心からダーザイン氏が立ち上げた投稿詩サイト。むろん私には大いに有意義でした。ときたま現代詩人会のサイトを覗いていますが、彼所はやはり強いです。詩人として優秀な人材が多いので選ばれる作品もレベル的には高い。もちろん頸を傾げたくなるのもある。反論もあるでしょうが、わたしが見ている限り詩人会に投稿される詩は技術的にも思想的(詩想)にもレベルの高い作品は多いようです。此方も負けないで長く引き継いでもらいたいものです。 敬具(笑) (早朝列車で)

2024-06-17

有無。原子心母などと書かれればすぐにあの振り返る(牛)。ピンクフロイドのジャケッが思い浮かぶのも私たちの世代で、あのジャケットの牛には心母だけに何かしら意味もあるものと思っていたら、べつに意味はないらしいですね。  滅紫雲の揺籃。字義通りに読めば青い空に浮かぶ色雲のゆりかごに消える様なのか…。自然な雲の色なら光によって七色にも変化して見えますが、人工的な雲ならばそうはいかないでしょうね。人工的な雲といえば思い浮かべるのはあの核爆発のキノコ雲。 そういえば昨日降った雨で庭に咲いた紫陽花がその重みで垂れていました。幾つも紫陽花が。あの青い花びらの塊がときにはキノコ雲や脳みそに見えたりして、ケイトウなんかまさに鶏冠で、花びらも色々です。 この詩はわからない。読みも難しいし、わからないということに佳さを認めるしかない。もちろんAOIさんだというのが一瞥してわかる詩ですね。綺麗にわからない詩というのは数も多いし、それだけに見ても読んで辟易してしまうものですが、この詩は綺麗に書かれてはいない。むしろ破綻に向かっていますね。核の時代に咲く紫陽花のように。平安を考えればこれから時代はどうなるのでしょう。果たして揺籃期なのか、それとも黎明期なのか。わからない。何かしら念頭には置かれているのでしょうが、わからない佳さがある、ということでご勘弁を。 (滅紫雲の揺籃)

2024-06-16

うむ、同じシュールなイメージを浮かべるにしてもやはりその先鋭化された言葉の洗練度が一味違いますな。印象がAOIさんと重なって、それは老害だよ君たち、と言われてもこれは仕方ないのです(笑)モンマルトルの丘を闊歩したものたち/並ぶ蝋人形の館/それは奇妙な画像が目の前に想像できるのだから。 (シュル掌編, パリ盆地にて、)

2024-06-07

僕はたぶん不良少年でした。不良ではありましたが虐められっ子を決して虐めたりはしなかった。むしろ手助けしたいほうの一匹狼に憧れる気質でした。 こういう詩を読むとこの作者もずいぶんと虐められてきたのだろう。と想像できます。 滑稽なんです。 ~あなたの美を掴み取ろうとしたら、指の先が棘で傷つき精神病を得てしまいました。このような滑稽な表現は私にはできない。たぶんそれは愛を感じ取る能力に欠けたところが有るせいだと思う。愛を賛美し歌い挙げる。真実に愛を奏でるとは滑稽な物語にも似て、そう、あのチャップリンの映画の主人公の様にです。やはり黒髪さんは貴重な詩人のお一人だと思います。 (ルイジアナ)

2024-06-07

そうですね。よく息が続くと関心します。作者は機知の富んだ方なのだろうな。という印象で、下手に知識をひけらかそうとしていないところに好感が持てます。あ~久しぶりにあたまがすっきりした。そんな愉快で辛辣でもある作品を拝見しました。 (日記夜行)

2024-06-07

読み終えた後からそのタイトルに頷いてしまう。 (弦楽器の凹みを地獄耳で弾く)(八頭身の鯛の髭が震える)この喩とも云えない云えるような挿入部が全体を覆う肝でしょうか。 自省の句のようで込み上げてくるものがある。込み上げてくると云えば全体的にその自省を促されます。熱く胸にくる。しかしいけないとも思う。これは下手にわかったような解説をしても屁の屁の茂辺地ですね。笑ってしまわれる。いけないですよ。経験を積んだ者でないと頷いては読めきれないと思う。そこで私がどれだけ人生経験や詩経験を吐露したところでこれも屁の茂辺地ですね。何度も読めて教訓のように愉しみましょう。御礼が言いたくなる詩も珍しいのです。 (それで幾分安堵する。生け簀のものは頼りない)

2024-06-04

こういうペシミズムを帯びた詩を読むと60s~70sに吹き荒れた学生運動を想起してしまう。それは祭りのあとのような喪失感。諦観に打ちのめされた虚無感だけが漂うからです。「はね」最後までその正体は明らかにされていませんが、それは夢にみる抑揚感に満ちた希望のようなものでしょうか。いいですね。 後半部「あなたのはねです」が天声人語のようでいい。しかし全体的に平易な語りでメリハリの変化に乏しく「はね」のイメージが浮かび上がらない。後半部よりイメージを際立たせるように文体に変化を付けて遊んでもいいと思いましたけどね。 (はね)

2024-06-04

上記の熊倉さんの意見に被りますが、血に染まるウエディングドレス。血に染まらなくとも砲弾が飛び交う中で結婚式を執り行うカップルや参加者たちの勇気には感動しますね。 ~あなたたちのポケットいっぱいの夢は、血にまみれて戦禍に燃えて消えた。~大人の罪よ。 べつに戦争がモチーフでなくともリアルな出来事を詩として姿を変えて表現するのは怖いですね。気をつけなければならない点がたくさん含まれる。まだメッセージとして直に訴えたほうがいいのです。それは直接当事者の方たち、または同じく外部から眺めている人たちからすれば、当事者でないおまえに何がわかる? この一点を追及されただけでも私の口は閉ざしてしまうからです。 (ポケットのなかに)

2024-05-30

わたしはわたしをわたしのわたしに~と微妙に繰り返され誘導され増幅されることによって緊張感は高まっていきます。それはわたしの内省の中で正体を隠している化け物が本性を現しては姿を変えるように。言葉遊びの妙味とも取れますが、ちゃんと内なる叫び声も孕んでいて印象に残る作りの詩ですね。 (名をつける)

2024-05-30

モマに入りたい。とあるのでMoMA(美術館)のことかな。ラッダイト運動。讒謗律。聞いたことのない名称も出てきて教えられる。何かしでかしそうな不穏なミッキーですが、わけわからんです。 (牙とミッキー)

2024-05-30

訂正。短い詩人~ごめんなさい短い詩、でした。 (線香花火(改訂版))

2024-05-30

線香花火。短い詩人ですね。短詩の場合はなによりもイメージが重要だと思います。~でも待ち合わせ場所に僕が好きな彼女はいなかった。この思いが核となり終わりの三行へと収束されていく。散文としてはもちろん不足しています。しかし線香花火を考えればこの短さの中での出来事に纏わる文章はこれほど必要もないだろうと思われてきます。リアルな出来事として語らせるのではなく、上記した核の部分を中心に、熱くも小さな炎に浮かべた儚い思いをイメージさせてみては如何だろうかと思う。詩表現の面白さとは、その対象を瞬間のイメージとして如何に切り取るか。そこに有ると思います。 ちょうど読み解くのにいい短詩が今月現代詩人会に掲載されてますよ。「卒業式」ryofu 絡め切り取った瞬間瞬間の綾を感じます。参考になるかも知れません。 (線香花火(改訂版))

2024-05-30

ん?なんじゃあこりゃあ、でとてもコメントなんてできんわ。とか思ってたのですが、百獣の~とか、彼は世界が一枚の葉になる日を、世界がほどけ踊る日を危惧していた。とか、終わりの方には~海と空の核融合を止めに行こう。などなど気になる文句がある。そこでもう一度読んでみるわけですが、うん?こりゃ以前、やはりわけわからん読みづらいの途中で止めたハーラン.エリスンじゃないか「世界の中心で愛を叫んだけもの」じゃないか?と思えてきたわけです。僕は知らなかったけど、このタイトルはTV版エヴァンゲリオンの最終話のサブタイトルで使われたようですね。百獣の~そういえばおどろおどろしい怪物のような獣たち。狂気に奔るのか、と思えば終わりの方では求愛的な行動を促す話。なんだか創世記の箱舟が時空を超えたかのような物語。似てますよね。これは人類の狂気から排出される善と悪の意識人。それはとうとう生き物の姿をも想像上の怪物に変えてしまったわけです。この世界が齎すものは結局愛か狂気なのか。我々人類の決断はその最終局面にあるのではないだろうか、と。 熊倉さんのわけわからん作品。しかし読み取りづらくともそこには何かしらの意味がある。と思わなければならないのか。  うらやましい才能だな、と思う。 (決別の夜)

2024-05-20

冒頭部分を要約すれば昨日は昨日今日は今日、ということでしょうか。マクロ的な観念としてみれば人間の本質なんてわからない。人類の叡智を司る世界樹なんていう概念が北欧神話にはみられたりもしますが、哲学でいう懐疑主義的な見方をすれば帰納的な認識としての否定に辿り着いてしまうわけで、結局人間の知力では普遍的な認識など得ることは不可能である、という。これも形而上学的に矛盾する二律背反としての存在論を人間は本質的に背負っている。つまり柱となる大きな樹木の枝に分かれ抱え込む様々な知恵や知識を、人類や生命の根源であると崇拝したところで背後にあるモノの見方本質は普遍性を伴わない。得体の知れない時間という概念の中では物質は常に変化していくものだ。という。根底にはそのような思考によって書かれてある詩だとは思うのですね。~樹勢を弱めるためにそれを守っていきる。とはこの不可能な本質性という背後に抱えた認識を、我々人類は存在論として認めて進化して行くしかない。それには超人としての知覚自覚を得るしかないのだ。答えはまさにニーチェ哲学になりました。笑 (樹勢)

2024-05-19

例えば、ドタバタ迫力のある騒がしいだけの娯楽映画を面白がる人もいれば、眠たくなるような中身の濃い作品に惹かれる人もいる。人それぞれ面白さの基準には差があるので一概には言い切れません。 自分は昭和生まれでけっこう我慢強くて石の上にも三年、とかいうあの忍耐力を称える諺をたたき込まれてきた世代なので、ずいぶん無理もしてきたなって思っています。人見知りもしますが、話し好きで見た目は弱々しくは見えないでしょう。むしろ自分の殻に閉じこもるのが好きな質なので、あの人は何を考えてるのかわからない。よく言われたものです。そんなわたしがやれ肩が痛いとか腰がわるい、況してや鬱病ではないのか?と他人に言ってもほとんど信じてはもらえないのです。それは、つまり少々では弱音を吐きたくない。というあのトラウマのような諺に取り憑かれているからでしょう。つい無理をしてしまう。なかなか信じてはもらえないので親しい友人にも本心は秘匿されてしまうことになる。正直どのように受けとめてもらうるのか、それを考えると怖いからですね。 ~のように考えてみれば、わたしが投稿詩というサイトに関わってこられたのはやはり本音で語れる。という側面があるからでしょうね。もちろん作品では嘘も作りますが、コメントや批評では嘘も吐けない。それは互いに顔も素性も知らない相手で、空間に遮られているという安心感もあるからでしょう。そのことはまた知らない自分を引き出してくれる場でもある。自由な空間です。素晴らしいことですよ。言葉で表現するってそんな良さがある。といま書いていてはじめて気づいたかのように気恥ずかしくなりました。笑。よくもわるくも言葉を通じて素の自分が出せる。いくら装うことになっても、です。その様に詩を書く行為とは、つまり掛け替えもなくやはり素晴らしいことなのです。 (薬を飲んでから)

2024-05-19

あの山の稜線と想像の痕跡が等しい~この冒頭部分がいいですね。この二行を読んだだけで、これから意識は二つに寸断されて流れていくのだ。と云うのが観念的な読みとして手に取るようにわかってきます。詩は目線から指先に戻るという想像視点で描かれています。竜胆、なんて硬い漢字使いだな。と思えば病院内の出来事も想像されて、なので竜胆は花としてよりも漢方としての薬を意識します。余談ですがこの竜胆は猫には毒だそうですね。酩酊するマタタビ症状にもなるらしい。毒薬草として身近な植物にもこうした作用は含まれているんだな。と改めて認識してしまいます。  稜線を基準として左右非対称に描かれる三角点。脚を滑らせれば一方は地獄、崖の下へ。また一方は病院内という現実の地獄へ。(僕は高所恐怖症なので近づきたくはない)。どちらにしても死の世界だ。しかしこの危険な稜線に立ち向かい真っ直ぐに歩いて行った。という点に関して云えば、息づくこのどちらも白い指先でなぞるようにわたしの眼には美しいのだ。という。 「稜線」。この詩は死生観を賛美した詩だと私は解釈します。 (稜線)

2024-05-18

おまるたろうさん、再コメありがとうございます。➰ですか。それに井上達夫は調べてみたら面白そうな本もありそうだ。ザ議論。対談の相手は小林よしのりだな。アマゾンにあったのでカートに入れておきましたよ。 ※ 鷹枕可さん、再度ありがとうございます。 詩もこれからは対AIでしょうね。シュールな詩を読ませてみてくれ。ててなて問いかけたら、おそらく奴らは過去の詩作品から分類分析して提示できるようになるでしょう。オープンソース。意味を持たない持たせない、なんて指示しても整えるのは簡単でしょう。そんな怪物AIにも絶対理解不能で人間だけが感化できる詩。それは詩なんて呼べるのかわかりません。AIがいくら光速を超えようとも人間の次元を超えた夢には叶わない。そんな詩を夢に描いています。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-18

黒髪さんがコメントしてるように各連の冒頭は面白いですね。またnew先生がおっしゃるように(けったいな)というのもわかる。これ、少し大きめの「舟唄」ですよ。演歌ですね。歌でもサビの展開があるんだから、やっぱり展開するオチはほしいところですね。 (これが、生きてる!! 答え。)

2024-05-18

鷹枕可さん、コメントありがとうございます。 まだ暗い明け方だから見えないけど鳥はいいね。ピーヒョロロ。鳶かな。最強の鷹じゃないすね。いつも橋の欄干で鳴いているのね。僕もピーピーと口で合図してやる。するとそいつがそ飛んで僕に付いてくるのね。少しの距離だけど。もちろん暗いから上空は見えませんよ。でも可愛いもんだ。 少し前までBSテレビの深夜放送でやってましたね。60s~90sにかけての海外のヒットソング。主にUKのロックバンドを。知らないグループもたくさんいて、でもその中でもう一度聴きたい曲のグループってやっぱり少なかった。好き嫌いは良し悪しはべつにしても、やっぱり世界的に売れたグループって個性的で魅力があるのね。知らなかったマイナーなグループでもそうです。印象に残ったのはやっぱり独特で個性的なグループ。曲も見た目の雰囲気もね。そんなときはいつも思うのですよ。よくもわるくも独自性がないとダメだな。ってね。人のやらないことをしなきゃ、そりゃ目立ちませんよね。目立とうなんて思わなくても印象には残るものです。詩も詩人も同じでしょう。人のやらないことをやりたい。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-18

おまるたろうさん、さすがに乗ってはこられなかった。オールドリベラル?そうでしょうか。これは訳せば一昔前の自民対社会。二大政党時代でいえば自民党ハト派または社会党の右派ということになるのでしょうかね。個人な意見ですが、革新には期待していますが、もう政党にそれ以上を期待するのは無理だと思っています。 ※下に延びてしまうので、お二方同時に返します。 妻咲邦香さん、コメントありがとうございます。お名前はちょくちょく拝見いたしますよ。いい詩書かれてる。 竹下通り。流したいと思ってた時からずいぶん経過しました。詩人賞。そういえば女優の秋吉久美子賞なんて儲けてあったんですね。特に女性の方には興味も惹かれるでしょう。直接テレビを前にしてすらすらおしゃべりできる方のパーソナリティもすごいこと。これには経験も必要でしょうが、どちらかといえば役者さん、俳優専門の方々は生の出演は苦手なようです。普段のカメラと違い見えない圧力緊張感に負けてしまう。そんなことからも、役者さんって、やはり詩人なんでしょうね。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-18

追記。そうだな、倦怠感。アンニュイさを伴う女性には惹かれてしまうところがありますよね。外は雨の、窓ガラスには水滴が紗を透した傘のイメージでしょうか。フランス映画に出てくる、例えばドヌーヴのような、日本人の歌手でいえば大貫妙子でしょうか。原田知世なんかもそうですね。これもはじめて言われて驚いています。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-18

ペえ太さん、たぶん詩を書く皆さんそうでしょうが、この世界もVRなんですね。ちょうどTVで放送されてますが、僕も詩を書いているときは別人になります。真実は寂しい人間なんですね。ほとんどひとりぼっちを受け入れています。べつに人間嫌いなわけじゃないけど、実際リアルなお付き合いはもう面倒くさくて、ファンなんて言ってもらえるのはじめてですよ。こちらに投稿されるほとんどの方たち、先出のAOIさんなんかもそうでしょうが、一文を読んだだけでその人の詩経験がわかる。どんな意図形式に装われていても先鋭化された言葉にその人の歴史が出てくる。しかしこれも厄介なことで、経験を積めば積むほど置いていくものも多くなって年齢とともに逆に思考は子供還りしてしまう。もう取り戻すことはできない。もっともっとシンプルな自分を見つけたいと思っています。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-18

AOIさん、コメントありがとうございます。 そうですね。なんて言葉から入らなければならないつまらない書きものですが、これはメッセージ臭いので、ああ、こんな馬鹿な奴がいる。と思ってくださればそれでいいのです。ずっと詩を眺めていると刺激を求めて読んでしまう。知らない人の書き上げる驚きは新鮮でいいものです。能力を発揮する機会には恵まれなかった。いや、機会をモノにする才能もなかった。はじめから才能なんてなかった。物書きは皆同じように悩むのでしょうね。もう夢中になって書いていた頃の迸る汗は取り戻せない。書けば書くほど何度も何度もくり返し詩がわからなくなる。何のために?ではないのです。僕は環境も変わり少しでも楽に生きていける事ができれば躊躇なく詩を捨てます。いつもそのように考えて生きている。変化にも挑戦しましたがやっぱり上手く乗り切れない。どうやら神様はおまえに幸運は与えない。とそうおっしゃっているかのようです。人生を悲観するただの厭世家だな。そうなんですね。もうそれも受け入れることにしました。運命は変えられない。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-17

しまった。波平を忘れた。タラちゃんはまだ生まれていない。 カツオ「…やったあ!家族勢ぞろいだ。じゃおじいちゃんにも、ねえ、おじいちゃ~ん!」 庭で盆栽をいじっていた波平 波平「お!そうか。じゃあわしも一緒に行こうかのう なあ、マスオ…」 マスオ「@&*&@……あ、ああ……  」 (B-REVIEW 5月のお題詩「サザエさん」「ハンディキャップ」 )

2024-05-17

ホテル「シタベラーメ」は駅前から歩いて10分。飲食街を横道に逸れた所。 カレンダーをチェックしながらマスオはこの新しくできたばかりのラブホテルのチラシに目をやった。 マスオ「おい、サザエ、ちょっとこれ見てくれ、下着買ってきたよ。へへ。なかなかなパンツだろ?へへへ。」 サザエ「あら!いいわね。わたしも買っちゃおうかな、ね、同じ色の物」 マスオ「!」うん、それ、いいねえ」 マスオ「ところでさあ、なあ、明日しか空いてないんだよ。明日にしようよ。な?」 マスオはニヤリと薄笑いを浮かべてサザエのほうを見た。 サザエ「もう~しようがないんだから~わかったわよ明日の昼過ぎね。」 サザエの顔が少しだけ血行よく火照った。 この新しくできたラブホテルの通りは昼間のほうが人通りも少なかった。 マスオにとってこのトビウオのような捌け口の愉しみは、1週間に一度というサザエとのセックスだった。もっともサザエのほうは1週間に一度でも過ぎるという思いはあったのだが、それよりもマスオとの抱擁の最中にはキマッテ熱い息を吹きつける、ヨン様の表情が思い浮かべるのが秘かな愉しみでもあるのだ。 サザエ「じゃあ、あなた、明日はカツオもワカメも学校がお昼までだから、車の準備しておいてよ。」 マスオ「ああ、わかったよ。そうか、昼までか…」 しばらくして玄関のドアが開く 「ただいまあ~」 学校からカツオが帰って来た。 カツオ「ねえ、母さん、学校明日昼までだろ、それでね、友だちの鮫島くんから動物園へ行こうって誘われたんだよ。 鮫島くんの妹のエイ子ちゃんも一緒でね、それからお母さんの海老代さんも行くから母さんも一緒にどうかって……」 サザエ「エエ! 海老代さんも一緒に行くの? じゃあ行かないわけにはイカないわねえ…」 カツオ「でさ、車で迎えに来てくれって…」 「……   」 …サザエ「あ、あの、ちょうどお父さんが明日休みだわ会社。  …ね、あなた… 」 カツオ「 え?そうなの、じゃお父さんも一緒に行こうよ。やったあ!ワカメも昼までだし、家族勢ぞろいだあ…ね、お父さん」 マスオ「 @&*&@……あ、ああ……   」 (B-REVIEW 5月のお題詩「サザエさん」「ハンディキャップ」 )

2024-05-17

計算マチガイ書きコました。79ー7は72ですよね。ボケてくるとこんな簡単な計算もマチガイを起こしてしまう。大谷翔平も17でしたね。7という数字は幸運を引く数字でもあり、霊を惹きつける数でもあるって霊媒師の方がおっしゃってもいないか。すみません。作り話です。 (7を引く)

2024-05-17

佐々木 春さん、コメントありがとうございます。 もうですね、詩が面倒くさくて嫌なんです。だから他人の作品ばかり読んではコメントしてる。ええ自分なりにしっかりと読んでるつもりですが、鬱も酷くなると集中するのが辛くなる。もう詩は嫌ですね。たまらなくどうでもいい。好きだとは思えないのに習慣になってしまった。鬱が詩を呼び詩が鬱を呼ぶ。いまは一生懸命駄作に専念してやろうと思っています。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-17

万太郎さん、コメントありがとうございます。identityってなんでしょうか。1作2作と愉しんで聴いたり眺めたり読んだりしても結局好みは絞られてくる。選び抜いたその人の作品はなんでも受け入れられる。最後は残ったものの価値観ですよ。共感度。あたりまえのことですよね。詩が人生を摸索するのではない。人生が詩を表すわけです。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-17

おまるたろうさん、わけわからんけど、コメントありがとうございます。 ところであなたは天の陛下様にあたまを下げれますか?誘われたら園遊会に、年明けには記帳しに行く派でしょうか。? (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-17

79から7ヲひいたら70ではないですか?100から7ヲ引き続きけたら最後は3が余る。それにまた100ヲ足して7ヲひいたら93かあ。はじめに戻るわけですね。ラッキーナンバー7っていう数字は複雑だな。やっとわかりました。そういえば名無しの権兵衛さんも七つ時が思い出せなかった。 (7を引く)

2024-05-16

せこい犯罪が増えていますね。 強盗にしても、相変わらず公職に就く人間の性犯罪にしても。 日本人は外国人の対応には慣れていないので、戸惑うばかりです。 米国の大統領は日本人は外国人を嫌っているという感想を持っているようです。 これはあたりまえですね。犯罪の多くは外国人や外国の土地絡みです。 差別的偏見はアカンですよ。わかります。 今後外国人の移住者が増えてくると地方の、特にお年寄りたちはその対応に苦慮することでしょうね。 ツバルにお引っ越し。なんていいかもしれないです。笑 (おひっこし)

2024-05-16

母親の胎内という場所を思えばやは深海とか宇宙とか生命につながる神秘的なものを浮かべてしまいますね。前半部分はいいと思いますよ。胎内ではまだ眼も開いていないわけだからそれを見た人間はいない。赤ちゃんです。なので自由に表現されてもいいと思う。ちょっと気になったのは後半~と、そう思っていた。~そう思った。何度も置かれた過去形ですね。~そんなことを想うのだった。終わりもそう置かれている。これは文章ではつながって読めるのに必要もなく空間に取られているからでしょうか。語り手が何度も出てくる様子で時間的にも混乱して読めてくる。この念を押すように用いられた過去形の文は要らないのでは?とかおもいましたけど。 余談ですが、羊水の~というタイトルを見れば懐かしく思い出す書き手がいましたね。確か「未詳」に取り上げられていた、かな。名前忘れちゃったけど、文極ではイカイカ氏に貶されてたな。airとかに似てるとか、彼はいまどうしてるんだろ。コメントしたことがあるのでよく覚えているんですよ。もうずいぶんと前の古い話です。要らない余談ですみません。 (羊水の歌)

2024-05-15

熊倉ミハイさんが構造から分析を試みておられますが、そうしたくなるのもこの文面から何かしら意図的に隠れたものがあるのでは、という気持ちにさせられるからでしょうね。 筆者は思いつきとかコメントして謙遜していますが、いやいや、如何にも軽そうに捻りを利かせた言葉使いの奥にはやはり深い意味が隠されていますね。策士です。星の王子さまですね。「大切なものは眼には見えない」 積極的な鼠の死とかをイメージするとついレミング(旅鼠)を思ってしまうのだけど、あの集団自殺の伝説も実はW.ディズニーのドキュメンタリー映画「白い荒野」(古い映像なのでたぶん僕は観てないのだけど観てみたい)が引き金になってるらしくて、あれは制作者が意図的に崖に追いつめて海へ飛び込ませた映像らしいですね。そんなことが書かれてある。本当はレミングの集団移動や周期的にみた大幅な数の増減らしいのです。我々大衆はどうしてもドラマ性を求めて作り話受け入れてしまう傾向があります。伝記物の小説もそうでしょう。作者による捏造が真実を追い越してしまう。なんてことはよくある。「伝えたいこと、したいこと」この作品の主旨もそうでしょうね。わざとお捻りを浮かべておもしろい口調で書き込まれてはいますが、実はその奥には我々人間社会への警鐘が隠されている。見せかけの情報に振り回されるな。「真実」は眼には見えないところにあるのだと。 (伝えたいこと したいこと)

2024-05-15

そうでしたか。AOIさんだとは気づかなかったですね。作品に何かしら意図はあるのだろうとは思いましたが、比喩としての扱いでもなかったんだ。これが繋がらなくても文章として成立するのであればオートマチスムとして諦め(笑)もつくのですが、意味が読み取れないのでどうしても比喩として受け止めてしまいがちです。わからないものですね。女性か男性か年齢なんてのも意図的に癖を外されたらわからなくもなる。作者を知って読んでいたらたぶんコメントも違ったでしょうね。面白い、というか、やはり集中して読まなければいけないのかな、と。 (常夜燈)

2024-05-14

筆者の何作かを読んで推奨している私ですが、この作品「水滴」はシンプルなタイトル故に複雑な絡み具合が難しかったのではないかと思われてきますね。この水滴の持つ世界観をどこまで、そしてどのように取り入れて表現しようとされたのか、という点ですね。 ご承知のように水滴とは冷やされた水蒸気が水に変わり、表面張力によって円状にくっついてしまう結露とも呼ばれる現象ですが、普段我々が目にするのは主にガラスの表面にできる水滴か、植物の葉に零れる水滴などでしょうね。眼鏡が曇る厄介な現象も表面の光を乱反射させるこの水滴のせいらしいですね。 この丸い一粒を拡大させて見れば、レンズ効果によって背景を小さく取り込みしかも逆さまに映ります。 神秘的で透明感に引き込まれる世界ですが、硝子窓全体を見渡せば背景はこの水滴によってボンヤリと隠されてしまいます。この逆さまに見つめる世界観で表されているのが、冒頭から二連目までの沈み込み見上げる内面的な世界観でしょうね。しかし、わたしはきっと何色でもない水滴。あなたはどうしてわたしを好きって言ってくれたんだろう。この空間を挟んだ行からは街の景色を取り込み場はがらりと移り変わります。映り変わると言ってもいいのかな。~雨粒が跳ねるような硬い音がしたと思ったのはわたしの聞き間違いだったのかもしれない。雨も上がり日射しが差し込むように語り手はその場ではっと気づくわけです。彼のことを思いながら、わたしは雨粒、この水滴に映り込む小さく閉じ込めた逆さまな世界観で遠くをみつめていたのかもしれない。そして終わり三行の語りはまた冒頭の観念的な内面世界へと戻るわけです。 まあ、わたし的にははじめの観念的にみた内面世界と、外部の景色を取り入れた半ばから後半にかけての場の差をもう少しメリハリを利かせてはっきりと分けられてもよかったのかな、と思いました。特に、~わたしはきっと何色でもない水滴。あなたはどうしてわたしを好きって言ってくれたんだろう。これなどはこのタイトル「水滴」をみつめて思う核のような文言ですね。自分で暴露しちゃってる。冒頭よりも前に、はじめに置かれてもよかったのでは?とか思ってしまう。そして文半ばには景色とともに現象としての水滴が多く書き込まれている。水滴に寄りかかりながらも思いはわたしと彼へ。これをイメージとして捉え書かれた作品でしょうから、そのことを鑑みてみれば「水滴」このタイトルの変更も有りかもしれない。といった感想です。 (水滴)

2024-05-14

これはすごい、勇気いりますよね。そこまでして読み手を目眩ましに騙してみたいのかと。 後半は言ってることも破綻していきますが、「バケモノ」ここまで自覚できるのならバケモノでもないでしょう。兎にも角にも人間が作り上げた命の宿らない動物なのだから。 (ばけもの)

2024-05-13

劣等感も肯定的に受け入れれば人生観も少しは前向きになれる。ってことでしょう。こういう考え方を言葉で表現できるのも詩の良さではあるのでしょうが、詩としてみれば淡々と書かれていて少し余韻が不足していますね。~だが考えてみよう~なんて第三者的に語る話者の印象が強いからだと思われます。 (待つ力)

2024-05-13

常夜灯。見れば比喩使いに飾られているので読んでみましたが、全体的にまだまだ緩慢な印象で比喩に扱われる言葉だけが一人歩きしている様子ですね。 ホコリでできたホタル、連の文末におかれたゆめは、マーガレット、コールタールの理論とか、ひなげしに躓いたスラング、無風の髪を、ツツジの翼を、等々。 例えばですね。「猫に小判」「豚に真珠」は意味あることわざですが、これをはじめて目にした人はあたまを悩ませたでしょうね。訳がわからんわ、と。そこでこの喩の意味を伝えるために創作者は文章に興して理解に努めるわけです。 上記した比喩などもそうでしょうね。単体ではちんぷんかんぷんです。そこで文章に眼を向けるわけですが、~ツツジの氾濫する安物の執着~とか無風の髪を健気に傾けるシネマトグラフやらやかましく諫めるように繰り返す23時~油の切れた灯りと手を繋いで伴奏をはじめ~身代わりの住む街で生ぬるい風を切る~何のこっちゃ?なのです。?これはシュールだよ。日常は超現実の無意識と非日常に置かれ、デペイズマンやオートマチスムの手法でダブルイメージを実験的に操作し置かれているのだ。!とか言われてもあたまの中は?、は?ですね。 この比喩満載に置かれた文章。それでも品詞や句読点の扱いによっては読み取る世界には浸れるのかも知れません。いま少し扱う比喩言葉の研究に努力されてもいいのではいかと。シュールリアリスムの先駆者たち。絵画を例に挙げても彼らは基本的な描写力には長けた方たちでした。   (常夜燈)

2024-05-13

庭先から上がり込んできては体育会系の兄貴もよくやってましたね。家の愛猫を見つけてケツを顔のまえにつき出してはぷぅ~。と。誰の影響か戦後生まれ団塊世代にはこうした下品な人間が多いです。 まさか、まさかね。ここで吉本新黒劇の台本を読まされるとは思ってもみませんでした。アンナネトレプコも驚いてますよ。刺激がぷぅ~です。 そういえばヒトシマツモトによくイジられてましたね。あの田中くんもいまじゃ係長でしょうか。仕返しに部下の小沢くんを使って美人局を計画したら、彼女に裏切られて逆にマツモト部長から博多へ左遷を仰せつかる。まあ、どぶ板とはいえ屋台の地に飛ばされるだけでよかったとですわ。 しかしねえ、吉本新黒劇なんて滅多にみれるもんじゃない。国立現代詩人会館にでも頼んでみたくなる。風刺風俗も社会を問う詩の一分野。ナンセンスギャグ詩大賞の部門を置いたらどうでしょうか? じゃあ、あなた舞台で朗読してくださいよ。 覆面被ってでも。いえ、あ、あの遠慮させてもらいます。祝杯!もうさんざんお尻を触って満足いたしました。ハイです。 (運ぶ、わたしたち)

2024-05-13

冒頭二連目から四連目の空間が爽やかにもシャープでうまい誘い方だ。きっと女を口説くのも上手いのでしょうね。関係ないけど。ガンダム世代でもないけど軟体動物とは超合金オモロイターな話しを読んだなという感想です。 (コアファイターのようなスポーツカー)

2024-05-13

くもゐ、くものゐ。古文の意、旧字体できましたか。読み取るもやさしくはないその望郷を、われ望むくもゐ、かしこあれ。東日本大震災から能登半島地震が過りますね。何故かわからない。読んでいくと、調子が西洋式に流れます。式は古風でも詠みは和歌調子ではないですね。最近シュスタコヴィッチのJAZZ組曲2番ワルツをよく聴いているのですが、ぴったりきましたね。詠んでいるとワルツがここちよく流れてきました。それはこの曲が持つ哀愁、悲哀感がこの詩に重なってきたからでしょうね。秀作です。 (くもゐ くものゐ)

2024-05-13

愛を標本箱に取っておいた。とか言って誤魔化しているけど蟹男、君はカニバリストじゃないか。神経を疑うよ。気持ちわるいよ。でもいい湯加減の風俗風呂で個展と遊んだらまっすぐ家に帰るのね。真面目じゃないの。いろいろと気持ちわゆくてこんなのも有りだと思えば面白いよ。 (蟹男)

2024-05-12

書き落ちてますが、タイトルの長さが新鮮ですね。たまにはこんな吐露物も読んですっきり感をいただける。なので創作コメントに私を奔らせてしまいました。 (きみがしてくれなきゃだめだよきみしかできないんだからもうせきにんとってよどうすんだよこんなのおかしいよそんなのはずかしいもうわたしのことどうおもってるの)

2024-05-11

切羽詰まる。そんな状況でもないのに日常の不満感はやり場のない状況。この不満から不安感を抱えた私は教授からメッセージを書くことを勧められました。そしていろいろとサイトを眺めみるうちに、私は今のわたしの心情にピッタリハグしてきたメッセージを見つけ、突然二十歳の女子大生から詩人になることを決意しました。そのように自覚してました。はてな?いろいろと書いているうちに原題フォーラムよりもこちらB級戦版のほうがいいな(ウンウン)という確信を持ったので投稿してみたのですが、詩人の書く詩を読んでもコメントを読んでもドーモ納得がいかない。みんな、結局みんな偽者よ。誰も本気で相手なんかしてくれない。自分の作品を他人のお気に入りを少しでも良くみせようと術を凝らしてる。有りもしないおべんちゃら。アラガイs氏なんて悪口ばかりじゃないの。詩人サイトなんて大嘘つきだらけだわ。特にこちらで指導的立場にある先生方をはじめみんないい加減だわ。あーあ、もう俺は嫌になった。だからこうして言葉にしてぶつけてやるぞ。不満足を、貴様らに。こんな精神状態を抱えて細胞が切れそうな俺の状態を益々わるくするのかな。誰か責任とれよ。とってよ。ここは政権与党自民党かよ…。とまあ相手に責任を擦り付けることでしか満足感の得られない状況になるほど、創作上語り手は追いつめられても作者は至って平然と構えているのでした。後書き。長々とつまらない創作を入れ込んでコメントしたことを作者様にはお詫び申し上げます。 (きみがしてくれなきゃだめだよきみしかできないんだからもうせきにんとってよどうすんだよこんなのおかしいよそんなのはずかしいもうわたしのことどうおもってるの)

2024-05-11

たびたびごめんなさいね。あれはアヒルじゃないよ。白鳥のアタマだろ?指摘されそうなので訂正させてもらいます。たびたびアタマ出して皆さんには申し訳ない気持ちです。終わります。 (霊音)

2024-05-11

↑ おまるたろう氏+No9 結局同じようなこと言ってんのね。あなた。スカートの内側ですよ。捲ってアヒルのアタマが出てきたら驚いてちょっと間が空いて笑えるでしょう(志村けん)可笑しさもそれなりに納得させてほしいわけです。 (霊音)

2024-05-11

おまるさん、ひとつありましたあ! 天才赤塚不二夫のレッツラゴン! (霊音)

2024-05-11

本棚に席を置く作家たちすべて。ほとんどすべてですよ。おまるたろう氏ご本人を参考にされてもいいよ。僕は知らない。ウィキペディアで検索してみれば誰かが挙げてるでしょ?文章の上手い作家ベスト10!とかさ。 (霊音)

2024-05-11

ごめんなさいね。訂正。遊園地の回る木馬みたいに~これはそのままのでよかです。これじゃなかった。眠気醒めからぬ僕の~眠気醒めやらぬ僕の~でしたね。可笑しいのは。駄目だよ。田中恭平new先生。僕を指摘しなきゃ。 (霊音)

2024-05-11

↑万太郎貫太郎おまるたろうなあんちゃって、ごめんなさいね。名詞出して。 ね、面白いよね。万太郎さん。バカバカしくて。ね、だから、お題は大事。こんな風になっちゃうのさ。笑 (B-REVIEW 5月のお題詩「サザエさん」「ハンディキャップ」 )

2024-05-11

これはですね。推敲してみて自分で可笑しくないと思わなければ駄目でしょうね。たぶん学校の先生から指摘されます。とはいえ、詩には文法を超えた持ち味の佳さもあるのですね。でもそのような破綻を目的にされた意図にも読めない。正式に文法なんて私も学んだこともない。漢文なんて大嫌いでした。しかし物を書くならやはり読みやすく理解される。その基本的な方法はあって然るべきでしょう。先ず助詞の使い方をもう少し検討されてみては如何かと思う。二連目、遊園地の回る木馬みたいに~べつに遊園地が回るわけでもないのだから、遊園地に回る木馬みたいに~でしょうね。どうしても遊園地の~にされたいのならば、遊園地の、回る木馬みたいに~で読点を用いるべきでしょう。冒頭の一連なども、あなたのそのしなやかなで冷たい指が鍵盤の上を踊り、人間の温度が込められた霊音を冷たく奏でた~とかなんとかにされればニ行で済むわけです。 霊音って主題は何かしらそそるわけだから、勿体なく感じて意見もさせてもらいましたが、日頃どのような作家の本を読んでおられるのだろうか。上手い文章を綴る作家たちの書籍は書店に沢山ありますよ。参考にしてみてほしいと思います。 (霊音)

2024-05-11

「拝啓「エアコン」 君の瞼は飛行機の羽根のようには光らない それでも夜のほくろを払いながら、春雨を報せてくれる~」 何回も読みたくなるね。意表をつくタイトルの出だしから喩でつなぐ文章がいいんだ。(夜のほくろ)とか、?ツッコミたくなる表現だけどそれをうまく躱すように立ち止まらせないところが微妙でいい。なのでこんなぶっとんだタイトルの出だしをうまくサポートしている風に取れる。その微妙な文章のセンスだね。上手く言えないけど。 ~私は孤独な老夫婦を花壇に詰めるのをやめました。これなどもそうだね。シュールな感覚に誘われる妙味を既に把握しきっている書き手だとわかる。ぶつかり合いが、なんでそうなるの。とか思えない、ずば抜けた比喩感覚ですね。上手く言えないけど。ぶつかり合うけど決してハビタブルゾーンの外へは進出しないという生命の、その根源的な約束を思ってしまう。 この作品も挑戦してみてほしい。高峰サイトとして君臨する現代詩人会へ投稿してその評価を期待してみたい作品です。 (「クロス・ゲームの手紙」MV)

2024-05-10

木樵とか農夫は同じ連で括ったほうがいいでしょうね。人は働いてしんでいく。人間である以上この宿命のような重いテーマが書き散らかって読めてくるのが残念です。 (ひとは働いてしんでいく)

2024-05-10

作者様におかれましては勿体のうございますね。書き切りましたで賞物。これだけの長編独白詩で杯不参加とは実に残念だ。 (羅列社不勧進帳)

2024-05-10

宇野昌磨は引退宣言をしましたが、これだけ言いたいこと書いてしまえば作者としてはもう思い残すこともないでしょう。といった感想ですが、すごい気力ですね。言葉への執着心から解放されたいのでしょうか。作者の詩作に興じたその人生経験のすべてを読まされたような面白さと暗い気分になりました。もう登る階段もない。足蹴りして仙人はその反動で自らを突き落としてしまう。その叩きつけるような激しさにはguillotine鳥も鳴いて驚いてますよ。その熱量と詩作経験の高さには敬意を祓いたい。祓いたいのですが、正直私も疲れているので、枕をともにします。一言、よくぞここまで登りつめてこられましたね。少しお休みなさい。と言いたくなってきました。笑 (羅列社不勧進帳)

2024-05-10

新しいですね。その言葉使いテンポの切り返し。刺激的で斬新だ。 拝啓「エアコン」まるでVRのなかで過去の自分(部屋)に向けて話しかけているみたいだ。クロスゲーム。僕は漫画は知らないんだけど訳せば拮抗した試合。一体何と拮抗し、その思いを誰に伝えたいのだろうか考えてみるが答えは見つからない。つまり答え(結末)のないことへの問いを問いただしているということになって、読み手は幻惑させられる。面白さ以上に刺激的で、これは優秀賞を差し上げたい。 (「クロス・ゲームの手紙」MV)

2024-05-10

ブラックホールに落ちてしまったのでしょうね。意識されてはいないのでしょうが、磁針のようにも受け取れるのでコリオリの力を幻想に見立てた。北半球では水の渦は反時計回り。南半球ではその逆ですね。そして赤道直下では、渦は巻かれずに吸い込まれていきます。つまり語り手はこの現象をコーヒーを飲みながら時計の針を逆戻りさせたわけだ。そして眠りから目覚めた途端に直下に吸い込まれる。ブラックホールの穴へ。夢のまた夢。そこ現実には作品を書いている作者しかいないわけです。 (針とカップはくるくる回る)

2024-05-09

ライト感覚。といってもちょっと軽すぎ。まあ、お金が無いのを社会の問題にすり替えて読めるのはタイトルの原作(サリンジャー)とも被って読もうには読めるのだが、なんせ、つかまえてがお金だけではねえ。あまりにも軽すぎ。 (ライ麦畑でつかまえて)

2024-05-09

仲間たちでトランプゲームを。たとえばポーカーや神経衰弱をしているときのようなドキドキしたお遊び感がある。タイトルといい言葉を操る巧みさ。面白さ。という点ではマルをあげたい。 (らんらんるー)

2024-05-09

ああ、そうでしたか。ん!コメントを読んでひょっとして、と思っていたのですが、見事に騙されましたね。笑。私からみればよくぞ騙してくれたのよと。お見事ですね。 (空の別名)

2024-05-09

書き落ちましたが、~名も知らぬ花が咲き実を結ぶ~ この後半から終わりまでは特に秀逸に表現されていますね。唸りました。 (crackの踵、鎮座するうららかな痺れ)

2024-05-09

トビラさんの意見を拝見したのでちょっと。 まあ、詩の感じ方捉え方は思い思いであっていいのですが、 たとえば手摺りと鍵、或いは爪を噛む白い手が、古雑誌の意味を掴む。 冒頭部分ですね。この冒頭は~ならそれで木目地愛で謎るだけで~の文節の後半に寄りかかってきますね。謎る。漢字を見ればこれも普通に手でなぞるのではないということが読み取れてくる。なのでこの冒頭部分は時空の超えた非現実的な読み方をしなければ単に可笑しい文だということになります。 しかれば爪を噛む~用いるならば然らばでしょうが、これを持ってきたら手摺りと鍵を爪を噛むにつなげて読まなければならなくなる。この冒頭部分は意識を外さなければ後ろの文の味わいにはつながらない。なので、手摺りと鍵、そして、爪を噛む白い手、とはイメージを切り離して読まなければならない。 私はそのように解釈しています。 (crackの踵、鎮座するうららかな痺れ)

2024-05-09

田中恭平new先生が表現されたような「文学装置」わかるような気がします。私もこの作品には着想化された下敷きの存在ようなものを強く感じます。戯曲にでも書かれたかのように、舞台の上で台詞に興じている語り口。ちょっとやさしくないですね。技術も高く、おそらく和歌落語と古典芸能にも長けた方の作品でしょうが、読み手にはやさしくないですね。イメージとしての場。演目としてのお題目。何かしら舞台のイメージでもあれば少しは作者の趣向も読めるのではと思います。 (crackの踵、鎮座するうららかな痺れ)

2024-05-07

価値観よりも人間性という作者の考えには賛同するものですが、価値観を認め合わない人間が何故人間性を語れるのか。その矛盾する答えが明らかにされていない。人間性とは一体なんでしょうか。 (インドに行くと人生観が変わる!)

2024-05-07

空は透明の別名 海が見えなくても海の色で~一日に三百万人生まれるあの人 五百万人死ぬあの人に追いつけなくて~。なんてことのない独白調子の語り口でも、無垢な捉え方ですね。たぶん女性の書き手さんでしょうが、小説にしても詩にしても、女性の方々の台頭ぶりがわかるようなレトリックです。技巧とか思想とか、考え込んで書いていては書けないような面白い語りかけですね。まあ、年齢性別の違いもあるのでしょうが、嫉妬すらを覚えてきます。 (空の別名)

2024-05-07

~今朝の歌~なんていい歌じゃないですか。あなたもおっしゃっておられるように反論はあって然るべし。褒め言葉の多い詩サイトでは貴重な意見ですよ。以前より知る鷹枕可氏はその様なお人でもない。少し多目にあたまに血が流れただけでしょう。それでも悪意と感じられるのならば、停止せよ!と本人に伝えてからでも遅くはない。と思います。 (極北、またの名を老害)

2024-05-05

誹謗中傷暴言を吐いたわけでもないし。べつに悪意もないでしょう。嫌なら無視すると返せばいいし。許せる。庇うつもりはないが、私ならお愛想で許せる範囲ですよ。それほど気にすることもないのでは、おまるさん。 (極北、またの名を老害)

2024-05-05

「神々の深き欲望」今村昌平。タイトルから複雑な心理合戦を想像したのですが、大人たちを襲う子供たちが神の罰を受ける?そして神になるなんて筋がメタメタだ。これはただ暴力化されたバイオレンス劇で終わってますよ。 (神々の遊戯)

2024-05-04

アニメ(AKIRA)その通には有名だ。昭和生まれなので聞いたことはあるが見たこともなくてよく知らない。恥ずかしい。たまにユーチューブ見てたので格闘家朝倉未来は知っているが、割烹格闘家こめを。これも知らなかった。どうでもいい。 なんで「カフカ」なんだよ。と思った。裁判の件が書かれてあるからだろう。つまり概ね対象は「審判」なのだ。審判といえばカフカ亡きあとに編纂され出版された不条理文学の傑作とも言われている。多くの論者が批評し論じてもいるが、その中でもj.デリダが提唱した「脱構築」という概念からも多くの論者が読み解いている。 この作品も大方そんな認識で書かれたのだろう。根底にはウクライナロシア対応パレスチナイスラエル問題だ。対照的にみた二項対立の概念から生じる「存在と欠如」という捉え方。この思考は結局存在がなければ欠如もしないという矛盾につきあたる。この考えから相互に依存しあう。つまりは結論なき意味の証明というクラッシュ&ビルドへの矛盾。これが脱構築化の考え方に向かわせることになるのである。一方の考え方が優れているとは限らない。 こめをはそのことを刑務所という閉ざされた世界から裁判という開かれた世界に一歩進み出ることによって社会の不条理という矛盾を確信したのかも知れない。 ウクライナは国の誇りという面子に固執して無駄な犬死は止めてしまえ。同様にパレスチナもイスラエルも手枷となっている宗教の教えや戒律など無視すればいいのだ。こっそり路の脇に唾を吐きかけて、素直にあたまを下げておけばいいのだと…。 (カフカ)

2024-05-04

「クロール」現代詩人会6月入選おめでとうございます。ね、言った通りでしょう。オススメした甲斐がありました。どちらかといえば言葉遊びに趣く女性の書き手が多いなかで、あなたの作品には技術と内省がともに含まれて読めてくる。目線の基盤がしっかりしていて、斬新な新しさに拘らずとも独特な妙味を発揮していて堪能できる。きっと評価も高く。作風からしてもメジャー好みだと思えたのです。これからは多くの書き手からも注目されますね。登壇の日も近いことでしょう。評価を勝ち得るほどに嫉妬の対象にもなってきますが、どうか負けずに個性を磨きあげ立ち止まらずに邁進してほしいと思います。 (坂道)

2024-05-04

持てる者たちが持たざる者を虫螻の如くに踏み潰していく。粉々に破壊されつくした瓦礫の山。負傷し住処を亡くした市民の泣き叫ぶ姿は連日放送で見ていても胸は痛みます。何故戦争は止められないのか。当事者たちは遠くから駆け引きをくり返し、市民の嘆きは世界に噴火をまき散らす。そんな激しい怒りが作品から読み取れてきますね。 あなたの作品はそれだけで個性的な術を備えているので言葉を正確に読むことからの解説も難しい。屏風に飾られてもいい至芸だと思われます。 (廻廊遠近法)

2024-05-04

エイも空中を飛ぶし珊瑚が見送ったっていい。主に海を念頭に想像豊かに書き込まれていますね。しかし惜しい。タイトルがそれをぶち壊してしまった。「飛行場」翼のある飛行機は見えても飛行場なんて周りはアスファルトやコンクリートしか思い浮かばない。内容からみれば離島とか壮大な景色を意識した、他にあるはずだと思えてきます。 (飛行場)

2024-05-04

ご苦労さまです。貴音さんでしょうか。ですが前回にも意見したようにやはりこのお題目ではおもしろいものが書けそうもない。私には。です。気の利いた一言や味のあるタイトルをみればインスパイアされて書きたくなるものですが、「サザエさん」「ハンディキャップ」特にハンディキャップと言われればゴルフか出生時に神から授かる運命による身分格差。そして述べられているような身体的にみた特徴でしょう。これを想像して書いても散文にしかならない。無理矢理詩に昇華しようとしても観念的に通俗的な我が身のことになってしまいますね。書き上げられている作品を読んでもその様なものがほとんどです。向上を目指すサイトとしての面白味が感じられない。例えば「犬とハンディキャップ」とか、もう少し思考に働きかける言葉を操作して挙げられたら如何かな。とまた一人愚痴をこぼして申し訳ないのですが、 (B-REVIEW 5月のお題詩「サザエさん」「ハンディキャップ」 )

2024-05-03

うん、おもしろいですね。個性的な作りにも光るものを感じる。鬱陶しさに追われる雨の日の列車。意味を逆なでするようにナンセンスを含んだユーモアとも読めるのですが、度々出てくる拍手がそんな支離滅裂な言葉たちを打ち消すように意味深く胸を辛辣に捉えてもきますね。不思議です。拍手が止むとはなんでしょうか。単純に煩わしい雨の音? 僕はもう少し突っ込みたくなります。拍手とは、これまで歩んできた作者の事象で、それは人生経験をふり返る自他ともに込められた期待感への祝福の雨音。その鬱陶しさから、作者はこれが止むのを待ちきれずに、語り手を通じて失念の雨を降らせているのでしょう。 (T RAIN)

2024-05-03

お久しぶりとか言われても、すうさん、あなた誰?ここに書き込む人はまた名前変えてるからわかりませえんですよ。で、何、ポエム要らないとか書かれてカチンときたの? メルヘン要らないとか思われてカチンときたのでしょうか? ありきたりなら要らないと考えるのが普通だと思いますよ私は。一応選考付きのサイトですよ。しかも代表をはじめ関係者のお歴々は皆さん旧文極の流れを汲む人たちばかりです。当然作品には質の高い新鮮な驚きを求めておられるのだと解釈しておりますよ。もちろんどんな作品であれ投稿されるのは自由で、べつ私がお節介にも声に出すこともないのでしょうが、少々崩れていても面白さのある作品の投稿を待っておられる。と思うのは、これは常に上を目指す詩書きならば当然のことでしょう。BーREVIEW いまでは希少となった選考付きのサイト。という観点から申してみた。ということで、お気に召さない相違は何卒ご容赦を。 (君へ星の贈り物)

2024-05-03

夜空に浮かぶ煌めく星たち。語りはギリシャ神話を思い描くようなポエムです。味噌糞混ぜてメチルセルロースに固めたようなお馬鹿な詩が多いなかでは一杯の清涼飲料水でしょうか。ですが、こちらに書き込む強者な方々にはもう並みのポエムなど必要とはされていない。といってポエムが必要もないのではないのです。人間優しくも有りたい。もっともっと目線を下げてもよろしいのではないでしょうか。例えば壊れそうな幼児のように。強者どもの心に玩具の釘を刺すくらいの儚さで日常が讃えられれば、祈りは届くと思いました。 (君へ星の贈り物)

2024-05-03

うむ産む有無膿む。こんなことは解脱してないとなかなか書けない。新興宗教のようなもので、タイトル含めて半年くらいはあたまに残るでしょう。その後とは?問われたら作者の神経を疑うでしょう。これも壊滅的には新しい。 (山口メンバーリメンバー/人に夢と書いて「儚い」)

2024-05-03

確かに。このタイトルと内容からどのように皮肉って読めばいいのだろうと考える点がすごいと思われて、内容的には、今も昔もお馬鹿なカップル故に結婚までいくのかな?してほしくないな。という感想でした。 (偽書と焚書の断罪の物語)

2024-05-02

一人乗りの戦車でいいのです。もう充分に馬鹿なのだから。 (めしべの思い)

2024-05-02

いまからの季節。同じ名前のお人には蕎麦や饂飩が美味いでしょうね。面白くて。 (FEEL LIKE MAKIN’LOVE 。)

2024-05-02

出だしから笑う。お笑いしたい人は必至に読めばいい。面白い。それだけでは不満足でしょうか。面白くないと考えるお人に批評をお願いしたい。 (びっくりするほどのデブ)

2024-05-02

イメージを時空で操作するように文体で切り分けたり突然方向転換するのはわたしも好みなのですが、あなたの文体には大きな方向転換というよりも行きつつ戻りして斜めジグザグに進もうとする。そんな佳さが認められてきますね。なのでこんなわかりやすい内容でも複雑化されてしまうのです。騙されないように慎重に読まなければならないし。と笑です。 (坂道)

2024-05-02

インされていない白シャツ~グレージュの髪が揺れている。~君に何も約束できないのはこれまで君に出会ったことがないし、これからもたくさんの君に出会うだろうから~ かっこいいと評されていますが、この辺りは女性でないと思いつかないような、確かに格好よさがありますね。 構造的にみれば、冒頭から~君に何も約束できない。までは、この詩の客観性を総体的に俯瞰するような前述に置かれ、思想する私が述べられるところから入ります。 それから~わたしは横断歩道をわたる。まで具体的なイメージで坂道を登る背景やその気配が書き込まれる。 そして終わり~君に出会えたら伝えないといけない。始め冒頭部分をつなぐような回想から現実は回帰され、わたしはまた新たな明日へ進み出そうと決意を促されるわけです。 こうしてみれば当然この詩の核は君とわたしの関係性ですね。客観的に自分(わたし)を見つめ直してみたいという願望が仮想の(君)を作り出して追い求めている。 このことは「夢判断」テレビでも放送されていましたが、解説者の方が論じた願望充足説にもつながる。 夢は過去の模造なのか、いや、夢を分析すると未来がみえてくる。結局夢を判断するとは、今日までとは違う明日(わたし)を手に入れることだ、と。 ポエム。歩恵夢とも表記されてもいいでしょう。夢を判断する。詩の構造も同じようなものだと思います。 (坂道)

2024-05-02

体制社会を風刺したブラックユーモア的な詩でしょうが、朗読の声質が合ってると思いました。もっと子供じみていてもいいですね。やはり朗読されるのはちょっと怖い。その表現者によって受け取りもずいぶん変わると思いましたよ。 (働かせアリ)

2024-05-01

パレスチナへの攻撃を止めろ! 若いピチピチの学生たちが軽装でデモ活動を勃発させてますね。あの国では逮捕されて将来自分の身に傷が付く。なんてへっちゃらなんでしょう。才能ある学生たち。実際実力主義の合衆国社会ではいくらでも取り戻すことはできる。日本ではそんなことはもう考えられませんね。対ウクライナ戦争にしてもパレスチナとイスラエルの紛争にしても闇で蠢くのはお金です。お金といえば今年また大統領選に出てくる豪商トランプなんてのも法の網を抜けて頂点に君臨しました。彼の廻りにはそんな族が犇めいている。一方ではわずかな食い扶持のために命を捧げる人間は大勢いる。我々庶民といえば汗水垂らして労務に励んでいる。日本人はいいですね。ロシアウクライナにしてもパレスチナイスラエルにしても何ら血を流す責任はありません。直接人殺しの武器には関与してないから。主義政治体制。資本主義やれ共産主義。そんなもの何処に存在しているのか。誰が権力を握り締めても、虐げられるのはお金もコネもない一般市民でそのまた底辺に暮らす弱者ですね。内省問題に関わるな。保守だリベラルだ。新自由主義だ。これが一体何に誰の為になるのでしょうか。ここに挙げられたメッセージにはその問いはあっても答えはない。そこが唯一私には好まれる風袋に読めるのです。ジョンレノンのラブ&ピース。ボブ・ディランの風。いつの時代になっても巡り続けるだけですね。政治は詩人を巻き込みますが、私はいつの時代になってもアウトローでいたい。ただ筆を振り声は挙げても卑怯者の傍観者で在り続けたいのです。 (極北、またの名を老害)

2024-05-01

佐々木春さん、ほんわかですか、笑。なんか気恥ずかしいのですが、コメントいただきありがとうございます。 (茶封筒の中身)

2024-05-01

秋乃夕陽さん、面白いとおっしゃっていただいて、コメントありがとうございます。 (茶封筒の中身)

2024-05-01

~食事中だけの場面ですよ。etc. で、日本語でもいいのではないかと思った。カトゥーンだけの場面ですよ。この横文字操作。横文字だけにこれはあまりにもフレーズから逸脱している印象で、立ち尽くしてしまいました。 (演技)

2024-05-01

曖昧なブラウン。この言葉がよほど気に入ったのでしょうね。確かにソソラレル。青年期に見つめていた鏡を思い出しますね。栗色の瞳。あ~あ、もうずいぶんと澱んでしまったな。私の瞳。 (木下。)

2024-05-01

セロ弾きゴーシュ。忘れていたので概要だけ掻い摘まんでみました。同時に印度の虎狩も聴いてみました、笑。おまるさんと同じくの印象ですが、二兎を追う者は一兎をも得ず。でしょうかね。成功し王様のように尊敬もされたい。夢追い人間にはつきものですね。誰しもそんな夢はみる。 (告白)

2024-04-29

あ、それから「茶封筒の中身」というのも事実からですね。今時実際安っぽい封筒で手渡されしかも中身が!思っていたよりも違う~だったら、そりゃ誰でも少しはあたまにくるでしょう。と中身は想像に任せたいのですが、お金だと直ぐにばれるでしょうね。 (茶封筒の中身)

2024-04-29

おまるたろうさん、再度ありがとうございます。 これね、いきなりピストルを出してしまったのは物語を詩として読ませるのは充分に不足してますよね。893屋さんでない限りピストルは身近ではありませんからね。やけのやんぱちというのは実際私のことで、これはリアルタイムに目覚めた冒頭部分の私でした。これ、ちんぷんかんぷんでしょう。笑。わざとわからないように書いてあります。あまり自分でバラすと~なあんだ馬鹿らし~になるので、控え目に解説などいたしますれば、下敷きは血の業ですね。時間を遡るのです。いつでも再生されたい私がいるのです。 (茶封筒の中身)

2024-04-29

エイクピアさん、コメントありがとうございます。 カタルシス。間違いなく暴発して止められないカタストロフイですね。 これネタばれになってしまうけど、実はゼッケンさんの最新作から多分に影響を受けていると思われます。直に私を表現さたのは冒頭部分だけで、なので物語る。どちらかといえばショートな小説風味ですね。まだ少し延ばせばもう小説で、より詩風味の策略を意識して時間をずらしたりバラしたりしてわからないように書き込んでみましたが、はて?成功しているか否かはわからない。たぶん失敗でしょう。いつものことです。笑 (茶封筒の中身)

2024-04-29

短詩をうまく活かしている選語には思えるのです。~ピアノに似た音がふわふわ~ずいぶんと邸宅な感じですが、砂時計と故郷を結べば懐かしい教室のイメージには浮かんできますね。終わりの~ここは、ここは~この繰り返しは少し手抜きに読めてくる。そしてもっと惜しいと思うのがタイトル「天の國」この詩は手を加えることで二段階は光る、と思われて残念な気がします。 (天の國)

2024-04-29

アイロニカルなタイトルが面白いな、と思うのだけれど、~逃げてください~あなたは生き抜いてください~なんて少しオーバーランしちゃってますね。例えばこれから投稿しようしている人物か筆記道具を古い(老人(私?)に見立ててみるとか、おなじアイロニーを突くのならばもう少し中身を捻り出しては如何かな、と思った。思いつきの面白い一言で詩が成し得るのならばこれほど楽なことはないのでしょう。などと言うてみたい。 (これより新しい投稿はありません。)

2024-04-29

おまるたろうさん、コメントありがとうございます。 なんでも始めが肝心。少女はハートマークかイチゴ柄。ご婦人ならば絹絹地に黒かベージュ色。勝負は時の運なりと。 (茶封筒の中身)

2024-04-28

わたしとあなたではみている世界が違う。グローバリゼーションを提唱すれば必ず反対の意見もある。政策を掲げれば右寄りの保守か左のリベラルかで単純に物事を決めつけたがる人々は、仮想の敵を作り出しては慰撫と心を燃やす。 みている世界が違う。 例えばマルチバース理論にしてもメタバースにしても真実をみている人は誰も存在しない。現実なんて誰が眺めみても同じ現象には違いない。思考する世界観が異なるだけですわ。 (雨と桜)

2024-04-23

いちいち名前を挙げてディスってんのは(おまる)さん))あんただよ、何言ってんの。文句あんの?やる気?  笑 まあ抑えて抑えて一休さん。 (雨と桜)

2024-04-22

批評も技術。技巧を目的に書かれた詩ならば技術的な読み解釈は必要になる。それは当然ですよ。そんな詩が面白いですか? それでもいいという人ならそれでもいいだけの話しで、あなた、絵画を例えに出して言いますよ。ピカソやミロの絵が技術だけで解釈できますか?好くないと思われる人にはできるかも知れない。優れた詩とて同じくですよ。先ずはイメージ(感受)されないことにはどうしよもないのが芸術性でしょう?違いますか? (雨と桜)

2024-04-22

ちんちんの考察があるのだからおま●こ(書けねえや)の考察があっても言い訳だけど、考察までは到達していないのでちんちん考察に対する受け入れの準備段階。返答のようなものでしょうか。文字形式などもよく考えられていて、僕は逆に知性を感じてしまってちょっと抵抗感がありますね。 (わたしたちの攻撃)

2024-04-22

「断定」浅かろうが、深すぎだろうが、個人的な読みによる批評とは敢えて断定的にもならなければその目的も見失うわけですよ。誤読は作者も了解済みで、いくら近づいたとは云えても真意なんて他人には計り知れないのですからね。 (雨と桜)

2024-04-22

罪と罰/生と死/そして天国と地獄/置かれた境遇から自らの死生観を敢えて客観的かつ冷静に語る人物によって、物語る場面は現実と非現実が交錯するように敢えて時間というイメージの枠から外れるわけです。現実に生命とは誰かによって生かされているという存在であり、死もまた誰かの生を繋ぎとめるという矛盾した目的がある。では運命とは一体何なんだ。という死生観がこの作品のテーマでしょうね。ドイツ人の美術評論家フランツ.ローの展示作品から借用すれば「冷静に現実を表現することによって現れる非現実」ということになるのでしょうか。この作品もそのようなマジックリアリズムの手法でイメージに置かれているわけです。 (Mサイズ)

2024-04-22

まさに夢の記憶の裏返しでしょうか。一連は早朝冬の霧。靄のようなものでしょう。破調に置かれた文節で入るとは勇気がありますね。これはよほど文章力に自信がないとなかなか出だしから入ってはいけない。フエザープレーンとタイトルにありますが、詩全体を覆うのは浮かべるその空気感でしょうね。記憶を靄のように霞め、あるいは紗のように薄く遮断して眺め、夢みる如くの浮遊でみつめている。そのような表現を試みておられるのでしょうね。  余談になりますが、その昔浅井さんとう、このような文章で綴るお方のことをちょっと思い出しました。 (feather plain)

2024-04-21

オレンジとかレモンという果物はよく比喩に用いられますが、この詩もタイトルが面白いですね。 オレンジの皮を剥いて口に運ばれるときの飛沫と爽やかに弾ける香り。記憶と合い重なればその感覚を呼び起こすのにもこれだけの文量にもなる。という言葉たち。 甘酸っぱさが辺りに漂ってくるようで、よく表現できていると思います。 (オレンジの波打ち際)

2024-04-21

多分に言葉遊びの感覚が強いと思われるのですが、前に置かれた副題が面白いですね。 余計な景色に流されてきた記憶のくり返しから終わりは~ヤバい、わたし。ですか、通常の毎日を客観的かつ否定的に眺め観る。そうなれば、ちょっと待てよ、このルーティンはヤバい、わたし、ということでしょうか、自虐ネタに置き換えて遊んでみた。ということでしょう。余計なかつての記憶がほつほつ~とか~つうつう~とか、くり返される言葉の余韻も独特ですね。 日常の景色からわたしの気配に置き換え言葉でいじけてみせた。ということでしょうか。 (ルーティン)

2024-04-21

米国人の文化人類学者R.ベネディクトが書いた「菊と刀」題名だけなら誰しもが聞いたことはあるでしょう。日本人の気質をこの二文字に表現している。「雨と桜」このタイトルも同じようなことが云えますね。雨が降れば早々と散る桜。いまだに、この自然現象に我々日本人は精神性とを結びつけて命の儚さに喩えて眺めみるわけです。なのでこの詩はそのことに対しての否定ではなく皮肉として捉えている。つまりアイロニカルを表現しているわけですよ。 (雨と桜)

2024-04-20

なによりもタイトルがいい。これは人生で相当苦労してらっせいらっしゃるからこそ出てくる警鐘でしょう。最近では下を向いて歩いても躓きすが、、 (上を向いて歩くな、つまづくぞ)

2024-04-17

同意しかねる。人生は一度きりなのだから。もちろん否定いたしませんよ。価値観の相違はどうしようもないですからね。わたしは真実味を帯びたドキュメンタリーの番組も大好きでよく観ています。それから素晴らしい技術と労力を駆使させて写真そっくりに描かれる写実絵画も。これらには絵画掛け値なしにレートに沿った一定の価値観は与えられるべきで、名前や人気だけで途方もない額の値札がつくわけのわからない現代作家の抽象絵画よりは誠実な評価だと言えるでしょう。値札というもモノの価値観だけで考えればですが。  ~現実から逸脱した空想の世界に僕は興味ない。しかし真に現実から逸脱した空想の世界なんてあるのでしょうか? あなたもおっしゃている究極の現実主義シュールレアリスム。それを書き上げるのは現実に生きている人間ですよ。まやかしものでない現実から逸脱した世界なんてわたしは見たこともない。それは死後の世界でしょうか、例えば幽霊でしょうか。未知の生物宇宙人でしょうか。それらを作り出しているのも我々人間の思考からですね。究極の現実主義なんて定義できるのはそのような未知の体験を経験して始めて言える言葉でしょう。人間一度きりの人生物語を読むのにも興味はありますが、あたまの中では絶えず人物像も変化していきます。昨日は昨日今日は今日と。なので空想とは面白い。わたしは予めレートに乗った想像で物事を図りたくはないのです。 (孤独な口づけ)

2024-04-17

サデイストムやKKKが読めば誤読して麻痺しそうなくらい沸点があがりそうな解釈で、、もないか。いま丁度「シュルレアリスムへの旅」野村喜和夫を読み始めていて、改めてその限界を、また発展があれば探ってみたいと思ってる。 (思う)

2024-04-15

廃墟と瓦礫の中に咲く花だけで、語り手が泣くのはわかるのだけれど、読み手のわたしはそれだけでは何かとイメージできないので、泣くにも泣けなかったのです。 。 (春は来たる)

2024-04-14

詩情を考えれば冒頭の三行が佳いので短詩としての解釈にも拡がりあり、文句の付けようもなく上手くまとまっています。惜しむらくは意味付けの拡がりはあってもイメージ的には少し乏しくて、まとまりがあるというのにも欲深い読み手にはもの足らない気も残るものです。~笑って、別れる~の辺りでしょうか。次の終わりの連には大海が出てくるので、空が笑ってもいいのではないかと。昨日のこぼれ落ちた涙が晴れた空の瞳から乾いてくるのです。と勝手にイメージを付け加えたくなるのはまったくの個人的な見解で、失礼いたします。 (明日が来る)

2024-04-13

混浴温泉があるくらいなんだから全裸ビーチがあってもいいじゃないかと思う。でも日本人女性の気質を考えたら到底期待はできない。 柏木由紀ちゃんが何故AKBで頑張っているのか。枕を抱えていないことを期待する。 (真理告白)

2024-04-13

面白いな。 君も僕も、馬鹿は死ななきゃ治らない!ってことでしょう? 大将  (なお白痴)

2024-04-12

電車を待つ夜のプラットフォーム。上り下りとすれ違っていく線路の、通勤電車の音と光だけが眩しく交錯する。人々は下を向き無言で携帯と交流している。つり革を持つ彼女たちも、私と同じように仕事を終えて帰宅するのだ。こんなことが日々くり返されていく日常。並行して奔る光の中で、彼女は携帯を手に立ち尽くしている。私はそれを見つめながら、今日という一日を平行に思い返している。朝早くから電車に揺られ、昼間忙しく仕事にも追われ、夕にはまたこうして電車に揺られて帰っていく、彼女たち。どんな思いで毎日を通勤電車に明け暮れているのだろうか。ひょっとしてそれはわたしと同じような思いでもあるのだろうか。答えは携帯の、画面の中にもあるのだろうか。 そう見つめながら、こちらを意識しない相手の想像は尽きません。混み合うにぎやかなプラットフォームから、ひとたび電車内に移ればそこは孤独な空間です。通勤電車で通うサラリーマンはみんな同じような思いでしょう。縦横無尽に輝く鉄道の雑多な電車内の中では、誰しもが垂直に閉ざされた時間という空間の中で孤独を装っているのです。  僕なんかは逆に深夜のほとんど誰も居ないプラットフォームや電車内でよく考えますね。明日も変わらない一日が待っているのだ、と。   田舎では考えにくい状況だと思うので、たぶん都会の駅構内にみられる忙しない通勤電車の光景でしょうね。  誰しもが胸に秘めている孤独感。 /錯綜するようにその瞬間の光景を見事に閉じ込めていると思いました。言葉を使った詩という表現の中で… … (コミュート)

2024-04-12

これがフィクションだかノンだかわかりませんが、よく書けていますね。ちょっとしたドラマの短編にはなるかもしれない。しかしこのような物語は飽きるほどあるでしょう。孤独感に疲れる詩人は本当の詩人ではないと思います。それは仲間を求めている。愛を他者に求めているからであります。詩人の身のまわりはすべて孤独に満ちあふれていて、それを愛の喜びとして嗜んでいるのです。シュールリアリズムに関していえば、意識して現実にその世界観を閉じ込めている限りにおいてはそのとおりだとも思われてきます。シュールリアリズムの本当の良さは現実なんて意識しないところから降りてこないとまったくの摩耶瑕疵(まやかし、誤魔化し)に終わってしまいますね。流れのタイミングと繊細な美意識も要求される優美で摩訶不思議な手法です。だいたいこの世の中のすべてにおいて摩耶瑕疵(まやかし)ではないものなんてあるのでしょうか?僕は懐疑的です。自分の死することでさえ懐疑的です。現実は乗り越えられない。だから僕はシュールにものを考えて生きたい。そして詩も。エモーショナルであってもキモには陥りたくはない。空想の世界では現実に負けたくないのです。  よく書けていると思います。が、タイトルはそのまま歌詞のタイトルのように思えて、少し工夫されてみては、とも思いました。 (孤独な口づけ)

2024-04-11

これを読むとぼくのアスカちゃん(フィギュア)にお猿のジョージがほしくなりました。小さなお猿さんのフィギュアです。子供還りに癒しの世界なのです。 (猿たち)

2024-04-11

ミカエル先輩~懐かしさを込めて言ってもらえるのは嬉しいのだが、吸収さん。誰?ひょっとして三浦くんでしょう?たぶん。  まあ、でもね連詩もいいけどこのようなお題目付けはもうちょっと考えてほしいのよ。例えば「サザエさん」なんて出されるよりも「サザエさんの日常」という風に主体の範囲をある程度持たせてほしいわけで、そのほうがイメージ的にも書きやすいわけです。他サイトに道場破り的な云々はどうかな。詩を競合させて何の意味があるのだろうか、と思う。個人的に載せたい投稿してみたい人はどんどん挑戦すればいいし、こちらBレビに投稿して他サイトにも投稿するのは有り?なんでしょ。向こう側の規約(他サイト)はよくわからないけどね。 (B-REVIEW 4月のお題詩「エイプリルフール」「スタート」 )

2024-04-10

まさに挑戦的な岡本太郎の芸術論を地で行くようなコンセプトが垣間見れてほとんどわからない。駄作です。駄作ですが、一言付け加えさせていただけばお見事な駄作です。 よくわからない。難解だ。という作品には何通りかのパターンがあって、一つは作者には理解できてるが君たちにわかるかな?という主旨と、もう一つは作者には理解できてるがそれが何なのかよくわからないというパターンで、前者などは読んでいくと必ずその趣向の手垢がいやらしくみえてくるものです。どちらかといえばこの作品は後者に当て嵌まるのではないかと。イメージされるのは会場ゲームに椅子取りゲームという、二種類の何やらにぎやかな音が飛び交うの宴会場ですね。読んでいけば皮肉に満ちた宴会のゲームです。この椅子取りゲームと会場ゲームをどのように受けとめるかで読み手の印象はずいぶんと変化します。野望を孕んだ権力闘争のゲームでしょうか?~文字奴隷~虫たち~。交錯するような虫たちとは語彙のことでしょうか。これは明らかに文芸を意図されて言い回されているようにみえてきます。終わりには無垢で純粋な子供が出てくる。そのことでこの主人公はやっと気づくわけですね。AOIさんがいいことをおっしゃっている。逆走に~と。つまり語り手である主人公(主体)は、わたしが取り上げたこの作品の主旨(意図)に最初に戻るわけです。「上手くあってはならない。きれいであってはならない。心地よくあってはならない。理解されたり、喜ばそうと思うな。認められない事を前提に自分をつき出せ~」イマジネーションによって宇宙と遊ぶのだ。 そう理解されたなら何度読むのにも耐えうる。 熊倉ミハイさんはたぶんまだお若い方でしょうが、より上を目指して覚悟を決めておられる様子で先が楽しみですね。  挑戦的でお見事な駄作です。 (椅子取りゲーム会場ゲーム)

2024-04-10

マードック先生というのは1989年日本に招かれて第1高等中学で教鞭をとったジェームス.マードックのことだろう。その教え子には夏目漱石もいる。サザエさんは漫画の主人公でジョッキ川?ビア-のジョッキのことか諸々はどーででもいい自動書記(風味)に置かれている。 前衛芸術家の岡本太郎は「うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」と宣言した。芸術は呪術だ。「理解されたり、喜ばそうなんて思うな。むしろ認められない事を前提にして自分をつき出せ。」「イマジネーションによって宇宙と遊ぶのだ」とも言っている。地動説も調べてみればコペルニクス以前にも古代ギリシャでは唱えていた人間(アリスタルコス)もいたりして。川であろうが海であろうが山や空であろうが、生きものという生存本能者が長い年月をかけて地球に存在していたことには違いない。ああ、それが何になろうか。以前にもコメントしましたが、たとえ何をどのように書かれようとも感動が興らない限りは閃きも湧き上がらない。しかし作者のコンセプトは絶対に護られるべきで、このことは命をかけても保証し尊重いたします。 (川は地動説)

2024-04-09

先ずはタイトルがいいですね。専門的な知識を含ませる用語で、内容とは遠くてそれでいて五感的には近くも感じる。この句読点の形を打つ● これくらいの分量になるとこれも面白い趣向です。〇文字を空白にすると●それは銀河の中に引き寄せられる●〇星星の集まり。句読点なんかより正解かも知れないですね。 (MILK/THE WHITE ALBUM。 ──乳用牛ホルスタイン種の弛まざる品種改良に寄せて)

2024-04-07

そうですね。御久方ぶりです。 いや私も最初は馬鹿にしてたんですよ。こんな不安定な時節に、またなんでちんちん考察なのかよ、と…。でも読んでいくうちにこりゃ凄いな…と。序文のような冒頭から終わりはユーモアまで交えてその言葉分量から分類に至るまで相当の労力を注ぎ込んだ快作ですね。もっとも本人にしてみれば考えもしないでさらさらと書いた。とかおっしゃるかもしれないが、いえいえ構成なんかもよく考えられてますね。序でに私も一応語源を調べてみましたよ。古代サンスクリット語で仏教伝来とともにやって来た言葉「魔羅/摩羅」から「ちんちん」あるいは「ちんこ」に至るまでの経緯を。江戸時代の文献には表れるようですが、どうやら小さいという幼児語からきているのか、やはり諸説ありすぎてはっきりとは言えないらしい。魔羅とは因みにサンスクリット語ではマーラこれは魔神を意味する邪悪なもの(笑)で「ちんこ」の他にはおちんこおちんちんちんぽちんぽうちんぽこと、方言によっても使い分けられていたり、また地域によっては女性器を呼称したりと「隠語」で発展してきただけに少しづつ違いがある。まあ基本的には「ちんこ」でしょうね。笑。どなたか知らないが、兎にも角にも、このおちんちんがRAIN///雨の如くにちょびちょびからザアザアとリズミカルに降り止まないですね。鬼気迫る迫力の作品には私も圧倒されましたよ。 長さだけじゃなく、内容的にも田中宏輔さんの日記にも勝る勢いを感じた次第であります。大賞受賞の栄誉を授けてもよろしいのでは、と本気で思います。多少なりにも笑をつけて。では。 (超絶絶唱絶句樂)

2024-04-07

「エイプリルフールは何故嘘つきなのか」「スタートをきるまえに」 …お題目を出して創作を促すときにはせめて「私」という主体の動揺をはっきり認識させるべきである。そうでないと想像の枠は限りなく拡がり結果的には技術のみを競う目的に陥ってしまうと思う。私などは相手の詩から想像が浮かび上がりインスピレーションをかき立てられてコメントで返詩を書いたりします。 同じようにお題という枠の内から創作するにしても、そこには主体(私あるいは事象)という目的から連想から発せられるものでないと感動とは程遠いものになってしまうと思う。 一枚の写真を眺め見てこれから句を創作してください。という番組がある。これなども本来の俳句の目的からは外れた技術のみを競うあるいは養う目的に置かれていて、その時の生の感動を短くまとめられた言葉で表現する。という目的から考えてみればナンセンスなのである。 詩も生きた技術でなければならない。膨大な行数になるこれを散文で表現しよう。などとは誰も思わない。生きた技術とは、どのような目的で書かれた詩であれ、そこには魂の片鱗が伺える詩情を帯びていなければならず、投手の投げる球ならば気合いを伴わなければならない。 お題目を取り上げて創作を促す催しは多い。しかし我々書き手は在るモノをそのまま写し取る画学生ではないのだ。 そのことも念頭にいれてお題目は取り上げられるべきだとも思う。 (B-REVIEW 4月のお題詩「エイプリルフール」「スタート」 )

2024-04-07

自然観から壮大な宇宙観へ。そして死生観までと至るこのちんちんの考察は実に手間をかけた労作で、もちろんお見事に秀逸な作品に仕上がっています。まあ、長くて読みづらいのだが文句の付けようもない。付ける余裕もない。このちんちんあるいはチンチン。金属的な響きですよね。音の表現としても。トライアングル。また仏事で使う鈴もそういえばちんち~ん。通常二回鳴らします。句読点のリズミカルな動きが忙しなくて、しかし流れるところはちゃんと流している。その考えられた技術もお見事だと思う。読んでいて坂本龍一のRAIN(シネマ)ラストエンペラー)を聴きながら読んでる感覚に陥ってしまう。明確な音ちんちん。これがなぜおちんちん(ペニス)男性器の愛称になったのかは知りませんが確かに考えてみれば不可思議な表現ですね。  語られる言葉の数だけでも膨大ですが、この切り絵(または病的な吃音とも)のように多投多様される句読点の作者像は以前にも見覚えがあって(いかいか氏)懐かしくも感じました。 現代詩人大賞を贈呈します。笑 (ちんちん考)

2024-04-07

花曇りと圍。ちょうど今頃からの季節と旧字体の囲いですね。曇天の日には墓参りを。って言ってみても辺りを見渡せば気分も暗く落ちこむばかりで、これが前方後円墳や遺跡ならばこんなに狭い国で未だに圍設けてどーすんの。って反発しても歴史は徐々に埋もれて行くのですね。時間とともに。 「HABIT」sekai no owari (fukase)ヒットした楽曲だからご存じでしょうが、なんとなく似てる印象を受けますね。分類から圍へ。どちらも閉ざされた社会から脱げ出せない不満/焦り/喪失/そして微かな願望。これらを覆う精神は心を疾走へと向かわせる。そんなメッセージに読めてきます。 (花曇と圍)

2024-04-05

※ごめん。atsuchan69さんのsとuを間違えました。よくやるんだコレ(恥) (わたしについて)

2024-04-04

そうですね。自然を喩に内面との葛藤そして希求願望。総じてatuschan69さんの意見と重なるのですが、全文ひらがな書きの詩です。ひらがな書きというのはやわらかくゆったりと詠ませる反面、言葉には多義的な解釈が加わってしまうのでイメージには結びつきにくいという欠点もあります。ここではそのような難解な熟語使いも避けられています。ひらがな書きの詩は体言止メなどの扱いにも効果的ですよね。~よわいものたちがたたかいをしかける~わたしをみるなといいたい~あめがあがればあなたもきえる~そして終わりに続く、かなたはあまい、かなたのかなたはまだみえない。これらがキーワードになってわたしの願望、希求する聲も閉じられていきます。よわいものたちが~あなたもきえる~。いったい何を指しているのでしょうか。この詩の目的が詩全体を覆う喩で占められていると思います。なのでよわいものたちも、あなたも、すべてわたしの内面の事として比喩に置き換えられている。終わり、そのわたしを納得させるように~かなた(未来)はあまい、しかし、かなたのかなた(展望)はまだみえない。と語り手を通して自らに言い聞かせているのです。 (わたしについて)

2024-04-04

リアクション芸人の出川哲朗が突撃取材で周囲の客たちを笑わそうとカウンターに立ち上がればそこのお店はマジでヤバい店だった。 ➰一人豆鉄砲を喰らった表情で立ちつくしてしまう裸の出川哲朗でありました。という感想です。 (無法者 〜妹の足蹴りが顔面に直撃したお兄ちゃんの笑顔は目だけが本気(マジ)だった)

2024-04-04

待合室に座る病院の待ち時間というのは長くて、しかも自分の目の前を通り過ぎるのは知らない患者やその家族、そして忙しく動き廻る医師や看護師たちです。   「針園」というのはおもしろい喩えのタイトルですね。ユニークです。そうですね。点滴であれ注射であれ、病院にも患者にも管のある針というのは治療には欠かせないアイテムです。冷たい金属の針。病院というのもある意味感情の抜け落ちた冷たい場所です。それは医師や看護師たちがそのように教育されているからでしょう。毎日を死と向き合わなければならない。いちいち一人一人の患者に対して感情移入することはできないのです。そう考えればしんどい仕事でもある。父親に対しての介護らしき場面も書き置かれてあるので語り手はかなり精神的にも疲れている様子です。肉親の介護に疲れてくると若干認知症のようになり集中力も記憶力も低下します。そのような状態がシュールな妄想として前半部分に描かれている。わたしにも経験があるので少しは理解できる気持ちにもなります。薬剤を注入しあるいは血液を吸い取る管のある針。そして同じく管から養分を吸い取る植物の根。よく似た関係性にあります。高齢化社会の真っ只中。我が家の庭にも病院の庭にも針園で溢れてきます。 現実の錯綜した状態と客観的な未来の行く末が混交し、社会的な世界観も感じる妙味のある作品に仕上がっていると思います。 (針園(はりぞの))

2024-04-04

おもしろいな。まったく読めない。chapter5? なんかカードキャプターさくらを思い浮かべてしまいますよ。 ゲームかなんかが下地にあるのかな、んて。 (詩人X Chapter5)

2024-04-02

僕としては詩の形式にはこだわりもなく、相変わらず惚れ惚れする書きっぷりだと思うのですが、逆にこのような日記形式で綴る長い詩をどう受けとめるのか、否定的な立場から眺める人の意見が知りたいと思うのです。 (詩の日めくり 二〇二二年十一月一日─三十一日)

2024-04-02

先ほど足立区立足立小学校の4年生を前に真美子先生がこの詩を朗読しました。~はい、これはおまるたろうさんと言って濱田くんのお父さんがBレビューという投稿サイトに掲載された詩で~す。皆さんわかりましたか? は~い。なに?紗栄ちゃん。先生!わたしも昨日フルーチェふるふるして食べました。    はい! はい、濱田くん! 先生、僕のお父さんは風呂上りにちんこをふるふるふるふるして歩くので家族のみんなで豆まきしていま~す。お庭わ~そと。オニ~わウチ。 (ふるふる)

2024-04-02

喘鳴。ちょっと普段小目にかからないような言葉遣いは、難しい漢字のお名前からして文字の扱いには長けたお方でしょう。「胎内」羊水。小姓という古い言葉遣いも奇妙ですね。胎内が洞窟をイメージさせられたり不気味です。~だって君がそこにいたからむかえにいきたかった~まるで地縛霊にでも話しかけている様子。それが終わりの~子供の頃の部屋~で一気に現実へと引き戻されてしまう。いったいこの語り手は何者なのでしょうか。唄う唄う唄う~ファンク(笑)のような子守唄でしょうか?奇妙で不気味な印象を持つの詩です。 小姓などという小僧を指す古い言葉遣いからしても何かしら因果性を感じてきます。終わりの接吻などは現在形でみた父親のことでしょうか。暗喩を伴うので解釈はそれぞれに感じるのでしょうね。わたしはこの語り手を生を省みることもなかった水子が、それを客観的な小姓として自分に語らせている。という具合に少し複雑に読んでみましたが、 (胎内)

2024-03-31

これは夢をみる客観的な操作としては失敗でしょうね。無意識下にみる夢にも具体的な事物が現れるならば現実を超えた物語としては成立するはずなのです。これがカンデンスキーやミロなどの色や線による瞬間的な動作ならば、構図という型枠「キャンバス」を意識した意識下での無意識の客観的な操作ということになるのでしょうが、ダリやマグリットあるいはキリコにみられるようなデペイズマンは具体的な事物が現れてこそ起ち興るものが超現実として意識されるわけで、このように言葉だけがひとり歩きしていくのならば我々読み手には何ら影響も与えないと思います。 (土曜日の昼)

2024-03-31

技巧的な解釈にあたまを捻らせて唸る方が多いのも、この作りの根底にあるものが哲学だからでしょうね。つまり形而上学的な精神性と形而下的な物質主義(唯物論)などが時間という概念のもとで言葉の舞台に沿って推し進められるからで、それは自然発生的に因果性とか実体とか合理主義とか理性とかが絡み合いメタフィジックな世界を背後に構築して読めてくるからで、それはギャグ漫画の頂点に君臨するやはり天才バカボンなのです。その中でひとり時間という概念に囚われない楓ちゃんは普遍的にも超越した存在感を有していると云える。まあ、難しいことを言っても始まらないですね。つまり根底には理性の背脂。哲学の精神が含まれているということでしょうか。 (楓)

2024-03-30

菜種梅雨。句に精通された方だな、というのもわかるのですが、今晩わ。New田中恭平さんお久しぶりです。選者としても頑張っておられますね。お世話かけてます。して、これですね、散文でしょう。前半部分句読点で(読点)で切りすぎて詠みの流れを止めてしまいますよ。もしも朗読されたら詠み手は悩むでしょうね。だから気になって内容まで入ってこない。短く切れるところはもうちょっと長くできるような工夫があればな、そんなふうに私は口を開いて黙読しましたよ。ええ。 (四月へ)

2024-03-30

これくらいの文量になると短い私小説としてさあっと眼を通してみましたが、よくわからないまま読み終えています。そのわからないというのが、書かれた、と云うよりも書かせたその動機ですね。 前半部分は独白調で彼女に対する思いが耽美的に表現されています。まるで触れてはならないヴイーナスでも扱うかの如くにですね。半ば部分から台詞を含めて彼女の姿が現れてくるわけですが、依然としてその印象を読み手が掴むことはない。~僕はまだ、彼女の何も知らないのだ~それは語り手自身が印象で彼女を表現して語るように、読み手の我々も語り手の印象に頼るしかないからです。美しい彼女への思いは、まるで語り手自身の心臓の鼓動を響かせるか如くに事細かく耽美的に誇張されて美を表現されていますが、ではいったいそれだけなのだろうかと。  後もうちょっと推敲してほしく思ったのが私などもよくやるくり返される接続詞ですね。~あたかも~この接続詞は他にも代わりはあります。扱いが多くて手癖に思えてやはり気になりました。 (ちょっぴり浮いた彫像のような、でもやっぱり完璧な彼女)

2024-03-30

「楓」楓ちゃんという女の子のタイトルが付けられた意味は知る由もないですし、この名前が内容と深く関係しているとも思えない。貧しくとも明るく元気で人々に奉仕する女の子楓ちゃんは、貧しい天使様でしょうか。  この名前をネットで検索すれば19年以上も前の出来事で、忘れていた悲しい事件にも遭遇したりします。語りの途中に挟まれるスラップスティックコメディ(ドタバタ喜劇)のようなギミックとしておもしろいですね。シネマ「地下鉄のザジ」古いですね。だけど面白い。あの主人公の女の子をちょっと思い浮かべたり、イメージ的な流れはつげ義春の「無能の人」を意識したり天才バカボンのハジメちゃんだったりと様々に思い浮かべることができるのですが、普通に考えればこのような貧しい家庭に育てば暗くいじけて育ってしまう。なので終わりに書かれている世界観を読んでも、この楓ちゃんという女の子の正体は、人類への友愛または博愛の精神へと絆でつながる美徳のある何かに喩えられているのでしょう。 (楓)

2024-03-28

詩人 佐々木春様 わたしは奇跡をみているのでしょうか? わたしの長年の努力は何を……まあ、何かご理由があって秘匿されておられるのだろうから、(とこう言えばまた打ち消されるのでしょう)追及は致しません。笑 追々わかると思います。では度々と失礼を致しました。 (クロール)

2024-03-27

返信の最後に(笑)この笑と付けられるのが、いっそうあなたの詩歴を不可解な気分にさせられますね。笑。 で、また読んでみました。やはり椅子か箒にまたがる魔女の囁きですね、これは笑。 つまりこの浮遊する感覚は宙の上で歩き泳ぐ動作をしている。みつめるのは目印に示されたような道路だけで泳ぐための水はそこにない。しかも句点がいっさい用いられることなく最後まで着地させないことからもそのように伺えてきます。 脳内で見つめ思い画くシナプスたちの遊戯。これは現実の世界に対応しようとする渇望のようなものでしょうか? その選語や言葉使いにも左右上下と対称非対称に切り返すような仕草。技巧的にも巧みに工夫されていて、とても初心者の書き手だとは思えません。 もしもそうならばわたしはこのん十年という投稿または批評してきたことが無に期してしまう。おそらく詩に長年携わってきた方々も同じような感想を持たれるはずです。佐々木春さん、名前も知れた書き手の方でしょうね。そうでないとこの世界でわたしは狂ってしまう。笑。  と、まあべつに偽証罪を問うつもりもありませんし、笑、 そこはご自由なので、どうでもよろしいのですが、初心者という。このことをわたしだけはGunとしても受け付けません。笑。  …諄いようですので、このことについてのご返信はもうけっこうでございますよ。…真実が知りたい、    笑 (クロール)

2024-03-27

そうですか。信じられませんが、それならばこの詩なんか現代詩人会へ投稿されてみればいい。あちらはまた投稿詩のレベルも高く評価も選者によってマチマチですが、いいきっかけになるかも知れない。もちろんこれからもこちらで読ませてください。 (クロール)

2024-03-27

~しんだばーさんがいってたっけ~ ここだけは漢字にしてほしいな。 ~死んだばあさんがいってたっけ~ここだけはね。 (遺灰)

2024-03-25

現代詩人会への投稿は既にされておられるのでしょうか?または違うお名前でどちらかの詩会に所属されておられますでしょうか。詩集などの出版物は? もしもそのような状況でないとしたなら、あなた様くらい力のある方なら著名な詩人のまたは関係者の方々からきっと推薦は得られるはずです。わたしは確信を持って言えます。埋もれているが惜しいと思います。 (クロール)

2024-03-25

あ!書き忘れてしまいましたが、思考に働くとはいえ、朗読される向きの作りですね。おもしろいと思います。 (言語三章)

2024-03-25

拝見しました。まあその一般的に言われている言語(言葉)というのも地球上の生物種と同じく進化し融合もし混乱をきたして絶滅したりもするわけですが、通常我々はその概念によって意味されるもの(シニフィエ)をイメージとして捉え、また言葉の表記という形(記号文字)で表し意味するもの(シニフィアン)として相手に伝えるわけです。既に慣れ親しんだ言語学的解釈に頼れば、です。一~二章などを読めばその言葉によって発生する意味解釈による捉え方の危うさを指摘されておられますね。 ちょっとよくわからないのが、その三章で、海や航海を例えに非言語的な次元に信を寄せる~とかの意味解釈ですね。これは一~二章で提示した事柄をではどうすれば解決できるのか、という問いかけでしょうか。例えば非言語的に~などという非言語そのものの概念がどこに位置するのか。言葉を表記する文字や記号の打ち消しなのか、それとも言葉によって発生する音声やイメージまでもを超越せしめたものなのか、非言語的次元に信を寄せるとはどういう、これもまた意味解釈を問うてしまうわけです。 (言語三章)

2024-03-25

お名前は、おまるたろうさん、ひらがな使いにユーモアを感じて、ぎりぎりセーフですね。どーでもいいですか?お金と名前は大事です。どーでもいい。そんなこと。 この詩は感覚的によく考えられてます。というのもひらがなを多用すればどうしても詠みに集中して逆にイメージ的にはぼやけてしまいます。つまりたち止まらせながらゆっくりと湧き起こる何かを想定して作られているのだと思います。それは霊魂ですね。辺りを彷徨う浮かばれない霊魂です。漢字にされれば簡単に流され一目瞭然と解釈できる内容をわざとたち遅らせることで怖さ(畏怖)は増幅しますね。宮崎駿アニメが下地にあるのでしょうか?わかりませんが、そういう意味では素通りできない作品に仕上がっていますね。 (遺灰)

2024-03-24

よくドラマで見かけるシチュエーションじゃけど、関西弁使いやからまたユーモラスに思えて文も海豹じゃない鮮やかで面白いっス。 話し変わるけどお名前の可笑しい方が多いですね。わたしのことは放っておいてください。獣だとかお尻だとかオマルだとか、べつに粗暴でもいやらしいことでも、書いたっていいじゃないすか。詩を投稿するという行為がもう自分丸出しなんだから、堂々と本名を名乗ればいい。いや、本名では嫌ですね。もう少し仮名を普通に面白く求めたら如何かしら。あまりにも度゜を超えた突拍子もないお名前はそれだけで損をすると思いますよ。コメントも手を抜きたくなってくる。良くないことですけどね。印象って大事ですから。 (八月十五日 天気はれ)

2024-03-24

わざわざ下地の解説をしていただき恐縮です。このことは私どもの知識不足ということで、納得いたしました。作者による補足説明という追記。べつに作品を貶めるものでもないと思っております。 (魚籠の家)

2024-03-24

訂正。~呼びたかった。ですね。…腱鞘炎で肩に力が入らないので、どうも打ち間違いが多くて、申し訳ないです。 (あの人)

2024-03-23

お父さんと呼べたかったあの人ですね。 お母さんと呼べなかった私自身がいて、それなりに胸をうちますよ。技巧的な装いとは程遠い素直な綴りです。べつに技巧的なものだけが詩として素晴らしいものでもなく、こうして素直な文章で辺りをみつめられて書き込まれていけば技巧的なものはいつか研磨されていきます。読んで読んで他人の批評も参考にして自分なりに感想を言葉で書き上げてください。近道はありません。そのことが階段を一歩づつ上がる上達への支えとなるでしょう。と、知ったかぶりに言わせてもらいました。拝礼。 (あの人)

2024-03-23

同一性と非同一性の統一ですか。環境省によれば関東地方の4割が遺伝的に同一のクローンであるというデータ。日本各地に分布する在来種もその9割が外来種との交配で生まれた雑種らしいですね。そういう意味では蒲公英を例に仕上げられたのは正解でしょう。 めちゃめちゃですね。自我崩壊、同一性、アイデンティティの危機感から湧き起こる自己嫌悪無力感そして未来展望の喪失感からくるものでしょうか。このことを非同一性と統一?結びつけるとなればそのことへの混乱は遺伝学的な優生学にも通じることなってしまいますね。つまりそれら交配によって生まれ出た価値を考えればそれが正しいことなのかそれとも非ずにと処理されるべきことなのか。めちゃめちゃですね。まさか、ゲシュタルト、いやゲシュタポ崇拝者でもあられませんように、、と。終わりは文言も崩壊しました。失礼を。 (同一性と非同一性の統一)

2024-03-23

涎とは面白い雨の表現解釈ですが、これはそのときの状況がみえてこないのが残念です。ボクらのごとき年齢時には私もそのような経験はあります。特大な歓びにもまた悲しみにも、雨に打たれてやる。呑まれてやるんだ。雨よ降れふれ、ってね。 確かに雨も適当降ってくれないと水不足にはなりますが、雨の日は憂鬱ですね。濡れてまで雨の日には出たくない。 合羽を着て2~3時間も外で立たされたことがありますか?人間も雨に飽きてくると怨めしく思えるのです。 (雨の垂涎)

2024-03-23

↑ おいおい、コメントが雑だとか吐き捨てる読み手がこれかよ。笑 ざっと二度くらい眼をとおしたのですが、この詩はまた感覚に働いてきますね。感覚というのが、ちょっと違う異界的な感覚で、通常の生活環境からは知覚できない感覚に働いてきます。 差し支えなければと、敢えてお尋ねしてみるのですが、答えられなくてもけっこうです。普段移動式車椅子か何かを使用されている書き手の方でしょうか。(不躾にそう感じただけですのでもちろん答えられなくてもけっこうです)。初心者だなんてとんでもない謙遜ですね。クロール。何がクロールをさせるのか。私は動きそのものに対する切望がそうさせると読んだのですが、仮にだとしても、上記のような姿を思い浮かべて読んでしまうと、胸が熱くなる。少し涙がこぼれそうになりました。また探りながら読んでみますが、まだ二度三度の読みです。明日になればこの感情も変わるかも知れない。ですが、泣きそうになってくる。素晴らしいです。 (クロール)

2024-03-22

「ワレ奇襲二成功セリ」来年で戦後八十年を迎えるのかな。このような書き手の方が一人くらい居てもいいと思うし、何人も居たのでは困るとも思う。 (保護)

2024-03-22

魚籠の家。魚籠と書いて(びく)と読む。竹で編んだ籠ならば主に川釣りに使うのでしょうが、不可思議なタイトルですよね。~次はみっつくわえてよっつ~ここのところの語呂が非常に気持ちよいですね。わからないのは魚籠と幽霊の関係ですが、本文、~土中の祖母へと~なので幽霊は霊のことを示唆しているのだと思われますが、幽霊の木~とはあまりいいイメージが湧かない。魚籠も幽霊も非常に強く印象には残ってしまうので取り留めてつなぐイメージは持ちづらいですね。タイトルは刺激的にも面白いとは思うのですから幽霊かな。幽霊の木。べつに幽霊でなくとも霊の付く言葉は在ると思うし、納得できなければ何々の霊、とご自身で造語させてみても面白いのでは? という印象を持ちました。 (魚籠の家)

2024-03-22

面白かった。制作された方の才能も感じますよ。画像に負けてない発声も詩もいいいい。で、他のも観たんだけど、音は打ち込みだから同じようなものなんですが、やはり音と画像が付くと詩は置いてカレル感はどうしても出てきますね。二人のコラボって難しいんだな。って改めて思う。 (「失敗実験」MV)

2024-03-20

能登で震災人たちはたいへんな辛苦をされていることでしょう。実際に崩れ落ちた我が家を目の当たりにすれば、例えば、例えば、例えば、このように動揺した言葉を発するかも知れません。~玄関を潜るとき~私は半分もわかれない。ちょっとした支離滅裂感もあり切迫感がありますね。これが創作だとすれば、表現の卓越した書き手の方でしょう。 (埃まみれのフローリング)

2024-03-20

打ち間違い誤字ですみません。べつに変な奇病持ちではないです。笑。 (遠い呼び声)

2024-03-20

いいのですが、三行や五行の詩、こちらではちょっと選評までには至らないと思われてきます。いいえ、選評付きというサイトの立場を考えてわたしが個人的にそう思うので、こちらでどう評価されるのかは知り得ません、 (凛)

2024-03-20

こんな気配も薄暗い世の中にあって、うむ、ここまで素直にむき出せない。ということでわたしは素直にポイントをあげたい。 (空)

2024-03-19

短詩の場合は、いやあ、単純に旨い(巧い)方ですね。切り分ける白菜を喩えに台所という現実的な空間を重ね合わせて自問自答と置き換えている。これは主体と客体の扱い方を理解されているという言葉使いの巧みさですが、あまりこのことばかりに頼ってほしくないという希望的観測も置いておきます。 (自答)

2024-03-19

寓話として絵本にでもなれば子供たちは喜びますね。童心。~べつに幼稚だからとタカビーに言ってるつもりもなく、書けないわたしもこんな新鮮な心でもう一度言葉を扱ってみたい。素直にそうさえもうのです。 (遠い呼び声)

2024-03-19

実際不眠症の夜尿症で最近はほとんど熟睡できない。しかも毎日顔見知りと諍いごとの夢ばかりみて、ホント困ってしまう私なのですが、心臓が眠るとき~!なんてそれは死んだときじゃないか。面白い発想ですね。発想の勝ち! (心臓の眠り)

2024-03-18

これはあなたの物語、です。というので主人公に書かれたつもりで読んだのだけれど、坊主が数珠で、オノマトペってあるのでエロスな僕も実感としてちょっと入っていけなかった。面白い作りですが、このオノマトペってやつは至る所で扱われていて、もう食傷気味ですよね。まあ、それはいいとしても坊主、これがちょっとエロスにはまり過ぎて逆に遠ざけてしまう。※まさかエロスとか解釈して気分を害したりはしないですよね。エロ、じゃなくてエロスなのです。お願いします。 (これはあなたの物語、です。)

2024-03-18

他人ごとにうんうん、と。確かにリズムよく書かれて、でもなんで「装飾」なんだろう。話者の意識は飄々としてるのに。他によいタイトルもあるような気もしますけれど、 (装飾)

2024-03-18

夏鳥。夏を象徴するような鳥たちも描かれ、四連など詠めば花鳥風月に、と想いを屏風に巡らせば、この作りはそれほど単純でもないですね。よれた和紙の、置き手紙を、そっと机に置く。紙、そして置き手紙。どうやら背景には身近にひろがる景色よりも内面的な心象風景がイメージに置かれているようです。夏を迎える旅立ちに想いを託すのか、それとも郷愁に奔らせる筆なのか、いずれにしても置かれてある言葉たちはよく練られ、深くて味わいのある作品だと思います。 (夏鳥)

2024-03-17

笑、ごめんなさいね。また勘違いだ。もう、タイトルは「メモ帳」でしたね。これならなんとなくわかるような。死が取り憑いた紙の洒落のようなものかな。死神。 (メモ帳)

2024-03-17

今晩わ。げんにび、ってどう読み取るんだろうね。幻日なんてのは自然現象でもあるらしいけどね。それにしても霊とか死神とか、怖そうな話しの筋が破綻されて、しっちゃかめっちゃかなんだけど、神秘的なイメージでも目論んでるのかな。雰囲気はわかりますけど、死神って見たことありますか?僕は何度も感じたことがありますよ。まあ、錯覚なんだけど、精神的に追い詰められている時ですね。昼でも夜でもずっと後ろから着いてくる車の中にも怖そうな顔した人間がもやもやと見えてきたりします。特真夜中夜なんかしょっちゅうですよ。昨日も配達中に朝日新聞が違う新聞に見えて、あら!困ったな、一枚どこに配ったのか、と散々走り回って気がつくと籠のなかにちゃんとある。傍から携帯を手にした黒い男が歩きながら通り過ぎては立ち止まり、死神か?狐に包まれた気分になり、ぞっと血の気が引きました。夜はそんな錯覚はしょっちゅうです。なんせ暗闇の時間なのです。 この詩はちょっと目的が中途半端に感じますね。不気味さを演出したいのか、それとも文章の破綻からい何かしらイメージを搾りだしたいのか。でも文字っていうのは不思議で、幽霊とか、悪魔だとか、死神だとか、言葉でそのまま書かれても読み手にはちっとも怖くはないのです。だからストーリーはある。 (メモ帳)

2024-03-17

~飛びます、飛びます、でしたね笑。それから言い忘れちゃって、お金、欲しくない人はいませんよね。いない。 でも、それ以上の欲は諦めています。普通に食べていければいいと、 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-15

佐々木春さん、コメントありがとうございます。~行く。ゆく。行きます。ゆきます。時代拝見。はやい話、歳の違いでしょうね。泣笑。ちょっと古い人間の習った教科書には~ゆきます。が多かった記憶があって、どうしてもそっち、やわらかそうなニュアンスによってしまいますが、コント55号(坂上二郎)のせいでもあります。イキます、イキます。笑 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-15

そうですか。やっぱり。そらたぶん嘘つきなはってんやおまへんか・あの書き方拵えを見てとても素人、あ、いや、初心者にはみえませんでよし。投稿、SNSの初心者いうことでしゃろな。たぶん。かなり書き込んではるお方かと、そうでないと困ります。ん十年投稿してきたわてはどないしましよ。もしもほんまに詩を書きはじめたばかりのお人なら、わて、詩を書くの辞めます。笑。いや、ほんまに。 どうも下手な関西訛で、すいま へん。失礼いたしました。 (終戦前夜)

2024-03-15

更に読んでみたのですが、初心者なんてとんでもないですね。これほどの作為を凝らした暗喩使いはできない。 「作為というのは別に読み手を欺こうという意味合いではありません」 戦場を模写した如くに彩りに置かれてあります。終戦前夜。作中のあなたが誰に向けられているのか、それ自体が仮想なのか。やはりお見事に装飾を超えた喩だと思いますよ。AOIさんは顔見知りなのかな?まったくわかりませんが、読む見る限り初心者だなんてとんでもない、ありえないと感じます。 (終戦前夜)

2024-03-15

はじめの引用文は小文字にするべきなのですが、タブレットではむずかしく?て、お見苦しさはご勘弁を。 (白い菊と薔薇の花びら)

2024-03-14

(詩の世界へ)

2024-03-14

拝見しました。なんか、元気がもらえるような詩で、純粋にやる気が出てきますね。 (詩の世界へ)

2024-03-14

すぅさん、はじめまして。タブレットが不調でお礼が遅れてしまいました。嬉しいコメントありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします。 (白い菊と薔薇の花びら)

2024-03-14

ミリタリー俺、ってぶっきらぼうにくっつけるのは面白いんだけど、考えてみればミリタリー哲でもミリタリー陽子でもいいわけで、空想話しに自動手記のような入れ子を混ぜて思いがけない方向に展開させてみよう。っていうのは書きたくなるるんだよね。わかりますが、これを詩として成功させるかどうかは人によってその評価の判断もマチマチだから非常に難しい。読めば合体していくロボットのイメージですが、その先を超えてイメージできないとどうしても判断は階段の途中で止まってしまう。単に面白い、というだけではこの作品に限らず皆そうだと思いますよ。 (ミリタリー俺)

2024-03-13

田代ひなのさん、コメントありがとうございます。はい、家族(母親)との忸怩たる想いを綴らせています。 (白い菊と薔薇の花びら)

2024-03-13

これは惜しいですね。少し不評のようですが、続きがあれば感動的なものに変わる素地はあると思う。語りはよくある動物やモノたちからみた視点の寓話パターンで、それが生きることなく絶命して生まれて出てしまったという赤子。堕胎という悲しい結末を迎えるお話しの作りです。僕は独身なので実感としては不足していますが、出産という儀式はとても神聖なものですが、しかし実際は母親の生み苦しむ姿だったり、胎内から血塗れで出てくる赤ちゃんの姿は惨状と紙一重の緊張感を有している。ここで終わらせたらもったいないですよ。哀しみを誘う後書きのように、日の目を見ることのなかった赤ちゃんの声を少し書き加えるべきでしょう。 (墮胎)

2024-03-13

笑、中田満帆氏コメントありがとう。うれしいよ。モダニズムの時代は終わったんですか? モダニズムに区切りを付けていいものか、僕にはわからないし、べつに動画じゃないんだから眼にも耳にもわるくてもかまわないと思ってる。やさしい音楽カルチャーが反乱してると思えばどぎついアニメーションや映画もある。目まぐるしいのは詩も同じ。とも僕には思えてくる。お金がほしい。つい本音が出てしまいます。いやあ、このことが言いたいために書いてる節もありますね。俗物なのは性分ですよ。笑。詩人と呼ばれるならば俗物俗人でもなければホントの美しさも描けない。と思ってる。 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-12

笑、ごめんなさいね。コックはそこ、だった。もうね、老眼なので、どこ?そこ、では大いに違う。笑。どこ?よりもそこ、のほうが前の~料理店は今、霧散した。からしてみれば意表を突かれて断然いい。まあ、中田氏の言うようにわたしも感じるけれど、それよりも~料理店は今、霧散した。って置かれてあるのをもうちょい大局的な見方から表現をひねり出してもいいようには感じますね。料理店が厳しいのはわかっているから。 (コック)

2024-03-12

是非と問われれば是を受け止める方なのでしょうね。「悲しみの 深さのなかに 真のよろこびがある」真宗教団連合。問えば悲しみと喜びを分けて考えておられるからだ。とお坊さんはおっしゃられました。では震災で悲しみのどん底にある人たちにどうして喜びを持て、というのか。いや、今書きながら思いました。喜びを探れ、ということなのかな。? 未だにはっきりとした答えをみつけられないままです。お久しぶりです。黒髪さん、こちらで少しお世話になろうかと書き込みしております。たぶん黒髪さんにはこの教団連合の教えが理解できるのでしょうね。お釈迦様の教えを要約したような文が出てくるので、信心に疑い深いわたしには手が負えなくなります。愛という言葉自体に重装備された衣を感じるからです。よく把握もできていないコメントですが、また次回作も拝見いたします。どうぞ宜しくお願いいたします。 (日月)

2024-03-12

きょこち(久遠恭子)さん、久遠恭子様。お返しありがとうございます。あなたのお名前もいいですね。実は売れる詩人の大半がその固有名詞仮名に出てくるのです。と勝手に思ってます。感覚でしょうか。詩のタイトルのように、その名前でずいぶんと損をされておられる方もいるようです。目立つばかりで実力が伴わないのも困りものですが、やはり見かけってうっちゃっては置けないものだと感じておれおれで、 、感覚的に何か掴んでいただいならそれだけで充分です。あまり褒めないでください。男性は褒められると逆に惚れてしまいます。いいえ、疑ってしまったりホニャララです。笑。どうぞ、どんどんケチで蹴散らせてもください。本音ならばそのほうが本人にとってはいい刺激になります。コメント感謝いたします。 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-12

熊倉ミハイさん、再度コメントありがとうございます。でも即興は難しいですよね。当たり外れが多くてたいていは外れたと自分でもがっかりしてしまうことが多い。Jazzのようなものですからね。即興の佳さは譜面にはない、そのイキイキとした言葉たちってことでしょうか。推敲を拒む、というのはホント難しい作用です。お互いにがんばりましょう。 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-12

こんにちわ。熊倉さん、熊倉ミハイさん、お名前が素敵ですね。ズルイ。それだけで注目されてしまう。最果タヒのように。すみません僻みとしてジョークに流してください。この詩は前四連まできっとコックはいる。~でもコックはいない。という希望的観測からはじまりやっぱり、というような否定感で終えていきます。そのあとの二連でまた希望的観測は復活し、どうしてこのような終え方をしたのかよくわからないのが~料理店は今霧散した。コックはどこ。などという問いを発しての仕舞い方ですね。まだ若かりし頃ほんの少しコックをしていた経験がありまして、今でこそ人気のある職業ですが、実は厨房の中を覗けば相当キツい仕事です。希望的観測から否定感へ、でもやっぱり最後は希望的観測が勝り諦観は払拭される。というのは童話にもよく見られるパターンですが、このように希望的観測を打ち消すような暗いお店の仕舞い方は、やはり想念よりもリアルな現実のほうを取ったからでしょうか。 (コック)

2024-03-12

何処かでお合いしたことがありません。お話ししました。こちらにも書き込みされておられるのですね。お久しぶりです。そうですね。バイトで雨降りが嫌いになりました。ホントホントに行く前から憂鬱でカエルのような気分にはなれません。濡れるのを拒めないからです。大雪でも台風でも進め!ですよ。年齢のせいもありますね。学生の頃はわざと飛び出して濡れていたのに……この詩は雨を蹴散らすように元気、もらえます。 (雨降りの憂鬱)

2024-03-12

あ、それから、冒頭部分乱れた母音の解釈。驚きました。ぐるりと遊んでいるのですが、おっしゃるとおりに近い気持ちがあったような気もします。批評は驚きと興奮、そして刺激と発奮。勉強になりました。 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-12

熊倉ミハイさん、こちらでは新人なのでコメントいただき嬉しいです。実は、童謡「丘を越えてゆこうよ」のタイトルと藤山一郎氏の「丘を越えて」が混同してしまいましてちんぷんかんぷんになりました。fには喩意付けもしてませんが、内容も含めて時代を越えて、とかナントカの気持ちで書きました。。言葉は寝かせて引っ張り出すこともありますが、ほとんどが即興ですので書いた後は自分でもよく覚えていません。ただイメージだけは浮かべていただいたようでよかったです。コメント感謝いたします。これからもびしばし批評してください。よろしくお願いいたします。 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-12

煙草と縁を断ち切らないお人だな。ん十年(35年は越えてるよ)吸い続けてきたわたしも何年か前にようやく断ち切れた。それは不味い薄い後味のない加熱にしましたよ。そのほうが絶対にいい。第一廻りにも迷惑をかけない。一度んヶ月間止めてあの臭いを嗅いでみればいい。肺が壊れるのがわかります。ということで感想は乾燥してしまいました。申し訳ないです。 (自由律俳句集成「冬から春へ」)

2024-03-12

うむ、思考的な印象がはまってる。七分間。それは短いのか長いのか。考えさせられる七分間ということで七という数の語呂もいいのです。 (七分間)

2024-03-11

ビー玉をのぞき込むだけでなつかしい記憶がよみがえる。終わり~夕焼け空が見えた。というのは童心の終わりを刹那と意識されているのです。もうちょいビー玉の動きが見えてきてもいいと思いましたね。手に取るとか転がるとか。しかしポエムとはこのようにして起ち上がるものだなあ、と改めて意識させられました。 (気晴らし遊戯)

2024-03-11

わたしの取り越し苦労ってやつですかね。笑。実際抽象画のような書もあるし読めない言葉たちは置いといても記号だけで書いたものは沢山ある。でももうちょい先でしょうね。あたまが変換に追いつくのは。記号だけで読めるようになる。憧れではありますけれど、 (Ⴑ௧?ㄝテ"௧ŋ?Ⴑ⨧)

2024-03-11

まだ書き始めて~そうなんですか?それにしは文の止め、切れ味が、まるで戦場に見送られた陸軍士官のように明確ですね。ベテランの方かと思ってしまう。 (終戦前夜)

2024-03-10

作者様にはお叱りを受けたのでもう一度読んでみましたが、ううん、ですね、自信がない。あ、それから~万年雪のところを勝手に万年筆と誤読してましたね。なのでわたしの煩悩はよけいにエロチックに奔らせてしまいました。言葉は揺れ動き気丈に流してみても文は掴み難いのですが、これは、ちょっと意識を変えて読まないと把握も難しいのかな、いや、終戦前夜というタイトルにも瞞されそうで、つまり何が言いたいのかと言えば、貴方に対する停戦/終戦宣言を持ちかけたいのかな、と、多分に作為(わるい意味ではないです)を凝らして詩自体(言葉)欺いてみたい。つまり試作という過程に於いてですね。わざと暗喩を拗らせて下手に見せかけているのか、それ故に読み取れるものならば読んでみてください。という挑戦的な試みにも受け取れてしまうのですが、自分と致しましても誤謬を感じる解釈なので、そこはお許しを願いたいのです。いずれに致しましてもこれほど解釈に困る作品も珍しく、その点は素晴らしいと思います。 (終戦前夜)

2024-03-10

あ!そうか。句調子よく置かれてあるのでこれは実際に牛たちの走る姿を詠んでおられるのですね。普段このような景色を見ることもないので想像してしまいました。笑。そう解釈すれば寒さが厳しい。寒冷地ならではの景色。よい描写を表現されました。 (牛煙)

2024-03-10

ああ、そうですね。至りませんでした。他意はないのです。ただ作者様の筆力が勝ちすぎて拙い私にはよく読めなかった。ということでご容赦くださいませ。 (終戦前夜)

2024-03-10

フワッと孤独な夜はおしゃべりを思う。フワッと~この浮きあがるような軽い夜の孤独を考えてみればこういう表現もあるのだな、と感心させられます。何故かといえば、物思いに耽る寂寥に孤独な夜の気圧は重い。薄暗い雲に覆われたように気分は沈みがちになるからです。それとは正反対にフワッとした軽さで夜の孤独を表現されようとしているのは、やはり子供たちのおしゃべり、動作を思い浮かべるからでしょうね。ポエムドファンタジア(造語です笑)特に中六連なんか装飾的に散りばめられて鼻につく、というのも七連の独白対比でちゃんと打ち消しておられるのは構成の魔力でお見事ですね。推敲が窺えます。三連~子供に帰る心よ。このことから話者は懐かしい子供時代をあたまの中で回想し言葉で体現させようとしています。そして何よりもフワッと~この軽さを動きとして捉えたチン、チン、カチン、のおはじき。これが効いていますね。孤独な夜に一人想う。愉しかった頃の思い出。よき参考になりました。 (フワッと孤独な夜は)

2024-03-10

AOIさん、フォローありがとうございます。そうですね。断定したわけでもないし、性的な表現ってよくないこととも思えない。むろんこの方は直接卑猥な表現をされているわけでもありません。こう読んでほしい。という作品の気持ちはあって当然ですが、あくまでも読み手側は自由であるべきで作者のほうから制約を付与されるのであれば作品は矮小化されてしまう。何故性的な扱い方を嫌われるのかよくわからないのですが、そのようにコメントを返されたら却って読みの範疇を狭めてしまいご自身が損をするのではないか。と思われて残念な気持ちもいたします。 (終戦前夜)

2024-03-10

韻を踏むようなリズミカルな作りがこの通俗的な語りをコケティッシュに抑えていて強調させないところがいいですね。タイトルは正常位だ。正常域でもないように話しの場面は展開と置かれている。これは最後連のベッドインからしてみれば動きの垣間見れる体位の想像にもつながって逆にエロチックなムードを演出させられます。タイトル、そして構成。見事に通俗的に弾けていて、快楽な作品ですね。こんな通俗的な詩はあってもいいし、刺激にもなります。 (正常位)

2024-03-10

笑。そうですね。断定とは自分でも思えないのですが、これは読み手側の品性の欠落でしょうか。わかりました。 (終戦前夜)

2024-03-10

仕事とは何だろう 為さなくては生活も成さないから仕事なのだろうか それよりも仕方ないから仕事なのだろうか 事始めに仕事をしてみよう それが片付けば一日の仕事は終える 一日は一日でもまた一日と続いていくのだ  わたしの為の仕事 あなたの為に仕事 世界中の人々の為の仕事 今日は天気もよいので芋虫たちが穴から這い出してきた 仕事とは一体何だろう (B-REVIEW 3月のお題詩「誕生日」「仕事」 )

2024-03-09

穴、そしてマンホール。耳を当てると~巨人は街の下に横たわっている。巨人とは一体何でしょうね。旧字体あり四字熟語もありと新人類には読むだけでも難儀です、笑。巨人の穴とは何でしょうね。不穏だ。マンホールとは都市の地下を巡るライフラインの源です。辿れば何処にでも通じてしかも中を覗き込めば暗く隔絶された一本の世界。地上から眺めるのも憚られる陰湿で不気味な空間です。しかし我々の生活に欠くことのできないこの塞がれた空間は、実は常に我々を監視し我々の生死さえも左右する力を持っているのです。ひょっとしてこの細く暗室に埋葬された空間世界こそが実は都市という巨大な空間を影のように操る。巨人なのではないかと、 (穴)

2024-03-09

「鎌首」うむむ、不気味で不穏だ。なんで侍ジャパン(オヤジバツ)武士の時代の斬首を浮かべるような慣用句の二文字をタイトルに置いたのか。しかも冒頭は首実験かこれは?幸せと辛さの部首/拾う。こんな冗談のようなことを言いながら実際戦争に出向く人間もいない。そこはさすがフィクションテーラーの大ベテランですね。学識を経ての後方支援だから戦場を行っても前線に送られる危険はほぼ無い。そのことを周囲からやっかんでみられるのも仕方ない。でもよく考えてみろよ。行き着く先は核戦争だぜ。そんな細かいことに策を練ってみても一発でゼンメツだあ!そんな不穏な動きはべつに戦争を意味しているだけじゃない。事実世界のあちらこちらで紛争は続いている。こんな世相状況をみて鎌首をもたげない人間は幸だ不幸なのだとは言ってられないあなた方の心理は今でも他人事で、我々はそれを風刺に物語るしか手立てはないのです。 (鎌首)

2024-03-09

酔いどれ~タイトルとは逆にこの語り手は冷静にみて取れるのです。だからか酔うという行為に対して幅広く客観的に捉えて読める。冒頭の~私よ。から終わりの~そこの誰かさん。このことからメッセージとしても受け取れるこの独白が語り手自身に向けられていることがわかるのだけれど、これが主張を超えて行き渡るのかは私には不明だ。 この作者はフォーラムにも投稿されておられるのかな?一気に読ませる行間の流れ移り変わりが微妙に揺れて半音階を挟むように調子よく読んでいて気持ちがいい。 (酔いどれは真実を吐くが誰も気にしない)

2024-03-09

労作だなあ。刺激的ですね。苦心の跡も窺える。切り取って壁に貼りたい。 (Ⴑ௧?ㄝテ"௧ŋ?Ⴑ⨧)

2024-03-09

終戦前夜。何の終戦だろう。と読めば意味深悦なその文筆力に笑ってしまう。何を目指すのか、それは勃起に滾る祝砲への合図なのか、それとも弱々しくも今尚滾る筆の力なのか、いずれにしても我々は未だ平和の地に埋葬さるる。 (終戦前夜)

2024-03-09

右手側から読むという、そして白い空白は綿なのか、過去いう遺物なのか、大人になってしまうという語録は大切なものを棄てたという回顧録でもあり、その純真無垢な埃との決別でもある。 右手側読みから広く開けられた空白。何かが浮かんでくる。みえないもの。なかなかなそれ以上に素敵なアイデアだと思う。 (大人になってしまったね)

2024-03-09

 走り出し    跳ね跳ぶ雪に 牛煙る            *思わぬ季節の悪戯に覆われた街の、通勤に先を急ぐ人々たちの吐き出す白い息と、足下から跳ね上がる小さな雪の欠片につれて、湧き上がる水蒸気の白い煙り、それはまるで時間という概念に飼い慣らされた飼育牛のように、我々の日常を嘲るではないか。 牛煙る。この衒いに満ちた奇想奇天烈な組み合わせは句調子におかれているからこそよりイキイキと生きて伝わることもできるのではないだろうか。雲だって牛になる。いい発想ですね。刺激的です。 (牛煙)

2024-03-08

思ってたより、東京は寒いです。このオチから作者は抒情を醸し出そうとしているのが読み取れてきますね。ならばならばです。冒頭、東京は、雪が降りました。の連弾、これほどくり返されれば、ひとつひとつアクセントを付けて読みたくもなりますね。そんな抒情を醸し出すためにも冒頭には雪国には見られない光景。例えば、混雑した通勤電車の中から吐き出される白い息とか、、普段には見られない東京の雪景色という驚きを強調するためにも、寒い地方とは温度差のある街景色をおかれて対比させてみるのもよい手段かも知れません。 (東京は、雪が降りました。)

2024-03-08

これはですね。消された会話は何故?という疑問符から入って二連の蝸牛の会話です。雨によって消されてしまったのか、ならばべつに会話の主が蝸牛でなくてもいいと思うのです。何故?という疑問符は読み手が感じることで、何の前ぶりも無しに話者からいきなり入ってこられるのは読み手に対してやさしくはない。その問いは二連との関係を位置づけて想像せよ。と言われてもあまりにも遠いのです。 (Nature)

2024-03-08

超現実性というのは言葉の意味が成すとおり現実を超えなければならない。それは夢の如き現れては瞑想のように消えていく。我々が遠い星の瞬きに思いを凝らすとき、遠い星も我々の姿を思い浮かべる。しかし何億年という光の距離は絶望的に遠いのだ。いま想う水の流れ、囁く空気の循環は過去を切り取り積み重なりそれが空想となる。惑星。その未知との出合いは光の鏡を通して眺める目の前の私でもあるのだ。 (プラネット)

2024-03-08

文字列の配置や拡がりのあるタイトルからしてセンスに溢れた書き手だと思う。おそらくメッセージ性を含んだ詩が主体になるのだろうけれど文力が窺えので読んでいて疲れない。 (中央線)

2024-03-07

詩人たちが日々苦悩格闘するのは言葉で扱うのは彗星の如くあたまの中を駆けめぐる文字列たち。漢字は光に遮られ、ひらがなは重力に押し戻されカタカタは塵になる。そして文脈は文体は引力と結びつくのだ。ああ、ぐるぐるとあたまを巡るこの発想が書き方によって頓挫していく。ってな感じでころころと変わる発想は面白いのですが、意味はなくとも先ずは書かれてある言葉たちが読めてしまう。というのもこの詩を系外に飛び出すことを阻んでいるようにも感じます。 (黄色い水曜日の彗星)

2024-03-07

元外交官で作家の佐藤優は月に300冊も本を読むという。どこまで本当かわからないですが、世界中には蔵書家はたくさんいます。私なんか月に一冊読めばいいほうですね。代わりに月に300時間は画面を眺めている。笑。好き嫌いがはっきりしてきて最近では買ってもすぐに投げ出してしまいます。いつも感心するのはこの詩に描く夢みる読書家。田中宏輔氏の読書に対する一途な思い、その姿勢です。 (詩の日めくり 二〇二二年十月一日─三十一日)

2024-03-07

過去から未来へ、そしていま。ここに描かれた空間の往復書簡は終わりの連段が佳いので白昼夢のような追想も読めてしまいますね。この辺りは作者の巧みさだ。 (四次元のリコ)

2024-03-07

(くじらの歌)

2024-03-07

よく題材として扱われる鯨の喩ですが、このように詩情を対として併走させられるのならば陳腐感もそぎ落とされるでしょう。 鯨たちの謳う周波数は何百キロも届くと言われています。二連、雲のあわいから垂れる雷は~泥の涙を謳う。この言葉たちから、安息日や二次応答の証左、そして地割れに吸い込まれる鼓動~を紡ぎ重ねて読んでみれば、その根底には争い事に対する憐憫さへの思い、謳が読み取れてきますね。鯨たちの哀しい叫び声は365平方キロ先「ガザ」の外へも届き響き渡るはずだ。 (くじらの歌)

2024-03-07

周りを見渡せば異性に対して受ける刺激的な要素のエロチズム。さも年長者目線の如くけしからんと発するこの言葉は語り手本人に向けられユーモラスでもある。リズミカルで面白いのだが、ひとつ姿見以外にけしからん要素が付け加えられなかったのは残念ですね。やはりナンセンスを伴うユーモラスな作りの作品には、何かしらのオチというものが入ってきてこそ詩としての役割は向上するものだと思う。 (けしからん)

2024-03-06

稜線

2024-05-01