作品投稿掲示板 - B-REVIEW

角田 寿星


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いわゆるフュージョン(融合)ですよね。 科学と哲学だけじゃなくて、詩と散文、テキストと呟き、言語と音、 ざっくばらんに区分けしましたが、それは突き詰めれば同一のものである、と。 それにしても融合の塩梅が、良い感じに尖んがってて何とも心地いいです。 ユニゾンがノイズになっちゃうとこなんか皮肉が効いてます。 そ言えばフラクタルは曼荼羅でもあるんですよね、そういうのも巧い。 登場人物が三人である事は、どういう意味があるのだろうか。 虚無僧も素凡夫も、ともに移ろい行くものであることは、電子と光子の記述から類推されます。 光子って二種類あったっけ……いや、ないよな……どうも物理的アプローチからは無理がありそう。 何にしてもぶっ飛んでて、知識欲をチクチク刺激して、読んでて楽しかったです。 ありがとうございました。 (プルトニウム-α/青十字@ao10ji)

2024-08-15

タイトルの『ストリーム』に相応しく、流れを意識させる事象を、おそらく意識して多重に設定されています。 まずは水、川の流れ、これは読んだとおりですね。 それに重なり合う、パッセンジャーという立場の『わたし』という存在。 そして注目すべきが、言葉そのものの流れです。 動きのある単語がかっちり挟まっていて、意外なほどにスピード感があるんです。 そのスピードと統一性は、流麗な場面の転換を想起させ、 色が綺麗で画質の高いアニメーションのように思えました。 当方アニメ特撮は大好物なので、総じて好印象だったのですが、 詩においては、もう少し引っ掛かりがあった方が良かったかもです。 場面イメージの転換が流麗過ぎて、全部きれいごと、まるでヒーリングビデオでも観ているかのよう。 乱暴な言い方をすると、嘘っこの風景、嘘っこの感情、嘘っこの言葉で埋まっています。 しかしそれを、作者さんがまったく否定的な捉え方をしていないのに、逆に興味を持ちました。 肩肘張らず、普通に肯定的に書いてますよね。それがいちばん面白かったです。 毎日毎日、暑いよね。 こんな日は水になって溶けたくなるよね。 結局は、そんな感想です。ありがとうございました。 (ストリーム)

2024-08-13

『少焉』は『しばらく』て読むんですね、初めて知ったわ……ええ、ここは読めた方が良いと思って調べたんです。 さっそくですがナガモノ、読みに参りました。面白かったです。 この作品、興味深い仕掛けが施されてまして、まず冒頭。 ちょっと気合いが入った書籍によく見られる、献辞のようになっています。 それにしてもSpin『を』捧げる、というのは、個人的にはずいぶん思い切った事したね、と思いました。 ループ量子論における最小の形態をSpinと呼ぶのは、まだ仮説に過ぎないからです。 どうでもいい事ではありますが、現代の物理学レベルではSpin『に』捧げる、と書くのが正しい筈なんです。 閑話休題。 献辞に見える連の次には、タイトルとも思えるような短めの一行を挟んで、数行ずつの断章が続く…… という流れを、何回か繰り返します。 そして『よこしまな序文について』の後に、本文に見えるような、長めの数連で結ばれます。 つまりこの作品は、全体像としては、いくつかの散文詩からなる一冊の詩集のような体裁を取っています。 しかし作者さんの書きっぷりからは、そういう風に読んでほしい素振りは一切感じられません。 こうした意地の悪い仕掛けは、正直大好きです。 言葉のほとんどが、上から下に降りてきています。 安直に言うなら、言葉の雨が何にもないとこに落ちてきて、平面を形成する。 で、堆積した言葉、意外に大人しくしてないです。落ちた後も少焉はこまかく波立っている。 そんな印象も受けましたが、この作品は個々の言葉よりも、 全体的なフォーマットが気になったし、気に入った、そんな感想です。 ありがとうございました。 (ひどくもろくみえづらくさわれないもの)

2024-08-08

視覚的な言葉から入っているので、絵画的な、鳥瞰的なイメージを持って読みました。 直線のパースですっ、すっと線を引きながら構築していく感じで、 色合いはキリコっぽいんですが、彼の絵はわりとカメラの位置低いんですよね。 そう思って読むと、視覚的なイメージが広がっていきました。 翻って、段を下げて告げられる連では、身体的にグッと寄せられる言葉が多く出てくる。 これを無意識のうちにやってるとしたら、相当な力量の持主だと思いました。 全体的な色合いとしてはゴシック調の古めかしい感じを一貫して受けました。 そしてそこから、作者さんのほんとうに書きたかったことや、ある種のメッセージ、 何かしら内々から湧き上がってくる衝動を、ぼくは感じる事が出来なかった。 読み方が間違っていたのかも知れません。 だからと言ってこの作品がダメというつもりは毛頭なく、詩として立派に成立していると思います。 (わたしは烏)

2024-08-04

音楽畑の人かしら、前作もシェーンベルク入ってるかな、とか思って読んでたし。 この作品自体がフーガという形式を取っていると考えるならば、ほぼ同じテーマがしつこく繰り返されている、という読み方が成立します。 つまり一連めから最終連まで『ゆらっておちて、うごいてとんで』る、そんなテーマですね。 そういやクラゲって、どれが幼生でどれが成体か分からないような生涯を循環してるそうで、それもフーガの形態に相応しいかな。 ヒトという生物とフーガを関連づけると、どうしても歴史は繰り返す的なイメージが飛び出してきて、 そしてこの作品を読み進めますと、イメージを拡散していくことに集中しているような印象を受けます。 で、ここが重要なんですが、そのイメージの拡散は、必ずしも成功してはいません。 テーマが重厚なだけに、うわっ滑りしちまってます。 先ほどクラゲの話をしましたが、水族館の水槽にいるクラゲを連想しちゃうんですね。 >涙が馳走になり霞空になることを厭わない馬鹿者の群れ この一行、好きだったな。 なんつーか、もっと乱暴に、ガツンと踏み込む感じが、このフーガには合ってたんじゃないか、そんな気がします。 (ゆらうフーガ)

2024-08-03

訪れたのは木の精霊で まどろんだ工場はおおきなクスノキに姿をかえた あるいは胡蝶かも あるいは地を這う蟲なのかも 裏とおもてでカードはくるくる回る (古城 (連詩の試み))

2023-10-30

ぼくは詩の技法とか学問的な用語にはとんと疎いのですが、何と云いますか、コラージュ的な技法を感じます。 一枚の絵というか、作品がありまして、それの断片を千切って貼り付け、ばらばらでありながらエッセンスが凝縮された、ことばの群れ。 北原白秋さんが訳した「まざあ・ぐうす」を連想しました。 谷川俊太郎さんの手によるオーソドックスな訳とは違って、韻を踏んだり七五調にするために意訳しまくってて、なかなか良い感じに狂ってるんです。 それと同じような、プリミティブな端整さと力強さがあって、ぼくはこの詩、好きですね。 (聖句)

2022-07-26

感想と言うより、半分分析みたいになっちゃいますけど。 一本の糸で繋がれるような、か細い相関性を持ちながら言葉が展開されていくように感じます。 そうして得た帰結が最終のセンテンス、『だれがいてもいい夜がはじまる』。 この一文自体は、たいへん魅力的に感じます。 作者さまがこの作品をどのようにして作ったか、ぼくは知る由もないんですが、完成品としてこの作品を読む限りでは、すべてのセンテンスが、最終の『だれがいてもいい夜が……』に集束されてくるように読めています。 つまり『だれがいてもいい』狩夜、誰もが経験する日常生活、過不足なく食糧があり愛する人の居る、ある意味理想的とも云える人間的な生活について、すべての言葉が責任を持ってくる、そういう構造になってると思います。 そういう意味では、アルファベットスープは果たして、そういう生活に見合う『食材』だったのか、鶫は季節を表わす以外に意味を持たせられなかったのか。 イメージが充分に膨らみきれなかった処で、夜がはじまってしまった感が強くて、やっぱりこの長さの作品だと、言葉の精度がめっちゃモノを云うんだなあと、改めて思いました。 カッコ良く書けましたね、読めば読むほど、それ以上の言葉を云えません。 全体的には好きな作品だったんで、何かひと言云いたかったんですけど、ごめんなさいねこんな感想で。 (狩夜)

2022-07-18

タイトルは花クルスって読むんだろなー、何の事かなーと思って調べてみましたら。 キリシタン大名の家紋に使われてたりした紋様ですか。 そしたらあの地域かな、隠れキリシタンに水俣病、己の意志に関係なく時の権力者たちと闘わなくてはいけなくなった、あの地域。 昭和の時代ですが、島原から天草の地を、公共交通機関だけを使って移動したのは、印象深い経験でした。 口之津から船に乗って、路線バスで天草を縦断。 バスを待つ2時間で食べたうどんは、何故か血のにおいと味がしました。 草いきれの森の中を、ガードレールもない細い山道に沿って、延々とバスは進みます。脱輪したら間違いなく真っ逆さまの危険な道を、毎日運行していくバス。 それは精霊の棲むただ中を突っ切っていくような、不思議な感覚でした。 九州の西に浮かぶそこは、日本のアイルランドであったかも知れません。 何故か九州本土に渡った後の記憶がごっそり抜け落ちているんですが、眼前にはしら「ぬ」いの海が広がっていたでしょう。 石牟礼道子さんは、熊本のことば、そこに暮らす人々の肉声を、巧みに操る作家さんでした。 ぼくは口寄せのような、巫女のような存在を感じていたのですが、論ずる人に依ればあれは石牟礼さんのことばそのもの、人々の肉声をすべて呑み込んで、生かしたまま石牟礼さんのことばに再生させ、そして叫ぶ。そういうものなんだそうです。 石牟礼さんは大好きなんですが、そこまで著作を読み込んでないので、ぼくはそれに意見する言葉を持ってなくて、現時点ではその論を信じることにしています。 さて、作者さまがいったい、どこのことばを呑み込みそして叫んでいるのかは、ぼくの知識ではとんと見当もつきません。 しかしながら、のっぴきならない、しかし誰も知らない戦いが、生きているというだけで発生してしまうのは、この世に生息する限り仕方がないのかも知れません。 この作品を、生命活動に伴う戦い、殉教者への鎮魂歌、と、ひとことで片付けてしまうのは、かなり危険な感想だとは思っています。 でもそう感じて読むのは、ぼくは好きだった。 あの時の草いきれと、不思議な感覚を、また味わうことが出来たから。 それは幸福で、濃密なひとときでした。 (花久留子)

2022-07-09

ペガーナの創作神話に登場するトログウルを思い出しました。 北と〈かなた〉しかない南の果てで、歴史のくさぐさが書かれた本のページを手繰り続ける、神でも獣でもないもの。 地球や、三次元球面内つまり宇宙の歴史的観点から見れば、人類の歴史なんてのは「ああああ」くらいでも言葉が多いくらいで、それでも南の果てならば、距離が充分に確保出来るがために時間は相対的に拡張され、きっと「ああああ」以上の言葉を発する資格が得られるんでしょう。 冒頭部のアプローチが素敵です。 日記の体裁を採りながら何度も読み返すそれには、やはり何もかもが書かれていて、さながら百科事典のよう。 「先端」は初見では「戦端」の誤字だと思ってたんですが、これはわざと誤字ったんだと気付き、ニヤリとされられました。 世界を構成する量子は基本的に粒であり、互いに相関しています。 ばらばらに霧散した星でさえ、量子の相関性とは無縁で居られません。 作者さまがほんとうに言葉は駄目と思っているのかどうかは、読者の立場からも明らかにすべきではないと思いますが、最後は強い決意で締められていて、読後感はすこぶる良かったです。 (旅する為の雑記帳)

2022-07-07

田中さん ありがとうございます。 あちゃーっ、ソフビと来ちゃあ語らずにはいられません。 ウーはリアルタイムでは、マルサンブルマァクでもキングザウルスでもソフビ化されなかった怪獣でして、全国発売レベルだと、多分メビウス放送時くらいにようやくバンダイから販売されたんですよね。 ソフビってのは現在、意外にコストの掛かる商品でして、金型作成から成形彩色まで手作業でやると、一体数千円から一万超えの製品になっちまいます。それを数百円の値段で販売展開するバンダイは、超偉大だと思います。 ぼくの持ってるウーはウルトラファイト版。もの哀しい本編エピソードとは裏腹に、竹刀片手に喧嘩屋ウーとして名を馳せた、コミカルなヤツです。10年ほど前、同人ソフビ製作者の人に直接メールして、売って頂けたのは良い思い出です。話はまだまだ尽きないんですが、この辺で。 (ウー(ウルトラマン))

2022-07-06

たこさん ありがとうございます。 この作品はタイトルにもあるとおり原典有りきで、しかも叙事詩の体裁を採っています。 説明的と仰るならばその通りだと思いますし、一方で介入の余地がすべての詩に必要かと論じるならば、ぼくはそうではないと思います。 (ウー(ウルトラマン))

2022-07-04

湖湖さん ありがとうございます。 作品のフォーマットは作者が考えるよりも単純だったかも知れません。なるほど、と思いました。 生物の定義って、代謝と複製でしたっけ。 雪女を生物として定義づけるなら、複製つまり繁殖はほぼ必須となり、その繁殖方法や血脈は興味のある処です。 (ウー(ウルトラマン))

2022-07-04

正直な感想を申し上げるとアルカディアではなくザナドゥーなのだな、と。 ドルフィンではなくトビウオ、ジョンキーツではなくコールリッジなんだな。 新潟からの関越道は一度しか使ったことがないので印象が薄くって (大抵渋川付近で上信越道に行っちゃいます) その意味ではぼくはこの詩の良い読者にはなり得そうにないのですが、 信州からは鉄道を使って何度か新潟入りしています。 信濃川沿いを細々と通って行く飯山線、雪の平原を突っ切っていく信越線、どっちも良い。 県境の無人地帯を通って辿り着いた十日町や直江津の町並は、確かに旅人にとって理想郷でした。 ぼくはコールリッジを読んでないので、彼とザナドゥの繋がりくらいしか分からないんですが、 トビウオの発明は、なかなか痛快でした。 海と空が混じり合うのは、まさに理想郷ならでは、だと思います。 ザナドゥの進撃の魚、ですね。 クッキーの刺さった抹茶アイスが、やたら無個性に感じますが、 皮肉なメトロポリスに、クッキーじゃなくて、トビウオ突き刺しちゃいましょう。 最終行の締めの拓かれた様子が、小千谷の偉大な詩人を感じさせて仕方がないです。 小千谷からは三国峠が見えるのだろうか…… 個人的には大好きなテイストでしたので、思わずコメントにお邪魔させていただきました。 では失礼します。 (鳥の卵)

2022-05-29

んが。じぇんじぇんわからんす。 タイトルのムー大陸を中国語にしたこと(しかも陸の字がこんななってるし)、 それと、宮沢賢治やボラーニョがどうゆう関係にあるのか、 中国でムー大陸に関するムーヴメントがあったのやらどうやら… ああ。『謎』なんだね。確かに。 世に伝えられてる常識や歴史とは異なる世界の謎だから、文体も軽くったっていいわけだ… とりあえず、筆者の前世に乾杯。そして『月刊ムー』掲載、おめでとうございます。 (姆大陆――記憶のムー大陸――)

2017-07-17

どーして冒頭削るのかな、悪かないけどな…と思ったら、季節が違うのねww どっちかつーと夏真っ盛りの七夕の季節。 昼日中の妄想の水中で溺れて、夜空と恋しい人を思い浮かべて、 日傘に顔を隠して、ポツンと独り言。これわ、かわゆい(#^.^#) あざとくない奥ゆかしいかわゆさ、です。 最後の2行。俺だったら「二人は光になった方がよい と/傘の中でなら素直に言える」て 「と」を付けたかもしんないです。うーん…どうだろう…余計なお世話かもw (惑星の涙)

2017-07-17

家とゆうより、居場所とでも云うべきもんなんかな、と。 惑星の寿命からすると生命がその上に立ってる時間は、あまりにも短いもんね。 指でなぞってんのは、地球じゃなくて恥丘かもしんないねー、生命が産まれるもんねー、という下品な与太はさておき。 手首を切り落として、次の人に渡す、世代交代までの生きてる間に、 最終連で水が「やさしく引きはじめて」、そうすると「ミズノナカ」に埋もれてた居場所が顕れるんだよね。 いわば家の再誕。 この惑星はやっぱ優しいんだな、と思いました。 最終連は、俺は好き。 (惑星)

2017-07-17

hyakkinnさん、宣井さん、まりもさん、さんきうです♪ hyakkinnさん。 ガキの頃に観たウルトラって、怪獣出るまでは、渾身の脚本も結局前座なんですよね。 それでもその前座がしっかりしてると、本チャンの怪獣の存在意義が増して、記憶に残るものとなります。 そうですか…観ましたか…お手数かけてすみません^^ 読点の排除は、以前より意識して行っています。ぼくは、散文詩には読点を使いません。 そうすることで散文と散文詩を分けてるのと、自分だけの文体を模索してるとこです。 宣井さん。 ぼくは69年生まれなので、帰りマン世代なんですね^^ ぼくらの世代では、ゴモラやゼットンは、すでに伝説になっていました。 マン・セブンは再放送で少し観てた程度で、Qはつい最近、最終話の『あけてくれ』を偶然観ただけです。 …なんつーか…頑張って創ってるよね、ウルトラQ。 お恥ずかしいことに、未だに「大きなお友だち」やっております(^-^; まりもさん。 そうですねえ…ウルトラシリーズでは「光」と呼べば、結構分かり易くなるかな… なんつってもウルトラマンが「光の国の光の子」ですから。 で。キリエル人もある意味「光」であった可能性を考えました。 光が光を、眩いばかりの才能がささやかな才能を駆逐するのは、ぼくの根底に流れているテーマのひとつです。 (キリエル人(きりえるびと・ウルトラマンティガ))

2017-07-17

俺もこういうのはよく見た方なんで、懐かしく思いました。意外にいますよね、見えてた人。大抵は子どもの頃です。 俺の場合は多分、同一人物。白いふわふわした物体で、女性の人格を持ってました。 こっちの困ることばっかやってくる、悪戯モノでした。 手足を押さえつけたり、口から体内に入ろうとしたり。変な唄もよく歌ってました。 最後の方にはこっちもだいぶ慣れてきて手足も動くようになってて、そいつと取っ組み合いやってるとこを弟に見られました。 「あそこに居ただろ?」「ううん…何も?」天井を指差した俺に、弟は怪訝そうに応えました。 次に遭った時に「お前見えてないじゃん。邪魔すんなよっ」と冷たく突き放したら、プツッと消えてそれっきり。 あれから30年…まさに「もうこんな時間か」、です。 茶化すわけではないのですが、「隣で荒い息」からは父母がセクースしてんのかな、とゆうオチを想像していました。 信じ難いものが予定調和の行動をとるよりも、 信じてる者に、こっちの理解の範疇を越える、信じ難い行動をとられる方が遥かにショックはでかいと思いました。 昔は貧しかったよね。 俺も10円の駄菓子を奢ってもらうために、友だちの家来に半日なったりとか、いろいろやりました。 (四番目の息)

2017-07-16

これ、ねえ…好き(#^.^#) 「恋する剥製」のタイトルからして「恋する惑星」のパチモンを連想させます。 徹頭徹尾チープ。もしくはチープに見せている。 冒頭と最後の「鄙びた眼差し」がすっごくいいんだよねぇ。 これだけで片田舎の博物館に無造作に突っ込まれてる、生命だったモノを連想させます。 (地球の、とは言ってません) 恋するヤツが「君はなんだかセクシーだ」も、「一縷の望み」とかも、味のある安易さだし(註:褒めてますw)、 「やがて人類は滅びる…」のクダリなんか、おめ知能あるんか、とゆうくらいステキ(註:激賞してますww)。 ポップでチープ。 その味わいが、剥製になっても、心も剥製にされて生きてるんだよん☆という無茶な論理を成立させてます。 (恋する剥製)

2017-07-16

ボルカさん、さんきうです♪ >僕らは作者が、その生物(とか怪獣とか)の基本的なスペックについては正しい記述をしている、と、期待して あ…これは落ちやすい陥穽だ、と思って姿勢を正しました。 ぼくは確かに、怪獣について熟知して書いてる。 ただ、そのイメージが読者に余す処なく伝わっているかというと、絶対にそうではない。 例えばまったくオリジナルの登場人物を加えて書いてるのに 「オリジナルも付け加えるといいですよー」と言われた時もありました。 それは読者のせいではないよね。俺のせいだ。 ひとつこの作品に瑕疵があるとすれば、 シナリオライターの小中さんはクトゥルフ神話を元ネタにキリエルを書いたっぽいんですね。 ところが、ぼくはラヴクラフトは全然詳しくないんです。だからクトゥルフ要素はまったく入ってません。 めっちゃ詳しい人にしてみれば、そこんとこが物足りなく感じるかもしれません。 (キリエル人(きりえるびと・ウルトラマンティガ))

2017-07-16

花緒さん、さんきうです♪ えー。僕の大前提に「ウルトラ怪獣はもはや、共通認識ではない」とゆうのがあります。 全然知らない、もしくはまったく興味がない人がいて当たり前。 一方ではチロッとでも「セブンの科学考証なんて出鱈目だらけで…」と、一言でも云おうものなら 「特撮なめんぢゃねー」とキレだすお方もいらっしゃる分野でありますw そんな人たちを同列に並べて読んでもらう試み…我ながら無茶してんなぁ。 なので苦労して読まれるのは本意ではないです。どうぞ楽しんで読んで下さい。 ぼくは、これはもはや詩ではないかも、と思ってます。 詩でも芸術でもなくっていい、エンターテインメントであってくれたら、それでいいです^^ (キリエル人(きりえるびと・ウルトラマンティガ))

2017-07-14

やっと元ネタがわかったっ!ロンドンの彼って、エルトンジョンですねっ! オリジナルは偶然、テレビでしかも途中から聴いたことが一度だけあります。 魂のこもった演奏だった…世の中にこんなすごい歌を創る人が居るのか、と全身が総毛立つような思いだったのを記憶してます。 映画館のどこそこの席に座っていた青年からの、ノーマ・ジーンへのラブメッセージでした。 故ダイアナ妃に送ったセルフカバーの時、あー勿体ないことするなぁと思いました。 それからはカバーは何百回も流れてきたけど、オリジナルはついぞ聴かなくなりました。 翻訳調の文体はバタくさくって面白かったです。 「元ネタが分かんないと入り込めないなぁ」と思ってたけど、分かってもやっぱ入り込めないですw んー。きわめてパーソナルなもんだよね、ひとつの芸術に触れた経験てのは。そのパーソナルに受けた影響のデカさを感じました。 あと「リスキー」てのはエルトンジョンにとって重要なキーワードなんかな。俺はよく知りませんが。 (愛)

2017-07-14

的確な評が書けるかは自信ないです。 とゆーのも、この詩の立ち位置にどうしても納得できないモノを感じるから、かな。 タイルの目地の漆喰のとこですか、あそこに巣食ったカビって、絶対に取れないそうですね。 それに端を発して書かれた詩かな、と思います。 で、かなり古典的な匂いを感じる。 ボロボロの駝鳥とか、死んでも膝小僧だけはキレイだったとか、それ的な匂いね。 擬古調の文体からも、それらしさを感じます。 で。これはパロディなわけはないし、 「すっかりみすぼらしくなってしまってそれでも主張し続けるタイル」として認めることはできるけど、 それを鮮烈な印象として捉えるには…ゴメン、俺には無理ゲーですわ。 けしてそれを否定するわけじゃないんだけど、ね。 さらに、「新しさ」を追求するには、それっぽく作ってはいないと思うし。 プチ・ビジュアル・ポエトリー…タイルである必要は、あったわけだよね。 俺としては詩の立ち位置が宙ぶらりんな感じだったんですよ。 もちろん、詩の読み方は人それぞれだし、俺の感性がおかしい可能性もあります。 むしろ俺、詩人的にはおかしくなってると思うしwすみません、こんなバカなことしか書けません。 (タイルの目地)

2017-07-11

はいはーい。 比喩なのは重々承知のうえで申し上げます。 人ひとりを護ろうとするのに、半身だけでは全然足りません。 全身全霊で護ってください。 そうしてはじめて、自分の力が人ひとり護れないほど、微々たるものであることに気づくはずです。 それと、相手はそうされることを、必ずしも望んではいないことも。 語弊を怖れずにいえば、この詩の語り手(作者のこと云ってるんぢゃないですよ、念のため)は一途で愚かです。 嫉妬深く、まだ浅さも傲慢さも感じる(ふじさんの事じゃないですからねー、あくまで「僕」の事よっ)。 でもそんな本気が、人を成長させるんだよなぁ、とニヤニヤしながら読んでます。 (握られた胸ポケット)

2017-07-11

恥を承知で申し上げますと、この詩読んでから 「あり?俺ってば、固有名詞の意味間違えて認識してたかしらん」と辞書引いちまいましたw その意味では大成功かも知れません。 常識的に言えば「ローソン」は固有名詞、「砂埃」「自転車」は普通名詞。 「かれ」「わたし」「わたしたち」「きみ」は代名詞になりますよね。 そーなんだけど、視覚的および感覚的な存在認識の揺らぎによって、名詞の定義自体も揺らいでいる感じ。 雰囲気がいいな。しっかりしてるけど肩の力がうまく抜けてる感じ。 単なる言葉遊びになってなくて、好感バッチリ持てました。 (coarser)

2017-07-11

白島さんでした…名前間違えてゴメンナサイ(_ _) (詩論 ルドンの眼)

2017-07-11

ふはは…何かコメントしたいなー、でも気難しい人でアホなこと言って怒らせたら怖いなー、どーしよと思ってたの(^-^; でも「ふぇー!!」で全部消し飛んだぞw1.5時間の労力、けして無駄じゃなかったですよ、白鳥さん^^ まずは詩と短歌の比較に関しては同意かも。 短い言葉で的確に切り取ってあって、素直に感心しました。 短歌の人が「そうぢゃねーよ」と20分くらい文句言い出す構図まで思い浮かべました。 生の深淵、底辺ねぇ…先日、大学時代の同期をガンで亡くしたんです。 末期の末期まで働いて、最期は身動きできない状態で入院して、そっから1ヵ月経ちませんでした。 見舞いに行った入院の話では、筋肉モリモリの体力の塊だった彼が腕も動かせずに、 「こうやってボーっとした精神状態で、ベッドにずっと寝てて、陽射しが当たって、生活の音がかすかに聞こえて…  まるで天国にいるみたいで、この生きてる瞬間がすごい幸せな気分だ」 ということを話してたそう。これもまた、生の正しい深淵なんだろと思う。 こうして生の底辺を乗り越えてしまった人たちを、結構見てきたから、ねえ… 若い頃に直面してきた死とも、だんだん捉え方も送り方も変わってきた、と自分でも感じてますよ。 (詩論 ルドンの眼)

2017-07-11

「まだ失くしてない、意外にどーでもよくて、でも多分手に入らないだろう」ものをずっと探してる意識が根底にあるのかな、て思って読んでた。 そうなので最終行に「心の原石」を答えにしちまうのかよっ、おいっwてなったけど、まあこれはぼくの勝手な感想です^^ 揺らがない意識の下に連想させる言葉を繋ぎつつ旅をする詩なわけですが、 ところどころでホツレが気になるのと、あとは言葉の精度ですか、ねぇ・・・ 前者だと「人々が意味ある眼差しを目から目へと飛び交わせている」というこの詩のコアの文、 その次に「目での意思疎通」これはホントに必要かどうか。 後者だと、「古い秘密を・・・/憧れたことは忘れない/水のようなそれで口は潤った」 ここはぼくの好きだったパーツだけど、「口」が「喉」か「唇」かで、結構印象が変わるんじゃないか、と思いました。 (眼差しによって心が通うこと)

2017-07-10

「リス」と「カット」、なんかいな(^-^;普通に… 朗読ですっごく映える詩だな、と思った。 それだと前半の長さが絶対に引き立つんだよね、きっと。 (変なプレイ)

2017-07-10