作品投稿掲示板 - B-REVIEW

尾田 和彦


投稿作品数: 8
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女の猫

2021-07-08

病み猫

2019-06-20

キオク

2019-04-25

絞首台

2018-11-21

向日葵

2018-08-10

書きはじめるのは簡単だけれど最後はいつも難しい。着地がみつかると 初めて、自分の書きたかったことのイメージが腑に落ちる。ちゃんと高 ぶらないことには、落とすこともできないしね。詩を書くことは体に悪 い。神経を端まで使った気になるから。生活のバランスを通して書くイ メージだ。魂とか見えない細部だとか、そういうものが大事。 (サンタクロース戦争)

2023-05-11

ぼくはもう、自分の問題を解決してしまったので、あんまり詩を書く必要性が 自分の内部の問題としてなくなってしまったのだけれど、沙一さんたちは、多分 内面にも社会にも、違和や錯誤を抱えていて。多分、それらが創作のモチベーシ ョンになっている筈で、ビーレビ界隈も盛り上がってほしいもんだと思います。 (サンタクロース戦争)

2023-05-11

結局、自分たちが生きていく世界が、ロボットや人工知能が絡んで、社会の概念もかわってしまうのか もしれないけれど、よくならないといけない。というのが前提にあるけれど、そういう前提に立てない ひとたちが沢山でてきて、分断、というか淘汰が起こるのかもしれない。意識という脳内の現象として それは起こる。そういう本質には科学的知では触れられないので、詩文学などの役割はある。これから の若い人たちの問題が、ポエジーによって全然ふれられていないの。ここの作品群には。 将来に起こるであろう事柄の本質に、迫ろうとする意識がどれくらいあるだろうか?という疑問があるな。 (サンタクロース戦争)

2023-05-11

4、5年ぶりかにビーレビに来て、詩と称するものを読んでいるが、詩を感じさせてくれる 作品がなくて。コメントというか爪痕くらいは残していきたいと思いつつ、食指が動くもの がない。 長谷川さん、はじめまして。 最近はこの詩のモチーフにあるような、路上でキレる、発狂する、無上に、酔っ払い動画に 撮られ、ネットに拡散し、TVに撮れ高を提供し、夕方のニュースで薄く流れ、日常の一部 に佇まうある世界を切り取ったものだ思う。うまくすればライトヴァース的な作品の面白味 がでるのかもしれないが、なにぶん泳ぎ方も直地点も弁えない素人作品となってしまってるの が残念だ。 言葉の扱いや合成の仕方、モチーフのもってき方には詩の匂いがしなくもない。後は自分で気 付いて発展させるだけの才覚があるのかどうかが問われると思う。 今後の作品に期待してみたいと思う。 (宇宙の法面に張り付いた奴)

2023-05-09

すいません。上の返信がエイクピアさん宛てのコメントです。 で、こちらがアンチアスファルトマンさんへの返信コメントです。 「自分だったら現実の物事を詩に落とし込むことは滅多にないし、しようともあまり思わないので、興味深い」 大体、自分の身辺で起こった事柄が、モチーフの発端になっているのでは、ないでしょうか。そこへ社会という、自分を取り巻く環境のほうへ触手を伸ばしていくと、今ならオリンピックという題材が自己と繋がりやすいところだと思います。モチーフに強度がないと、作品自体の説得力が生まれませんし、かといって、モチーフを生のまま調理もせずに出すのは、それはあまり詩のカテゴリーで呼びたくないものになってしまいます。なので、その辺の兼ね合いを探ることから、詩は作られていくんだと思いますが。その辺り、創作術、という秘匿されがちな部分に、スポットを当てていくのも、話題として面白いのかもしれません。 (トーマス・バッハ会長)

2021-07-29

もともと自分の書くものは、写真のスナップショットや絵のスケッチのようなもので、描写におもきをおいたものだったように思います。知や情に抑制的である、ということは、詩の場合、読者を作品世界へ引き込む一つのテクニックではないかと思います。時事的な事柄をモチーフとして取り扱う、ということは、この現代において詩を書くとき、書き手の人間としての力量を試されるとと同時に、同時代人、としての呼びかけ、でもあると思うんです。何を書くのか?ということ(モチーフ選び)は詩の出来栄え云々の前に、最初に大事なことですからね。できるだけそこらへんは、意味の大きな事柄に挑みたい気がします。 (トーマス・バッハ会長)

2021-07-29

どなたか存じあげませんが、コメントありがとうございます。 「ブンゴク」に主に書いていた頃は、20代の後半から30代にかけてのことだから10年以上も前のことです。作風もかわってよさそうな気がしますが、あんまりかわらんナ、と。ですが、ぼくはその間に、建材メーカーの営業から牧場で牛飼いの仕事へ転職したり、京都から宮崎へ引っ越ししたりと、まあ、転がり落ちるような変転があり、そうとうな経験の積み上げあった、と自分では思っていて、「魂」の性質それ自体がかわってしまったのではないかと思うほど。【詩=魂】は、嘘のつきようもないものだと、ぼくは思っていて、これからも詩は書くつもりですから、たぶん、そのへんの変化は、書く作品の中に、必ずあらわれてくると思っています。 (トーマス・バッハ会長)

2021-07-29

◆TO-Yさん。ポエジーていうのは、そうそう簡単に掴まえることのできない現象だと思うんです。だから、詩を書いたり、読んだりする時間は、貴重なものだと思うんです。それは、本来、自分が得たものでも、誰か他のひとが書いたものでも、本来、構わない筈のものだと思うのです。若い頃は、街を歩いていても、詩的なものがどこかにないか、ずっと探していた気がします。詩は苦痛を、和らげてくれるんですね。痛みを持って読まないと、見えてこない筈のものだと思うんです。 ◆てんま鱗子さん。詩を書いている時だけ、現実の痛みや不安から、自分を遠ざけていてくれる、そう思っていた時期が、ぼくにはありました。中年の域に入っても、そうした心持は何一つ変わりませんが。苦痛や不安から、逃れ得る術はいろいろ身についたような気がします。だけど、根本的なカルマのような歯車から、どうも人間は逃れることはできないようです。 「死」や「孤独」、「憎しみ」「絶望」といったものも、どうやらポエジーの源泉ではないかと思うんです。だからぼくは鱗子さんのような感覚も、大事にするべきものだと思います。どだい、全てを明るみに引きずり出すことは不可能だし、またそうするべきものでも、ないと思うからです。 (トーマス・バッハ会長)

2021-07-22

村田さん。表現するってことは(詩は表現ではないって主張もありますが)どうしても自己言及的な部分があり。ポエムは自画像を晒すような要素もある。『現代詩』という概念で考えていくなら、その自画像を、もっとメタ認知的に取り扱い。あるいは映画監督のようにカメラで状況を含めた自画像を、創作的なストーリーの中で語ってゆくとか。伝え方の工夫、ということが成されている筈で。それが結局。嘘っぽくなっていく、というジレンマも抱えつつ進んでいくわけだと思うんですが。まあ、これだけネットの中に自画像たちが横溢すると、作品を書くこと自体に躊躇が生まれるか、自分の内側を研ぎ澄ませる時間の方が、どうしても長くなってしまうわけで…。ぼくも村田さんの作品、創作活動にはいつも注意しています。こちらの油断を、ついてきますからねえ。(笑) (トーマス・バッハ会長)

2021-07-22

【牛を追う人の 1日もかかすことのない作業を 私は 知らない】 ぼくは牛飼いを生業としているのですが(笑)思うに何の職業でも構いません が、忍耐力は、どこでも大切な要素だと思うのです。 男女の間柄もそうでしょう。殆ど忍耐をおいて、大切なものはないと言い切 ってもよいほどに、それは大切な事柄だと思うのですが、学校でも会社でも そういうベースになることを教えないで、技術論や些末事に目が行きがちだ。 同時に男女の出会いの中に生まれる、刹那の触れ合いや運命といったものに ロマンや理想があるのも事実だ。そういう大切な機微を、短詩の中にこめた 或いは俳句のような、よい詩だと思います。 (【2021年遅れた七夕企画】星霜日和)

2021-07-15

◆みうらさんのお蔭で、詩を書くことに、繋ぎ止められている部分が、一抹あるかもしらん ですね。いいか、悪いかわからんですが。多分、それで人生が少しでも豊かになるなら、そ れはよいこと、なんでしょう。 ◆湖湖さん。いろいろな考察ありがとうございます。幸福も不幸も、100パーセントにどち らかに振れている時って、そうないと思うので、大体中間地帯で暮らしているのでしょう。 ぼくは別に女の人は嫌いじゃないですが、いろいろ難しいですよね。最近はジェンダーなどと 言われることも多いので。めんどくさいので、殆ど付き合いは今はありませんが。 ◆yamabitoさん。深い意味は、何にでも潜ませることができるのが、人間で、こ れは人間にかけられた呪いのようなものであって、意味にとらわれているうちは、 まだ前近代的な人間なのではないか?という気すら最近します。 つまり、たいして意味などないのだ、というところから出発することが、人間存在 と人生のありかたのそいもそもとして、やはり大事なことだと思うんです。 つまり、意味なんかよりもっと深い心や体の中にあることを、感じていきていく、 ということですね。 ◆沙一さん。生命というのはやはり何か中心にくる素材や、他と分け隔てる壁の ようなものがないと、ただの水か空疎な空間のようなものになってしまうので、 「強調された」ものに目がいく、というのは、まあ一般的な生理として、あたり 前のことであるし、それこそが生命的営みの真実なのではないか、という気すら しますが、『中心とそれを包み込む壁』は、ぼくらには、それはどうしても必要 なものなんです。 (女の猫)

2021-07-15

確かに詩を書く人の魂をかんじますね。 イメージの展開にも非凡なものを感じる。 社会風刺的なものへの志向性。反骨精神、 ユーモア、そういう「一流の」詩人が持つべ き素質が備わっていると思います。 (ないのだ(政治演説))

2020-03-12

◆南雲 安晴さん 「現代詩」の定義となると、できなくもないと思いますが、 詩を定義づけすることから、限りなく自由であることが、 現代詩的なフォーマットになるのではないでしょうか。 ですが、雰囲気だけ、わかるひとにはわかる、的な「枠組み」 の中で評価をうけるものは、ぼくはあまり好みません。 丁寧に読んでくださりありがとうございます。 ◆右肩さん ここで問題なのは、詩に興味がなくなってきた、という ことなんですが、右肩さんはぼくより一回りくらい年上 でなおかつ、堅実な(?)生活者であるにも関わらず、詩 を書き続けている。 詩はやっぱり満足したり、自分に対する見切りが行われた 時点で書けなくなるものだと思うのですが。 右肩さん、ありがとうございます。 詩友がいると、書き続けられるんですかねえ。 ◆みうらさんへ 濃厚なラブレターありがとうございます。 なんでしょう。人は一生をかけて、詩人としての自己を 完成させていくものなのしょう。 昔みたいに、自分は「ポエマー」だとは言いたくないで すねえ。 (静かな底と天井)

2020-03-12

面白い作品です。 『赤茶色の蜘蛛の巣が  今日も街を眺めている』  冒頭のパラグラフに、太陽、蜘蛛の巣、蜘蛛、人間の子供、町がなどが投射され 宇宙的なスケール感が醸し出されている。 あたかも人間の外側に存在する「知的な者」が人間以外の目でものを見つめている、 といった印象を受ける。 ぼくもこの詩のように日常を破壊するのではなく、日常の奥を覗くような視点が必要 だと思います。アクチュアリティーのある詩でもあると思います。 (日常の「非」が付く時間)

2019-06-26

◆静かな視界さん コメントどうもありがとうございます。 初めて書いた詩が猫の詩でした。中学生の頃。これはシリーズというものではありませんが、 大体そのときの生活が作品の中に入り込んできますね。 本当はもっと違うものが書きたい。 ◆エイクピアさん うん。いつも自分が「前衛」だと思ってますね、笑。 ◆タカンタさん アドバイスありがとうございます。 詩というのはあんまり論理的なものではなく、感覚や感情的なものが捉えている世界と繋がって いくものだと思います。カテゴライズされないものだと思うんですね。 (病み猫)

2019-06-26

有り体な話で、詰らないポエムになりがちなモチーフを、表現の様態において 読ませる作品になってると思いました。 ふじりゅう作品の匂いも十分にある。(文体がある。) 楽しめる作品だと思いました。 (ひまわりのまわりを)

2019-06-20

ざーっと投稿欄のトップから読んでいくと、殆ど「死」とか「自死」を匂わせるような作品ばかりで、これもか?と思ったりしたけれど、この作品にはユーモアや処世みたいなもんがあって少し救われました。 (君の名前はまぼろしになった)

2019-04-25

この作品が織りなす言葉の世界は冷え切って閉ざされている、と思いました。 温かさや広がりと縁が切れている、そういうものの「怖さ」を感じますねぇ。 (形而上の色鬼と有刺鉄線の因果律)

2019-04-25

そういわれると、ですね。やっぱり。みうらさんのような方がいるからまだ書いている、自分が書きたいから書いているわけじゃなく。「書かされる」力があるから、まだ、書いている、そういう気がします。ありがたいです。ただ一方で、しばらくアウトプットしていないと、自分の中で「水位」が高まって溢れてくる。どうしてもこれだけは言わせてくれ、「大切な事だと思うんだ。」という「もの」がでてくる。そういう時、即時的に表現できる手法の一つが、詩であったりカメラであったりすると思うんです。自分の感性が誰かの役に立つのなら、磨いておきたい。それはやっぱり、反面、自分を救うものであったりする。若い頃、自分を救う方法として詩を書くことはとても大きな比重で自分の中にあった。でもオッサンになって色々な「武器」を持つようになると「詩」というものが遠景へと退いていく。だけれども、ぼくの詩を読んで、誰かがまだ何かを感じてくれている間は、詩は永遠に自分の一部であり続けるのかもしれない。そういうことを思いました。そういう意味においても、ビーレビに投稿することは特別な意味があります。みうらさん、どうもありがとうございます。 (絞首台)

2018-11-24

ふじりゅうさん、こんばんわ。 うーん。詩人とは何があっても生き抜く知恵を持った人間のことだ、そういいたい気がします。 そうすると、その言葉はドキュメンタリーであり「実務」に裏打ちされた「証言」なんだ。 詩が韻律や比喩から自由になって現わされるようになった時から、それは運命づけられた。 そういいたい気がします。ふじりゅうさん、どうもありがとうございます。 (絞首台)

2018-11-21

言葉そのものの意味と、記号の使用により、意味感覚自体を補強する作品の意図が あるように感じましたが、それはそれはそれなりに成功していると思いました。 ≪角≫で譬えられているのは人間の「エゴ」のようなものだと思いますが、そこか ら受けとるべきものを探してみました。 【引用】 (((ふ)))れる、(非― 在)の、貴女の、 愛おしい、《角》に、 。零れ、落ちて、しまう。 上記引用部のパラグラムですが「非在」という言葉に無前提に寄りかかり過ぎていて、書 き手自身の独自的な思考、思想が感じられず、読んで何か新しい「もの」を受け取った、 という感じがしなかった。と、同時に自愛的な表現に陥ってしまって、他者に手渡すフレー ズになってない、表現としての甘さがあると思いました。 ただ 【引用】 ふと、(非―在)の息がしている。 それは、青、くて。 そっと、耳を、預けてみる。 あるポエジーはしっかりと灯っていて、記号を多用する作風としては、その辺り面白いと思い ました。記号表記の中に、ポエジーの世界/領域があるんだ、という部分ですね。 そこは一つのテーマとして探求するべき課題だと思います。 (あらかじめ喪われた、《角》へ。)

2018-11-21

しかし罰当たりなやつや。一番最初に地獄に行くタイプがこのタイプや。 蝉の死にむかうこの「残酷」な行為の先に人間の「死」がある。 ここがこのポエムのキーポイントかな。 「アタリ」のアイスバーが“背負っている”ものは、結構重い。 (戒名)

2018-08-15

蔀 県 さん、こんにちは。 『表現が強い。出だし三行でガッと心をつかまれました。』 『硬質な筆致ながら、とても優しい詩』 ぼくがこの拙作にこめた「つもり」のギミックを全部読み取ってもらえた ような感想を頂き、投稿してよかったと思いました。 蔀 県 さん、コメンどうもありがとうございます。 (向日葵)

2018-08-15

右肩さん、こんにちは。 『白い雲も、青い海も、人の心で爽やかに昂ぶる破滅へのプレリュード』 「破壊」への衝動というのはどの社会や人の心にも潜むものだと思います。 戦争とは破壊の象徴でしょうか? けっしてそうではないと思います。 少なくとも「戦争を知らない」我々の世代にとっては。 欲望そのものがすでに「破壊」を含んでしまっている。 人間というものが、根本的に変わり得る存在であることを証明するか、実践 されない限り、この虚無と絶望から人間を引き離して語ることはできないと 思う。詩はその媒体として適している、ぼくは思います。 右肩さん、コメントどうもありがとうございます。 (向日葵)

2018-08-15

花緒 元メンバーさん、こんにちは。 花緒さんて詩を書かれるんだろうか?文極でお見掛けして、早々にビーレビューの立ち上げに 加わられ、さらに今の立場は山口・元メンバーと同じ。現在は、ドバイ辺りに出張中なのだろう か?ぼくにとっては謎の人です。 鮎川さんの詩と比較して頂いています。 語りというベースで似た雰囲気もあるのかもしれないですが、ぼくはあんまり好きな詩書きさん じゃないので(笑)ちょっと「心外」かなぁ。 コメントありがとうございます。 (向日葵)

2018-08-15

ゼンメツさん、こんにちは。 『光源となるような思考はこの話者の言葉運びのように力強くあるべきだと僕は思う。』 ぼくも明晰で力強い詩が好きです。 曖昧なものに、「逃げ込む」ことができるのが、決して詩による表現ではない、と。そう 思うのです。ところで、ゼンメツさん拙作へのコメントも、とても力強く、かつ詩的なもの だと思います。コメント頂いて、投稿した甲斐があったと思いました。 ありがとうございます。ゼンメツさん。 (向日葵)

2018-08-15

三浦⌘∂admin∂⌘果実さん、こんにちは。 B-REVIEWにはずっと投稿したいと思っていたんですが、ダーザイン武田聡人に遠慮して 書かないできました。「幸い」文学極道を出禁になったのと、少し、書く余裕が出てきた タイミングがあって、投稿しました。 『悲しいというか憂いというのだろうか。』 人間というのは「悲しい」生き物だ思うのですが、その「悲しい」という感情には「種類」 がある。苦しくて「悲しい」こともあれば、嬉しくて「悲しく」なることが人間にはある。 この感情の微妙なグラデーション。これを大事にしないといけない。 甲斐がないのだ。詩はそういうところに分け入る行為なのだと思う。 ありがとうございます。三浦さん。 (向日葵)

2018-08-15

stereotype2085さん、こんにちは。 「最後まで読ませる」というのは、ぼくが第一に考えていることなので、 それが拙作反映されているとしたら嬉しい。 作品への評価と価値は、そこから始まると思う。 読者の頭の中へ、あるいは胸の中へ、何を潜り込ませるか? それが詩書きの一番の目論見であり、醍醐味だと思います。 コメントどうもありがとうございます。 (向日葵)

2018-08-15

はじめまして、ゼンメツさん。 ユーモアの伝わってくる良い詩だと思いました。 世界に向ける、視線の柔らかさ、というか。ほっこりするよう詩だと思いました。 幸福というものが、特別なシチュエーションなのではなく、視線の在り方なのだ。 という様な、そういう感覚世界を提示するような、そういう作品だと思いました。 (きみのしおり)

2018-08-10