作品投稿掲示板 - B-REVIEW

はさみ


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こんばんは。歌詞として、メロディーをつけて歌いたくなりますね。「満足するから」なんて言いながら気持ちをおさえこんでるのが、なんだかいじらしいです。 (バレンタイン)

2019-11-01

全体通して「いいなあ」と思えました。 なんでこの詩が「いい」のか、理屈を説明しようとすればできる気がしますが、その行いに何の意味もないと思えました。 4が一番好みです。 (透明度)

2019-04-17

>おひっこしをします >どこへいくか、きいてくれますか この出だしが好きです。素直な感じがします。 しかも自分から聞いてほしいと言ったようなものなのに、そのくせ >どこへいきましょう と今から考えてるかのような口ぶりなのが鬱陶しくて人間くさいですね。 いきたいばしょの部分ですが、 「行きたい場所ではないのです。生きた居場所はありますが、居場所がないのでイケナイのです。」 と読めて、全編がひらがなになっている意味として受け止めました。 >まどをあけたら きもちのいいかぜがふいて >どうやらわたし しんだようです この二行も好きなんです。空っぽになった部屋に新鮮な風が吹き込んで、もう後戻りができないのと同時に、おひっこしへの決意のようなものを感じ取れると思うんです。そのひとつ間違えたら前向きともとれそうな強い気持ちを普通は「しんだ」なんて言えそうもないところを、「なにもおもわな」くなってしまった自分が「しんだようです」と告げているのが、この表現の深みなんじゃないかなと、思いました。 ともだちの部分、このあたりはあまり本質的でない飾りの部分にも見えましたが、等身大な雰囲気を出しているのもこの辺りなのかもしれません。説明的に見えるからなのか、読むだけでは繋がりが見いだせないからなのか。でも、友達のところへこれからいくんだな、というのがわかってすごくリアルに聞こえるんですよね。 以上、この詩が好きだなあというお話でした (おひっこし)

2019-04-16

南雲 安晴さん ありがとうございます。 意味を考えようとしてくださっただけで、とても嬉しいです。私自身、音楽を作ることもあるのですが、楽譜は読めませんので、言葉のあやでも音符のようだと言っていただけて儲けた気分です。 ふじりゅうさん ありがとうございます。言葉尻にすべてが表れることってありますよね。私も言葉の表現を続けてきてそれは本当に感じます。「脱帽」は身に余ると思いつつ、たくさんお褒めいただけて光栄です。 コメントや評価下さっている方々に感謝が絶えません、ありがとうございます。 (俺)

2019-04-09

「決して顔を合わすことのない僕たち」に少しハッとしました。 (僕が増えていく)

2019-04-08

こんばんは。 命は輝いている。その輝きを感じられるのは何故か。他者がいるから言葉が歩きだす。宝石に目がくらんでそれより価値あるものを見逃してしまうのも、生きているからではあります。 真っ白なノートにペン先を落とし、自分の魂に耳を済ませている誰かの様子を、コックリさんにたとえているんだと解釈しました。(わざと、)そういう目でみると、胸の中に確かな熱量があってそれを伝えたい、なのに無色で透明な言葉にしかならない、そんな人への応援歌のように思えました。 宝石は原石を磨いたものだというイメージを根拠にすると、言葉は宝石より輝いている命=原石の欠片だけれど、磨いて表面の輝きを手に入れると内なる熱が失われてしまう(色がつくと、いつか色褪せてしまう。あるいは、形あるものは崩れてしまう)から細かく砕いて誰かのポケットに入れたい、というふうに読めてきました。 実際の意図とは違うかもしれませんが、磨き方を間違えなければ、きっと表面もきれいで静かに燃えるような宝石を君なら作れるよ、と語り手に言ってあげたくなります。何れにせよとっても優しい詩だと感じました。 (無印)

2018-11-10

みなさん、感想ありがとうございます。 投稿は三回目ですが、いつも的確なコメントをくださるのでとても嬉しく思いながら返信させていただいています。 ༺❦柿原 凛☂༻さん 神様を信じていなければ神様に文句を言う機会もあまりないものかも知れませんね。私も無宗教ですが、母方の家系が一神教で度々会話に神様が登場しました。かつて神様のことがものすごく嫌いでした。これは家庭的な事情であって宗教を否定する気持ちとは本質的にまったく別物だと言うことを書き添えておきます。嫌な思いをされた方がいたら、ごめんなさい。 みうらさん よく観察してくださったんだなあと感服しております。私は、いつも衝動的にしか詩を書かない上、何日後に見直すといったことも滅多にないためこういうコメント返しのときが絶好のチャンスです。この時は幼少時代に思いを馳せたようです。明確な狙いはこの時点ではありませんでしたが、飛躍していても投稿ボタンを押したのはその部分の空白感が好きだったからだと思います。 社町 迅さん お世話になっております。 素直に受け取ってくださり感謝します。 この詩は要約すると「あーあ、人間も信じられないし神様も信じられないよー困ったなあ」という意味ですが、深刻そうに言うと誰かに踏み込まれてしまうかもしれないので、語尾を操作してしまった感があります。どのようなお方か、詳しくは存じ上げませんが、社町 迅さんからすればそこが「若い!」と言わざるを得ないのかも知れませんね。 stereotype2085さん 楽な気持ちで読めたということで、何よりです。最近は自分の書くものに、どんどん、ポップさとかキャッチーさとかが加わってきています。「伝える」「伝わるようにする」ということに意識が向いているせいで編集的になっているのだと考えています。しかし肝心なところでくいっと踵を返してしまうのが子供っぽく、そこがなおさらポップなのかもしれません。 じゅうさん 時々、笑顔って複雑な皺ですよね。好きといっていただけて、よかったです。ちょっとは共感を得られたようで、安心しました。 断片、というタイトルは仰る通りの意味です。よくわからないけれど何か書きたくなって、サイトに来てみてそのまま打ち込んで投稿、だったので(毎回そんな感じですが)タイトルは一番先に書いたような気がします。 毎回、投稿した後に「やってしまった」という感じのささやかな不安を抱えているのですが、コメントがつくと癒されます。ただのコメントほしさに投稿しています。皆様、重ねてありがとうございました。 (断片)

2018-10-24

いつもなら。でも今は。 体が麻痺するほど本格的な鬱の症状になったことはないですが、かつて長いこと慢性的な抑うつ状態にいました。 わかったような気がしました。 返詩をしようかと思いました。でも何か違う気がしてやめました。 (何もできない日)

2018-05-29

エイクピアさん ありがとうございます。 サイファーに集まる若者たちはみんな俺らはHIPHOPだ、と言っていて、その実あえてカテゴライズすればほとんどの参加者が学生やフリーター、サラリーマンなど、見方を変えたら社会人の部類に入ると思います。 社会に属してはいるけれど嫌い、な人も多くてそこが反骨精神にもなるわけですが、ただHIPHOPという文化自体にも社会的な要素があってHIPHOPであれば逃げ切れるわけでもない。 それでも彼らは一瞬を掴むために音楽に乗って、身体を揺らしながら自由に言葉を吐き出しているので、ただの現実逃避とわけが違うと私は思い、社会に対する憂鬱とかネガティブな感情をひっくり返そうとしている誰かに焦点をあてて寄り添って、音楽的に詩を書いてみたかったのです。 (瞬間の話をした子たち)

2018-05-28

北村灰色さん ありがとうございます。 深く埋もれていたであろうこの作を掘り出してコメントまでくださり、とても嬉しいです。 音楽を聴くのが好きなのですが、なぜかというとその音楽が訴えている感情的な音や言葉が、自分と調和したり、気分を変えたりしてくれるあの感覚が好きだからだろうなと思っています。 どうせだからまるで音楽みたいに空気が移り変わっていってほしいと思い、どことなく言葉が歌っているような空気感を目指して詩(詞)のパートを入れました。強いて言えば言葉だけで音楽をやりたかったです。 ただこれをひとつの文章として読んだときにあんまり魅力がないなと思います。いまのままだと詩としては幅が狭すぎたなと思いました。また挑戦します。 (瞬間の話をした子たち)

2018-05-27

 詩を求めている人しかいない。共感してドキッとしました。なぜか、そうだろうな、と確信めいて思えました。  ただ、良い意味でも悪い意味でもなく、私の思う「詩」とここに書かれている「詩」がずれていると感じました。  ずれていました、というだけでは無責任ですので、思ったことを書いてみようと思います。私が正しいなどということは、絶対にないです。  例えば私の感覚では、誰かが詩を書いた後、それを読んだ人がどう思うか、どう感じるか、ということが詩の核の部分というか、本質であって、 「夜の暗さに戸惑う人を 旨い深夜ラーメンに誘ったり、 冷たい雨に打たれている人に 上手いジョークを聞かせて 生きていることの恵みに気づかせる」 ような成果を狙うものとは言い切れないんじゃないか、ということだったり、 詩って必ずしも活字じゃなくてもいいんじゃないかな、ということだったり、 「自分のこころを同じ活字の向う側に いる多くの人と共有できる喜びに」「いつか誰もが気づいてくれること」を信じているのが詩人なのだとしたら、詩に興味があるなしに関わらず、できればみんな詩を書いた方がいい、ということなのかな? 確かに詩は楽しいけれど、そういうことならブログやエッセイでもいいんじゃないかな? などと思ったり、 主にそんなところで解釈の違いを感じました。  あと、詩人はひとりで喜んでいるのか、共有して喜んでいるのか、これって両立するのだろうか? と考えさせられました。哲学的な問答にも見えました。  繰り返しますが、作品を否定するつもりは一切なく、むしろ自分が詩を妙に神聖視しすぎていたかもしれないな、と振り返っています。  詩は特別なものでもなんでもないと私は思っていて、単に言葉の持っている美しさが書き出されていて意味はなかったり、あるいは意味を託したり、物語の体をとったり、文字じゃなかったり、文字でもくしゃくしゃな紙に手書きだったり、色々な形があるのを見てきました。私はどれも詩と思う派です。  ずいぶんと長文で失礼しました。次のご投稿、楽しみに待っています。 (問答)

2018-05-22

三浦⌘∂admin∂⌘果実 さん ありがとうございます。 自分が見聞きして感じたことしか詩にしないぞ、という意気込みがあるせいか最近は何を書いても心情吐露的になってしまうようです。 これはほとんどの方が馴染みのない文化と思いますが、HIPHOPを志すラッパーたちが路上で音楽を流してフリースタイルラップで日常会話する、「サイファー」という集まりがあり、昨今のラップブームで私も興味を持ったので何度か参加してみた経験から、音として、特にリズムとしての言葉で、韻を踏むのを文章でも表現できないかと試してみました。 もともとHIPHOPが好きなため、書いているうちにラッパーの方々にどんどん感情移入してしまい書き終えた瞬間、私はラッパーでした。 (瞬間の話をした子たち)

2018-05-18

 悪い意味ではなく、まるで短編小説を読んでいるようでした。最後まで読みきると、ああ、これは詩だったな、と思いました。  発達障害らしきものを抱えた「僕」が終始語るのは、ことばに縛られてしまう不器用さ、望んでもいない身体や心の鈍感さ、そして、飛び込んでくる世界を受け止める感性、一握りの期待と、それを打ち消す不安。  私が世間知らずなのか、僕と彼との関係はうまく決定付けることができませんでしたが、それは大きな問題に感じませんでした。  僕が右手親指の爪をなくしてしまったのはもしかしたら噛みすぎてしまったからかな、などと想像しました。 「もしかしたらもしかするかもしれないよ。」というフレーズには、この詩を詩たらしめる成分が入っていると思いました。  僕は彼の自分を守ってくれたという思いがけない行為に出会って、この人なら、自分が今まで味わってきた苦悩や苦痛をこれから解放してくれるかもしれない、自分が笑われたり頭を抱えられてきた、嫌な思いをしてきたことが報われるかもしれない。そういった思いを強めていく。けれども、そこに決意や確信はなく、きっと同じくらいにその希望を否定してしまうだけの積み重ねがあるのだろうなと感じさせられました。  ここでは出来事による変化は起きずに、ただ、僕の期待と不安が裏返りそうになりながら膠着しています。  とても素敵な作品だと思ったので早くコメントしたかったのですが時間がかかってしまいました。ありがとうございました。 (おかえり)

2018-05-18

私だけかもしれませんが透明人間が歩いたみたいに足跡が一つずつ増えていく映像が目に浮かびました。 なので、私が思うに作中の「私」は透明で、一歩ずつ足跡だけが残されていくけれども、足にはしっかり泥がついて、乾いてこびりついているのかな、と想像しました。 テレッ なぜか、他に何もかかれていないのに靴がすべって重心がずれたあの感覚がまざまざよみがえりました。 ……もしくは、「私」はそこにはもういなくて、足跡が物語る「私」だけがそこにあるのかもしれないですね。その一つに、どう見たって足が滑ったような足跡もあって。もちろんその時は雨が降っていたけれど、とっくのとうに雨は上がって乾いてしまっていて。 だとしたら冴えない雨が降っていたけれど実はもうからっと乾いてしまっているという時間の倒置が、なんだか妙にスカッとするような気持ちがしました。 (歩幅の成り立ちについて)

2018-05-16

追伸の部分含めて好きです。 ぬいぐるみは語りかけても返事をしないし、メールの返事もきっと来ないのです。どうしようもないくらい一方通行で、語り手は「都合がいいね」なんて言って笑ってます。乾いた笑いです。語り手はもしかしたら、自分がぬいぐるみみたいだって思っているんじゃないかと、そんな気がしました。 それでも名前を自分でつけてあげて、呼んであげているのは、名前を呼んでほしいなーっていうけなげな気持ちの現れみたいで、とてもかわいいなと思いました。 (名づく)

2018-05-16

こんにちは。 形のない感情というものになんとなく輪郭を持たせるような言葉の数々に親しみを覚えました。 特に「かなしみ」だけがひらがなであり、柔らかく懐かしいものとして書いてあるのが印象的でした。 (即興)

2018-05-09

ありがとうございます。 他の方の作品になかなか感想を書けず申し訳ありません。 まりもさん 自分でもなんとなく心地よさを感じて残していた部分ですが、その理由は変換にあったのですね。気づきませんでした。 ありがとうございます。 原口昇平さん お待ちしておりました。 ここまで詳細に読み解いていただき、ありがとうございます。 驚きなのは、最初コメントを頂いたときどうも過大評価を受けているのではと少し心配していたのに、下さった批評は余すところなく諸々の意図を汲んでくださった上で拡大解釈も全くなかったことです。 この作品は敗北を語っていますが、おっしゃる通り語り手には良心が欠けています。 女を光で照らさないから、照らし返してもらえず、孤独で無力なのです。 こういう無力感によく出会ってきたため、私自身にも経験があることから、身近に感じて書きました。 この作品と「僕」に光を当ててくださってありがとうございました。 一生こんなことは言い続けられないでしょうから、「僕」もそのうち気づくと思います。 (うそのはなし)

2018-04-27

 こんばんは。初めまして。  私は他の方の作品を批評するようなことができる立場でもなく、ただ思ったことを書くだけしかできないので有意義になるか分かりませんが、精一杯感じたことを書かせて頂きます。(とても長くなりました。ごめんなさい)  砂場の足首のような人間のパーツや、ママ達のような完全な人間が、たくさん出てきますが、映像としてはどれも中にきちんと赤い液体を含んでいる/いたような感じがしました。  赤い液体というのは、なんだか血じゃなくても、腐ったり傷んだりして黒ずんだ上、虫がたかりそうな赤い液体なら、成立しそうに思えたからです……。(後で言及しますがママ達の中にはクランベリージュースか何かが流れていそうです。もう戻ってこられない、別の生き物に成り果ててる感じがしました。でももともとは普通の人間だったんじゃないかなーなどと想像しました)  後でひっくり返されますが映像としてはグロテスクだし、蜂や蝿の描写も不快です。  この公園の世界の住人はなんにもしません。見てるだけというか見てすらないです。立ってたり座ってたりのポーズはとっていて、表情もありますが、中身はみんなおんなじ恍惚と虚無のミックスシェイクです。  私が介護職だからか「ベンチで仮死状態の老人達は/いつかの海を夢視ているけれど」の行のあたりがなんとなく、心に刺さったのですが、ママ達もスーツの彼も桜を見てる彼女も、みんなゾンビか妖精か、とにかく人間じゃない何かみたいです。ゾンビは本人の意思とか関係なく何かに衝き動かされて生きてる人間を襲いますが、同じくらい衝動的に死に続けてるみたいな感じがします。でもゾンビはゾンビの摂理に従っているだけです。あとこの公園ではむしろその摂理こそ自然なのだから、妖精と言ってもいいかなと思いました。  この公園には何故か血なまぐさいもので溢れているのに、香りは甘ったるいものばっかりです。それが最後の仕掛けを助けてるんじゃないかなと思いました。(私の中では仕掛けだと思ったんです)  その仕掛けというのは、最後までハッキリとした色合いで飛び込んできた情景が、「公園から視えるこの世界は美しいと/朝焼けに沈黙するこの世界は美しいと/出血多量に悶える夕暮れは美しいと」の三行で、突然ファンタジーのような陽光と、スモーキーなフィルターを伴うようになってしまうことです。私はここでガラッと見え方が変わりました。  季節が変わっても変わらなくても、そもそもぐずぐずに終わってしまってもいい、死骸のユートピア。  そして唯一内面を見せてくれていた語り手も、最後には他の人物と同じように「何も鳴らないイヤホンで」耳を塞いでいたわけで、つまるところ、実はゾンビみたいな他の人物にも語られない内面があるのだろうなと、想像が膨らみます。    ということは、ここに来る前、この人たちはやっぱり人間だったんだろうなと思うんです。  多分この公園に時間らしい時間はないと思います。永遠にこういう光景が続く感じがします。  でもこの世界にやってきたいろんな人間は、いったい何処からやってきたのでしょう。    天国って意外とこんな感じなのかな、なんて思いました。人間を辞めた上で、生前遂げられなかった何かの思いを何らかの方法で殺し続ける怒りの肉塊になってすべてを忘れて眠り続けるみたいなことが永遠に出来たら、それはそれで悪魔的な魅力を感じませんか……?笑  私はそういう詩だと受け止めてみました。 (ある日、公園にて)

2018-04-21

またしてもコメントがつくとは……みなさんの作品にもコメントさせていただきます、ありがとうございます 原口昇平さん お知らせくださり、ありがとうございます。 お時間あるときにぜひ、お手柔らかにお願いいたします。 社町 迅さん 詳しく分析してくださり、ありがとうございます。ご感想を読んだ感じだと、やりたかったことが意外とできていたかも知れません。 私の想像を越える読み方をする方と出会ったときも嬉しいですが、自分の狙いみたいなものをなぞってくださる方がいるのもまた嬉しいものですね。 重ね重ねありがとうございました。 (うそのはなし)

2018-04-21

コメントありがとうございます。返信遅くなってすみません。 突然現れて変なもの投稿してしまったからだれにもコメントもらえないと思っていたので、感謝感激してしまいました。 李沙英さん 本当にいる、と感じていただけて嬉しいです。 女の子についてですが「人間やめろっていいてーのか」には少し同情してしまう自分がいて、でもそのあと、その子は猫に石を投げるような子だとわかったら手のひらを返してしまうと思います。そして、今度はそれが親の暴力のせいだとわかったら、また翻って憐れみをもって見てしまう気がして、同じ会話を三回書きました。 三浦⌘∂admin∂⌘果実さん ありがとうございます。どこにもたどりつかないように書くとこんな文体になります。 悲しいことを悲しいと書くのは避けつつ、あくまで人間味みたいなものを捨て去りたくなかったのですが、どう感じていただけたでしょうか。 重ねてありがとうございました。 (うそのはなし)

2018-04-20