作品投稿掲示板 - B-REVIEW

高橋大樹


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実在の声

2019-12-07

優れた作品。 第一連目 よくある通俗的描写と思ったが、この言葉がその後の心情と情景が融合していく表現へ読者が入ってきやすいように作用している。 2回目読むと、その効果がよくわかる。 その後情景描写が描かれていくが、いくつかの連の最後にある心情を表す言葉が、その情景描写に心理を入れていく。 たとえば、 少しばかりの言葉を残して わずかな痙攣 赤い心臓を抱えて等 これにより、叙景描写に深みと物語性が付与される。 情景描写に心理を導入するのは、万葉集から水脈のように続く日本語の芸術作品の技法だが、 この詩の書き手は、わざとらしくなく自然とこの技法を使っている。 これからも下手に言葉遊びに走ることなく、素直な表現を心がけてほしいと思った。 それが優れた作品をうみだすことになるのだから。 (静止)

2021-12-05

まあまあ良いじゃない。 権利だいう言葉はやめた方がいい。 しなければならないという言葉は義務だ。 してもよいという今の権利とは合わない。 光よりも早いスピードで、という言葉は陳腐。 逆さまにみる都市を落下してみる。この一瞬の出来事の(人はすぐに地面にぶつかる)永遠さ、つまり、一瞬の永遠性、有時間の無時間性を、もう少し、イメージ化言語化出来ればなお良し (逆さまの都市)

2021-11-12

悔しさや情けなさが極限までいくと、その極限に追い込んだ自分の生真面目さや真剣さが壊れて、喜劇的になってしまう自分がいる。 その喜劇性を、「っぽー」という言葉で表現している。 そこが上手く表現できている。 短い詩で、一瞬みただけではこの詩の良さを見逃してしまうかもしれないが、実に素晴らしい作品だ。  作品の軽さとは反対に、きっとすごく本気で詩に取り組んでいる詩人の姿が目に浮かぶ。 (ぽっぽー)

2020-05-28

この詩の背景には、詩人の日常のひとコマ、具体的にいうと、机でモノを書き、一息入れるため喫茶店に行き、コーヒーを飲み、タバコを吸うという原体験があるはずだ。 そして、その日常はゆったりとじかんがながれ静かなはずだ。それは「静寂」「本日なんてありはしない」「雨が海となった」といった言葉で表されている。 だが、その静けさの背後には不安もある。 「自傷」「死体」「腐った」「傷」といった言葉がそれをあらわしている。 この詩に共感する読者は、この詩人と同様に、静かな日常に潜む不安を感じたことのある人だろう。そして、その共感を呼び込むこの詩人の繊細さが、この詩を成立させているのだろう。 ただ、詩人がまだ上手くこの不安を対象化し把握しきれていないため、この不安をあらわすメタファーが曖昧で、それが詩の強度を弱め、きのぬけた炭酸に似た、ぼんやりとした雰囲気を出してしまっている。 この不安をつかんだとき、この詩人が表現したい詩的世界は、読者により鮮明になると思われる。 今後に期待したい。 (腐ったこーひー店)

2020-05-27

農夫が詩人、一粒の麦が詩の言葉(本当の言葉)、私が飲む麦酒が詩的でない言葉(偽物の言葉)のメタファーだとするならば、それを意識して、郷愁の像を膨らませたり、現実の無能な農夫の像を膨らませたりすると、より良かったかもしれない。 言葉のメタファーに気付き詩を書いた帆場氏を評価するとともに、これからの飛躍に期待したい。 帆場氏は優れた詩人になる可能性を秘めた人である。 (一粒の麦よ)

2019-12-12

この詩の作成の背景とコメントに対する感想を書す。 峯澤典子さんの詩の教室に参加した。その4回の内容は、受講者が実作し、それらを峯澤が講評するというものだった。 この詩はそれに提出したものにタイトルをつけたものである。 峯澤さんに読んでもらえるとのことなので、丸一日詩作をする時間を作っていたのだが、所用があり2時間しか詩に取りかかれなかった。 詩作の時短の為に、形式においては 1.各連の一行目は◯◯は◯◯で統一 2各連を5行で統一 を試みた。自由を制限し、形式化することで、詩作はスムーズに進めることができる。だが、その弊害として、言葉の表出自体が制限され、アリハラ氏が指摘するように、言葉や暗喩の強度が弱められたことは否めない。 内容では、 1.読み慣れた荒地派の詩の真似をすること を試みた。 ここでも、峯澤さんが指摘したように、荒地派は戦争という過去を共有しているが、現代は共有している過去がないという弱点が露わになってしまった。 さて、ミウラ氏は最後の行が浮いていると指摘したが、それにはわざとそうしたと答えたい。だが、そのことが見透かされているのは、詩の弱点と考えられる。今後の注意点として心に留めておく。 ちなみに最後の行は、鮎川信夫のとある有名な詩を取り入れている。峯澤さんはこのことも指摘なされた。流石である。 沙一氏がいう「情緒」やミウラ氏がいう「叙情」といったものを排した詩を僕は求めている。それでしか表現出来ないものもある。 最後にアリハラ氏が、高橋にとって作品を発表することは恐れでしかないと言っているが、事実に反している。 過去賞レースに作品を提出しているし、今も作品の制作途中である。折に触れ、暗に作品を書いていることをツイッター上で述べているのだが、彼は高橋大樹=浅田彰という図式に当てはめることから離れることができないようだ。 (実在の声)

2019-12-08