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春に無礼
春に無礼 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1465.4
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2022-03-25
コメント日時 2022-04-13
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
yamabitoさんコメントありがとうございます。 犬の散歩で公園に行った時に見つけました。藪のさらに奥で死んでいたので、これからも誰にも見つけられることなく白骨化するまで腐っていくのだと思います。 この詩は私がその公園に行く度に、あーあれどうなったかな?あー臭う腐ってんな、と軽く浮かんできた思いをそのまま書いたので淡々としているのだと。 カラスとは基本、人間から春夏秋冬常によく思われない存在だと個人的な意見を持っています。それが「死んでいる」ことでさらに不快感を抱き「市民の憩いの場で」でもっとそれが深まる。最後に「過ごしやすく穏やかな春」と重なる。こうしてだんだん理不尽な無礼が大きくなっていくのではないだろうか、とこのような形になりました。
0春=生、盛り上がり、桃色、明るいイメージ、私の中では春は少なくともポジティブです。ですから前半4行は結構すんなりと読めました。 春→なのにマイナスイメージ という構造で行が作られているからです。 春なのに死、春なのに腐ってる等々。 ですが難しいのは5、6行目 >春だというのに公園でカラスの卵がかえった >春だというのにつがいになって巣を作ったのだ 春→ポジティブなイメージ、という構造になっています。これ、私の中では当たり前なことだと思っています。春に生命が満ちるって訳ですから、ポジティブ。だけど作者様はそこを逆説で繋いでおられる。という事は春に別のイメージを作者は抱いているのか?或いはカラス側に春ではないイメージ(黒いから死?不吉?)を抱いているのか?だとしても鳥も1種の生き物だから、生き物の命が溢れることを春と逆説で繋ぐのはおかしいのでは? と、考えているうちに考察が進まなくなってしまいました。 うーん、難しい、何か意図は有るのでしょうか……。
0真昼さんコメントありがとうございます。 どんな形であれ、書く人間にとって人を惹きこむのは大切なことだと思います。 ですのでありがとうございます。
0namelさんコメントありがとうございます。 私もおかしいと思いながら書きました。春は新しい命が生まれるポジティブな季節だと思います。 でもその新しい命は人間にとって生まれてよかったものなのか。私は動物が苦手ではないのでこわかわいいカラスも好きですが、カラスはごみを漁って撒き散らしますし、白い糞は町の景観を損ねます。鳴き声もうるさい、とこのカラスという鳥に良くないイメージを抱く人は多いのでは?そう考えました。 暖かく過ごしやすく、命溢れる春だというのに、あの「嫌な鳥」の卵が孵った。 こんな良い春だというのに、嫌なやつが増えた。 そんなネガティブなこともあるかなと。
1返信ありがとうございます! うむうむなるほど……なんかカラスさん、可愛そうですね……。 したらばきっと、 春なのに人間が増えた ってカラスは思っているのかなぁ、なんて。
1カラスはしようとして人間に悪さをしてはいないと思うのです。姿形は大抵の人間からしたらあまりいいものではありませんが。それはそれとして詩の中ではカラスはどう捉えられているのでしょう。春になってカラスもつがいとなって卵を温めましょう。カラスの目線から人間社会を見るとどう見えるかが書かれていたらまた面白いと思います。
0ふと、歌謡曲の「春なのに」を思い出したのですが、この詩では鴉を軸に詩が回って行っているような。「春だと言うのに」と言う事で悲劇性を訴えて居る様にも見えますし、アイロニーの様な感じもします。
0「北川 聖「やすらぎの苑」発売中」さんコメントありがとうございます。 はい。カラスは迷惑だと人間は言いますが、人間が存在するから「迷惑」という言葉が存在するというだけで、人間が存在しなければカラスはただ生きているだけなのです。 この詩の中では、カラスはただ迷惑な存在として書きました。カラスが嫌いな人視点なのでカラスは卵を温めているだけでも冷たい視線を向けられてしまうのです。 カラスをどう人間の感情から切り離して、人ではない存在の視点として書くか難しそうですね。
0エイクピアさんコメントありがとうございます。 今になって思いついたのですが、この視点の人間にとっての春がカラスによって侵食されていくことは、この人間にとって悲劇ですね。
0お名前にいらぬ「」を付けてしまいました。 申し訳ありません。
0きっと眩しい春のなかに見た冬の残骸だったのでしょう。
1そのカラスは、厳しい外の世界で戦ってきたのでしょう。 春だというのに、に込められた侘しさを感じます。 対比が等価値になる悲しさも。 梶井基次郎の「桜の樹の下には」を想起しました。 桜の樹の下には屍体が埋まっている!というものです。 春だというのに公園でカラスが死んでいた 公園でカラスが死んだというのに春 逆にしてみると、よりカラスの立場に近くなります、これは発見です。
1前半は、単純な死せる「カラス」への倦厭から成り立っておりますが。「春だというのに」とうリフレインが後半、「カラス」の生の営みへ副うように変化し、 ひとつの捻れの構造を産み、そこにそこはかとなく「面倒なカラスと言う存在」への必ずしも一面的、嫌悪的ではない複雑な機微、心模様、余韻を生み出し、 奥深き余白を表現なされていらっしゃる(具体的には「一都会人と思われる作中主体」が自然的存在の生き死にの有り様へと、自らの境遇と比えて抱く、憧れや、かなしみ、慈しみ、等)。 一言では表現し得ない、精神の様相がとても美しい余韻を残す、逸品であると。感受を致しました次第でございます。 表題を。平仮名の「からす」に致しましても、佳い塩梅となるかもと、思いました事を附け加えさせて頂きたく、存じます。
1「春に無礼」というタイトルからも、詩にたいする反発や、詩情的な反骨があります。大切にしてください。
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