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distance
distance かれは先月免許を取った 死んだらごめんね、と 冗談めかした笑顔でわたしを助手席に乗せ 2000年代のJ-POPを流しながら 海沿いを走らせていく かれは10代のころ小説を書いていた 詩も読んでいたらしい 自殺するくらいなら詩でも書いたら、と 16歳も年上のわたしに 勧めてくれたのもかれ かれは小説を悪く言う 詩のことは、もっと悪く罵る やりたいことがあるんです そう言って彼は大学に入り直した 友達はできた? いいや、あんまり どこに行くつもりなの? さあ エーッ、ちょっと怖いんだけど はははは もー ねえわたしを どこに連れていくの、 鴎かな 鴎だと思いますよ 海沿いを走っている けど、ここは 目的地じゃないから 先日『ヒカルの碁』を読んだんです 良かったですよ ぼくもあんな風に青春を生きたかったなあ 好きなこと見つけて 切磋琢磨して…… 小説は好きじゃなかったの? どうだったんでしょうね 当時の感情はもう思い出せなくて…… かれは10代のころ小説を書いていた 詩も読んでいたらしい 小説の世界から足を洗って 詩も読まなくなって、やっと J-POPの歌詞を良いと 思えるようになったんです ずっと生きやすくなりましたよ わたしは わたしは、39歳になった わたしは、 何をしているのだろう 何を、したいのだろう ……これいつの曲? 多分、ちょうど10年前ですね、2007年 10年前の自分はもう見えない かの女もわたしのことは見えていないだろう それでもかの女よりなお若いかれと 結局どこに行くの?と、笑い合いながら わたしは 新しい詩を 想像しはじめていた
distance ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 858.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-10-01
コメント日時 2017-10-22
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
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音韻 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
本文冒頭の「distance」はミスです。すみません。本文は「かれは先月免許を取った」から始まります。
0何だかとても素敵に感じました。ライトなことしか書けないですが、以下に感想を書きます。 まず、タイトルが素敵だなと思いました。一つの英単語なんですが、それ故に色々広がると言うか。 distanceは色々な距離を意味しているのではないかと感じました。 私の想像ですが、例えば走行距離、運転免許から、走っている、その距離。過去の自分との差、その距離。 勝手に私が抱いたイメージですが、この詩からは、倦怠と綺麗さを感じました。
0眠莉さん、コメントありがとうございます。 「倦怠と綺麗さ」を感じてもらえたようで嬉しいです。
0distanceと言えば、空間的な世界を想像させるが、この作品で描かれているのは、時間的な隔たり、距離。それでも、第一連はおそらく現在から始まっており、その現在が中心にあって、ところどころ挿入される回想。現在と回想とのdistance 「かれ」は、小説を悪く言い、詩のことはもっと悪く罵るのに、「わたし」に対して「自殺するくらいなら詩でも書いたら」と決定的なことを述べている。「もー/ねえわたしを/どこに連れていくの、」と聞きながらも、現在から回想してみて気づくのは、「かれ」が悪く罵っていた詩を書くというところへ連れてこられてしまったのだろう。 ヒカルの碁を読んだ話もおそらく現在における会話。その中で「当時の感情はもう思い出せなくて」という「かれ」の言葉。現在と当時のdistance そこで挿入される回想で、「かれ」がJ-POPの歌詞を良いと思えるようになって生きやすくなったという他愛のない会話。それでも、語り手がこの会話を回想したということは、現在における語り手にとって、価値があるとまでは言わないが、何かしら心に引っかかるフレーズだったのだろう。 「かれ」が当時の感情を思い出せないように、「わたし」もまた「10年前の自分はもう見えない」でいる。「結局どこ行くの?」と聞きながらも、「わたし」は当時「かれ」が罵っていた詩の世界を生きようとする。詩の世界を想像している。いわば「かれ」によって運命づけられてしまった詩を書くということがあり、このことが当時も現在も「わたし」にとって変わらないこと、つまり、「わたし」と「かれ」の関係性に他ならないのではないだろうか。それが「わたし」と「かれ」のdistance
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