もう何もいらないと思える日没がくる
その帳の端にガスライターで火をつける
煙草をふかして夜の長さを計っていた
順番に人がやってきて
彼らと待ち合わせていたことを知った
夢の中で出会う人々は見つめるほど
輪郭が霞む
だから各々が誰なのか確かめることはしなくていい
私が
語らなくても
書かなくても
痛みを追いかけなくてもいいという冷たい水を
与えてもらえるのを待って
部屋の隅でじっとしている枯れそうな鉢植え
そのような私のすがた
を見ていて欲しかった
あるいは風邪を引いていた
そういう誰かと出会えるという、甘い風邪を
「その風邪を誰から受け取ったの?」
「気づいたときには持っていた。きっと母国語のようなものさ。」
夢の中に
風船を抱いている人がいた
奇妙で曖昧な音楽の中で
大事そうに抱いていた、それを
手渡してくれた
キスをしてくれた
もう何もいらないと思える日没のあとの世界なので
もう日が登ることもないらしい
だから安心して何度もキスをした
正しい煙草の吸い方を教えあった
それから二人で小さな涸れ井戸を見つけて、降りていった
井戸の底には何もなかった
そこでわたしたちは
風船を手放した
その風船はまっすぐ井戸から登って
そのまま空の天辺に届いて、新しい太陽へと変わった
激しい光が目を刺した
わたしたちは全て失った
作品データ
コメント数 : 8
P V 数 : 2030.1
お気に入り数: 4
投票数 : 0
ポイント数 : 14
作成日時 2020-08-11
コメント日時 2020-09-14
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 7 | 5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 2 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 3 | 3 |
総合ポイント | 14 | 11 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 1.8 | 1.5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0.5 | 0.5 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0.5 | 0.5 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0.8 | 0 |
総合 | 3.5 | 3 |
閲覧指数:2030.1
2024/11/23 18時38分40秒現在
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> あるいは風邪を引いていた >そういう誰かと出会えるという、甘い風邪を もう、ここから大好きです。「甘い風邪」とはロマンティック!この行から一気に星空さんの世界に引き込まれていきます。 また、 > もう何もいらないと思える日没がくる からはじまり、 > わたしたちは全て失った で終わるのが面白いです。 「もう何もいらない」と思ったのに得たものがあるから「失った」という表現がずんときます。 濃いオレンジと濃紺の混じる黄昏時って美しいですよね。でも僅かな時間にしか見ることができません。それはまるで一夜の夢のように儚いよなぁ、とも思いました。
0妙な入れ子感がとても印象的で引き込まれる詩でした。「順番に人がやってきて /彼らと待ち合わせていたことを知った」、彼らって誰?「夢の中で出会う人々は見つめるほど」夢の中で出会う人々なのかなあ、などと言うような、この後出しジャンケン感が僕は好きでした。 「私が/語らなくても/書かなくても/痛みを追いかけなくてもいいという冷たい水を/与えてもらえるのを待って/部屋の隅でじっとしている枯れそうな鉢植え」この辺も同じような印象です。 テーマ的に非常に繊細な(という言葉が適切か分かりませんが)ものを扱っているように思えて、それが最期まで繊細に扱われているのがとても、すごいなあと思いました。下手をすると青臭い中二病的な、メンヘラ的な内容になりかねないのを、ギリギリのところで踏みとどまり、詩にしているのがとても心地よかったです。
0>「もう何もいらない」と思ったのに得たものがあるから「失った」という表現がずんときます。 「もう何もいらない」と思える全能感を「失った」ということですね
0後出しジャンケンは意識していませんでした。テーマがうまく伝わっていれば幸いです。青臭い中二病的な、メンヘラ的な内容にならないようにするコツは、自分の書きたいことをできるだけ書かないことだと思います
0第一連目で夜の帳の端にライターで火を付けるとはどんな意味を持つのだと思いました。第二連目で夢の中で出会う人々の輪郭が霞むと言う現象は自分の経験からも納得の行く内容でした。第三連目四連目で部屋の隅の枯れそうな鉢植え。風邪を引いたと事との相似性はどこから来るのか。母国語の様な物さと言う断定。枯れそうな鉢植え=風邪=母国語と言えるのか、三者間には断定以前の膠、繋ぎの様なものが透明化してあるような気がしました。私の姿。甘い風邪。第五連目で風船を抱いている人。風船をくれてキスしてくれて。正しいタバコの吸い方。二人で涸れ井戸に降りて行く。六連目最終連、何もない井戸の底。風船を二人で手放す。新しい太陽へと変わる風船。目を刺す新しい光。全てを失った私たちの意味。この詩の中の夢の風船とは社会そのもの、社会全体を象徴的に表しているような気がしました。ヴィジュアルではなくて、象徴的に。なので飛んで行ってしまって太陽になってしまう。井戸の底も社会そのものの様な。下から上まで不確定で分かり辛い。そう言った不安定な自我を投影した社会の象徴であろうかと思いました。
0もう何もいらないとは言っても、『もう何もいらないと思える日没』がずっと続いていくことを望んでいるように私には思えました。 それでも日が昇り光が刺してしまった。最後の行で夢から覚めてしまったのかなぁと感じました。 風船は何を表しているのだろうか…夢の中で貰ったけれど手放したら太陽になって全てを失う…ということは現実的な目標としての夢を象徴しているのかもしれない。 枯れていると分かりながらも『冷たい水』を期待して『井戸の底』に行ってみて何もなくて、そこで風船を手放してしまう。 手放すことで『痛みを追いかけなくても』よくなるかわりに、日没が終わり夢から覚めなければいけなくなった、という感じかなと思いました。 まあ見当違いかもしれませんが、個人的に感じたことを文章化してみました。 良い詩だと思います。読んで良かったです。
0この詩の中で透徹しているのは喪失のストーリーだけです。(それ以外はわざと曖昧にしています。)なのでその喪失のストーリーから何を読み出すかは読者次第という感じですね
0的確な読みだと思います
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