あたらしい妻とあたらしい夫、
あたらしい家とあたらしい隣人たち
愚かで口うるさい奴らは死んだ
そして煩く吠える犬もいなくなった
穴の開いた靴下はもう履かない
寝苦しい夏の夜に鼾を聞くことも
笑えない話を大笑いして聞くことも
不味い料理を食べることも今からはもうない
さあ、嫌な思い出は燃やしてしまおう
都合の悪い思い出をぜんぶ燃やそう
似合わなくなってしまった服や靴と一緒に、
血で染まった思い出をぜんぶ焼き払おう
街の広場には黄金のアピス像が建ち、
より多くの不正と邪な想いによって
窓という窓には夜通し灯りがともり、
どの家にも嘲りの声が絶えない
山を削り、街には様々な店が立ち並んだ
学校が出来、金融機関が信用取引が始まる
アスファルトの道がそこ彼処に張りめぐらされ
ふたたび禁断の祭壇に花々が飾られる
作品データ
コメント数 : 10
P V 数 : 651.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2023-11-01
コメント日時 2023-11-02
#現代詩
#ビーレビ杯不参加
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
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閲覧指数:651.6
2024/11/23 18時55分04秒現在
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×「金融機関が信用取引が始まる」←〇「金融機関が信用取引を始める」
0豊かさを得るために悪魔に魂を売った者たちを描いているように感じました。 現代社会への批判を込めた作品のようです。 「血で染まった思い出をぜんぶ焼き払おう」という表現が、どこか逆説的に思えました。 その思い出を焼き払うために、あるいは焼き払ったが故に、何処かでまた別の血が流されているかのようにも受け取れます。 末尾のでふたたび禁断の祭壇に飾られる花ばなとは、他者の流した血の花のような気がします。
0道徳的メッセージの強い詩だと思いました。 ニュー○○とかニューが冠されたものの老朽化、衰退はかえって悲壮感を増しますね。 ニューじゃ無いのに、便宜上いつまでもニューと言われなければならない感じが。 新しいと名乗っても名乗った瞬間からもう新しくなくなる訳ですから。 でも私はこういう詩はあまり好きではありません。 それならコメントするなと言われそうですが。 筆者が答えを用意していて、ただそこに誘導するだけの詩のようにも思えるからです。 >ふたたび禁断の祭壇に花々が飾られる 新しさの総仕上げの末に禁断の祭壇があるのだとしたら、再び縦の関係に終始することを全く理解できないのは少数派かもしれません。
0こんばんは。 作者様の根底には新宗教に対するアレルギーと警戒心があるように思います。 まあこれについて、余り深入りをしません(私にはそういった清算主義があります)。 そうして、やはり詩人として、語りの妙がありますね。 この作品が例えビーレビューというコミュニティ、そのアイロニーであったとしても それが歴史上、普遍的なことなんだよねぇ、と口ごもりつつ語る姿をしかと見み、聞きます。
0都合の悪い思い出をぜんぶ燃やそう できればいいなあ。
0この作品は一時期、離婚を考えていた頃に湧いて出た想いを後日整理したものです。結局、再婚して住まいを新しくしても時が来ればすべてが色褪せてしまうものなのですね。ニュータウンは、アメリカの住宅街をイメージして書きました。此処に住んでいる者たちが先住民のことを微塵も考えることがないように、この詩もアホの投稿者のゴミ芥として埋もれてゆく筈です。
0コメントをありがとうございます。 すべての作品は誤読される自由を与えられていると考えます。 読者があってこそ、詩があるのだと思いますが、禁断の祭壇というのは、生け贄の儀式で使うやつです。
0まあ、アイロニーというか、毒舌というか。 もう笑うしかありません。
0ボクが気にくわない相手に行ってきた数々の行いは、けっこう都合良く忘れてしまっています。ただ、恥ずかしい想い出だけは幾度もフラッシュバックします。回想すると、恥ずかし過ぎて落ち込みます。
0全てのものをあたらしくした話者も祭壇だけはあたらしく出来なかった。 その強固な繋がりを暗に示している結末でもあります。 たぶん誤読ですが。
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