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篭はもう、死んでいるんだよ
「彫刻刀で眼球を突き刺してやろうかと思った。」 十四歳の私が呟く。 「でも偶然出会わなかったのよ、その帰り道に感謝するしかないわ。」 木版の鸚哥はそう喋ると鉄柵の中で尾羽を梳るのであった。 そう言えば、昔鸚哥を飼っていたのだった。 或る日、血塗れで死んでいた小鳥。 中学生時代、思春期の私もやはり、苛めに遭っていた。 同性の同級生達。皆、口を揃えて言うのであった。 「僕等は何も見てません。」 黒い復讐心。彫刻刀は世界へ向けられた一撃の反抗でもあった。 十四歳の私は付け足す。 「でも、幸いだったね。曲がりなりにも守ってくれる両親が居て。今の時代のこどもたちにそんな両親がいるかしら。」 モンスター・ペアレントかもしれないね。私はそう切り返す。 映写機が回り始め、 白いスクリーン、或はアルバムに映し出される 或る家族の肖像写真。 建設工の父、専業主婦の母、 黒く塗られた、実の兄。 「そういえば、ご存じ?」 木版の鸚哥が頸を振りけたたましく囀る。 「兄さんも苛めに遭っていたらしいじゃないの。屡々物を、癇癪に任せては叩き壊して。」 そんなこともあったかもしれない。 鉄柵の中の鸚哥の死因が、有耶無耶の侭であったこと、 兄も彫刻刀を所有していたこと。 今はもう、しらじらと如何でも良いこと。 時折込み上げる、吐き気と、かの日を除いては。 しかし今でも十四歳の私が、木版の鸚哥が語るのだ。 これから君は如何したいの、死んでしまった小鳥の心臓。 翼をもがれてしまったから、クリスマスソングは歌えない。 メリー、メリークリスマス
篭はもう、死んでいるんだよ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1093.9
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投票数 : 1
作成日時 2022-12-24
コメント日時 2022-12-27
もはや批評ではなく、作品である。そういう意味では新しい。 北斗の拳の主役の有名なセリフで「お前はもう死んでいる」をタイトルから思い出した。実際、批評として書かれた作品内容も、不法地帯ヒャッハーのようだった。 お兄さんはジャギ。
0レスポンスを賜り、嬉しく存じます。 因みに、登場する事物そのものは略、事実でございます。組み合わせの変化に拠ってフィクションとさせて頂きました。 実は。北斗の拳、情操教育上の理由に因って読ませてもらえませんでした。 少年ジャンプ連載の作品は略、知らないのですよ。
0推薦文を下さりありがとうございます。 同じような経験をなさって。 翼をもがれてしまったからクリスマスソングは歌えない。 そうですね。 若い頃はお湯をかけられた肉の塊のように自分を感じました。十年ぐらい前には詩を書き始めたのですが、辛かった若い頃はでくのように無口で、言葉は瓦礫でした。若い頃をやっと詩に書き換え始めたころ、クリスマスの陰に水子の存在が空を回っている空想をして詩にしました。不幸は色々あれど、すこしずつやっと自己観察の余裕が出て、心を段々整えられるようになってきた気もします。 木版の鸚哥、肩代わりの黒猫とか書いたり。 ありがとうございます。
0レスポンスを賜り、嬉しく存じ上げます。 素晴らしい言語感覚でございますね。 さぞかし、苦い経験をなされたことでございましょう。而して、挫折の雲間にしか映らぬ月虹もございましょうから。 若年、幼年期に於きまして、自己の万能感を拉がれる体験をしておきました方が、世の中と申しますモノが良く見渡せる様な心境も、またございます。 陰を知る事、明りを知る事。それらの陰影と仄明りのグラデーションが存在である、ということ。 この齢になりましても、学ぶ事も頻りにございます。 常見が謬見であること、等、等。事物の複雑性に、気付く契機を得ましただけでも、挫折も甚だ報われるものでございましょう。
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