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武田地球『ライチと花』酣賞一例
ライチはとても足の早い果実だ、香り高いうちに早く食べ終えないといけない。最高の香りを食べ終えれば、きっと最高に甘い記憶が、永遠のように揺るぎなく残る。プルースト効果と名にし負う魔法で。 だから、ライチと名付けられた空想上の犬も、最高にかわいいうちに「わたし」から駆け去った。遺るために実った「わたしたち」の成果。 「ライチは空想上の犬だった、それなのによく懐いた」。空想上の犬は懐かないという奇妙な前提で「わたし」はライチを語る。懐く犬が「わたし」にとって、どれほどありえない夢だったか言外に語っている。何十年も前の幼いころ、故郷で「わたし」はおそらく孤独だった。孤独の記憶がライチという、芳しく甘い夢を編んだ。 幼い「わたし」の空想上で、ライチは「わたし」でなく「わたしたち」に懐く。「わたし」が一人でないことを前提とする、自家撞着の甘い夢だ。「わたし」は孤独だったが、孤独ではありたくなかった。だからライチを空想したが、ライチを空想している限り「わたし」は孤独から脱け出しようがなかった。孤独でないことを夢見ることを、孤独と呼ばずなんと呼ぼう、醒めるために見た夢だったのだ。ライチは「わたし」を早々に去る、ライチを手放した「わたし」がその手で「わたしたち」と手を結ぶために。 「花が咲かなくなったから、ライチはいなくなった」。ネットスラングで、おめでたい妄想をお花畑という。あるいは、死に瀕した人はしばしば、三途の川の向こう岸に花畑を見るという。「わたし」の孤独はろくなものでなかった。これを昇華し栄華とするために、もういないライチの残り香が必要だった。 いま、故郷を離れ上京して、おそらく一花咲かせた「わたし」は、死にたいほど寂しかった幼いころを忘れている。自分が描いたライチの絵も、その絵に込めた悲痛な思いも忘れている、きっとライチが記憶を塗り替えたからだ。プルースト効果。香りは記憶に密着する、特定の香りがしばしば特定の記憶を呼び起こす。ライチの残り香は「わたし」の記憶を、夢でしか見られなかった栄華ばかりで埋め尽くす。死にたかった事実を思い出さないように。 ※※※ この記事は批評対象作品の読解であり、実在の人物や実生活とは関係ない。またこの読解は筆者の自己表現であり、一切の責任を筆者が負う。この読解にある問題は、批評対象の問題ではなく、その著作者の責任でもない。
武田地球『ライチと花』酣賞一例 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1287.4
お気に入り数: 1
投票数 : 2
作成日時 2022-12-09
コメント日時 2022-12-14
澤さんの読解を読んで、僕も書こうとして書かなかったそのことを後悔した。こういったものの積み重ねが僕をまた何十年も遠ざけるのだ。惑星接近したときにどうかしておなくちゃ、時が経つほど宇宙の彼方だ。そうだ。永遠に人々の記憶に残った「ライカ」と、わたしだけの永遠となった「ライチ」僕はきっと二犬を繋ぐその間になにかがある気がしていたのに。なにかある気がしたままでいた。何十年も経たなくてよかった。どこかへしまわれるところだった。とはいえそこまでの確信はないが、だけどきっと、ライカとライチの間にあるものはタの文字だ。た、たた……多分。 永遠の宙を回り続けるライカのカタチ。ぶかぶかの宇宙服を着てシャボン玉のようにふわふわと浮かぶ。脚がみじかく、まるいカタチで。 見えないけどきっとそうだ。曖昧な雲の下には、なにもかもを忘れかけた僕たちがいて、なにごともなかったかのようにまるで、花床のようなシャボン玉のストローを咥えている。息をするたびにいくつもの永遠が生まれ、そしてまたすぐに消えていく。いくつものいくつもの、まるい花をつくりながら。
2ご参照ありがとうございます。わたしには詩人の批評というのが撞着語法にしか見えませんで、詩人なら詩には詩で返せやと思うのですね、ゼンメツさんほどの超新星国語教育に対し奉っても例外はありません。こんなとこで詩才を無駄撃ちしてる場合じゃねーだろ。ゼンメツさんの以後作を楽しみにしております。
1ご笑覧ありがとうございます。ゼンメツさんのほうのコメ欄で申しました通り、わたしはアンチ先進性偏重の徒であるわけですが、またも匂いが昭和どまりでしたか。それは残念です。次作ではぜひ明治を匂わせられるよう腐心いたします。
0過分の讃辞をありがとうございます。テクスト至上やら読者の復権やら申しましても、やはり投稿サイトでは、作者様の歓迎を得られると安心しますね。お気遣いに感謝します。 最初はお作の暗示の技術を、ご参考いただいたゼンメツさんの好対照として紹介するつもりでしたが、自論の内容が野暮で耐えがたかったため中止し、思い切って「お返詩」の形を採りました。詩才がなく思ったようには書けませんでしたが、仮にうまく書けたとしても当然、地球さんの筆致には匹敵しません。わたしに模倣できる程度の作品は、わたしの論評には値しません。以上のことは念のために付言いたしました。 よい詩に出会えて幸せでした。地球さんの以後作を楽しみにしております。
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