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Alkeher ghas
数十年ぶりに通る小道はチェルノーゼムの豊かな大地のような泥濘に黒ずみ、相も変らず薄暗い手入れの行き届いていない境目は市立の中学校と隣接しているいかにもな公有地らしかった。落ち葉の、露わとなった中肋の無防備さを分解しきれなかった大気中の水分と、腐りはじめた木蔭の匂いと、蜘蛛の巣のごとき光芒のひろがり。波のような性質でもなく粒子としての振る舞いでもない、放射とらせんにふるえるインドラの網、蜘蛛が食料の到来を微動だにせず察知する。空間というものが作用しあうなら、ぬかるみを支える湿度は限りある自由の底辺に安寧していた。 日毎に秋めく秋をめくりめくって移ろう季節の前線に、秋微雨は安物のビニール傘を必要とはしていなかった。 いくつかの出会いといくつもの別れ、家族みんなで遠く離れた土地に根をはり木々の養分となるのか、子をなさず、親となることを拒否し、故郷へ舞い戻るのか。語ることで語られることのなかった登場人物たちが動き出すこともなく、眠りを願い続ける物語がそこかしこに存在している。厳つい顔した蜘蛛が八本の脚で粘球を張りつける円網のうえで雷霆を練っている。下から横へ、粘る糸をひっかけて、上から横へ、足もとの糸をくぐらせる、おなじ動きをせわしなく、異なるたんぱく質の掛けあわせ、おなじ動きを丁寧に、秩序のかたちを日課の仕事にみせかける。必要のなくなった糸を一本切り棄てる。鴉が街区と街区のすき間、築六十年の中高層棟のあいだに低空飛行を滑らせていく。 女の目と鼻のさきを振り返りもせず突きすすんでいく幼子が樹上を指さし「くもーっ」叫んでいる。 木々や石塀の凹凸に、複数の声が錆色に塗装されコンクリートやアスファルトの硬性にせせらいでいた。空を覆う雲から厚みが太陽に盗まれていく。寓話をなぞるような滑空が『どちらがつよいか いいあらそって』。そして、これから晴れ間が息を吹き返す。それはもう決まっていることだったからだ。ほんとうの勝負は引き分けだったのに。これから成長してゆく過程がしなやかな羽根で仮留めされて、「そうだね」をつなぎとめる、ような眼差しで、女はあとを追いかける。 日々、ひび割れてゆく住宅街の車道や歪な都市計画の拡張を白い社用車は行ったり来たり。枝から枝のすき間から空がじんわりと染みだして、緑色のフェンス越しに聞こえる中学生たちの声がお昼休みのはじまりを教えてくれていた。息づかいはそれぞれの複ざつな輪郭のもとに単純だったのだ。単調な雲の流れの槿花一朝。ちがう速度にみえるおなじ時間をみんな生きていく、死んでいく。アサツキ色のワンピースのまわりをぐるぐると回るちいさな鷹揚も。気圧の差をたぐる風に翼を委ねる幼生も。頭のてっぺんに触れていた。みんなわかっているのに、気がついていないだけ。息づかいはそれぞれの複ざつな輪郭のもとに単純だったのだ。これからおおきくなる指のなぞる『くも』が、雨になるのか、虫なのか、なんてはじめからどっちでもよかったんだ。 左右にうねる坂道をくだりきり肺はいちど死んでしまったエーテルの日陰を吸いこんで、しなやかな拡張を細胞の輪郭に取り戻す。突き当たりを視線を左へ切ると空をすっかり覆ってしまう、機械仕掛けの散水車からその機構を無理やりに取り除いてしまったようなおおきな受水槽が安置されている。苔のうっすらと生えた大型タンクの側面から背面、正面のぐるりには、膝や目線の高さに補強のための凹凸があり、まるで風雨の強い日に雀や鴉、セキレイが避難するための安宿のようだった。宿泊帳にはきっと本名ばかりがならんでいる。鳥たちの名前、花たちの名前、虫たちの名前、鉱石の名前が所狭しと整列してそこかしこ。汚泥と苔の他に何かのちいさな種が混じっているのは人の手が行き届いていないせいだろう。安宿はこれだから信におけない。 花の都と水と都のあいだ、と噂されるその場所へ。 人影のないうねり道を右ひだり。すり抜けると急に視界はひらけて送迎バスの発着場がふいにあらわれてくる。交易の要衝地のように賑やかだったそこだけは、鄙びた時代遅れの集合団地のなかにあって蜃気楼に挟まれた天山・崑崙山脈を見渡すオアシス国家のようでもあった。人は、水と花が豊富に交わる言語に文化を産み落とす。文化は国家の概念を拡張させ、ひいては歴史を幾多の国境線にたなびかせ文明へと発展させた。 方角は限られたものだけが知っている。いくつもの国道がいくつかのバイパスを結び、幾筋かの市道と私道がつくる網目状の住宅街へと道路はねじられ、ほどかれていく途中、その曲がりくねった坂道は一本の袋小路へ玉むすばれる。駅からのシャトルバスはようやくたどり着く。砂漠を往くキャラバンの積み荷を目的地へと運ぶ凹凸ラクダの心臓、それよりも屈強だったエンジンは鼻息を勢いよく排気筒から吹き出し、疲れ果てた足を休めるための休憩に膝を折る。鉄製の筐体をアスファルトへ横たえたことを確認して、降車する軽装の男女の腰に巻かれたカマーバンドの帯は揺れ、軽い荷物を大事そうに抱える青年たちの指さきがあやつるベルベル系の言語は、SNSに途切れることのないフリック入力で、他人との関係性を長押ししながら、世界の認識をスワイプし続けていた。 キャラバンの旅人たちは巡礼者みたいに皆そこはかとなく厳かで、シャシという名のベール代わりに身に着けられた青い不織布マスクは呼吸を邪魔するばかりで、青衣の民は息継ぎのたびに両肺を圧迫させ追い立てられるように横隔膜を肋骨のすき間へ落とす。古びた吐息を感じていなければならないという、SDGsにもとる資源の再利用のかたち。新たな試練を我らは与えられているのだ、と彼らは両腕を痛いほどひろげ口々に嘆く。草の繊維でできたクルタを頭からすっぽりと被り日当一万円の誘導員は、かつて、奴隷階級のエクランと呼ばれた出自を誇るように、誘導灯をたかく掲げ、腕を無秩序に回しながら歩道から縁石、駐車場へと走り出て、たまに車道から石畳の敷地内へもどっては木の傍でひと息をつく。そしてまた淡々と仕事をこなしてゆくのだ。だから私は、わたしたち、というひとつの集団で、誰に言われるでもなく列をなし、一歩、また一歩と順番を繰り上げる。段差のほぼ存在しないステップと迂回するスロープのどちらを通るのが正解なのかもわからないまま、ガラスの岩戸がおおきくひらく。ひらけゴマ、は女性の陰部の比喩らしい。さっき凹凸ラクダの片われが小難しそうな顔をしたままヨダレを垂らしてそう言ったのを、盗み聞きした。清拭された自動ドアの奥に広がる吹き抜けの玄関ホールをまっすぐに通り抜けていく。 『マートゥマッ タカラーウスクメル ダートゥ ムルセナク』 ※ 無駄なものなど何一つとして置かれていない区のスポーツセンターはアルコールの成分を空気の流れに循環させて、蒸発しない成分で玄関ホールは白く汚れている。いつまでも若い男女の職員が仲良さげに雑談をしている。簡易の受付台に張り付けられたテーブルクロスの木目調は偽物のペラペラだった。ひと際視線をあつめる中央ホールの壁に飾られていた、フレスコ画に似せたタッチの絵画は陶器製の、女性の横顔を物憂げに表現していて、気怠そうな瞳で中庭の方をしずかに見下ろしている。 天井まで届かんばかりのガラスに分厚く仕切られたパティオと呼ばされた中庭の草木はよく手入れをされていた。通路から中庭へ抜ける扉を押しあけた初老の男の右手には使い込まれた選定鋏がしっかりと握られていて、カルーナとイヌサフランが愕に花冠をささえるような構造で手の甲のシミを取り囲んでいたというのに、野球帽の色は暑かった夏の残暑をしみ込ませ「なんだろね なんだろね」と、むつみあう気温に褪せつつあった空の低さをまだつなぎ留めていた。彼らだけの秘密の会話を盗み聞きしようとして私は、ガラス扉越しに耳をそばだて、こまやかな振動の規則性の解読を試みていた。 おおきく開いた陶器製の胸もとに立ち止まり、またべつな人々は行儀よく整列を歩幅にそろえた間隔で歩調をあわせている。灰色タイルの点在や、惛惛とくすみ始めたビニールテープの目張りは踏みしめられることで簡単に自分が白かったことをあきらめてしまう。それでも、人間の足のうらがわ以外にこびりついてた汚れなんかも一緒くたに取りのぞいてくれるに違いないから。 「すぐにテープは真っ黒になってしまうんだね、そうなんだね」 無言のうちに教えあっていた知らない誰かと誰かのあいだにならんでいた。 手と手。足と足。背なかと背なか。服のしわ。 わたしたちは人の間に凛立する生きものだから。 なるべく踏まれないようにしてならんでいた、誰も知らないわたしたちを時間は静かに待ってくれていた。 2021年10月13日 ※ グーグルアース https://earth.google.com/web/@13.67377292,-0.8932829,-127.99999777a,1716463d,35y,353.00000147h,16.99999476t,0r/data=CikSJxIgYTY1Y2U1NTk3MzE4MTFlOTkzN2RjN2JkNTNhNDc1ZGIiA1RBTQ?hl=ja ※ Alkeher ghas いいですよ
Alkeher ghas ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 742.0
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 6
作成日時 2022-10-13
コメント日時 2022-10-15
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 2 | 2 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 4 | 4 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 6 | 6 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 2 | 2 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 4 | 4 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 6 | 6 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
yamabitoさん、コメントありがとうございます。 こちらもyamabitoさんの作品から刺激をもらっています。 『変態』にもコメントさせてもらおうかと思っていたのですが、気持ちが死んでいたので出来ずじまいでした。申し訳ないです。これからも「文学的に」頑張っていきましょう。
0合う、合わないは当然あると思います。 笑ってしまったということで大変うれしく思っています。 ありがとうございます。
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