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田舎のラジオたち
1. お気に入りの旧式ラジオが壊れたので、ぶっ叩いたら直った。と思っていたのだが、ラジオから聴こえてくる音声は、ラジオが発信すべきどこぞの誰かの言葉と音楽ではなかった。 ラジオが言うには、私は、旧時代的暴力人間だということだ。曰く、俺が毎度どれだけ苦労して、お前のために音を流していると思っている、そんな俺に感謝するならいざしらず、ひとたび失敗すれば手の平を返すかのように暴力を振るうとはどういう了見だ、とのこと。 私は、ラジオが受信しなくなったから、先人の知恵に倣って、叩けば直ると思っていたと話した。すると、旧式ラジオは、先ほどの倍は超えるエネルギーで、こちらを罵倒し始めた。 曰く、出会って幾年、日々お前のために毎日受信した音楽を流し続けた俺に、少しでも人間としての感情があるなら、暴力によって間違いを正すなどという行為に抵抗を感じざるをえないに違いない。お前は、たった一つの失敗やミスによって、恩人を傷付ける行為をするクズなのだ。もしかしたら、もう少し待てば、俺は受信ができたかもしれない。そのような視点にも考えが行き届かず、お前は無能な脳筋のように暴力行為を繰り返すゴミ野郎なのだ、と罵倒してきたため、完全に壊れていると思いぶっ叩いてみたのだが、旧式のラジオはそれっきり完全に動かなくなってしまった。 2. 最新式のラジオを購入し、男は暴力行為を改めた。暴力行為を改める代わりに、ひとたび受信しなくなるとすぐに最新式だったラジオからより最新式のラジオに乗り換えた。最新式だったラジオより最新式のラジオはより性能がよく、男はよく褒めたたえたが、ひとたび受信に失敗した外観を示すと、最新式だったラジオより最新式だったラジオより最新式のラジオにすぐに買い替えた。ラジオから聴こえてくる人の声は次第にクリアになっていって、男はとても満足していて、徐々に受信の失敗は減っていった。旧式のラジオより受信の失敗は減っていったが、それでも受信の失敗がたまに発生するので、その時は無言で最新式だったラジオより最新式だったラジオより最新式だったラジオを超える最新式のラジオへ乗り換えた。旧式のラジオから流れていた時の声と、今流れている声はいつのまにか別人になっていた。流れてくる音楽も、男が旧式のラジオの時に聴いていた音楽とは趣味趣向が全く違ったものになっていた。最新式だったラジオより最新式だったラジオより最新式だったラジオを超える最新式のラジオから流れる音声にノイズが混じっていたので、これはいけないと思い、男はすぐに街まで出向いて最新式だったラジオより最新式だったラジオより最新式だったラジオを超えて最新式だったラジオを凌駕する最新式のラジオへ乗り換えた。が、もはやその時、ただでさえ狭い男の部屋は何年も動かしていないラジオの山で大変狭苦しくなっており、聴きなれないキャストの声にうんざりし、特段好きでもない音楽に辟易し、とっくに捨てた旧式のラジオを懐かしむだけの生活をしていた。それから、最新式だったラジオより最新式だったラジオより最新式だったラジオを超えて最新式だったラジオを凌駕する最新式だったラジオより著しく性能の劣る前時代的な旧式ラジオへ乗り換え、暴力行為を繰り返し、男は大変満足しているとのことだ。
田舎のラジオたち ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2264.7
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 11
作成日時 2020-05-04
コメント日時 2020-06-07
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 3 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 3 | 0 |
エンタメ | 3 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 2 | 0 |
総合ポイント | 11 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 3 | 3 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 3 | 3 |
エンタメ | 3 | 3 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 2 | 2 |
総合 | 11 | 11 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
ありがとうございます。 私は自分の作品に対して、作品を客観視することがほとんど出来ないような気がしております、というと陳腐な表現になってしまいますが、もっと切り込むと、作品を書いた身でありながら、作品をほとんど読めていないような気がしました。 >批判に対する受け身が本文内に書き込まれているようにも読み得る とのお言葉を拝読し、私にはまったくそのようなつもりはない、要するに「批判されてしかるべし」みたいなスタンスだったのですが、文章から「本作だってしょうもないんだから、批判する方もしょうもないですよ」というポジションを不覚にも表してしまっているようで、痛恨であります。 >聞こえてくる音楽とかキャストの声とか番組自体は変わらないんじゃね?と誰でも思う程度の疑問さえスルーされている について、「現実世界とは軸をずらした(ラジオが喋るなど)ことにより、妙に時間の経過が早すぎる、なぜか捨てられないラジオたち、ラジオ如きで狭苦しくなってしまう部屋、といった明確な違和感を隠喩的に説明できると考えていたのですが、 >結果として寓意も薄っぺらく読めてしまう とある通り、寓意自体の薄さに拍車をかけてしまったようです。 私としては、 ①ラジオを「殴る」 ②ラジオを「捨てる」 と明確にニュアンスを変えた次第なのですが、「つもり」になってしまっているだけなのでしょうか。宜しければそちらについても、ご教授頂ければ幸いです。
0「白河の清きに魚も住みかねてもとの濁りの田沼恋しき」という狂歌がある。 ここでは最新に最新を重ねたラジオが白河(松平定信。田沼意次とは打って変わってクリーンな政治を目指した)、旧式のラジオが田沼(汚職政治のシンボルとされた)か。 この作品や上の狂歌のように、「洗練されて新しいもの」を追い求めていたはずなのに、なぜかグルっと一周して、結局は古い煩雑なものを懐かしんでしまうのは、とくに珍しいことではない。 「時代は進歩しているのだから、新しいものこそいいものだ」 という盲信を 「良いものは時代で決まらないし、そもそも時代だって必ず進歩するとは限らない」 と皮肉り、諭す作品である。だから花緒氏の言う「寓話性」がまず表層として存在する。
0再度のご返信ありがとうございます。 花緒さんに踏み込んで書いて頂きましたので、私も今一度当作へ踏み込みたい衝動に駆られているのですが、当作、特に2.においては、もう少しやりようがあったのではないか、と考えています。 1.については、我ながら比較的書きたかったことを言葉に出来たと思っており、結構自画自賛をしています。と申しますのも、1.の段階で7割がた書きたかったことを表現してしまっており、さあて、2.でどのように1.を纏め上げるか、といった点に苦心した経緯がございます。 だからなんだという話ではございますが、ようするに、2.ではテイストを変えて言葉遊び的なノリを出してみたり、主観から客観的な視点へ変更してみたりして遊んでみたのですが、2.で表現したかった「何も言わずに捨てる行為から、ふたたび暴力へ舞い戻る」点すら「お遊び」つまり、薄っぺらさを加速させてしまったのではないか、表現が先んじていなかったのではないかと恥じ入る点にございます。 無論、本作自体が「イカれた野郎を殴る」テイストを孕んではいますが、「誰も特に間違ったとは思えない行為をしている」点を1.で重視しておきながら、2.では特にそこを意識しなかった点において、なぜ1.ではバチバチに意識して書いたはずなのに、2.では全く考えもしなかったのだろう、という疑問が湧いてきたりします。「イカれた野郎を殴る」つまり、本作自体も旧式のラジオを殴る作品にしかなりえていないといった点、正鵠を射ていらっしゃるように思います。
0ありがとうございます。 田沼意次が本当に汚職をしまくっていたのかどうかはともかくとして、提示して頂いた作品が現在まで広く知れ渡っている背景として、「田沼は悪いやつだったよね」という視点が作品にしっかりあらわれている点だと思います。 例えばこちらの作品が「白河の清きに魚も住みかねて花の香りぬ田沼恋しき」のような視点でものが語られた場合、一瞬のうちに忘れ去られる凡歌となり果てたように思われ、つまり「田沼意次は腐っていた」という考え方がベースにあるからこそ、示唆に富んだ一つの作品へ化けているのだと考えます。 どういうことかと申しますと、本作には「田沼が腐っている」という、田沼ゴミ野郎視点が背景に存在しないか、薄すぎるように考えました。 つまるところ、上から目線でものを語っているのでは?という感受のされ方を本作が否定しきれていないがために、「寓意」の範疇にしか留まっていない、一歩踏み込めていないように思われます。 話は完全に脱線しますが、(一応)プログラマーとして「時代に合わせたサイトデザインや機能を」という意気込みでサイト作りに励んでまいりましたが、例えば発起人の天才詩人氏が現在のサイトを覗いたとして、たぶん魅力的には映らないであろうことが考えられ、つまり最新式になることによって「安心感」はどんどんと失われて行ってしまうと存じます。 安心感が失われたサイトに対して、詩を書こう、批評しようといったモチベーションは生まれにくいことが予想されますので、結局は旧式ラジオを懐かしまれることが考えられるのですが、「我々はラジオである」という根本的なところは守るように、B-REVIEWを運営していきたいともまた考えております。 あまり時代の話を作中で皮肉った覚えはないのですが、確かに「前時代的な旧式ラジオ」などの言葉が出てきていますので、B-REVIEWをアップデートする際の後ろめたさがでてしまったのかもしれません。
0いやぁ、もう何か書くこと残ってますかね、と苦笑いしたくなるぐらいに密なレスがなされているのでクリエイティブライティングがなんだか解っていない僕がおこがましくもなるのですが。まず、文体は手慣れたもので全体的にソツなくストーリーが書かれています。ある種の変態や外れた人を書いてきた作者なので今回もそのような人間を通して現実を振り返らせて、「いるよね、こういう人、いやもしかしたら自分もそうなのでは?」と読み手が立っている現実を揺るがしてくるのかな、と読み進めました。 1.のお気に入りのラジオが罵倒し始めたのでもう一回ぶっ叩く辺りはコミカルさもあり、お前の方が壊れとるやないか、と笑って突っ込みたくなる。2,に入って最新式のラジオがクドいほどに記述されて男の行動はエスカレートしていくのが書かれているのだが、そこにリアリティ(これはリアルに描写すると言うことでなく、作品世界の中での説得力のようなもの)のある人物の像が結ばれそうで結ばれないのはなんでだろうか。ラジオの山と書かれた描写の不自然さなどが本来ならその奇妙さが繰り返されるラジオの交換とリンクしてリアリティをもつはずが像を結ばない。(他の方が書かれているので繰り返しになるが)ラジオが喋ったのはともかくとしてなんでラジオを変えたら聞える内容などが変わるのか、が処理されてないからではないかと思いました。これ上手く書かれているだけに2で読み手を圧迫するようなリアリティに繋がらなかったのはもったいないですね
0ありがとうございます。2.については、前述した通り変な方向へ舵を切ってしまったと考えていまして、完全に再考の余地がある個所となってしまっており、ご指摘の通りです。 と、簡単に済ませてしまうことは何となく私のプライドが許さない感じですので、もう少し続けますと、「ラジオを聴くことに楽しみを感じたいがためにラジオへ暴力を振るっていたはずの人間が、いつしかラジオへ無言の圧力を与えることにしか喜びを感じなくなってしまい、気が付けば何年何十年レベルで月日が経過していた・・・・」みたいな、浦島太郎の玉手箱状態のようなものを書きたかったのですが、どうにも上手く書けずに違和感のみが瓦礫のように横たわってしまったようであります。例えば「現代詩を読みたかったはずなのに酷評を書くことが主になってしまった」「コメントを書くことが楽しかったはずなのに、コメントを書くことで自分の作品へコメントが寄せられることが目的になってしまった(藤井龍平の肉迫さん)」「いい詩を読むために掲示板へ参加したはずなのに悪い作品にばかり批判コメントを書くようになってしまった(ぽえとーくのトッシーさん)」など、「結局旧式のラジオに暴力を振るうために、ラジオを聞く」行為に至ってしまうことは、私も含めた様々な人に眠る思想行動のような気がしております。 B-REVIEWが言語レベルの向上を図ったサイトであったはずなのに、気が付けば作品を投稿するだけの場所になってしまう、批評を忘れてしまう場所にならないためには、何が原点なのかということを、「コンプライアンス!」などという言葉を使わなくとも何となく一定数が共有していることが理想なのかもしれないと考えています。 >ある種の変態や外れた人を書いてきた作者 変態を書きたい、つまるところ明らかに変な作品を書きたいという理想は多分にありますが、私は全く変な人ではありませんので、土台無理なのかもしれません。
1読み直しました。個人的には旧式のラジオから最新式のラジオへ、旧式のラジオの最新式のラジオのさらに最新式の、さらにまた最新鋭の……とつづいていくあたりが好きで、お父さんのお父さんのお父さんのお父さんのお父さんのお父さん……みたいどんどんわけわかんなくなっていくところを推し進めていってほしかったです。「旧式のラジオとそれに対する私」という構図からどんどん離れて、もっと「狂い」を鋭くしてほしかった。まあ、わがままだし、クリエイティブライティングからは外れるかもしれないのだけど。
0ありがとうございます。 最新式のラジオより最新式のラジオ、と一線を画す最新式のラジオ・・・みたいに、ガンガン続いていく文章も考えたのですが、何となく本文の主題から外れるような気がしており、あえて簡易にしていました。読み返すと、単純に文章としての面白さをプッシュしても良かったような気がします。5月初期の作品でありましたが、6月に入ってなおコメントを頂き有難く存じます。
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