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牛の今
機械が周り 牛の前に餌を撒く コーン中心の飼料を 牛は口の中へかき込んでいく 空の牛床に機械は餌を撒いた 今日いなくなった牛の場所 設定変え忘れて撒いていった 手がつくこともなく山となって 沈黙している 昨日もなく 今日もなく 明日もない 乳牛たちには 目の前の草と餌だけだ 食い続け 飲み続け 出す物出して 眠りつく 仲間の行き先も 自分の先さえも 気にも留めず 終わらない今を生き続ける 明日はあせくせ患う価値はない 昨日はあれこれ悩む意味はない その境地で 見つめてくる 痛みのない苦しみとは 何だったのだろう 山となった主のいない餌に 隣の牛が舌を伸ばして食べていた
牛の今 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1363.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 14
作成日時 2019-12-12
コメント日時 2019-12-13
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 9 | 9 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 3 | 3 |
総合ポイント | 14 | 14 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1.8 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0.2 | 0 |
エンタメ | 0.2 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0.6 | 0 |
総合 | 2.8 | 3 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
なぜに人間だけが 牛という種別のちがう物の 母乳を死ぬまでうまうまと 飲み続けられるのでしょうね。 子牛をみるみるとたくましく育てるあの体液を 牛でもないのに。 人間の骨の髄まで沁み渡り 人間の一部分ともなる牛には 親しみや感謝からくる安らぎよりも 骨絡みにまで人間をとりこんでしまう 空恐ろしさまで思えます。 それは着物姿で全身から血と泪を流し 鳴き声をあげる牛娘『件』の伝承にもあるように じっと人間界を憂い、睥睨する存在であるかのように。
0たもつさん、こんにちは。 実は実際に目にした光景です。 牧場従業員なのです。この情景そのままを目の当たりにし、思うところがあって詩にしました。 頭にあったのは聖書の「明日を思い患うな。明日はまだ来ていない」と阿含経相応部経典の「過ぎ去った事を思い出して悲しむことはないし、未来の事をあくせくすることもな、ただ現在の事だけで暮らしている」という言葉。 なんだか牛の生き方そのままのように思えたのです。 終わりのない今を生き続ける、とはここから来ています。 >牛というモチーフは途中でその姿を実体のない、何かに変えていく。 >その何かは何であるのか。 そう言われたら、確かにはっきりしなくなる。 痛みのない苦しみ、これは人間の妄想とかのつもりでした。 牛にはまあないでしょう。 最後救われたとしたら語り手でしょうか。聖書と阿含経の言葉を感じれたので。 牛は最初から救われているに近い境地にいますし。
0鈴木夜道さん、こんにちは。 牛乳旨いんですよ。 あと栄養価高いんで。 牛乳悪玉論というのはあるんですが、怪しいですし。アレルギーや体質に合わない人は別ですが。 元も子もありませんけど。 >人間の骨の髄まで沁み渡り >人間の一部分ともなる牛には >親しみや感謝からくる安らぎよりも >骨絡みにまで人間をとりこんでしまう >空恐ろしさまで思えます。 そういう発想に至るとは予想外! でもそれ、他の食物もそうでは? 牛は睥睨するよりじっと押し黙って見つめてきます。 ある種の象徴としての牛は憂い、睥睨するでしょうけど。 ここではそういう風に読める牛の姿を書いてしまったかもしれません。
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