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永遠の子ども
暑い 暑い 暑い 19の夏 平成最後の夏 平成生まれの僕は平成の最後に大人になれませんでした 平成最後の夏 僕は子どものままでした さようなら 平成 さようなら 僕は大人になれませんでした 平成を越えられなかった君へ 未来は必要無かったんだね 白昼夢に抱かれることもなく 夜中3時 君は眠りについた 永遠の子ども 永遠の少女の君へ 永遠の子ども さようなら さようなら 妹よ
永遠の子ども ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1368.3
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-07-15
コメント日時 2018-08-19
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
妹とは、誰かというのがなんとなくの疑問でした。何かしらの文脈が潜んでいてそのヒントが詩文にあるのかもしれないのですが。なんで妹なさようならをするのでしょうか。 平成に生まれて平成が終わる前までに大人になれなかった。というのは話としてわかるような気がします。その上で永遠の子供というのは年号を乗り越える事が出来なかった子供達というイメージなのかなぁと思います。だから永遠の子どもというのはいき続けるから永遠なのではなく時が止まってしまうから永遠になるのかなと思いました。だから妹はもう死んでいるのかなとなんとなく思います。 暑い 暑い 暑いから朦朧とした様子が伺え、熱のせいで普段考えない事や忘れていたあるいは忘れることにしていた感情が、平成最後の夏という余波を匂わせながら接近してきて一番最後にコアである妹の存在と、語り手そのものは大人になった瞬間に平成から切り離されるみたいなイメージ、、、なのかなと思いました。妹は別に生きているかもしれないし、別の解釈はもっとありそうですがまずはたたき台として提示しようとおもいます。
0百均@B-REVIEW ON/ 様 コメントありがとうございます。 妹という存在は読み手によって解釈が左右されやすいかと思われます。 妹とは誰なのか、そこに疑問を抱いていただいたこともまたありがたいです。 この詩を読んだ時、特殊な時間に生きている方々に、初期衝動のような、何かしらの記憶が蘇るようなことを願って書きました。
0平成の最後に大人になれませんでした、という言葉はインパクト強いですね。言葉のキャッチーさは詩にとって魅力ですね。 妹ですが、私は詩の主人公の中にある幼児性なのかと考えました。大人というのは内面についてを示す。つまりは、主人公は大人になれなかったのではなく、大人になるために平成の時の内に、自分の幼さを置いていって、大人になるのかなと連想しました。そこに少し寂しさがある。 色々な解釈があり、面白いですね。
0僕も、妹は亡くなってしまったんだろうなと思って読みました。平成が終わってしまうことで、妹の死も、大人になれない自分も、すべてが取り残されてしまうような、そういった感覚を受けました。しかしヤエさんの解釈も面白いですね。 平成最後の夏っていうフレーズ、嫌でも印象に残りますよね。Twitterなどでも話題になっていますし。
0ヤエ 様 コメントありがとうございます。 IHクッキングヒーター様もおっしゃる通り、この詩の「平成最後の夏」というフレーズは非常にキャッチーなもので、一方ではこのフレーズは別離のフレーズたり得るものであるのに、一つのイベントのような形で過ぎていくことに疑問を覚え、そこがこの詩の出発点であったのかもしれません。 この別離の感覚を主人公の子ども面と大人面の二面性での解釈は大変面白いと思いました。ありがとうございます。 IHクッキングヒーター 様 コメントありがとうございます。 年号が変わるというのは、一つの時代の終わりであり、そこに抱く感覚は人それぞれです。全てが取り残されていく感覚、それもまた十二分にあります。 「平成最後の夏」の印象の高さはヤエ様の返信にもありますので、ぜひご一読ください。コメントありがとうございます。
0平成の最後に大人になれませんでした、というフレーズは良いなと思いました。でも、私には全体としては残念ながらグッときませんでした。ちょっと今疲れていて、きちんと理解出来ていないのかもしれません(苦笑) 多分、私が平成が終わることにそこまで切なさとかそう言った気持ちをあまり持っていないからかもしれません。
0花緒@B-REVIE 様 コメントありがとうございます。 おっしゃる通り、この詩の中の平成は正直昭和でも大正でも構いませんし、単なる日付の区切り以上の意味は文中からはあまり読めないなと思いました。 私にとって平成の終わりというのはあまりに早すぎて、かつ唐突なものでありました。そんな風にしか感じられない自分自身の浅はかな感覚を、半ば皮肉を込めて永遠の子供と詰ってみた詩でもあります。 深読みをすればするほど独りよがりな読みに走ってしまう詩でもあるのかなと、花緒様のコメントから思いました。ありがとうございます。 眠莉様 コメントありがとうございます。 かなり読み手様の状況によって解釈が左右される詩なのではないかと自分自身感じ始めております。 ありがとうございます。
0大人目線で子供を語るのではなく子供目線で子供を語ってるところが好きです。
0かるべまさひろ様 コメントありがとうございます。 詩歌に限らず子どもを対象にするときには「児童」ではない彼らを描こうと努力しています。 自分の詩を好きと言っていただけるのは大変嬉しいです。ありがとうございます。
0起きて半畳寝て一畳渡辺八畳@祝儀敷です すでに言及されていることだが 「暑い 暑い 暑い 19の夏 平成最後の夏 平成生まれの僕は平成の最後に大人になれませんでした」 この行ならびに状態はエモい。まさに今この時代に活きているエモさであり、「現代」詩であるならばやっぱこういった事象を取り扱わなければなと思わされる。 ただそのスタートダッシュなエモさで終わってしまっている。原因はリフレインの多用だろう。繰り返す語句の持つ力に頼りきってしまっている。 かつて19(ジューク)という音楽グループがいたが、彼らは「大人でも子供でもないはざまな年齢」だからということでその名前をつけた(諸説あり)。そのままで物語性があるこの状態を材料に使ってさらに詩情を生み出してほしかったなと思わずにいられない。
0渡辺八畳@祝儀敷 様 コメントありがとうございます。 おっしゃる通り、私自身この詩はもっと詩情に溢れた、読むだけで心がざわざわするものをもっと込められたらよかったのではと考えております。 出だしの文をより活かすことが出来るような詩を書いていこうと邁進していきます。 コメントありがとうございました。
0平成だから、それも最後だから書ける詩 今を生きてる人には色々と思いを巡らせさせる詩 次の時代はなんて呼ばれるのか分からないけど ●●が終わる時に、もし私が生きているなら この詩を思い出すのだろうと思います。 だから次の天皇には早く退いてもらいたいものです。 冗談です。
0貴音 様 コメントありがとうございます。 返信が遅くなり申し訳ありません。 そこまで印象的に思っていただけたなら、尚更より深い詩情を生み出しておけばよかったとこの詩に対する若干の後悔のやうなものはありますが、これが完成形でもありますので是非思い出してあげてください。
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