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「ちいさな傘を」
産ぶ声えが鳴ってった やわらかくつめたい 風がつよい 電車のような希みゆすいで 顔を洗ふ どうせ、どうせと 枝に広ぐ花たちを 燃やす滸(ほとり)の白さです できれば、優しく ちいさな傘を たてかけて 頰の伝うにはなむけを ふりむきざまに拾ったひかり が垂れたつま恋の 帰り途になってった 古い俎板を たてかけて そこに、そこに いたことを 日は正しく折れ曲がる ひとつふたつと 幾度かぞえたゆびさきも 微笑みが 春にとけゆく川に なってった
「ちいさな傘を」 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1091.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-03-29
コメント日時 2018-04-29
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
この詩は 一つのささやかだけど確かな宇宙だと思いました。 一遍の詩に、ちゃんと時間が織り込まれて言葉がつぎつぎと生まれ来る感じがするという意味です。 具体的に言うと、 産ぶ声えが鳴ってった や 帰り途になってった などが つぎづきに変化するスプリング・エフェメラルのような性質が この詩に 美しく映えていると感じました。 花たちが どうせどうせと枝に広がるだなんて 見たことのない表現です。 どうせだなんて なげやりな言葉の連呼すら、個人的には電車の進行する音にも思えました。 しかも 燃やす滸(ほとり)。 滸という漢字の選も たおやか。日本には「嫌なことは水に流す」という心境がありますが、 燃えたぎる思いをそっと手離す水際の心境があると感じました。 あと、↓ここも好きです。●引用はじめ 古い俎板を たてかけて そこに、そこに いたことを 日は正しく折れ曲がる ●引用おわり この詩には時間が美しく 折り畳められていると感じます。 ただ この詩は はなむけの詩だと思われ、わたしには言葉を辿って ただただ うなづくことしかできません。産ぶ声えが鳴ってった。とか。つま恋の帰り途。ということは この別れは、赤ん坊の誕生したことに関係する別れ。ちいさな傘は あかちゃんへの想いでらっしゃるような気がします。しずかに瞼を閉じさせていただきました。 余談となりますが、「Sternsingen(星哥い)」 という作品も好きです。すみれの花の砂糖づけについてがとくに勉強になりました。銘菓にはおよびませんが、今の季節には私は 毎年、すみれの砂糖づけを つくっているからです。これからも Clementine さんの作品が拝読できることを楽しみにしています。
0私は雨が好きです。それも冷たい雨じゃなくて、しとしとと、温かくて、心配事も全部覆い隠してくれるような、優しい雨が好きです。この詩を読んで、そんな雨の日のことを思い出しました。優しくて温かい詩だと思います。
0るるりらさん コメントありがとうございます。思いがけず素直にたいへん嬉しく思いました。本当にありがとうございます。 そうですね、指摘して頂いたような、一つ一つのフレーズが、連なりながらそれぞれポイントとなって響いてくようなイメージで書いておりました。電車のような希みーというような、やはり何かを喪失したり、ぎゃくに賜ったり、した後も半ば強制的に始まっていくということに対して、明るくかなしんでいたいというニュアンスをこめて書きました。 またお気遣いありがとうございます、たしかにはなむけのうたではありますが、 もちろん、ここに載せたということは、どのような解釈であっても大丈夫ですし、意味内容に言及していただいても大丈夫です。 ありがとうございました。 余談について 星哥いについても言及して頂いてありがとうございます。ご自身でつくられるとは素敵ですね! まだこちらに載せた作品数は少ないのですが、投下したものを読んでいただけると幸いです。
0鳴っていた、とも、成っていった(そうなってしまった)とも異なる、タッタッ・・・・と舌でリズムを取るようなフレーズが、連の締めに置かれる。ふわりとした余韻を引き締めるような効果を感じました。 人が去っても、悲しみがほほを伝っても、日は「正しく」のぼりくだり、確実に時は過ぎていく。その正確な自然の進行に、任せきることができない・・・融け合うことができない、いつまでもシコリを抱えていたり、氷のような一部を抱え込んでいたりするのが、人の心のどうしようもなさであり、いとおしさでもあるような気がしました。
0フリージアさん 雨、わたしも好きです…。感覚されるように生まれてきたもののひとつ。コメントありがとうございます。
0まりもさん そうですね、暴力的にまた朝が来て始まっていく=肯定されていく、時間の流れの中で否定やくすぶりを大事にもちながら、それ自身が希望になる、死を嘆きかなしむというよりは死にふれるのとで自身の生を勁く意識する、していたいと思って書いたものです。コメントありがとうございます。
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